死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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サブタイが思いつかない病。


邂逅

 一瞬で夢だとわかった。

 

 自分にじゃれつく大柄の犬、父が友人から譲り受けたのだというその犬は、子供の頃に死んだ。家族であると同時に狩猟犬であり、父と共に狩りに出かけたある日、手負いの獣の反撃を受けたからだ。

 

 看取ったのは自分だ。手当の施しようのない重傷、脇腹の毛並みに大きな傷の筋が深々と伸び、脈動に合わせてどろどろと血が流れるのを見ながら、まだ子供だったヴラッドは家族の頭を撫で続けた。

 

 いまでも思い出せる。涙もなく、ただ苦痛に喘ぐ犬が顎に触れたこちらの手に鼻先を擦り付ける。願わくは、この苦しみが続きませんように。子供ながらに死の臭いを感じ取り、そう祈ってからさして時間をおかず、犬は逝った。

 

 獣にとどめを刺して戻った父は、泣きもせずただ愛犬の最期を看取ったヴラッドを見、氷の男(アイスマン)と呼んだ。それは二九年の人生の中で、自分につけられたあだ名の中で最も思いやりにあふれた呼び方だった。

 

 死の臭いを前に取り乱さない、その冷静さ。どうしようもないものはどうしようもない、そう受け入れる諦観の染み付いた心。生まれてすぐに母が死に、同級生のジョイスは父親の寝室に保管してあった猟銃でふざけた兄の誤射で死に、父のベトナムの戦友だったハレルソンは頭を散弾銃で撃ち抜いて自殺した。

 

 自分の周りには死が溢れている。だからこそ、それを前に取り乱すこともない。そんなあり方を端的に示した呼び名。

――冷静であることは素晴らしい、だが冷酷にはなるな。

 

 力尽きた犬を抱きかかえ、帰途についた父親の言葉。氷の男(アイスマン)の根底に染み付いた最初の命令、それを思い出し、じゃれつく犬に腕を回す。夢ならいくらだって甘えさせてやろう。

 

 祖父が死に、父が殺されてから、長らく家族の夢を見ていない。だからこれくらいの贅沢は――。

 

 

 

 

 不快感をにじませた低い唸りに瞼が持ち上がる。途端、激しい頭痛に顔をしかめてうめいたヴラッドは、自分がなにか温かいものを抱きしめていることに気づいた。

 

 ぼやけた視界に目をしばたかせ、がんがんと頭の中で鉄球が跳ね回り頭蓋を小突くような不快感に息を詰める。

 

 目にするものの輪郭が幾重にも広がる視界が落ち着きを取り戻すまで数分、ようやくまともに機能するようになった視神経に小さく毒づき、自分が抱きしめたものの正体に目を向ける。

 

 腕の中に収まる白い毛並み。胸の上に顎を引き寄せられ、不愉快そうに喉を鳴らすそれは、夢に現れた愛犬とは違う。ずいぶんと大きな顔だなと笑い、腕を離してやると、それは勢いよく体を起こしてこちらには目もくれずに離れる。

 

 まだ靄がかかったように不鮮明さを残す視界だが、その犬の後姿があまりにも大きすぎることくらいは判別できた。世で言う大型犬の比ではない。

 

「お目覚めのようね。気分はいかが?」

 

 音すらもかすかなエコーのかかる始末。そこで、意識を失う前の出来事を思い出す。迫る巨体、掠めただけでこちらを吹き飛ばした必殺の拳。危うく死ぬところだった、その実感はこの街に降りてから何度目か。

 

 生死が紙一重ですれ違う戦場の経験などもはや日常の一部となって久しいが、それでもそれに恐怖を感じる神経だけは壊死していない。その事実にどこか安心しながら、声の主へ目を向けた。

 

「最悪だ。二日酔いの比じゃないな」

「そうでしょうね。あれだけ頭を強打して、縫う程度で済んだのは奇跡よ」

 

