死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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筆は進んだ! 話は進んでいない!!!!!



告解

 地下がある、とウォーレンは言った。地下に研究設備室があると。

 

 ヴラッドはジョエルが差し出したコーヒーを受け取り、湯気立つカップをゆるく揺らしながら無言で続きを促した。隣では、ジョエルが固形燃料ストーブでカップを温めている。雨天行動ということで、体温低下に備えて持ち込んだ分だ。

 

 使い捨てカップに鼻を寄せ、パウダーコーヒーの安っぽい、しかし落ち着く香りを楽しむ。雨に濡れてかじかんだ指先が、カップ越しの熱でちりちりと傷んだ。

 

「それで」

「しかし、地下に行く前に医院長室に行く必要がある。彼の声が必要だ」

「声?」

 

 自分の分をカップに注いだジョエルが、上目遣いにウォーレンを見た。地面においたストーブに金属容器を戻したジョエルはコーヒーに粉末乳を流し込むと、手首でカップを揺らして何故と疑問を重ねる。

 

「そこにエレベーターがある。それが地下へ通じるが、音声認識が必要だ」

 

 ウォーレンが示した先、部屋の隅には確かにエレベーターのドアがはめ込まれていた。ドアサイズからしてそう大きなものではないのだろうが、ドア枠の隣には呼び出しボタンとインターホンが取り付けられている。

 

「それが医院長の声、と」

「そうだ。彼の部屋になら音声記録があるはずだからね。レコーダーにでも記録してくれ」

 

 レコーダーはそこに、とウォーレンは同僚が突っ伏していたデスクを示した。ジョエルはコーヒー片手に立ち上がり、引き出しをいくつか開けて中身を確かめる。収納されていた書類や文具を掻き分けた後、ジョエルはボイスレコーダーを取り出してデスクに置いた。

 

「音声記録は、PCか?」

「PCにもあるだろうが、カセットでの保存をしていたと記憶しているよ」

 

 ヴラッドの質問に応えたウォーレンは、それ、私ももらえないかなとコーヒーを示した。ヴラッドは濃褐色の水面に視線を落とし、それからジョエルに目をやる。彼は肩を竦め、使い捨てカップを一つ取り出すと、燃える固形燃料の上で熱されるコーヒーの残りに水を足した。

「ありがとう。手間を掛けて済まないね。砂糖は結構だが、粉末乳はほしいな」

 

「わかったから待て。コーヒーは逃げない」

「だが時間は有限だ。概算だが、おそらく私はあと6時間かそこらで発症する」

 

 人の良さそうな笑みをそえて礼を述べた口で、ウォーレンはきっぱりと、しかしなんでも無いことを告げる声音で言い切った。自分が歩く死人になるという、途方もない絶望を伴う結末を。それは震える内心を隠す虚勢でもなければ、持って生まれた胆力によるものでもない、ただそうなることを受け入れた人間のものだ。

 

 少なくとも、声に滲む音のない諦観の響きを、ヴラッドはそう感じ取った。

 

「君たちのタスクは大きくわけて3つ。音声の回収、血清の素材の回収、血清の作成。最初と最後は深く考えないで良い。音声は簡単に手に入るだろうからね」

 

 ついでに煙草ももらえるかいと、遠慮の様子すら見せず、こちらが煙草を差し出すのは当然とばかりの態度で重ねる医者に、ヴラッドは苦笑をこぼした。煙草を一本咥え、火をつけてゆるく吸う。

 

 穂先にしっかりと火を宿したそれを、ウォーレンの唇に挟み込んでやった。彼は小刻みにのたうつ不自由な手足とは対象的に、器用に唇の動きでフィルターを噛みしめると、ゆっくりと煙を吸い込む。

 

「血清の制作も、素材が揃えばあとは機械任せだ。問題は素材の回収。これはね、そう大きな問題ではないが、医院長があちこちに分散保管したおかげで探すのは手間だろう」

「なんでまた、そんなことに」

「知らない。最後はパラノイア一歩手前と言った様子だったから、おおかた精神的に追い込まれたんだろう。いくつかはありかを知っているが、今もそこにあるかはわからない」

 

 そりゃこの状況でそうならんほうがおかしいだろう、とジョエルがカップに注いだコーヒーに粉末乳を混ぜながら言った。呆れ半分、もう半分は一種の敬意の色があった。ウォーレンはクスクスと笑い、君たちほどじゃないなと肩を竦めようとする。あいにく様、彼の方は痙攣しただけだが。

