死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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危険に挑むものにこそ

「おっさん、どうやってアイツを倒すのさ」

 

 モニターを注視し、必要な材料の捜索に向かった部下の周囲の安全を確かめるヴラッドにリアムが問いかけた。モニターには、再びゲート前へ戻ったタイラントの姿も映し出されている。電源が復旧し、こちらが安全圏に撤退して以来、再びあの巨人は不動の門番としてそこにたたずんだままだ。

 

 材料の捜索に向かったクラヴィスら四人は現在、この施設への進入路が存在するノースエリアの制圧を行っている。そのため直接タイラントと接触する可能性は低いが、この保安オフィスから操作できるのは管理下にあるサウス02エリアの連絡通路のみである。

 

 遥か眼下に備品の詰みあがった下層エリアを望むY字連絡通路のうち、サウス01とノースをつなぐ通路はいまだ開通状態にある。仮に彼らがハンターなり死者なりと接触して戦闘が発生した場合、再びタイラントが移動を開始する可能性があった。

 

「言ったろ、対装甲火器はある。正確に言えば、その弾頭部分が」

「それじゃわかんないよ」

「俺たちの手元には、硬い相手をぶち抜ける弾頭に相当するものがある。もちろん、発射機能はないから接近して直接叩き込むしかないが」

 

 要は貫通力の高い爆弾ってことだ、と簡単にまとめてやると、リアムは完全に理解したわけではないものの、タイラントに有効な手札があることは飲み込めたらしい。

 

「まさか、()()()()()()()()がこれだなんて、冗談でしょう」

 

 地面に座り込み、物珍しいのかアルにじゃれつくシャーロットの面倒を見ながらアリッサがこちらへと眉を上げて見せる。リアムに比べてまだ幼く、世間というものを知らないシャーロットは、兄に比べてアリッサに対しての警戒心は薄い。

 

 専用の消毒設備でハンターの返り血を洗い流し、ようやくひと心地ついたばかりのアルヴィンに抱き着いたシャーロットは、アリッサにアルのことをあれこれと尋ねている。当のアルヴィンはといえば、自分にじゃれつく少女を迷惑そうに見つめつつも、その大きな身体を地面に横たえてされるがままの状態に甘んじていた。

 

 一方のリアムは、アリッサへとわずかに眇めた眼差しを向け、それからこちらへと向き直る。

 

「大いに真面目だ。これ以外に手があればそっちを考えたが、あいにく今はこれが最適解だ」

「あなたを見ていると、正気の意味とは何かを考えさせられるわね」

「噂じゃ、複数の特殊部隊員への精神検査の結果、ほとんどの隊員に一般的には精神異常と判断される何かしらの兆候があったそうだ。こんな仕事、世にいうイカレポンチでもなきゃ選ばんよ」

「異常の中の正気というわけね」

「正気の意味は時と場合による。戦う以外にない状況であれば、たとえ戦闘がどれほど過酷で不利だったとしても、逃げるという選択こそ正気じゃない。不利であっても、手元の手札で挑む以外の正解がないのであれば」

 

 まさに今、この状況こそがそうだろう。そうつけたし、モニターの中を慎重に進む部下の背を見やる。この考えは、同じ戦場を職場とする人間にしか――それも一線級の精鋭にしか理解できない考え方かもしれない。

 

「おっさん、戦うのは怖い?」

 

 モニターを注視するこちらの横顔に何かを見たのか、あるいはふと思い浮かんだ疑問がそれだったのか。リアムの問いに視線だけを向けると、彼は眉尻を下げ、真剣な顔でこちらを見つめている。

 

「怖いね。戦っている最中ですら、ひどく怖い。どんな小さな戦いでも、常に何かしらの恐怖をどこかに抱えてる。でもそれが正解なんだそうだ。怖いことが正しい」

「怖いのに戦うんだ」

「まったくもって不思議な話だよな。怖いと思っているのに、それでも任務だからって戦場に向かう。普通に考えれば頭がおかしい。戦うのも、死ぬのも怖いってのに」

「変な話」

 