 声の主は、部屋の壁面に取り付けられた電子機器の前の椅子に腰掛けこちらを見下ろしていた。甘く、しかし冷たさを含んだ女の声。いい声だなと、生理的な部分を刺激する声音に場違いな感想を抱きつつ、ヴラッドは額に手を触れた。

 

 頭に巻き付けられた包帯の感触。見れば、意識を失う前にそこに触れた自分の手は赤褐色に汚れている。誰かが拭き取ってくれたようだが、手のシワにはくすんだ赤錆の色がまだ残っていた。

 

「運が良かった、少し間違えば死んでたってわけだ」

 

 けらけらと笑う自分の声すらも頭に響くが、死ななかっただけで十分。無駄に時間を使う余裕があるわけもなく、ヴラッドは身体を起こそうとして――犬ではない、自分の体にすがりつく熱と重みに目を向ける。

 

 装備品を剥がれ、ダークオリーブの野戦服を脱がされた自分の身体。汗が染み付いたシャツを握りしめ、シャーロットが寄り添うように眠っている。見れば、その反対側にはリアムが転がり、二人共疲れからか穏やかな寝息を立てていた。

 

「溜息だわ。子供をここにつれてくるだなんて、一体何を考えているの」

「俺らもそう抗議したが、上は研究員の安全保護が第一だとさ。こっちに文句を言わないでくれ」

 

 片肘を地面について上体を起こし、シャツを握りしめるシャーロットの指をそっと剥がしてやる。彼女の頬が触れていたあたりはまだ湿り気を残していた。

 

 彼女をリアムの隣に横たえ、ゆっくりと地面に座り込んだヴラッドは、ぐらぐらと揺らぐ平衡感覚に顔をしかめながら周囲を見回す。壁面に取り付けられたモニター、その脇に固定されたロッカーは銃器収納用のようだ。

 

 おそらくは保安オフィス、あるいは施設の管理室の類。意識を失っている間にここに引っ張られたらしいと今更の納得とともに視線を巡らせる。部屋の中にいるのは、兄妹と壁際で眠るジョエル、そして椅子に腰掛けた女と、その犬だけ。

 

 女の隣に座り込み、こちらに警戒の眼差しを向ける犬の毛並みは真っ白で、そしてあまりにも大柄だった。座っているというのに、その頭は大人の胸に届きそうな高さだ。椅子に座る女の肩とほぼ同程度、外見からするとウルフドッグのたぐいだろうが、ここまで大きく育つものか。

 

「名前を聞いてなかったな、あんたは」

 

 しばらくふらつく感覚とぼやける視界が落ち着くのを待ち、ようやくピントを合わせられるようになった目を眇めて女を見やる。血に汚れた白衣、スキニージーンズにタートルネック、腰には拳銃を収めたホルスター。

 

 それを確かめ、こちらに向けられた女の眼差しと正対する。アイスブルーの瞳、細い面立ちは世にいう美女のラインを余裕で飛び越えていく整いよう。なめらかな鼻筋の下、化粧気の薄い唇に小さな笑みを刻んだ女は、切れ長の眼差しを細めた。

 

「アリッサよ、兵隊さん」

「ヴラッド・ホーキンス軍曹だ。あんたら職員の救助に来た」

「その割に、あっさりアレに殴り倒されたようだけれど」

 

 そう笑う女の声音は冷たいが柔らかで、こちらの肩に残った緊張がゆっくりとほぐれるのがわかる。言ってくれるなよと小さな笑みとともに返し、近くに転がされた自分の装具を引っ張り、中から煙草を取り出して火をつけた。

 

「アレはなんなんだ。自然発生のバケモノってわけじゃあるまい」

「それがあのコートの男を指しているのなら、答えはイエスね」

 

 こちらの問いに返事を投げた女の口調には、真実を知る者特有の響きがある。ヴラッドはそれを確かめ、少し考え込む。この女は保安職員には見えない。となると研究員だろうが、この女が自分の確保対象か否かの確認をどう取るか。

