死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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接触

 1998年9月25日 2215時

 

 

 

「ひでえ」

 

 誰かがつぶやいた。ヘリに乗り込んだ小隊の誰かが。

 

 開け放たれたハッチから見える町並みでは、いたるところで黒煙が立ち昇り、軽快な破裂音があちこちでヒステリックに連鎖している。街路を走り抜ける車が歩行者を跳ね飛ばし、血に濡れて街頭に突っ込んだ警察車両の周囲で、警官隊が何かへ発砲しているのが、高速で移動するヘリの上からでも確認できた。

 

「ブリーフィングの比じゃないな」

「暴動どころか、これじゃ戦場だ」

 

 火の手のあがる街に近づくにつれて困惑の声が増えつつあった機内は、市街地を眼下に見下ろす段になって、想定を超えた状況への不安をにじませるものに変わっていた。その殆どはローター音にかき消されているが、不安をにじませた空気は肌にぴりぴりと突き刺さる。

 

「どちらにせよやることは変わらない。市民の救助、安全確保だ。第二と第三分隊は市民救助、私の第一分隊は前線指揮所と安全地域の確保に当たる。街の状況は事前情報とは違う、暴徒がせいぜい数百という報告もアテにはならんかもしれん。市民と敵の識別は厳格に行なえ」

 

 事前情報以上の混乱具合に浮足立つ機内を落ち着かせるために、ハリソンが無線越しに声を張り上げた。堂々とした声は、軍歴の長い将校特有の浮ついた空気を抑え込む力強さがある。

 

 彼のもとで訓練を受けた部下はそれにうなずく。第一降下地点への接近をヘリのパイロットが機内放送で告げると、第一陣としてラクーン北西部に降下する予定のヴラッドは、自身の第二分隊に起立を命じた。

 

「ヴラッド、作戦計画通りにやれ。常に冷静に」

「了解。大尉も武運を」

 

 小隊指揮官としての顔で激励するハリソンに、ヴラッドはベルトに引っ掛けていたベースボールキャップをかぶり、マイクと耳に差し込んだイヤホンが無線に接続されているかを確かめる。

 

 こちらの送信を受領した分隊員が、各々親指を立て、緊張でやや大きくなった眼差しをこちらへ向ける。機長が到着をがなり声で告げた。

 

「降下!」

 

 ヴラッドが命じると、分隊の半分を掌握する射撃班長の伍長がグローブを嵌めた手で蹴り落としたロープを掴み、ファストロープ降下に移った。訓練通り、先に地面に降り立ったものから膝を立てて降下地点を制圧する。

 

 降下目標として選ばれたビル屋上に展開する部下を見、自分の班員も全員が降下を終えたことを確かめた。そのままヴラッドはハリソンを一瞥し、ここから先、頼り頼られることになる小隊員らを見回すと、自分もロープを掴んで宙へ身を投げる。

 

 まず感じたのは、強烈なダウンウォッシュ。ヘリのローターが生み出す下降気流を全身に受け、ひるまずに最大速度で地面へ降下しながら、燃え盛り、悲鳴と銃声が鳴り止まぬ町並みを見つめる。

 

 レンジャーの一員としてパナマに降り立ったときに見た戦場はまさにこんな眺めだった。が、地面に足を付き、グローブを振り払って機内の仲間に降下完了を知らせる段になると、戦地とは比較にならない血生臭さ、死臭とでも呼ぶべき粘性の悪臭が立ち込めていることに気付く。

 

 ヘリが飛び去り下降気流(ダウンウォッシュ)が失われると、秋の肌寒さとともに鼻奥に残る嫌な臭いが肌にまとわりつく。それに顔をしかめつつ、ヴラッドは直ちに分隊全員に街路へ降りて情報を把握、そして民間人の保護を行うべく命令を通達した。

 

 分隊は分隊長が率いる四名と、射撃班長である伍長が務める四名に分割され、計五名の射撃班が二つで編成される事になっている。前衛を務める伍長の班が屋上階段を開け、縦列で建物の階段を下り始めると、先頭をゆく隊員がえづき、後続が早く降りるように急かすのが聞こえた。

 

 理由はすぐに分かった

 

 階段を二フロアほど降りると、階段とフロアの間に死体が三つ転がっていたからだ。そこから流れ出た血液が地面をつたい、あたり一面を染め上げている。が、何よりも目を引いたのは死体の損壊具合で、一つは下顎が完全に消え去り、ライトを向けると、顔面上部左半分の肉がほとんど削げ落ちて骨の白いテカりが見えた。

 

 もう一つは衣服が引き裂け、みぞおちからへそにかけて皮膚が引きちぎれていた。溢れ出た臓腑があたりへぶちまけられて、濃密な血の臭いに糞便のそれが混ざって悲惨な悪臭を放っている。最後の死体は、そもそも上半身が肉片しかのこっていない。

 

 まるで爆発物を至近で受けたかのような有様だが、周囲にそれらしい痕跡はない。凄惨極まる死体の有様に眉根を寄せつつ、階段を降りる足を止めずに周囲へ目を向ける。死体がこうまで損壊しているのは、伝染病を原因とする暴徒の仕業か?