 

「それと、最後の作成に関して障害がある」

「なんだ。専門的な内容だと俺たちにはどうしようもないぞ」

「いや、君たちの専門分野だ。敵を排除する、内容としてはそれだけのことだよ」

「その言い方で文言通りの簡単な仕事をもらった試しはないな」

 

 ジョエルが口の端に薄い笑みを刻み、粉末乳を混ぜ終えたコーヒーを片手にウォーレンに歩み寄る。猫舌かとジョエルが問うと、ウォーレンはゆるく首を振る。

 

「熱いものはとことん熱いほうが好きだ。冷たいものも同じくね。とりあえず、地下には少々困った相手が居座っているんだ」

「B.O.Wか」

「そう呼ばれるのかい、アレらは。二足歩行のカエルのようなやつでね」

「爪が生えたトカゲ男みたいなやつか? それ以外だと四つん這いのカエルもどきか」

「いいや、二足歩行のカエルだよ。爪もないし、トカゲではないし四つん這いではない。何人か丸呑みにされてね。君たちの仲間も、残念だった」

「なんだって?」

 

 最後の言葉にヴラッドは眉根を寄せた。ウォーレンはといえば、ジョエルに煙草をもたせ、口元で保持されたカップからコーヒーを啜っている。さながら、身の回りの細かなことすらも人に任せ慣れた貴族のように、その立ち振舞は堂々としていた。

 

「一、二日ほど前だったな。君たちと同じ格好の兵士が三名、市民を連れて逃げ込んできた。彼らは防衛と血清の制作を手伝ってくれたんだが、だめだったよ。地下で呑まれてそれきりだ」

「……そうか」

「皆、勇敢な良い男たちだった」

 

 僅かに目を伏せ、ウォーレンはほんの少しの間だけ瞑目した。ヴラッドとジョエルもそれに習い、数秒の沈黙が降りる。この病院で餌食になったという三名の隊員が、どこの小隊の誰なのかを知るすべはない。が、最後まで職責を全うしようとしたのなら、敬意を払うべきだ。

 

「それで、その二足歩行カエルは何匹だ」

「分からない。私が確認したのは三匹。うち二匹は捕獲に成功し、地下の保管容器に閉じ込めた。問題は、一匹が隔離作業中に暴れ出し、そのままどこからか侵入したもう一匹が飛び込んできたことだね」

 

 お陰で五人が餌食になったよと、淡々とした声で付け足したウォーレンの顔は、声と同じだけの淡白さだった。しかし、眠たげにすら見える座った目の奥には、微かな苛立ちが揺らいでいる。

 

「捕獲って、どうやって」

「麻酔を撃ち込んだ。それも凄まじい量ね。途中で目覚めるはずもないくらいに。それこそ、ゾウを殺せるくらいの麻酔を使ったよ。一匹に対してね」

 

 備蓄分をそれで全て使い果たして私達は見事アガリ、そういうわけだよと、唇で穂先を揺らし、その動きで灰を落としたウォーレンは言う。ゾウを殺せると言われても具体的な量はピンと来なかったが、常識外れであることに違いはあるまい。

 

「君らの仲間は、あのカエルに占拠された地下の奪取に向かって、帰らなかった。その頃には私は末端の神経不全が始まっていてね、同行はしていない」

「つまり、最低でも二体は残っていると」 

「そうなるな。乱入してきた個体の侵入経路が不明だからそれ以上にいる可能性もある」

 

 厄介だなとジョエルが言った。地下というだけあって、広々とした空間ではあるまい。火器を用いない敵を相手取るのであれば、行動を制限しやすく機動力を削れる地下はヴラッドらにとって優位ではあるが、ヴラッドはジョエルの懸念を過たず理解した。

 

 基本的に、地下の狭い空間が有利に働くのは銃器が十二分の効果を発揮する場合に限られる。また、相手の数が対処可能な程度であることも重要な要素だ。

 

 たとえば、狭い地下にすし詰めにされた数十の活性死者との接近戦。あるいはタイラントのような、桁外れの耐久値と攻撃力を持つ敵との接触は致命的となる。そして、ウォーレンの口ぶりからすると、地下に住まう敵は未知の存在である可能性が高かった。少なくとも、ヴラッドらが接触したB.O.Wとは外見特徴が一致しない。

 