 

「アレは、ここの開発物か?」

 

 しばしの思考の後、今最も個人的な興味をそそる問いかけを投げた。マディソンとの会話以前、ジットフェイスと遭遇したときから感じていたが、あれらの怪物が自然発生のものとはとても思えなかった。この街にはびこる感染症にしても同じだ。

 

「好奇心は猫をも殺すわ。でも、そうね、アレは我がアンブレラが生み出した新型の兵器。B.O.Wよ、間違いなく」

 

 B.O.W、バイオ・オーガニック・ウェポン。そうゆっくりと発音した女――アリッサは、この子もねと隣に座ったままこちらに向けた目を離す気配のない犬を撫でる。

 

「なるほど、畜生。俺たちはわかりきってた地獄に落とされたわけだ。最高だな、笑える」

「その様子だと、本当に何も知らされていなかったようね。アンブレラらしいと言えばらしいけれど、ご愁傷さま」

 

 同情などかけらも含んでいない口調でそう返す女に、そりゃどうもと応じてやる。それから、あのコート野郎と同類であるとアリッサ自ら説明した犬へ目を向け、俺を助けたのはそいつかと訪ねた。帰ってきた首肯に、そうかと返して咥えた煙草のフィルターを噛み、苛立ちとともに肺に溜まる煙を吐き出す。

 

「俺達は暴動としか聞かされちゃいない。この研究所のことも、バケモノのことも、降下するまで欠片も知らなかった」

「もうそれは聞いたわ。タイラントのことも彼らには説明済みよ。おかげで随分と嫌われたものだけれど」

 

 あのウイルスを開発したのは私達だから文句はないけれども、と続けたアリッサは、腰掛けたまま脚を組み、傍らで不動を貫く犬の背をゆったりと撫でた。おそらく自分が気絶している間にあらかたの事情説明は済んでおり、部下からこの状態を生み出した一因として白眼視されたのだろう。

 

「どうしてこんなことに」

「私にもさっぱり。少なくとも、ウイルスサンプル自体の漏洩はこの施設で発生したものでないことは確かね」

「じゃあどこから」

「このラクーンには、私が知るだけであと一つ地下施設がある。そこか、地上の研究施設か……まあ、漏洩はもっと前から始まっていたようだけれど」

 

 アリッサは半ば独白じみた一言を付け足すと、知っている限りの事情の説明を始めた。

 

 数ヶ月前から、アークレイ山中を訪れた市民を中心に食人鬼による連続殺人事件の被害者が続出したこと。事件発生地域の中心に存在するスペンサー館付近でラクーン市警の特殊部隊のヘリが墜落し、捜索に向かったチームも最終的に壊滅に近しい被害を受けたこと。

 

 その後、生き残ったメンバーが、スペンサー館には死者を蘇らせ食人鬼へ変貌させる未知のウイルスが存在し、その開発元がアンブレラであることを告発したようだが、アンブレラの圧力によりもみ消されたと思われること。その事実を取り上げたメディアは与太話を専門に扱う雑誌程度のものだったそうだ。

 

 結局、その話を信じる市民はごく少数にとどまり、この異変に関する最初の遭遇者であるS.T.A.R.Sは裏で工作されたメディア情報により信用を失い、今に至る。

 

 笑えるほど見事なクソの山だなとヴラッドは笑い、吸い尽くした煙草の穂先を地面に擦り付けて吸い殻を捨てる。まったくねと応じたアリッサの声音には、ほんの僅かな自嘲の気配が混ざっていた。

 

 事前情報通りのろくでなし企業だ。もともと、特殊作戦界隈でもアンブレラの黒い話を聞く機会は何度かあった。陸軍特殊部隊のOBの何人かは高給を提示されてアンブレラへ流れていたし、一企業でありながら専門の作戦部門を有する異常性は、その本業界隈だからこそ目立つものだ。

