死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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最近、読者の方が入れてくれた「ここすき」を眺めてニヤニヤしている作者です。
どうにか書き上がりました。
早速、次話執筆に取り掛かります(グルグル目)

銃撃戦回まであと5話くらいかな……。
次話はすでに取り掛かっています。


痕跡

「時計塔? ああ、そうか。君らの救助地点だったか」

「マディソン、上階までの経路は」

『確保済みだ。余計な通路は防火扉を閉鎖して遮断してある』

 

 ウォーレンの声に応じる暇はなかった。ヴラッドは即座に病院内の状況把握に意識を切り替え、ジョエルに目配せする。彼はその意味を過たず理解した顔で頷いた。

 

「一人戻してくれ。俺が上がる。そちらから時計塔の様子は確認できるか」

『フレッドを戻す。四階まで上がれば目視可能だ』

「了解、今から上がる」

 

 ヴラッドは無線を切り上げた。ジョエルはくつろげていたS.O.Eベストのフロントファステックスを留め、スリングを体にかけてカービンを脇に抱え込む。ヴラッドも同じく片手でベストを固定すると、カービンを掴んで事務所への扉を抜けた。

 

 転がる死体は一つとして起き上がることなく、壁際に寄せられて悪臭を放っている。いや、放っているはずというべきか。嗅覚は未だに鈍いままだ。

 

 ともあれ危険はない。そう頭の片隅で確認して階段を駆け上がると、カービンを携え段飛ばしに階段を下るフレデリックとすれ違う。

 

「フレッド、ジョエルと医師詰め所を固めろ」

「了解!」

 

 すれ違いざまのやり取りはそれで十分だ。片手にボイスレコーダーを握ったフレデリックは、ひらりと手を振り、振り返ることなく下階へ消えてゆく。

 

 ヴラッドも、それを見送ることはしなかった。血濡れの階段をブーツで踏みしめ、ほとんど跳ぶような勢いで身体を前に押し出す。ヘリによる回収要請が行われたということは、時計塔には生存者がいるはずだ。

 

 重い装具と濡れた戦闘服をものともせず、アスリート顔負けの俊敏さで上階へ向かう間、ヴラッドは思考を巡らせた。中隊本部に要請したとして、脱出ヘリをよこしてもらえるとは思えなかった。

 

 であるからして、ヴラッドの任務にとって目下最も確実な手段は奪取になる。しかし、その手段はアリッサ、シャーロット、リアムまでが限度だ。マイケルを連れ出すことは無理だろう。

 

 マイケルまで連れ出すとなると部下の支援が必要だが、現在に至るもアンブレラの犬の目星はついていない。部下を連れて行くとなると、ヴラッドはパイロットの監視と並行して僚友を監視しなければならないからだ。

 

 それは不可能な話だった。二正面への反撃警戒は荷が重すぎる。

 

 それを回避し、少なくとも離陸し市内を抜けるまではこちらの身分を隠すとして、脱出用ヘリはアエロスパシアル製SA 330ピューマのはずだった。乗員定数16名の汎用ヘリだ。小柄とは言い難い機体を安全に下ろせる場所、そしてそこまでの移動経路をどう構築するか。

 

 そもそも、何機のヘリが脱出のために送り込まれるのか。小隊人員と民間人をすべて脱出させるとなると、定数を超えて詰め込んでも三機は必要だ。

 

 それを思案する間に四階に踏み入ったヴラッドは、壁面に表示された間取りを一瞬だけ横目に見やると、院長室へと進路を取る。

 

「ヴラッド」

「状況」

「不明だ。だが鐘が鳴った以上、救難信号が発信されたと見ていいだろう」

「動きは」

「無い。だが死人が集まってきてやがる」

 

 医院長室前でこちらを待っていたマディソンは、ヴラッドの一声に明瞭な声で応じた。双方ともに、不明かつ危険を伴う状況を前にして、スイッチが警戒方向に押し込まれたままだ。

 

 ヴラッドは院長室の分厚い木製ドアに身を寄せ、戸外を警戒するマディソンの横を大股の歩調ですり抜ける。それに対し、マディソンが何かを言うことはない。戦闘下における指揮官とはそういうものだし、情報伝達とは簡潔で、そこに礼儀を差し挟む余地はない。常識以前の問題だった。

 

「クラヴィス」

「マディの言う通りだ。そこらじゅうの街路から活性死者が出現。時計塔外周に集結してる」

 

 院長室の中は、よく手入れされた絨毯と木目のつややかな什器で整えられていた。壁面には専門書やファイルが詰め込まれた本棚が並び、応接用のローテーブルとソファが備えられている。

 

 血の匂いの薄いそこの奥、大きな窓の外へM14を構えたクラヴィスへ歩み寄るヴラッドは、ポーチから双眼鏡を取り出した。

 