分隊支援火器(SAW)でももってくればよかったな」

「無い物ねだりは年寄りの始まりだぞ、ジョエル」

「じゃあこのカービン一本でどうにかするか?」

「言っておくが、爆発物はやめておくれよ。機器が傷つくと血清の作成もなにもない。乱射するのも同じく」

 

 二人の戦闘員のやり取りから不穏な気配を感じ取ったのか、ウォーレンが口を挟んだ。見れば、深くフィルターを咥え込み、唇の端から紫煙を漂わせる彼は、座った目をこちらに向けている。

 

「現段階で機器が損傷していない保証は?」

「ない」

 

 ヴラッドの問いに対するウォーレンの返答は短く端的だった。なるほどと頷き、どうすると言いたげなジョエルに目を向ける。

 

 ヴラッドは腕時計を見た。分派からもうじき15分が経過する。マディソンらの定時連絡が入る頃だ。

 

『ヴラッド、マディソンだ。現在、中央階段前。二階の検索に入る。そちらの状況は』

「マディ、ヴラッドだ。検索一時中断、ホールに再集結しろ」

 

 一五分きっかりを指し示す前に、無線がマディソンの声を運んだ。規定の時間よりもやや早いが、それは定刻より余裕を持つように部内で定めているからだ。現状その必要はないが、分隊内での定時報告結果は、小隊本部へ上げるのが通例だった。

 

 定刻通りに小隊本部、そして必要であれば更に上位階層へ連絡するためのマージンを取る習慣だ。

 

『どうした。状況に変化が?』

「そうだ。生存者発見、及び血清を生成できる可能性がある」

『了解、すぐに戻る』

 

 

 

 

 

 

「状況は把握した。俺たちは、血清の可能性にかけてお使いをすればいいと。で、地下のカエルもどきに関しては出たとこ勝負」

「そうなる。質問は」

 

 概略の説明を終えたヴラッドは、内容を反芻したマディソンに頷くと居並ぶ部下を見回した。各々コーヒーを片手に煙草を咥え、吐き出した煙で部屋を薄く濁らせている。嫌煙家がこの部屋を覗けば、間違いなく顔を青くするだろう。

 

「そのカエル、詳細な情報は」

「無いと思ってくれて構わない。あいにく、私は最初の接触以外では縁がなくてね。だが外皮は硬そうだったし、運動能力も人では敵うまい」

 

 片眉を持ち上げ、怪訝な顔のフレデリックにウォーレンが応えた。彼は合流した三名が時たま向ける、奇妙なものを見る目を気にする素振りも見せず、ゆるくかぶりを振る。

 

「だそうだ」

「解説どうも。それが最低二、あるいはそれ以上?」

 

 クラヴィスの問いに、そうなる、とヴラッドは頷いた。地べたに座り込みライフルを抱えたまま、クラヴィスは指で挟んだ煙草を弾きつつ肩を竦めた。

 

「侵入後は、通路だろうが部屋だろうが、可能な限りの“槍”を展開する。接触の際は最大火力で捻り潰す」

「メタクソに頑丈だった場合は」

 

 槍、というのは閉所における火器の数――言い換えれば、進路や交戦方向に向ける銃口の数――の意味を持つ。つまり、最低でも二挺、可能であれば三挺分以上を指向し、火力による強引な、そしてある意味で正攻法の撃破を目指す。

 

「誘引して爆破。あるいは、そうだな、燃やすとか」

「地下で?」

 

 マディソンが問うた。半ば笑うような声だった。

 

「燃料類を使うとろくなことにならないが、焼夷弾なら」

「そりゃサーメートで焼けば一発だろうが、決まるかね」

 

 だから、出たとこ勝負だろう、とヴラッドは答えた。実際のところ、手持ちの装備品と残された時間、環境、情報を加味したうえで当たってから対応を変える以外の手立てがない。そしてそれは珍しいことではなかった。

 

 結局のところ、どのような戦闘も事前計画というのはその時に把握している範囲を出ない。最悪の想定などというのも、どこまで煮詰めても想像の範囲の話だ。現実の悪化はたいがいの場合その上を行く。

 

「まあいい、了解。それに賭けるしかないわけだ。とりあえず、医院長室で音声データの回収を行う。そのあと地下に侵入、排除、精製」

「医療品の回収は?」

 

 マディソンが頷き、順序を再確認する。それに続いたジョエルの問いに、ヴラッドは現段階で回収された医療品リストを手に答えた。

 