 

「それじゃあ、俺らは雇い主のオモチャと遊ぶために降りたようなものってわけだ、ひねりが効いてる筋書きじゃないか」

「現場にとっては不幸そのものでしょうね。事前情報なしじゃ、裸も同然、違うかしら」

「全くそのとおりだ。俺だって、そうと知ってたらここには来なかったよ」

「だからこそ、彼らは情報を絞った。私も気づいたときにはここに閉じ込められていて、まったく大した会社だわ」

 

 見事な采配ねと皮肉る笑みを浮かべたアリッサは、目を伏せて憂いを帯びた美貌をこちらからそむける。隣に座り込み、主人を守る猟犬のごとく微動だにしない犬が、主人の視線に気づくと彼女を向いた。

 

「俺達は炭鉱の()()()()の代わりってわけか」

「……どちらかと言えば、モルモットかもしれないわね」

 

 ほんの僅かな感情の発露。アリッサの態度をそうとったヴラッドは、さりげなくなんでもない話題を装って探りを入れた。ほんの僅かに――並の人間なら気づけぬほどに小さい――彼女の眉が動く。

 

 情報部署に分遣され、必要と目される情報収集技能を授けられたヴラッドでも見逃しかねないほど僅かな反応。その意味が、こちらにとってアタリかハズレかはさておき、反応したことだけは間違いない。

 

「モルモット?」

「そう、モルモット。いわば実験体。あなたの部下から話は聞いたけれど、随分ずさんな作戦のようじゃない?」

「それがどうかしたのか」

「アンブレラが事情を知らないわけが無いわ、ここを真っ先にロックダウンしたくらいだもの。そういった状況であなた達を投入する意味はなにか、ということよ」

 

 意味することを直接語らないまでも断定的な口ぶり。アリッサの言わんとすることは、なんとはなしに理解できた。もし上層部がラクーンの混乱――もとい地獄の原因を把握していたのであれば、十分な情報を与えずに手持ちの人員を送り込む理由はなにか。

 

 まさか、額面通り市民救助などと言う訳はあるまい。そうであれば手持ちの情報を開示し、必要な備えをするはずだ。たとえ私兵とは言え動員コストは馬鹿にならず、自分の身銭を切ってでも送り込むのであれば、そこには明確な目的があって然るべきだ。

 

 最初から、送り込むことそのものに意味があったのだ。寄せ集めとは言え精鋭揃いのU.B.C.S、それを送りこめば、生物兵器のデータを取ることは可能だろう。本物の市街地戦闘、死者がうず高く積み上がるこの地獄はまごうことなき実戦の場であり、兵器の売り込みには実戦でのデータが欠かせない。

 

 背筋が冷たくなるような結論に行き着き、ヴラッドは無意識のうちに新しい煙草を指先でつまみ上げた。それを咥え、穂先に火を灯すまでの間に自分の思考が生んだ結論の粗を探すが、否定するような要素は見当たらない。

 

 たとえ中隊本部が軍人ではない集団で構成されているとしても、本当に市民の救助としての活動を自分たちに期待しているのなら情報を与えるはずだ。そうでない時点で、自分たちに期待されているのは市民救助などではない。錯綜状況での戦力評価こそが真の目的とみなすべきだろう。

 

 出撃前のハリソンとの会話を思い出す。素人ゆえの杜撰さではなく、目的があったからこそ作戦計画には明らかな不備が存在したのだと考えれば、中隊本部の不透明な方針にも納得がいく。

 

「笑えないな」

「そうでしょうね、微塵も笑っていないもの、あなた」

「だろうね。最悪の気分だ」

「あなただけじゃないわ、皆同じ感想だった」

「全員プロだ、当然。もしそっちの考え通りなら、明確な裏切り行為だ」

 

