A:蘇ることさ
生還、帰還、次話投稿。
おまたせいたしました!
なお今回はリハビリ会
「標的は」
「見えてる。周辺はどうよ」
「クリアだ。撃ってよし」
減殺された
クラヴィスの狙撃を受けた感染者が、側頭部から体組織の破片をばらまいて崩れ落ちる。その死体が倒れるよりも早く第二射が送り込まれ、一体目の向こうでゆるく振り返る“元”看護師の顎を撃ち抜いた。
遠く、雨のカーテンに阻まれてにじむシルエットの完全な無力化を確かめたヴラッドは、双眼鏡をゆっくりと下ろした。二体目も頸椎損傷、行動不能なのは疑いようがない。
一秒足らずで二体。100メートル以内とは言え雨天だ。視界は劣悪で、かすみがかっていて視認性も低い。熟練の腕を讃える代わりにクラヴィスの肩を軽く叩くと、ヴラッドは振り返って何度か舌を鳴らした。
路地の背後を警戒していたマディソンとジョエル、そしてフレデリックが音に気づいて振り返る。潜入時に余計な音を立てずに味方の注意を引くための方法だが、雨天の上で歩く死人の天下とあっては、ただ身にしみた習性でしかない。
とはいえ、それを捨てられるほど身の回りは平和ではなかった。振り返った二人の緊張をわずかににじませた顔が、それを裏付けている。少なくとも、音に敏感なネイルフロッグには有効だ。環境音との区別が付きづらい音は特に。
気を抜けば死ぬ。そして相手は――馴染みつつあっても――未知の存在だ。身に染み付いた生存の秘訣に頼るより他に、選択肢はない。
「正面エントランス前は排除した。中はここからは確認できない」
「こういう時、怪我人が真っ先に担ぎ込まれるのはどこだっけ」
ヴラッドの報告にジョエルが返した。茶化すような口調だが、声はどこまでも淡々としている。それを受けたヴラッドは笑いもせず、眉を持ち上げてゆるく頭を振った。
「すし詰めじゃない事を祈ろう」
「ハズレくじだったら?」
「火力発揮、進路構築、トンズラ。ヴラッドを困らせるなよ」
マディソンの問いかけにフレデリックが押しかぶせた。僕が思うに段取りもクソもとっくに休暇中だろう、と続けた彼は、
実際問題、怪我人がいの一番に担ぎ込まれる病院内がどうなっているかは想像もつかなかった。死人が蘇るこの街において、怪我人の大部分は感染体の手によって発生していることは疑いようがない。
最悪の場合、狭い通路や病室にぎっしりの活性死者がたむろしている可能性もある。
「侵入後、手近な部屋を片端から検索する。無視して通過して、背後から団体客じゃどうしようもない」
「封鎖されている場合は」
「害虫を閉じ込めた箱を開ける趣味があるのか?」
「安心した。お前が常識的で」
ヴラッドが首を傾げて返すと、クラヴィスはライフルから減音器を外しながら笑った。それを見やり、生存者がいる場合は例外だと付け加えたヴラッドは、自分のカービンを抱え上げた。
「行くぞ。先頭は俺とマディ。クラヴィスは後方」
了解、と部下が返事をよこす。頷き、カービンを構えて慎重に路地を出る。途端に風に押し流された雨粒が横合いから全身に襲いかかった。雨はまだ止みそうにない。たとえ危険が待っていようと、早いところ屋根の下に入りたかった。濡れた身体は体温を維持するのが難しい。そして体温が低下するとろくなことにならないことを、ヴラッドは知っている。
「いいぞ、問題ない」
「左クリア」
路地の左右の確認を済ませると、ヴラッドとマディソンは血濡れの救急車と、電柱に衝突した乗用車の転がる病院エントランスへ歩みを進める。本来左右を確認した人員は最後尾が出るまでその位置を保持するが、それは敵が銃で武装する場合の部隊規定だった。
エントランスの目の前に、先程クラヴィスが射殺した二体の元感染体が転がっている。その周囲には、ストレッチャーに固定されたまま貪られた市民の残骸や、救急隊員の“かけら”が散らばっていた。
今となってはそれに何かを感じる神経も働かず、目の前、足元で這いつくばったままこちらに手を伸ばした、上半身だけの男の首根っこを踏みつけた。ごきりと頸椎がへし折れる音とともに、腐りかけの手が路面へ落ちる。
死者への礼節もなにもないが、銃弾の浪費と銃声は大きな問題だ。自己批判を飲み込む。ブーツの底から伝わる、潰れた体組織の嫌な弾力がすべてを不快感で押し流した。
「エントランス、入るぞ」