 到底理解できない、そう言いたげな顔で肩をすくめて見せるリアムに、俺もそう思うねと頷いてやった。それはまごうことなき心からの同意だったが、彼はその意味をどうとらえたのか、小さくごめんと謝った。

 

「特殊部隊員なんて頭がおかしいやつばっかりだ。気にすることじゃない。俺はイカレてる、あいつらもイカレてる。それだけの話」

 

 そうでなければ、こんな仕事は務まらない。たとえ宣誓をし、覚悟を決めていたとしても、戦闘の中で体を蝕む恐怖と何十何百回と付き合い続けるなど、普通の人間には耐えられないだろう。

 

 肩をすくめたヴラッドに、アリッサが小さくからかうような笑いをこぼした。

 

「でも安心したわ、あなたがしっかりと()()であって」

「いつだって怖い。特に、戦闘が終わった後は。アドレナリンがぬけて、死にかけた実感が戻ってくる。弾がすぐそばに着弾したとか、殺人パンチが俺の脇に突き刺さったとか。でもそれがひどく安心する。俺はまだぶっ壊れちゃいないってわかる。まだ正気で、()()()()()()()()()()()()

「恐れを抱きながら、それでもまだ戦うのね」

「仕事だからな」

 

 ヴラッドは肩をすくめ、目的の備品倉庫にたどり着いたことを報告するフレデリックの声に了解と返信する。彼らのいる通路は奥までカメラの視界に収まっているが、備品倉庫の中は視界外だ。その中にはカメラもない。

 

 ドアを開け、マディソンとクラヴィスが踏み込む。後に続いたジョエルとフレデリックの背を見送り、ヴラッドはタイラントを映す搬入路のカメラへ目を向けた。不動の巨人には、いまだ動きがない。

 

 それは、マディソンらが数人の死者をカービンで始末しても同じだった。電源を再起動した時点でアレが唯一の出入り口をより重視するというアリッサの見立ては、ある程度的を射ていたことになる。現状の様子から見るに、こちらが姿を現すまでそこを動く気はなさそうだ。

 

「どうしても戦わないといけないの?」

「ここに籠もっていれば問題が解決するわけじゃない。水も食料も限りがある以上、突破しないとジリ貧だ」

 

 もって数日、それなら体力気力ともに余裕があるうちに勝負を仕掛けたほうがいい。そう続け、ヴラッドはモニターへ据えた眼差しをわずかにリアムへと移した。

 

 助け出してから、わずか一日。その間にもう何度も無茶を押し通してきた。それを見てきたがゆえに、こちらを見上げるリアムの目には諦めに近いものが滲んでいた。

 

「もちろん、迂回路があればそっちを選ぶ。不必要な戦闘は御免こうむるからな。だがあいにく、あいつは俺たちを絶対に出したくないらしい」

「でも、おっさんのライフル、全然効かなかったじゃん」

「だから対装甲火器を用意するんだろうが。バカ正直に豆鉄砲担いで殴り込んで、さっくり全滅する腹積もりに見えるか、俺が」

 

 自分の胸に手を当てて聞いてみなよ、と臆することもなく、悪びれもせずに鼻を鳴らすリアムの態度にアリッサが僅かに笑ったのが感じられた。

 

「全く失礼な坊主だな、ほんとに。俺には俺の考えがある。いまのところ失敗もなく、死人も出てないし俺も死んでない」

 

 誰かを死なせる気も、俺が死ぬ気もないねと肩をすくめながら、ヴラッドは愉快とばかりに目を眇めたアリッサを睨めつける。彼女は涼しげな眼差しをこちらへちらりと流すと、そのまま、ほんの僅かな笑みを形の良い唇の端に刻んだ。

 

俺達じゃなく、死ぬのは奴らだ(we live and let them die)

「本当に映画が好きなのね、あなた」

「手軽な娯楽と教養の根だからな」

「それにしたって強引過ぎる引用じゃないかしら」

 

 こちらの言に思わずといった様子でゆるく頭を振るアリッサ。それを見やり、それから意味がわからないと言ったげにリアムがこちらを見上げる。こちらの会話が気になるのか、シャーロットがアリッサにヴラッドの言葉の意味を問うた。

 

