日誌はそこで終わっていた。
ヴラッドは研究記録のコピーを終えたディスクにそれを移しつつ、畜生めと呟いた。なるほど、アリッサが詳細を濁したわけだ。彼女は全てを知っていたはずだが、この内容は口に出すのも憚られる。
「どうした」
「読んでみろよ」
こちらの苦い顔を見、首を傾げたクラヴィスにPCモニターを示してやる。デスクに寄って日誌を読み始めた彼と入れ違うようにして、ヴラッドは倒れた
男の死体は仰向けに横たえられていた。胸にはトーマス・マクダネルと名札が括り付けられていた。
この男が日誌の著者にして研究主任だろう。
「あのバケモノ、T-103とかいうのを改良したってことか」
「生きた人間の脳みそをすげ替えてな。素晴らしい。ろくでなしの缶詰だな、この会社は」
日誌をざっと読んだらしいクラヴィスの声に、ヴラッドは頷いた。クラヴィスがマウスを操作し、CAMと記されたフォルダを開く。中にあるのは動画形式のファイルで、その中で最も新しいものをクラヴィスが選択した。
『博士! マクダネル博士! やめるんだ! そいつを起こすなんて正気じゃない』
『君たち、まだ分かっていないのか? 彼を起こさないかぎり、私達はハンターの餌食になるだけだ、もうこれしか無い!』
『バケモノを増やすだけだ。博士、やめるんだ、これは最後の警告だぞ!』
『彼は今までのT-103とは違う。全く新しい存在だ。私の忠実な
『くそ、撃て!撃て!』
映像は部屋の隅に取り付けられたカメラが撮影したもののようだった。赤色灯の踊る通路から部屋の中へ銃を向けた保安要員と、なまりのある博士の口論の様子が写っている。
博士は保安要員の静止を無視し、円柱の中で保管されたT-103Sの起動手順を実行しようとした瞬間、保安要員に撃たれた。
モニターに接続されたスピーカーが銃声を鳴らし、セミオートのライフル弾を複数浴びた博士の身体が跳ねる。そのまま彼が倒れ、保安要員が部屋に入って博士の死体を脚で小突き、死亡確認する様をモニターが映し出す。
その後もまだ動画は続いていた。保安要員が部屋を出てそうかからず円柱の中で動きがあり、
そこからは、見るまでもなかった。ドアもろとも壁を叩き割り、廊下へ飛び出た大柄の背中。廊下で銃火が瞬き、スピーカーがひび割れた悲鳴を垂れ流す。
「イギリス人め」
「なまりがキツイのなんの」
「ネーミングセンスも最悪だ」
デスクトップに転がるファイルを全てディスクに移しながら、クラヴィスがヴラッドの発言に首を傾げた。
「ユーモアのセンスがひねくれてる。T-103Sの
「
「上が死んだら順位繰り上げだ。王位継承権はあいつの手に」
なるほどと頷いたクラヴィスが、呆れた様子で溜息をこぼす。コピーを終え他にめぼしいものがないことを確かめると、彼はディスクをPCから取り出した。
「ヴラッド、世間話はいいが……来たぞ」
ドアに立ったマディソンが声を潜めて囁いた。見れば、アルが身をかがめ、小さく喉を鳴らしている。危険な徴候を察知した合図だ。
「アリッサ。データは回収したが、タイラントに動きは」
『特に目立った動きはないわ』
「アルが異変を察知した。周囲の生きてるカメラを確認してくれ」
少し待ってちょうだいとアリッサが言った。ヴラッドはカービンを手にしてぶち抜かれたドアに戻り、クラヴィスがあとに続く。アルヴィンは耳を動かし、鼻を鳴らして敵の方向を探っている。
『見つけた。ハンターαがそっちへ二体、いえ、三体以上。死角に入られて確認できないけれど、そこへ辿り着くまで残り三〇秒もないわ』
「了解……一度撤収するぞ、ここで押し込まれたくない。ジョエル、グレネード」
ヴラッドが指示すると、ジョエルはポーチから手榴弾を取り出してレバーとピンを留めるビニールテープを引き剥がした。耳をすませば、かちかちと爪が地面に当たる音が近づきつつあるのが感じられる。アルヴィンがわずかに低くうなり、戦闘に備えて姿勢を更にかがめる。
音と距離を勘案し、最適のタイミングを探る。アリッサがカメラで通路を確認しているのか、およその到着時間を告げた。
「ジョエル」
「オーケー」