「行け」
ドアに取り付いたマディソンが、銃を奥へ向けたまま血で濡れたガラスドアを押しのけた。ドアに寄りかかって事切れた首のない警官が倒れ、それを踏み越えて侵入する。ヴラッドはすれ違いざまに遺体をちらりと見やった。鋭利な何かで切断された首は、ハンターα、βの存在指標と考えてよいだろう。危険な兆候だ。
「受付裏、クリア。オーケー、エントランス内は制圧」
分遣隊の人員は素早く行動した。マディソンとヴラッドが戸口をくぐり、転がる死体を一つずつチェックする。可能な限り足の方向からアクセスし、背中を踏みつけてから死亡確認だ。頭側からやると、不意打ちの噛みつきを喰らいかねない。
「全員の死亡を確認。活性死者なし」
「
血濡れの床を踏みしめ、死角という死角を徹底的に潰した隊員たちが各々の検索領域の安全化を報告する。それを受け取ったヴラッドがドアの封鎖を命じようと振り返ると、すでにジョエルが待合いスペースのソファをドアの前に下ろしていた。
クラヴィスとマディソンは受付カウンター裏の部屋に侵入し、フレデリックはロビーに残された確認済みの遺体を跨ぎ超えて周囲の警戒に移行している。フレデリックが、未検索の通路に銃口を向けたまま、肩越しに問いかけた。
「封鎖の次は」
「手順の確認後、隣接する部屋の検索」
ヴラッドは言いながらも、小さくかすれた呻きが足元でこぼれたのを聞き逃さなかった。即座に視線を落とし、わずかに指を動かし腕を持ち上げた元看護師の姿を捉える。下腹から下は筋繊維と臓物の赤黒い塊でしかない。
へし折れ、皮膚のめくれた指先が足を掴む前にブーツを持ち上げて勢いよく落とす。
ごきりと、鈍い音がした。雨水の溜まったブーツの底から、踏みつけられた筋繊維と頸椎が押しつぶされる嫌な感触が伝わる。
元看護師の首は、装具合わせて130キロを超える体重に押しつぶされていた。腐りかけた体組織が崩壊し、潰れた肉と脂肪の隙間から、ひしゃげた頸椎が赤らんだ乳白色をにじませている。
這いずっている活性死者は緊急時を除きそのように処置する。チャーリー小隊内に共有された弾薬温存戦術の通りに死者を処理したヴラッドは、獲物を求めて伸ばされた手が力なく地面に落ちたのを確かめた。
確認ミスだが、仕方ない。倒れ伏し、休止状態に落ちた活性死者の再活動条件は個体によりけりだからだ。完全を期すのであればすべての個体の頸椎をへし折るよりない。
「嫌になるな」
二度目の死を迎え、首と身体をほとんど分断された元看護師の遺体を見下ろしたまヴラッドは言った。とは言っても、部隊の弾薬逼迫は無視できないものになりつつある。探索部隊に必要分を支給する余力はあるが、それを使い切った場合の補充は心もとない。
そもそも、下半身損傷等何らかの理由で歩行不能となった脅威をそのように処理するべきと提案したのは、他ならぬヴラッド自身だった。
「行儀が悪い、って?」
「死人を踏みつける仕事を選んだつもりはない」
「そりゃそうだ。俺達の仕事は、必要に応じて死人を生産することだからな」
部屋の検索を終え、カウンターから出てきたクラヴィスがライフルを提げたまま首を傾げた。すでにロビーは消毒液と死臭の混ざりあった静寂の中にあり、戦闘のささくれだった空気感は失せている。残ったのは、血みどろの死体がもたらす粘ついた不気味さだけだ。
「俺達の仕事ってのは、与えられた任務達成のために、制約の範疇で手段を選ばないことだ。これは仕事。ま、ヴラッドの気持ちはわかるがね」
「ど正論どうも。それで、安全化は」
クラヴィスに対してマディソンが淡々と諭すような口調で言った。クラヴィスはひらひらと手を振ってから、ヴラッドの方を見やった。
「ロビーは安全化完了。正面玄関の封鎖は?」
「済ませた。問題ない」
ヴラッドが弾倉を確認しながら言うと、正面玄関の封鎖を担当していたジョエルが親指で背後を示した。肩越しに目をやると、ロビーの待ち受けソファを積み上げただけでなく、扉の取手にここに散らばる誰かが持ち込んだらしい血濡れの消防斧が差し込んである。
「上出来だ。ここを拠点に病院内の探索を行う。俺たちの目的は……」
ヴラッドは頷き、濡れたバックパックを下ろすと、S.O.Eベストの多目的ポーチを開けた。中には
「医療品の回収」
「そうだ。リストはジョエルが作成した。各人これに合致するものを探せ。第二目標は」