「映画と小説のタイトルよ。死ぬのは奴らだ」

「それ、他人を尊重しろってコトワザのもじり?」

「そうよ」

 

 少し考え込んだリアムの問いに、アリッサがうなずいた。ふうん、と気のない返事を返したリアムは、片眉を持ち上げてヴラッドを見やる。

 

「ほんと、乱暴だと思う」

「酷評どうも。いいんだよ、原義はお上品だが、この街にラブ&ピースは存在しない。死ぬのは奴らだ(Live and let die)

「それ、かっこいいと思って言ってるなら、ダサいよ」

 

 わざとらしく眉をひそめてみせたリアムの額を小突き、ヴラッドは小生意気なクソガキめと小さく呟いた。節くれだった指先で額をこづかれ、わずかにたたらを踏んだリアムがガキじゃないと反駁する。

 

「ガキにゃわからんセンスってのがあるんだよ。この街を出たら、ポール・マッカートニーに謝りたくなるまで聴かせてやる」

「ポールってビートルズの?」

「良く知ってるな。そうだ。映画のテーマを彼が作った。ビートルズが解散した後だが」

 

 おじさんがよく聴いてたから、とリアムが頷く。

 

「なら、いくらでも懐かしい曲を流してやるよ」

「でも、おっさん犯罪者なんでしょ。話してるの聞こえたよ、俺達は罪人だって」

 

 子供らしい、容赦のない無邪気さを孕んだ問いに、ヴラッドは顔をしかめるでもなく小さく笑う。

 

 エレベーターシャフトへ降下する直前、たしかにそんなことを言った覚えがあった。ヴラッドはわずかに伺うような色をにじませたリアムの目を見、それから肩をすくめる。

 

「そう、俺は犯罪者だ。あいつらも。うちの部隊は、そういう奴らの寄せ集め」

「じゃあ、ヴラッドおじさん、刑務所にもどっちゃうの?」

 

 しっかりとこちらの会話に聞き耳を立てていたらしく、シャーロットがアルヴィンの毛並みを弄る手を止めてこちらを見つめた。地面に伏せたまま、アルヴィンはわずかに耳を動かして目をこちらへ向ける。

 

「罪の赦免と引き換えに危ない仕事をしてる。だから家は刑務所じゃなく宿舎。刑務所にいたんじゃ、訓練もできやしない」

 

 罪人、その言葉の含む重みを理解できないのか、街を出た後自分が去ることを恐れるかのように、こちらへ向けられたシャーロットの瞳が揺れていた。一方でリアムの眼差しは、ヴラッド――ひいては自分たちの命綱となる男たちの咎を見定めるように、こちらへまっすぐと据えられている。

 

「なにしたのさ、軍人だったんでしょ?」

「良くない作戦に参加した。そこで、酷いことになった」

「作戦だったなら、おっさんの責任じゃないじゃん。命令だったんでしょ。なにがあったの」

「軍人は命令に従う義務と同時に、その命令によって生じる行為の責任を問われることもある。命令であっても何でも許されるわけじゃない。酷いことになった。それに俺も参加していた。それだけだ」

 

 理不尽だ、とリアムが眉根を寄せる。まあなと、ぼかした物言いから仔細は語れぬこちらの立場をなんとはなしに察したらしいリアムに頷く。

 

「じゃあ、クラヴィスのおっさんとか、マディソンのおっさんとかは」

「それは本人に聞けよ。他人の過去の暗い部分を勝手に語るのはタブーだ」

「じゃあさ……なんで俺たちを助けようとするの。嫌なら逃げればいいじゃん」

 

 ほんの僅かに言葉を選ぶように沈黙をはさみ、リアムが問うた。先程からずっとヴラッドに据えられたままの眼差し、この問いこそが最も知りたいことであると、瞳の奥の勝ち気な色が教えている。

 

「仕事だからな」

「答えになってないよ」

「何が知りたい。兵隊としての俺の答えか、それとも俺個人の答えか」

「どっちも。だってさ、おかしいじゃん。死ぬのも戦うのも怖いって言ってるくせに、死ぬかも知れない作戦なんか立てて」

 