 吐き捨て、胃からこみ上げる熱を煙草の苦みで抑え込む。大きく吸い、時間をかけて煙を肺から追い出すと、ヴラッドは左手で目頭を揉む。作戦開始前から妙だとは感じていたが、今更それが示す意味を目の前に突きつけられると余計に堪える。

 

 少なくとも、投入目的自体に悪意と言っていい意志の介在がある以上、今後の自分たちの身の振り方にも影響してくる。自分には秘密の撤収方法が残っているからいいとして、部下や戦友たちはどうなるか。実地評価のために自分たちを送り込むような連中だ、素直に撤退の支援をしてくれるとは到底思えない。

 

 たとえ自分がアンブレラに送り込まれた工作員であるとしても、自分が指揮を執る部下や命を預け合う仲間の今後をどうでもいいものとして切り捨てることは、ヴラッドにはできなかった。それは唾棄すべき人間性の放棄だ。

 

「これもあくまで推測でしかないけれど。そもそも、元から現場の人間はすげ替えればいい、そういった方針の会社よ、どちらにせよ信用ならないことに変わりはない」

「大胆な発言だな。不用心すぎないか」

「猛獣の檻に閉じ込められてまで義理立てする理由もないでしょう。すくなくとも、私以外の研究員も同じことを考えたはずよ、最期の瞬間に」

「生き残りは、あんただけ?」

 

 アリッサの発言に、そう言えばと今更の質問を投げる。マディソンらがここにいないのは外を警戒しているか作業を行っているとしても、他に生き残りがいればここに集められているはずだ。

 

「私が知る限りでは、そうね。モニターも半分と少ししか生きていないけれど、長らく生き残りは見ていないわ」

「なるほど。みんなあいつにやられたのか」

「いいえ、せいぜい半分から3割程度ね。残りはTウイルス発症者の餌食か、ハンターαの犠牲者」

「α?」

 

 Tウイルスというのは、おそらく死者を蘇らせる謎の感染症の名称だろう。が、αというワードが指し示すものについては、ヴラッドには一切わからない。

 

「あなたの部下がジットフェイスと呼んでいるのはβ、αはそのベースモデルよ」

「あの爬虫類おばけのことか。やっぱりアレもここのか」

「αはともかく、残念だけれどβは違うわ。このラクーンでβの製造は行っていないもの」

「つまり、外から持ち込まれた?」

「そうなるわね。わざわざ持ち込むくらいだもの、何がしたいのかは凡そ察しが付くわ」

 

 自分たちの投入に合わせて外部から開発中の兵器を持ち込んで解き放つ。まったくもって邪悪としか言いようのないその行いに、もはやため息の一つも出ない。自社の人員を展開しておきながら、そこに異形の兵器を放つ神経は異常の一言に尽きる。

 

「ハメられた、か」

「ご愁傷さまね」

「お気遣いどうも。揃ってクソの底だ、楽しくなってきた」

 

 アリッサの声音にはからかうような響きがあったが、こちらへと向け直した眼差しの色は真逆だ。スカイブルーの瞳にはこちらが頼るに値するかを見定めるような色合いが見て取れた。こちらの素性を探るような色合いも同様だ。

 

「なんにせよ、ここから脱出しないとならない。残りの部下は」

「おつかいよ。必要なものを回収しに行ってもらっているわ」

 

 必要なもの? とヴラッドが首を傾げるのと、部屋のドアが開くのはほとんど同時だった。電源がダウンした環境下でも機能する、電子ロック式ではない普通の鉄扉。それをくぐったマディソンがこちらに目を留める、

 

「気分は」

「いい感じだ。面白い話も聞けて最高の気分」

「そりゃいい。邪悪のびっくり箱に閉じ込められるとはな、貴重な人生経験に感謝だよ」

 

 マディソンは機材を詰めた箱を抱えていて、その後ろに続く二人がドアを締めると、彼はそれを床に下ろす。アリッサの言う必要なもの、とはこれのことだろう。

 