「医院長室への行き返りで拾えるだけ拾う。薬品類の不足はまだ解消できていない」

「了解。人選は」

「さっきと同じで構わない。ジョエルとヴラッドはここで待機してくれ。僕たち三人で足りるよ」

 

 吸いきった煙草を床に落とし、それを踏みつけたフレデリックが言った。彼は飲み切ったカップに、水をつぎ足し再加熱されているコーヒーを足すと、異論ないだろう?とマディソンとクラヴィスを見やる。

 

「オーケー」

「文句なし。ここの保持は必要だし、配置を一人だけにするわけにもいかん。俺たち三人でやる」

 

 二人は鷹揚に頷き、フレデリックに続いてコーヒーの追加をカップに注いだ。それを見、ヴラッドは任せるよとリストを留めたバインダーを揺らす。

 

「五分で休止切り上げ。弾薬、装具確認。出たら、一度一階部分の安全化を再確認してから移動する。医院長室は?」

「最上階にある。案内板を見ればわかるよ」

「親切なことで。頼むから、俺たちが血清を作るまでは死んでくれるなよ、お医者さんや」

 

 案内が必要かいと小首をかしげるウォーレンに、マディソンは結構とばかりに手をひらひらと揺らす。私の身体の努力次第だねと、ウォーレンは小さな笑みで答えた。

 

 咳は落ち着いていたが、顔色は目覚めた時よりもやや悪化しているように思えた。やせぎすの細い面立ちに刻まれた影は先刻より濃くなっている。コーヒーを飲んだ直後は血色の良かった唇も、いまでは暗くくすんでいる。

 

 それを見、マディソンはわずかに眉を下げただけだった。しかし、容態の変化が気にかかっているのは間違いないだろう。クラヴィスも、擲弾銃を背負いなおしたフレデリックにしてもそれは同じだ。

 

 捜索組の三人はボイスレコーダーをポーチに収め、各々の弾薬、装具の確認を終えると立ち上がった。フレデリックが新たな煙草に火をつけ、手の自由の利かないウォーレンの口にそれを銜えさせてやる。

 

 ありがとうとウォーレンが笑みとともに投げた礼に、ひらりと手を振ると、三人は医師控え室を後にした。

 

「それで、君はなぜここに?」

「なんだって?」

 

 ウォーレンが口を開いたのは、煙草をゆっくりと楽しみ、フィルターを足元に吹いて落としてからのことだった。焦げたフィルターの匂いを嗅ぎながら、ヴラッドはバインダーをローテーブルに置いた。

 

 回収されたのは包帯のたぐいばかりで、医薬品類が不足している。

 

「聞き方が悪かったね。君はどうして、ここに送られることに?」

「さあ。市民救助作戦だとだけ。このありさまだとは知らなくてね」

 

 ふむん、とウォーレンが目を天井に向け、ゆるく首を上へ傾ける。ウォーレンはしばらく虚空を見つめると、ゆるくすぼめた唇からため息を漏らしつつ、こちらへと視線を向けなおした。

 

「聞きづらいことを聞くというのは、案外と難しいものだね。とくにストレートに問うのは」

「つまり、お前が聞きたいのはこういうことか。なんでこんな罰ゲームみたいな部隊にいるのか、って」

「そう、それが聞きたかった」

 

 もちろん、話したくないというのならそれはそれで構わないけれども、と添えたウォーレンは、どうだろうかとお伺いを立てるようにほんの僅かに首を傾げた。それに対し、ヴラッドはやれやれと首を振って苦笑する。

 

「俺たちの事情に詳しいな」

「言っただろう、君の仲間が来たと。彼らも私も人の子。身の上話くらいはしたさ」

「どこで生まれて、何をして育って、こんなことをやらかしてここに送られましたって?」

「そうそう、そんな感じだよ。命令違反の殺人、違法な取引、そんな話だったな」

 

 少し前のことを、しかし懐かしむようにウォーレンは語った。三人の兵士と何を話したのか。彼らが今までどう生き、ここへ流れ着いたのか。ヴラッドはそれを聞き終えると、それで、と問いかけるような眼差しを受け止める。

 

「そんなに気になることか」

「私は気になるね。少なくとも、仲間よりも先に子供を気にする罪人の心理というのは」

 

 心理学は大学時代に触れただけだけれどもねと付け加えたウォーレンに、やれやれとばかりに話を横で聞いていたジョエルが口をはさんだ。

 