 気になることは気になる。気に入らないことは気に入らない。子供らしい愚直さの中に、育ての親たるスティーヴンの気配を感じ取って、ヴラッドはわずかに目尻を下げた。直接話したこともなければ、人となりもロクに知らないが、それでも子の態度には親の性格がにじむものだ。

 

「まだ聞いてないかも知れないが、俺達は分かりきった地獄に、本当のことを知らされもせずに送り込まれた」

「知ってる。話してるの、聞こえてたから」

 

 寝たフリしてたんだ、と小さく言い訳するように囁くリアムに、ヴラッドは笑ってその頭をわしわしとなでてやる。

 

「なら話は早いな。上の連中の思惑通り、あいつらのオモチャと遊んでただ死ぬなんてゴメンだ。だから、意地でも()()()()をやり遂げる。向こうが期待してなかろうと。これは兵隊の意地」

「じゃあ、おっさんとしては」

「子供を生贄に逃げ出すなんてみっともない真似できるか。星条旗に宣誓した身で、市民のために命も張れませんじゃ話になりゃしない」

「やっぱ変だよ。そんなことのために」

「じゃあ、俺達がお前らを囮にして逃げたとして。俺はマイケルになんて言えばいい? お前たちが、逃げた俺達をどんな気持ちで見てたかなんて考えたくもない。夢見が悪くなるのはゴメンだ」

「……変なの」

「意地を張るのも命と同じだけの意味があるんだよ。大人の男なんてのはな、なよっちくて、プライドがなけりゃ立っていることもできやしない。だから、しかたない。死ぬかも知れないが、世の中トレードオフだ」

 

 後悔は死んでからでも遅くはないしな、と笑って付け足すと、リアムはほんの僅かに口元をほころばせた。

 

「だからお前たちは、堂々とふんぞり返って、俺達に守られるのは当然って顔してればいいんだ。それが当たり前のことで、俺達は命をかけてナンボ。子供が大人に遠慮することじゃない」

 

 ましてや傭兵なんかには特にな、と。そうつけたし、煙草をポーチから引っこ抜く。咥えたそれの穂先に火をつけると、必要なものをあら方回収し終えたクラヴィスが周辺状況を問うてきた。

 

 モニターを見上げるも、タイラントは先程から一切動いていない。

 

 いいことだなと、ヴラッドは内心に笑った。すくなくとも、仕掛けを終えるまではあのままでいてもらわないと困る。

 

 

 

 

 

 

 

 正面突破か、生贄を配して逃げ出すか。それ以外の手がないとわかっているからこそ、作戦人員の中にヴラッドのプランに異議を唱えるものは居なかった。

 

 それ以外に選択肢はなく、そうでもしなければ朽ちるまでここに立てこもるよりない。その事実が目の前にある以上、過酷な戦場を渡り歩いた男たちにとり、障害を叩きのめす以外の方針など存在しない。

 

 それこそが一般人からして、特殊作戦の世界の住人が()()と映る理由に他ならなかった。過酷な状況において冷静さを保ち、そして並みならぬ攻撃性を遺憾なく発揮する精神は、並の人間には備わっていない。

 

 そして、ノーマッド分遣隊に属する男たちはいずれも掛け値なしの精鋭歩兵だ。言い換えれば、世の大多数から見れば異常というよりない選択を、何の迷いもなく合理として選びかねない狂人の集いということになる。

 

 そんな人間の集まりが下す判断は、一般人からすれば常軌を逸していると言わざるを得ない。こちらの詳細なプランを耳にし、あきれ果てたアリッサはもちろんのこと、子供たちからの反発はより強固なものだった。

 

 そもそも、シャーロットとリアムを拾って以来、ヴラッドは常に死の傍を駆け抜けてきた。そうでなくとも二度タイラントに殴り殺されかけているのであるからして、正面切ってあの暴君の相手をするなど、自分が二人の立場であったなら同じように反対しただろう。

 

 しかし、活路はそこにしかない。ヴラッドの裾を引き、もう何度見たかもわからぬ涙目でいやいやと駄々をこねたシャーロット。眉根を寄せ、そんな馬鹿やるやつがあるかと抗議したリアム。あの二人を無事マイケルの元に送り届けるためにはこれ以外にない。