「まともな会社じゃないのは重々承知だが、俺たちをわかりきった地獄の中に降下させるとはね。全くやってくれる」

「雇い主は選ばないとな、次から」

「そもそも選べる状況だったら苦労しないぜ」

 

 マディソンの愚痴にフレデリックが続き、クラヴィスがそれを締める。声で目覚めたのか、ジョエルが身じろぎして顔を上げた。

 

「ぁ……ヴラッド、大丈夫か」

「なんとか。死なずに済んでる。頭はまだ痛いがね」

「当然だ。何針縫ったと思ってやがる」

「お前のおかげで出血祭りにはなっちゃいない」

 

 あとはブ男になってないかだけが心配だよと付け足すと、何人かが小さな笑いをこぼす。

 

「それで、何をもってきたんだ」

「そりゃそっちの美人のねーさんに聞いてくれよ」

 

 下ろした荷物を顎でしゃくり、アリッサを示すマディソン。ヴラッドがアリッサへ目を向けると、彼女は箱の中から医療器具と思しき機械類を取り出し、並べ始める。

 

「血液検査キットよ。あなた達が感染しているかどうかを確かめるためのもの」

「してたとしたら?」

「せいぜい神に祈ることね」

「ここでそのウイルスを使った兵器開発をしていたんだろう。ワクチンはないのか」

 

 アリッサの返事に、ジョエルが寝起きのあくびをこぼしながら問うた。アリッサは器具の用意をしつつ、ジョエルへとほんの一瞬視線を向ける。

 

「ここは開発されたB.O.Wの安定性と制御性を向上させるためのラボよ。治療薬品の開発は別の部署の仕事」

「分業は軍隊だけの専売特許じゃないってか」

「聡明で助かるわ」

 

 頷いたアリッサは、椅子の足元に置かれたケースを引き寄せて中身を出す。血液サンプルを収めた容器が人数分、それぞれ名前のラベルが貼り付けられている。それを見、自分の腕へ目を落とせば、左腕に採血の痕があった。白く小さなガーゼが貼り付けられている。

 

「その、なんだっけ、Tウイルスだったか。空気感染はするのか」

「散布をしたのならね。それでも短時間で、数時間後の空気中の生存率はほぼゼロに等しい。けれど一度体内に入れば、大体の人間は発症をまぬがれない」

「大体、ってのは」

「生まれながらに自然抗体を持つ人間が居るの。それもそれなりの確率で。そういった人間は発症しないですむけれど、この状況でそれが幸運と言えるのかどうか」

 

 ジョエルの問いに応えたアリッサは、器具に血液サンプルをセットしスイッチを入れて検査を始める。あとは待つだけよと彼女が囁く間に、その隣で不動の姿勢を維持していた犬が壁際に移動した。

 

 犬は壁に背を向け、再び不動の姿勢となると、耳と目を時たま動かしてこちらの様子を探っているようだ。よほど丁寧な教育を受けた番犬でない限り、こういう動作は見られない。

 

「歩く死人にならないで済むならラッキーだろ」

「それはつまり、この地獄から脱するまで死者に貪られる恐怖と隣り合わせになるということよ。逃げ場のないこの状況ではね」

 

 アリッサは何の感情も見せずそう言い切った。その言葉に押し黙った一同は、検査キットへと視線を据えたままだ。

 

「それでも、いずれ死ぬと知るよりはいい。確定的な死が刻々と迫るよりは。戦う理由を考える余裕くらいは残る」

「根っからの兵隊ね、あなた。海兵隊員?」

「いいや、陸軍出身だ」

 

 そう、と小さく応じたアリッサの目が細められ、唇の端に小さな笑みが浮かぶ。その意味はともかく、魅力的な笑顔だった。氷のように冷ややかな美貌だが、笑みに混ざる柔らかさは、この過酷な環境ではことさら美しく見える。

 




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