「俺たちの間じゃ、人の過去をいちいちまさぐるのはマナー違反だ」

「知っている。そう聞いた。とはいえ、私は部外者だからね。その論理の外にある。それに、嫌なら結構だよと伝えたとおりだ。無理強いはしない」

「村を一つ焼いた」

 

 唐突に、ためらう素振りもなく口を開いたヴラッドに反応したのはジョエルだけではなかった。ウォーレンはほんの僅かに目を丸くし、それから興味深そうに眼尻を下げて目を眇める。ジョエルは片眉を持ち上げたのみで、こちらが構わないのなら何も言うまいとかぶりを振った。

 

「何故、と問うても?」

「任務だと言われた。武装勢力の武器備蓄と、人身売買の経由地になっていると。俺は命令書を確認し、部隊長の指示に従って準備し、攻撃に参加した」

「それが罪になった?」

「結果として、非武装の民間人を含む三〇名以上を殺害した」

 

 だが任務だろう、とウォーレンが疑問形の声を投げたが、彼の目には裏にある程度の察しをつけた納得の気配が滲んでいる。

 

 ヴラッドはそれに頷き、そして口を開く。

 

「命令書は偽装されていた。俺がそれに気づいたのは、残敵確認のために村に踏み込んでからだ。間抜けな話だがね」

「なぜそんなことに」

「俺の知らないところで、部隊員の殆どが武器密売に関与していた。それを気取られ、内部監査が入る前に証拠と証人を消そうとした。全て手遅れだったわけだが」

「それは、君のお仲間も上司も随分と間抜けな話だ」

 

 からからとウォーレンが笑う。ある程度の過去を知りはしても、詳細な顛末を知らないジョエルは、聞き耳を立てながらウォーレンをそっと睨めつけた。とはいえ、それを気にする神経は、死にかけの医師の持ち合わせにはないようだ。

 

「ああ、間抜けだ。俺は作戦から帰投して、最後の証拠集めに忙しい陸軍犯罪捜査局(CID)の捜査官に声をかけた。そこからはトントン拍子、俺は今ここにいる」

「ツイてない」

「そうでもない。予兆はあった。帰国するとやたら羽振りの良いチームメイト、ローテーション待機の間、時たま不明瞭になる別チームの動向。本来、襲撃担当(アサルター)の俺を後詰めにしての襲撃プラン」

「見落としたと」

「気づこうとしなかったのかもな。村の非戦闘員をあらかた片付けて、必死に抵抗する生き残りの男を殲滅する段になって呼ばれたが、その時ですらまだ気づいちゃいなかった」

 

 普段の君なら気づけた、そういうことかな。わずかに首を――まるで前のめりになるように――突き出してウォーレンが言う。問いかけというよりは、そうなのだろうと突き付けるような、断定するような声音だ。

 

「俺はそう思ってる」

「だから自首した」

「いいや」

「罪の意識からではない、と」

「それもあるだろうが、本筋じゃない。死人は蘇らない。それに何を感じても今更だ。単に気に食わなかった。俺が共犯にされたことに気づいた顔を見て、これできっとバレやしないと、怯えながら安堵してるその態度が」

 

 きょとんと、ウォーレンの顔が再び意表をつかれ気の抜けたものになる。ジョエルもジョエルで、ああ、と納得ともつかないため息に似た苦笑をこぼしている。

 

 一拍ほどの時間をはさんで、ウォーレンが小さく噴き出した。そのまま愉快そうに、それこそ手足が動けば腹を抱えて転げまわりかねない勢いで笑いだす。

 

「……っは、ぁ、うん、なるほど。君という人間がなんとなくわかったよ。そうか、気に入らなかったのならそうするしかないね。それに、放っておけば何をしでかすかもわからない」

「そういうことだ。だから仕方ない。自爆になるが、俺は気づこうとしなかったし、すべてが手遅れになった。である以上、あれ以外の結論はあり得ない。納得まで含めて、ベストの選択だった」

「我が身を守ろうとは思わなかったのかい」

「考えたね、さすがに。俺のキャリア、残りの人生。それを考えたうえで、それでも納得がいく選択肢は告発だった。だからそうした」

 

 一等軍曹までの自分の経歴、精鋭部隊に入るまでの努力、積み上げてきた実績と信頼。当然、それらは楽ではなかったし、簡単に投げ捨てられるものでもなかった。軍に入る以前、何も持ちえなかった自分からすれば、陸軍でのキャリアは人生そのものだ。

 