 

 背負った()()()の重みを意識し、マディソンがぎりぎりまで威力と携行性の兼ね合いを煮詰めたそれに手を触れる。手にしたカービンはこの状況では頼りにならず、もしもの場合は背負った即席の対装甲火器にすべてをゆだねるよりない。

 

 時計を見、残った爆薬をすべて使ってトラップを張り巡らせるマディソンの準備完了の知らせを待つ。アリッサが保安オフィスのキャビネットから引っ張り出した地下施設の図面をもとに、タイラントとの戦闘手順、そして隔壁開放の分担は決定済みだ。

 

 フレデリック率いるチームは、施設内に張り巡らされた通気用ダクトを移動し搬入路付近へ移動済みである。あとは準備を終えた自分たちが身をさらし、タイラントをこちらのペースに()()()だけだ。

 

 事前偵察で近隣にハンターの生存がないことはすでに確認してある。自分たちはタイラントを始末する……あるいは、隔壁を解放しフレデリックらが脱出するまでの時間を稼ぎきればいい。

 

「設置完了、起爆装置との接続も問題ない。あとは、これが通用することを祈るだけだな」

「これで沈黙させられれば万々歳。残りは?」

 

 こいつだ、とマディソンが爆薬を詰め込んだバッグをヴラッドへと渡した。中にはトラップの設置に使わなかった分の爆薬、破片代わりの医療器具の山だ。爆破とともに中身がまき散らされ、周囲に甚大な被害をもたらす。

 

「オーケー、やるぞ。フレデリック」

『こちらは指定ポイントで待機中。ダクトからミラーで確認したが、タイラントは動いていない』

「了解、予定通りだ。仮にこちらが向こうを引っ張り切れなかったら、あとはアドリブでやれ。優先順位は、子供、アリッサ、お前、そして俺たちだ。もしもの時は構わず逃げろ」

 

 了解の代わりのダブルクリックをうけ、ヴラッドは前進を開始する。目的地までの道のりは、タイラントの爪痕を色濃く残していた。ぶち抜かれた壁の破片、弾痕、血の海。これから向かう先は、この破壊を生み出した張本人が待っている。

 

 勝ち目はと問われれば、分の悪い賭けと答えただろう。だがそれは足を止める理由にはならない。やらねば待ち受けるのは緩やかな死。その事実を飲み込み、ヴラッドは搬入路前の、吹き飛ばされたシャッターを跨ぐ。

 

 そして、ヴラッドは部下を率いてソレと正対した。暴君の名を関した人造の悪魔は外界への唯一の出口である隔壁の前に立ち、目の前に何の策も見せずに現れた4人の兵士に目を向ける。

 

 色のない瞳、その奥に宿るものを探るには、互いの距離は遠すぎる。しかしそんなことを気にする必要はない。どうせ、確実に殺すためには至近に寄らねばならないのだから。

 

 互いを認識すると同時に、ヴラッド以外の三人が唐突に手にした銃を構えて引鉄を絞った。初手は挨拶抜きの銃撃。それを受け、タイラントは今まで通り痛みを感じさせぬ素振りで足を踏み出す。わざわざ身をさらした間抜けへと歩みを進めるその動きは、ひとまずこちらの予想通り。

 

始めるぞ(プレイボール)

 

 ヴラッドはただゲームを始めるような穏やかな声音で言った。同時に手にしたバッグから伸びる紐を引き抜き、たっぷりの爆薬を詰め込んだそれを投げつける。導火線に点火されたそれは、いまや無慈悲な殺傷兵器だ。

 

 バッグが弧を描き、タイラントの足元へと転がるのを見届けず、4人は一斉に後退した。爆薬量からすると加害半径は相当のものになる。

 

 背後に爆轟。閉鎖空間での爆風は強烈な風圧を生み出し、背中が押される。燃焼臭を鼻が嗅ぎ分けるより先に、派手な先制攻撃、もとい挑発を受けたタイラントが腹の奥深くを揺さぶる咆哮を上げた。

 

「奴もキレるってことか」

 