レバーが弾けてから爆発まで約五秒。それを頭に留め、早めのタイミングで合図を出す。アリッサの話では知能はほぼ皆無と言っていいハンター、野生の勘とやらが手榴弾相手に働くとは思えない。
ピンを抜いたジョエルがグレネードを廊下に投げ込み、破片を警戒して部屋に引っ込む。足音が近づき、ごく至近にまで接近するとほぼ同時に手榴弾が弾けた。
爆風がドアを失った入り口から吹き込み、火薬の燃焼臭が鼻をつく。飛び散った破片が廊下の遥か遠くに突き刺さる音を聞きながら、ヴラッドはクラヴィスを引き連れて廊下へと飛び出した。
無数の破片を至近距離から叩きつけられ、血を吹き出したハンターが地面でのたうつ。それに狙いをつけてたっぷりの銃弾で始末する間に、クラヴィスは後から遅れて来た個体が爆風に怯んだ隙をついてスプリングフィールドを叩き込む。
クラヴィスが狙った相手は一度横にステップして弾を避けようとしたが、死体が積み重なる狭い通路では限界がある。避けきれずに一発を受け、よろめきつつ飛びかかろうとしたが、それこそ愚策だ。
脚が地面から離れれば、あとは料理されるより無い。弧を描いてこちらへ飛んだそれに、二人がかりで連続してライフルを叩き込む。こちらに続いて部屋を出たマディソンとジョエルが、反対側へと発砲するのが聞こえた。
軌道を変えようもない空中でライフルの雨を浴び、血を撒き散らしてハンターが地面へと転がり落ちる。油断なく、更に二人がかりで追加の銃弾を叩き込む間に、背後でアルヴィンの唸りが轟いた。
通路の奥から増援のないことを確かめ、銃声が連続する背後へ振り返る。ごく至近に接近したハンターへとアルヴィンが飛びかかり、伸ばした爪でその腕もろともに胴を引き裂くのが見えた。
白い毛並みが踊り、腕を失ったハンターが耳障りな雄叫びを上げながらもう片腕を振るわんとする。それめがけてジョエルとマディソンが火力を集中する間に、十分戦力を削いだと判じたか、奥から壁を蹴るようにして左右に跳ねながら接近するハンターαへとアルヴィンが突撃した。
目にも留まらぬ速度で駆けた白い影は、人間をいともたやすく引き裂くだろうハンターの斬撃を跳ねて躱しつつ、大きな顎で爬虫類じみた顔面へ噛み付く。上がる悲鳴。そのまま地面へ引き倒し、前肢を振るう。
ごそりとハンターの顔面が消失した。もとい、削り取られた。ライフル弾をたっぷり浴びせない限り殺しきれないバケモノをたったの一撃で始末するそのパワーに見惚れる間もなく、耳に差し込んだイヤホンがアリッサの張り上げた声を流し込む。
『聞こえている? タイラントが動き出したわ、すぐにその場から離れて!』
その声は、これまでの冷静なアリッサにしては珍しく焦りが滲んでいた。同じ周波数に無線をあわせた部下が顔を見合わせ、ほぼ同時に通路の奥で破壊音がとどろく。最初の接触でも耳にした、壁をぶち破る音だ。
「耳ざといな、くそ。銃声にゃ寄ってくるか」
「走れ!」
タイラントの足音は、最初の接触と違いその間隔がかなり短い。腹に響く重い足音が徐々に強くなり、確実に距離を縮めていることを示した。その間にも、何度か壁を突き崩す重い音が連続する。
向こうは壁をぶち破り、こちらへの最短経路をとっている。ヴラッドの声に急かされるまでもなく、分遣隊は全速力でここまでの経路を引き返す。
アルヴィンが先頭に立ち、ヴラッドたちはその背を追うようにして走った。アルヴィンは走りながら時たまこちらを振り返る。その様子は、人間の遅さをあざ笑っているかのようで――。
壁の破壊音が、ほとんど真横から聞こえる事に気づいた瞬間、目の前に腕が生えた。突き破られた壁の破片が飛び散り、それを受けたジョエルがよろめく。クラヴィスとマディソンが駆け抜ける足を止めてこちらを振り返ったが、粉塵と破片をまとった巨体が壁を突き崩して間に立ちはだかった。
「通路の意味を教えてやろうかデカブツ!」
前後に分断され、ジョエルが怒鳴りながらM4カービンをバーストで叩き込む。同時にヴラッドも背後へ下がりつつカービンを連射した。弾雨を受けたタイラントは、こちらに狙いを定めたらしい。
血塗れのコートはライフル弾の猛攻によってズタボロになっていたが、その向こうの肉体はダメージを受けた気配すら見せない。