「生存者の捜索、救助だろ」
フレデリックの回答に頷きながら、個別で防水した捜索対象リストをカウンターに広げる。三々五々それを受け取りながら後を引き受けたクラヴィスに、ヴラッドはそうだと首肯を返した。
「生存者発見の場合も、安全化確認までは潜在脅威として扱え。外傷や感染兆候には注意。手が施せない場合は“処置”しろ。編成は俺とジョエル。残りの三人。不明点、危険兆候、その他情報は随時共有しろ。質問は?」
カウンターを囲んだ部下を見回す。全身に染み込んだ雨水を滴らせ、それでなお引き締めた面差しをこちらに向ける男たちは、無言をもって質問なしの返答に代えた。
「よろしい。異常がなくとも十五分に一度連絡を入れろ。緊急時に備えて階層と自己位置の確認は怠るな。以上」
「向こうはあの三人で大丈夫かね」
「マディは閉所に慣れてる。フレッドも申し分ないし、擲弾銃がある。クラヴィスに関してはいちいち言うまでもない」
ヴラッドは淡々と返しながら、薄く血痕の伸びたカウンターに転がるバインダーを手にした。診察室や手術室、病室では足りなくなったのか、カウンターにまで医療品の残骸が散らばっている。その中にうずもれた.38口径のリボルバーは、誰かの私物なのだろう。弾は撃ちきっているようだった。
バインダーには氏名、外傷の程度、症状が並んでいる。その末尾はすべて
「ひどいもんだ。担ぎ込まれた患者のほとんどが起き上がってる」
「そりゃそうだ。市街全域があれじゃな」
壁をいくつか隔てた先で、掠れた銃声が響いた。地階の掃討に向かった三名が交戦したのだろう。銃声は間隔をあけた二発きりだ。問題あるまい。
「それで」
「オフィスを調べる。目録、あるいは日誌、まずは状況把握」
ジョエルの問いに、ヴラッドは親指で受付カウンター奥のドアを指さして答えた。ジョエルは了解とカービンを胸元に手繰り寄せ、銃口を下向きに準備を整える。すでにマディソンらが検索を終えた空間だが、死人はいつ再活性するかわかったものではなかった。
ドアを開け、外から部屋の中を目視。そのまま銃口を水平より心持ちおろしたまま踏み込み、ドアの左右を相互につぶす。クリア、
「これを調べろ、と?」
ジョエルがあきれた声で言った。事務員が詰めていたのだろうオフィスの中は荒れ果てている。死体、血痕、薬莢と散らばる医療器具。並べられたデスクの上はぐちゃぐちゃに乱れ、バインダーから外れた書類が床にまで広がっていた。部屋の奥には別室に続くドアが見えたが、その向こうも似たようなものだろう。
「そう言ってる。わかってるだろ、“俺”はただの物資補給に来たわけじゃない」
俺、を強調しながら、デスクに散らばる紙束を手で横にのける。簡易カルテの群れに刻まれた文字列は剣呑だ。頸部咬創、大量出血、心停止、死亡確認、再活性化、
「知ってる。だから俺を残した」
「そうだ。手伝えよ。命がかかってる」
「了解。血清ね。あればいいが」
「なければあの子が死ぬ。ほかの奴らも、誰も助からない。それだけだ」
ヴラッドは言った。淡々と、ただものごとの仕組みを説明するような口調だった。ある種、自然現象を前にしたあきらめに近い響きを持っている。ジョエルはちらりとそれを見、そうだなとため息とともにつぶやいた。
転がっている書類のほとんどは、この血と肉に彩られた騒乱の犠牲者に関するものだった。初動段階での暫定対処マニュアル、その次の版、さらにその次。発症の時点で最終処置、すなわち殺害を決定する頃には、マニュアルの内容は極めてシンプルになっていた。拘束し、経過観察。発症したら殺害。それだけだ。それ以外にできることはなかったのだろう。
「ヴラッド」
「ああ」
がたりと音がして、ジョエルが書類の束をデスクに下ろした。ヴラッドが顔をあげる頃には、ジョエルはカービンを音のした方向に向けている。それに習って自身もカービンを持ち上げ、銃口を音源――オフィスの奥にあるドア――へと据えた。
ドアには医師控室とプレートが貼り付けられていた。こちらに目配せしたジョエルに頷いてやると、彼は重心をわずかに落とした慎重な足取りで、しかし素早くドアに接近し、ノブを握り込んでひねる。
ジョエルがノブから手を離し左手の親指を下に向けた。施錠されているという無声の合図だ。施錠されているということは、マディソンらは検索していないだろう。侵入前のやり取りを遵守しているはずだ。