 クラヴィスが笑い、背後で足音が加速する。振り返らず、予定通りの経路を走り抜けて曲がり角についたヴラッドは、即座に振り返ってカービンを怒れる暴君へと据えた。

 

 発砲、同時に攻撃班の全員が射撃を開始する。タイラントに対しては豆鉄砲も同然だが、火器は撃つことに意味がある。爆発物の破片を全身に食いつかせ、ブーツで地面を踏みしめるタイラントの意識をこちらへ引き付けるだけではない。

 

 火器の吐き出す発砲炎は恐怖を高揚感で塗りつぶす。

 

 瞬く間に弾倉を空にしたカービンを再装填しつつ、ヴラッドは全速力でこちらへ突っ込んでくるタイラントに背を向ける。マディソンとジョエルがそれに続き、追い抜きざまに目配せをした。

 

 ここから、タイラントを引き付けるのはヴラッドとクラヴィスの役割だ。

 

 ヴラッドは経由地を通過したことを確認すると、無線の送信ボタンを3度押し込んだ。行動開始の合図、これを受け、フレデリックたちは隔壁の解放へ踏み切るはずだ。

 

 ヴラッドら攻撃班の計画は、ひたすらに火力を叩き込み、こちらへとタイラントの意識を釘付けにすること。だがそれは同時に、避けえない至近距離戦闘への発展を意味している。

 

 要所要所で銃弾の雨を浴びせて、こちらへと注意を引き付け続けるともなればなおのことだ。徐々に距離が縮まり、名に恥じぬ堂々たる足音に殺意を漲らせたタイラントが迫る。それでも、引き付け役を担う二人の足運びは愚か、銃捌きにも乱れはない。

 

 すべてはアレを始末するために。そして隔壁を解放する十分な時間を生み出すために。それだけがいま意識するべきことだ。

 

 そしてそれを可能にするために、ヴラッド達は十分に入念なトラップを仕掛けた。

 

 最後の経路を全力で駆け抜け、装具の重みと慣性が働く身体を必死に操って、速度を落とさぬままにコーナーを抜ける。マディソンとジョエルの前に飛び出すと、そのまま地を蹴る足を奮い立たせ、背後のタイラントを引き連れそちらへと突っ込んだ。

 

 こちらを追って勢いよく角を抜けたタイラントが突然、はたと足を止める。悠然とした動きで、廊下の隅に設置された銀色の金属トレーへ目を据えた。つい数刻前、ごく至近距離で炸裂した凶悪な対人兵器のことを、アレは記憶していた。

 

 同じ手を二度も食らうわけもない、まるでそう嘲笑うように立ち止まったまま首を巡らせたタイラント。それをヴラッドは振り返る。

 

 彼の眼差しに、失敗を悟った絶望はない。あるのはただ、渾身のいたずらを成功させた悪童の、愉悦に満ちた色だけだ。

 

「おつむ自慢をどうもありがとう」

 

 背後、状況にそぐわぬ朗らかさでマディソンが笑った。それが合図であるかのように、タイラントの頭上で必殺のトラップが目覚めた。

 

 天井に設置した爆薬をマディソンが起爆したのだ。

 

 爆薬が瞬時に燃焼ガスへと転化して建材を吹き飛ばす。爆薬の専門家であるマディソンの設置に抜かりはなく、頭上を支えるコンクリートの塊がくりぬかれ、重力にひかれて落下した。

 

 通路に爆風が生み出す強烈な風が吹き荒れ、まき散らされた粉塵を押し流す。頭上からの不意打ちに反射的に防御姿勢をとったタイラントへ、巨大な塊が容赦なく襲い掛かった。

 

 たかだか数グラムの合金を音速の三倍で浴びせようと押しとどめることもままならないが、すさまじい質量が覆いかぶさればそうはいくまい。背中にのしかかる塊に押され、地面へ倒れこんだタイラント。しかしこちらの攻撃はそれで終わりではない。

 

 前もって床のリノリウムを引きはがし、くり抜いたそこに爆薬を敷設する周到さ。設置した金属トレーは中身のないデコイ。学習能力の存在を考慮したが故の足止め装置でしかなかった。背中に襲い掛かった重さに掠れた、しかし耳を聾する咆哮を上げたタイラントへと、床下の爆薬が第二派を叩きつける。