クラヴィスとマディソンがその向こうで叫んだが、銃声が全てを押し流した。ヴラッドはゆったりとこちらへ振り返るタイラントにあらん限りの弾丸をぶち込みつつ、無線の送信ボタンを押して怒鳴る。
「先に下がれ! アンブッシュポイントで待機してろ!」
マズルフラッシュが全てを押しつぶし、薬莢が破片と血で埋まった廊下へ降り注ぐ。残弾ゼロ、動作を止めたカービンから弾倉を引き抜きつつ、ヴラッドは踵を返して距離を取る。ジョエルもそれに続き、二人揃ってカービンの弾倉を入れ替えながら、足元の誰ともしれぬ死体を飛び越えた。
背後、こちらを追うタイラントの足音が、最初は重く間をおいて、そして徐々にその間隔を縮めて迫る。この先の通路構造は自分には未知の領域、かつハンターの残数が不明な以上正面を塞がれる可能性がある。どうにかして進路を変更するべきだ。
瞬時に思考が走り、さらに距離を詰めた巨人の足音が地に杭を打つように重く轟いた。背後、無言の巨人が低く唸った。それは巨体の威容からすると控えめなものだったが、獲物を追い詰めた狩猟者の勝利の確信をにじませている。
本能的に上体をそらし、首を横へ曲げる。ともすればよろめきかねないほどの風圧が肌をしびれさせ、背後からの必殺の一撃が横を駆ける。バランスを崩し、壁に肩からぶつかったヴラッドは、左拳を空振り、獲物を捉えそこねたタイラントがその反動を利用して上体をねじるのを見た。
発達した、などという表現では生ぬるい筋肉がコートの下で蠢き、腰を捻って右拳を放つ。まともに受ければ文字通り一撃で相手をひき肉へと変える拳が顔めがけて飛んでくる。こちらを第一の抹殺目標と決めた人造の巨人の目は、その奥にどろついた色をにじませていた。
こちらへ狙いを定めたタイラントへ、ジョエルが背中めがけてカービンを雨あられと浴びせたが、そんなものではこの暴君は身じろぎもしない。
眼前の血に濡れた拳を見、ヴラッドの頭が何かを考える間に、巨体と壁に挟まれた身体が身をかがめて地面を蹴った。戦闘、それも極至近距離での殺し合いにおいて、肉体の動きは思考を飛び越えるものだ。
間一髪、先程まで顔面があった位置へ拳が突き刺さる。地面に転がったヴラッドは無理に姿勢を立て直すことをせず、勢いに任せて地面を転がり、片手をついて上体を起こした。立ち上がろうとした腕をジョエルが引っ張り、二人揃ってマディソンが待機するアンブッシュポイントへと全速力で走る。
一度ならず二度までも殺しそこね、タイラントが苛立ちをにじませた低い唸りを上げる。腕を壁から引き抜いて追跡を再開したそれを振り返る気にもならず、ヴラッドは無線へ怒鳴った。
「フレデリック、主電源を再起動しろ!」
『了解!』
電源を再起動して搬入路をアクティヴにすれば、こちらの撤収を阻むタイラントをそちらへ誘導できる可能性がある。そう考えての手だったが、返答からややあって通路の照明が蘇っても、背後の足音はこちらの追跡を諦める気配ない。
「ハッ! 彼女の見立ては空振りだな!」
「黙って走れ!」
ジョエルがわめき、ヴラッドはライフルを背に回して装具で重くなった身体に鞭打つ。天井に埋め込まれた照明が白い光を撒き散らし、赤い薄闇に慣れた目に突き刺さったが構う余裕はなかった。
白く照らされたことでより一層血の色が目立つ通路を駆けた。曲がり角ではほとんど減速せず、壁を蹴るようにして向きを変える。次のコーナーを抜ければそこが待ち伏せ地点、こちらを追い詰めんと迫る足音は、徐々に距離を縮めている。
「行くぞマディ! 起爆は任せた!」
酸素を欲して熱を帯びる肺に無理をさせ、最後の曲がり角をよろめきながら通過する。背中で感じる足音は、こちらの心臓を踏み潰さんとするかのように重い。
直線の奥、隣のエリアとの連結路へと繋がる廊下の奥で、スプリングフィールドを構えたクラヴィスと起爆装置を手にしたマディソンが見えた。壁際に設置された即席の対人地雷を通り過ぎ、クラヴィスが気休めの銃撃を始めてすぐ、背後で爆発音が弾ける。