 

 そんなバカな、どうして、どうやってあんな死体損壊を? まだ近くに実行者が? 思考がめぐるが、状況は止まらない。階段を下りつつ死角という死角を念入りに潰し、地階へと降り立つと、そこもまた血に塗れた死体がそこかしこに散見された。

 

 地面に散らばる書類、バリケードにしようとしたのだろうデスクや電化製品が入口付近で血に汚れて転がっている。屋内である分、こもりきった血の匂いは一層濃くなり、つい二ヶ月前配属になったばかりの若手が喉をひくつかせ、額に汗を浮かべている。

 

 犯罪者を罪の免除と引き換えに部隊に組み込むU.B.C.Sの隊員だ。殺人犯や元テロリストはザラ、かわいいところでも武器や麻薬の密売だとか、そういった人間ばかりだが、それでもこんな無残な死体を見れば平静ではいられまい。

 

「ダニエル、街路に出るぞ」

「了解。おいこれをどかせ」

 

 伍長が部下に指で入り口を塞ぐデスクの残りを示す。命令を受け、ようやく自分たちの目的を思い出したらしい隊員がデスクを引っ張ってどかす。地面に溜まった血の海が、机に押しのけられてあたりへ拡がった。

 

「行くぞ」

 

 玄関を飛び出した分隊は、市民が逃げ惑う道路に出た。悲鳴を上げ、足をもつれさせながら逃げる若い女がこちらを見、それから自分が逃げてきた方向に目を向けると、そのまま顔をひきつらせて走り去る。

 

「どうなってやがる」

「わからん、くそ」

 

 ヴラッドはダニエルの独白に端的に返した。同じように走って逃げてきた数人の市民がこちらに目を留め、何事かをわめきながら息を切らせて駆け寄ってくるのに気付くと、それに慎重に歩み寄る。

 

「おい、おいあんた……警官じゃなのか? ああ、くそ、いや、そんなことはどうでもいい、助けてくれ」

「落ち着いて、我々は市民救助のために派遣されている。この状況はなんだ、暴動はどこまで拡がってるんだ」

「暴動だって? あんたら軍隊か? くそ、どいつもこいつもおかしくなりやがったんだ。いいから、あいつらをどうにかしてくれよ!」

 

 しゃがみ込み、どうにか息を整えようとあえぐ小太りの男は自分が逃げてきた方向を指差す。その間に周囲に展開した部下の一人が、男が示した方向に銃を向けて声を荒げた。

 

「軍曹、負傷者です、まだ生きてる」

 

 何人かの市民が武装したこちらの姿を認め、周囲に集まってくる。彼らが口々に助けを求めてまくしたてるのを押しのけ、部下が示した方へ目を向けた。

 

 部下の一人が、すぐそばの地面に倒れ伏してもがく女へ歩み寄り、銃を横に流して助け起こそうとしているのが見えた。

 

 女は血まみれで、裂けたシャツの袖から覗いた腕は肉が引きちぎれ、骨が覗いている。というより、ほとんど食い終わった後のフライドチキンのような有様だった。それでも女は耐え難い痛みのせいか低くうめいていて、どうにか起き上がろうともがいている。

 

「おい、やめろそいつを起こすな。やめるんだ、殺せ! そいつを殺せ!!」

 

 最初にこちらに駆け寄ってきた男が尋常ではない剣幕で怒鳴り、女を助け起こそうとした部下へ掴みかかろうとしてダニエルがそれを押し止める。

 

「分かってないのか! そいつはもうだめだ、みんな食い殺されるぞ!」

 

 男が叫ぶ。口角泡を飛ばし、見開かれた目は恐怖のせいで落ち着きなく視点を変え続ける。はたから見れば錯乱した男の戯言。部下は取り合う気もなく落ち着かせようとなだめていたが、男とおなじようにこちらに助けを求め集まった市民らが、引きつった声を上げて重傷の女に呼びかける部下の方を見ていることに気付くと、ヴラッドは自分の本能が喚くのを感じた。

 

 彼らは正気を失ったのでも恐怖で動転しているのでもない。ただ事実として目の前にある脅威に怯えている。

 

「エディ!」 

「軍曹、ひどい怪我です。すぐ治療しないと……!」

 

 自分のポーチから医療用品を引っ張り出そうとする部下――エドモンドがこちらの呼びかけに振り返る。そちらを見、自分を見つめて衛生兵をよこしてくださいと口にした彼の背後、起き上がった女を見た瞬間、ヴラッドは言葉を失った。

 

 起き上がった女には顔がなかった。鼻があったのだろう部分には二つの空洞がのこるのみで、上顎から頬にかけての肉はほとんどがそげており、引き剥がされたのだろう頭皮の一部が繊維状の組織によって側頭に垂れ下がっていた。

 

 白い喉は深くえぐり落とされ、筋繊維と血管が、ほつれた服の裾のように垂れ下がり、食道があったと思わしき部分からごぼごぼと嫌な色の液体を逆流させている。

 

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