「どうする。死人だと手間が増える」
「医師室ならなにかあると思うか?」
「この事務所よりはな」
ならそういうことだ、とヴラッドは言った。ジョエルは眉を持ち上げ、やれやれとばかりに小さく頷き、一歩下がって銃口をドアに向けた。無論、施錠を撃ち抜こうというわけではない。施錠部への銃撃は跳弾や不完全破壊による状況の悪化の要因になる。
ヴラッドは古い木製のドアと判断し、内開きの単一施錠であることを目視で確認すると、ブーツの底をノブ横のドア面に叩きつけるように蹴りを打ち込んだ。資機材はないが、構造の簡素な木製ドアは
鈍い破砕音とともに、ドアが医師控室へと勢いよくスイングする。蹴りの反動を利用し、軸足のかかとを軸に身体を回転させドアを離れると、ジョエルがカービンを構えてドア前に踏み込んだ。
彼がドア正面を目視し、そのまま戸口をくぐって側面の検索に移る間に、ヴラッドもカービンを構えて踏み込む。一度始まった混乱はどこまでも地続き、それを証明するような室内だった。
事務室と違い、休憩室を兼ねているのか柔らかそうなソファやローテーブル、テレビが運び込まれたそこも、血と消毒液の混ざった独特の匂いを隠しきれていない。救急品を詰め込んだバッグや、詰め替えた薬品の空容器が積み上がっている。
壁面に埋め込まれたホワイトボードには、血でかすれたローテーションが書きかけのまま残っていた。ここにいる医師たちの最後を物語るように。
人影は三つ。仮眠用のソファの上で、額に風穴を開け土気色の顔を晒した女性医師と、ソファから半ば崩れ落ちるようにしてよりかかる白衣の男、そして血をデスクに広げて突っ伏す男だけだ。
ヴラッドらは
ドア側の壁面を背に、部屋の奥に銃口を向けたまま互いに頷く。ジョエルがデスクに突っ伏した男に近づき、その襟首を掴んで引き起こす間、ヴラッドは銃口を即時支援可能な位置に据えていた。
引き起こされた男の首が力なくのけぞり、そのまま椅子から落ちて倒れ込む。ジョエルは男をうつ伏せにして背中を踏みつけると、その首筋に触れ、数秒して首を振った。
「処置」
「了解」
ヴラッドが言い、ジョエルが頷く。そのまま彼は銃口を男の後頭部に向けて一発。血が散り、とっくに息絶えた男の無意味な再活性の可能性を断ち切る。
「次を……」
銃口をソファからずり落ちた男に向けながら言いかけ、そこで止まった。視界の端で動くものを目にしたからだ。
続きを口にするより先に、M4カービンの銃口をソレへ向ける。ソファからずり落ち、だらしなく足を投げ出した白衣の男は、血で薄汚れた両腕をだらしなく持ち上げている。
それはこの街での数日で見慣れた、肉を求める亡者の手招きソレそのものだ。カービンに載せたドットサイトを額に据え、安全装置を下ろそうとして――やめた。
「手を上げろ。聞こえているか。五秒以内に反応しなければ撃つ」
「ヴラッド?」
「ジョエル、待て」
肩よりやや高い程度の位置で、白衣の袖が力のない手首を垂らして揺れている。地獄の始まりで、エドモンドを貪った死者がそうしたように、地下鉄をさまよう哀れな幽鬼がそうだったように。
それを見てなお撃たなかったのは、ヴラッドの鋭敏になった五感が些細な違和感を捉えたからだ。死者の殆どが、というよりその全てが意思の光を失った眼差しを虚空に向け、濁った瞳を胡乱に漂わせるだけだった。
しかしながら、目の前の男は反射的に点灯したカービンのライトに目を眇め、苦しげに胸を上下させている。
活性死者は光に反応しない。活性者はうめきをあげはしても、肩を喘がせることはない。違和感を拾い上げ、必要な対応を経験則からはじき出すのは、地獄に落ちる前に骨身にしみこませた習慣だった。
そしてそれは、素人とプロの戦闘員を隔てる大きな壁でもある。目視し、発砲する。その一瞬のフローの中に識別という二文字では表現しきれない複雑な手順を挟み込み、淀みなく実行できるのは、卓越した戦士だけだ。
「……たのむよ」
「ジョエル、撃つな。生存者だ」
筆が戻ってきたのでチミチミやっていこうと思います。
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エタらせやしませんぜ?