信管が電気信号により起爆し、それによって目覚めた爆薬が、敷き詰められた膨大な数の鉄片を撒き散らす。背中越しに撒き散らされた破片が跳ね回る恐ろしい音を聞き、ちらりと振り返ると、キルゾーンに引きずり込まれたタイラントは、まともに地雷の一撃を食らったようだった。
だが、腕で顔をかばったソレは粉塵を払いのけるように腕を振るうと、再び足を前へ踏み出した。至近距離で弾雨を受け、大きく引き裂かれたコートの下からは血が覗いたが、傷の殆どは早くもふさがり始めている。
「だめだ、逃げろ! アリッサ、こっちが通過したら通路を跳ね上げてくれ!」
『急いで頂戴』
効果なし。分かってはいたが、この程度の攻撃で止まる相手ではない。マディソンとクラヴィスはすでに手順通り撤収に移り、Yの字型の連結路へと走り込んでいる。遅れてヴラッドとジョエルが飛び込むと、アリッサが通路を跳ね上げた。
切れかけた息を整えて背後を振り返ると、タイラントは塞がれた進路を前にして、ただこちらへと、殺意に満ちた視線を向けていた。
「だから言ったじゃん、信用できないって」
「あれは彼女のミスじゃない。それを言うなら、俺が用意させた即席
消耗したマガジンにライフル弾を詰め込みながら、部屋の隅で膝を抱えてこちらを見つめるリアムに返し、ヴラッドは肩をすくめた。
威力偵察で得られたのは正面からぶつかる以外に解決策がないという結論だけだ。こちらには大いに食いついたが、相手は間にある壁という壁をぶち抜いて最短経路で突っ込んでくるバケモノだ。
うまいこと引きずり出してから追跡を撒くというのは無理難題と言っていい。
「それで、どうする。ちょっかいを出し続けようにも、こっちの手持ちの弾薬だって有限だ」
「補充分はまだあるが、そもそも豆鉄砲で殴り掛かってどうにかなる相手じゃない」
マディソンがひらひらと手にした起爆装置を揺らし、ヴラッドは満タンにした弾倉を自分のベストに押し込む。
M4カービンが通用しないことはわかり切っていたが、クラヴィス曰く、より大口径かつ大威力のスプリングフィールドでも目に見える効果はなかったらしい。
クラヴィスのライフルが分遣隊内において最も高い威力を持つが、それでもアレにとっては豆鉄砲ということか。
「電源は再起動した。あとは隔壁のコンソールにアクセスして、解放、脱出だ」
「口にするのは簡単だが、隔壁が完全開放されるまで5分かかるんだろう。その間どうするよ、あいつが暴れまわるのを眺めてられる特等席があるわけじゃあるまい」
脱出までの道筋は単純明快、しかしそこに横たわる障害はあまりにも大きい。ジョエルが問いかけ、分遣隊の視線が自分へ集まる。壁に背を預け、マディソンが用意したパウダータイプのインスタント紅茶をすするリアムとシャーロットも、指揮を執るヴラッドを見つめていた。
「撃破する。それしかない。それが不能でも、一時的な行動不能に持ち込むよりない」
「だから、それをどうするのかって話だ」
「装甲目標に対する対処法は通常どうなる」
「対装甲火器で気合い入れて叩き潰すか対応可能な車両を用いる。手元にあればな」
無いだろ、とジョエルが首をかしげる。最も信ずべき指揮官にすら打開策が見いだせぬ状況に、部下は一様に疲労を滲ませる無表情をこちらへ向けていた。例外は戦闘の門外漢たる3人のみだ。
リアムとシャーロットはこちらに頼らざるを得ないもの特有の、すがるような色合いをその瞳に浮かべている。アリッサだけが、小さな笑みを形の良い唇に浮かべていた。
「残念ながら投射手段はない。よって遠距離からの撃破は不能だ。インファイトに持ち込まざるを得ないが――対装甲火器はある」
ヴラッドははっきりと言い切った。その声は、勝利への道筋を明確に見据えた自信をにじませていたが、それが空元気に等しい、吹けば飛ぶような不確かなものであることを理解しているのは口にした本人だけだ。
ヴラッドの自信にあふれた声に、周囲の人間は揃って首をかしげる。それを見渡し小さく笑ったヴラッドは、今まで何度それの世話になったと思っているんだと問いかけた。
「おい、お前それ本気で言ってるのか?」
ただ一人、その言葉の真意に行きついたらしいマディソンだけが困惑の声を上げた。
さあタイラントを始末しよう!
無理ゲーやがな。