 

 容赦ない二段構え。練達の特殊部隊員は、罠の張り巡らし方を熟知している。爆風の余韻が抜けきらぬうちに、地面へ押し倒された巨漢の暴君へと成形爆薬の容赦ない一撃が突き刺さった。

 

 ただ設置するだけではこの巨人に対して十分とは言えないが、固形が気体へと昇華する膨大なエネルギー量を一点へ集中するとなれば話は別だ。円錐形に成形された爆薬は、起爆するとそのエネルギーを焦点へ収束させる特徴を持つ。

 

 高温高圧ガスを伴う化学の槍が、人の生み出した悪魔の肉体を抉る。至近で二度目の爆風が吹き荒れ、ヴラッドは手で顔をかばいたたらを踏んだが、設定されたキルポイントへ誘導されたタイラントからすればそんな生ぬるい話ではなかった。

 

 気が遠くなるほどの膨大なエネルギー量を、身動きもとれぬ状態で叩き込まれたのだ。防具と制御装置を兼ねるコートも、装甲を穿つ爆風の前には薄布同然。長く尾を引く断末魔とともに巨人の手が何かをつかむようにもがき、そして地面へ落ちた。

 

 たとえ銃弾を無力化し、想像を絶する筋力をもってして獲物を粉砕する()()()()()であろうと、人類の長く血みどろの戦史が生み出した英知の前では、単純な力学の枠組みから逃れるすべはない。人の悪意が生み出したモノ同士、そこにあるのは純粋な数字の勝負だ。

 

「やったか」

「循環器系か神経系統を完全に破壊しきれた確証はない。アリッサの話と研究データが正しけりゃ、最悪の場合リミッターが外れて暴走状態になるかもしれん」

 

 クラヴィスの独白に返したジョエルが滞留する砂塵を手で払い、倒れたタイラントへ銃口を向ける。肉が焼け焦げる悪臭を嗅ぎながら、ヴラッドは慎重に動きを止めたタイラントへ歩み寄った。

 

 ついに地へ伏した暴君。それを見下ろし、念のためにとどめを刺すべく背負った()()()へと手を伸ばし――。

 

 地に落ちた巨大な指が、ざりと音を立てて砂塵を掻く。

 

 そのまま、砲弾の弾頭のように太い指先がゆっくりと砂塵を握りこみ、握り拳で床を強く叩いた。

 

 馬鹿な、などと息をのむ無様は晒さない。確実な殺害を見込むのであれば、中枢神経系を徹底的に破壊するか全身を粉砕するよりない。それが無理なら、次善の策は循環器系の確実な機能停止。それがこちらのプランを聞いたアリッサの説明だ。

 

 地面に縫い付け、下から成形炸薬を浴びせる方針では、特定の部位への攻撃を狙うことは不可能に近い。そう判断したからこそ、ヴラッドは爆薬量をぎりぎりで調整して()()()を用意させたのだ。

 

 だが、確かに予想外であることは否定できなかった。少なくとも一時的な活動停止程度は見込めると思ったが。命中箇所が急所を逸れたか、あるいは耐久値がこちらの予想を上回ったのか。

 

 目の前で怒りも露わに拳を二度三度と地面へたたきつけたタイラントがもがき、のしかかる瓦礫を押しのけようと上体を起こす。焼け焦げた煙が立ち上り、高熱で一度は焼却された傷口から黒ずんだものが垂れ落ちた。

 

「くそ! フレデリック、そっちは」

『二枚目を解放した。三枚目の解放に入る』

 

 目の前でもがくタイラントの腕、それを覆うコートの繊維が弾けるようにして裂ける。露出した皮膚の下の筋肉が不気味に隆起し、顔を上げたタイラントは今度こそ腹の奥から絞り出す、憤怒の咆哮をとどろかせた。

 

 脈打つ筋肉が肥大化し、蛇が皮膚の下を這うように血管が浮き上がる。ただでさえ重量上げの選手ですらもかすむほどの筋力量、それが目の前で痙攣しながら膨らんでいく。

 

 ――暴走状態だ。

 


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