 しかし、今になって思い返してなお、納得以外の動機は思いつかない。おそらくはそういう性分なのだろうと益体もないことを考えながら、ヴラッドは自嘲の笑みを浮かべた。

 

「まるでシネマのカウボーイだな。正義を信ずるガンマン、嫌いじゃない」

「正義は俺には無縁な言葉だ。別に、非戦闘員を殺すのは初めてじゃない。非公式、非認可作戦で、“必要”とされたからそうしたことは何度もある」

濡れ仕事(ウェットワークス)の出身かい、君は」

 

 ル・カレは好きでねとウォーレンが笑う。著名な、英国軍事情報部出身の作家だった。濡れ仕事(ウェットワークス)に始まる特徴的な業界用語を本にしたため、水面下の情報戦を大衆の娯楽に隅にそっと差し込んだ男だ。

 

「ああ、そうなる。老人も女も子供も関係ない。俺は任務だと言われれば、付随被害だろうと直接加害だろうと実施してきた。だから俺は正義とは縁がないよ」

「それが戦う人間の善悪の価値観というものかい」

「さあ、他人のことは知らない。ただ確かなのは一つだけだ。俺の使う武力は、それを授け、あるいは管理する組織の認可の下でのみ正当化される。それが人道やら倫理やらから外れていようが、武力の統制ってのはそういうものだ。権力と責任の構造に伴い、命じたものが責を負う」

 

 ヴラッドは言いながら、少し考えるようにこめかみに手をやった。中指でこめかみをつつき、ゆったりと思考をまとめて先を続ける。ウォーレンは静かに続きを促し、ジョエルはただ無言でこちらを見ていた。

 

「だが、俺たちの虐殺はその範疇を逸脱した。密売、論外。証拠隠滅の民間人虐殺、もってのほかだ。俺は知らなかったかもしれないが、気づくチャンスはあった。仮にそれを度外視しても、俺は確かに手を下し、知ってなお瀕死の老人を介錯した」

 

 その責任は、あの場にいたすべての人間が負うべきものだ。ヴラッドはそう続けた。それきり黙りこみ、煙草を一本取りだして銜える。火をつけて数口ほど楽しむと、吸い口をウォーレンに差し出した。

 

 彼は無言でそれを受け取り、煙草を銜えたまましばらくの間天井を見つめていた。

 

「もう一つ、聞いても?」

「今更だろう。お好きに」

「君はなぜシャーロットを気に掛ける。ああ、確かに彼女は愛らしい子だがね。兄のほうも愛嬌がある。だが君、いまは傭兵だろう。市民救助だって、お題目以下のガラクタ、違うかい」

「同じことを兄のほうに聞かれたね。もうずいぶん昔のことに思えるが。……俺は合衆国旗に宣誓した。今の雇い主が(こうべ)を垂れるのに不適格だとするなら、俺が従うべきは、俺がかつて何者であったか。それだけだ。わかるか?」

 

 ヴラッドは淡々と、ただ事実を述べる口調で言った。それはヴラッドにとって違えようのない本音であったし、今彼の彼にとっての唯一の規律といってよかった。そうでなければ、今頃アリッサを連れ出し脱出に向かっているだろう。

 

「そのためにわざわざ、リスクを負って走り回ると」

「兵隊の仕事はいつもそれだ。危険、オーケー、承知でございます。仕事でございますから、ってね。それに、子供のために走ることもできんのなら、俺はさっさと自分にケリをつけたほうがマシだろう。すくなくとも、あとで死ぬほど後悔するよりそのほうが楽だ」

「君は、仮にそうだったとしても楽な選択に目もくれないような気もするが。ありがとう、よくわかった」

「満足か?」

「とても。君と出会えてよかったと思うよ。少なくとも、私にとり君は初めての人種だ。私にとっては救いに等しい」

 

 どこかうっとりとしたような、何かはるか高みにあるものを見つめるような眼差し。ウォーレンの目の奥にわずかに滲む静かな感情の高ぶりを見、最後の一言の意味を問いただそうとした声を、重くよく響く音が塗りつぶした。

 

 ヴラッドとジョエルは反射的に立ち上がり、カービンを握りしめて意識を警戒状態に引き戻す。低くのしかかるような、それでいて不愉快ではない尾を引く響き。それが鐘の音だと気づく前に、無線がマディソンの困惑の声を届ける。

 

『ヴラッド、ヴラッド。時計塔の鐘だ。救出要請信号を誰かが使用したぞ』

 

 

 




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