 雨に霞む外界。夕刻が近づき、薄暗くなりつつある市街の頭上を黒雲が覆い、蓋のようにのしかかっている。その中に時計塔を認めたヴラッドは、双眼鏡を目に押し当てた。

 

 白く濁った景色の中で、時計塔の周囲に集結し始めた活性死者がうぞうぞとうごめいている。遠目には地を這うイモムシのようにも見えるそれらの数は、おそらく全体で百をゆうに超えるだろう。

 

 突破は不可能だ。現段階で掌握しているこの五名で、の話ではない。小隊全員を結集したとして、民間人の護送のみならず自力移動の出来ない負傷者を抱えて、総数不明の敵を押しのけるのはリスクが大きすぎる。

 

 そこまで考え、これは都合のいい思考だなと自分を戒める。仮にヘリが脱出のために駆けつけ、なおかつその機数が十分だったとして、小隊を脱出地点に移動させるよりも、ヘリの燃料が空になる方がよほど早い。

 

 ヴラッドは入念に双眼鏡越しの偵察を続けた。街の喧騒が絶え、雨で冷えて休止状態に入っていたのだろう死者たちが、新たな獲物の気配を求めて次々と暗がりからその姿を表す。監視は数分で十二分だった。どうあれ、時計塔に向かえば酷いことになる。

 

「どうする」

「突破できるとでも」

「小隊全員を動員しても無理だな。民間人がいなくたって、損害が出る」

「同感だ」

 

 ヴラッドは双眼鏡を覗き込んだまま答えた。時計塔の中に動きがないことを確かめ、双眼鏡を下ろすと腕時計を見る。最初の鐘の音から数分が経過していた。

 

 ヘリが即時離陸したとすれば、そうかからずに到着するはずだ。とはいえ、脱出ヘリが飛来したとして何ができるわけでもないが。せいぜいこちらの存在を知らせる程度が関の山だろう。

 

 回収地点にたどり着くことは出来ない。この病院の屋上にはヘリポートがあったはずだが、

 

 考える間に、長く振り続けた雨脚が緩んだ。雨粒の間断ない音が小さくなり、視界の濁りが薄れる。

 

「ヴラッド」

「ああ」

 

 雨上がりの湿っぽい空気が、小刻みに揺れていた。特徴のある周期的な音が重たい風に運ばれてくる。ヘリのローター音であることは疑いようがない。

 

「周波数はわかるか」

「待て。チャーリー02から接近中のヘリ。聞こえるか」

 

 ヴラッドはクラヴィスの問いかけを遮り、小隊内周波数を中隊指揮系に切り替えた。事前の情報では救助ヘリとの交信は中隊指揮系の周波数を用いるものとされていたからだ。

 

「チャーリー02より接近中のヘリ、聞こえるか」

『チャーリー02、チャーリー02、ホーク21。感明良好。救助要請信号を発信したのは君らか?』

 

 二度の送話の後、明瞭な声がハンドマイクから流れた。ヴラッドは双眼鏡に目を当て、ローター音の方角を覗き込む。遠く、濁った空に黒い機影が見える。こちらに接近しているようだった。

 

いいや、違う(Negative)。こちらは現在市立病院内だ。発信者は不明」

『なんだって? まあいい、了解した。そちらはピックアップポイントに移動可能か』

「不能だ。地上は敵性がうじゃうじゃしてる」

『……了解。時計塔に着陸し、発信者を拾ってから病院屋上につける』

 

 ホーク21――救助ヘリのパイロットが応えた。ヴラッドは双眼鏡で接近する機影を確かめる。機数は一。ずんぐりとしたシルエットは、事前予定通りSA330ピューマであることを示している。

 

「一機だな。どうせほとんど死んでるだろ、ってことか?」

 

 ライフルのスコープを覗いたまま、クラヴィスが笑った。考えていることはヴラッドと同じだ。すなわち、小隊本部陣地に誘導できても座席が圧倒的に足りていない。

 

「ホーク21、チャーリー02。こちらは現在本隊と離れて行動している。そちらは単機か?」

『単機だ。そちらの生存者は』

「現在市立病院内に五名。小隊本部陣地に非戦闘員を含む四〇名以上」

 

 ヘリの機影は、もはや肉眼でも目視可能な距離に接近していた。回転翼機のローター音がそのピッチを上げ、市街地スレスレを飛行していたヘリがわずかに高度を上げる。時計塔の中庭に機を下ろすべく、ピューマ汎用ヘリは姿勢を水平にすると、前進速度を打ち消して機体を安定させ始めた。

 

『クソ、了解だ。待ってろ。一度お前たちを拾って、帰還してからピストン輸送を……』

 

 いや、それじゃ困る。俺たちを載せたら一度本部の方へ。そう言いかけ、ハンドマイクの送信ボタンを押し込んだ瞬間、いましも時計塔中庭に機体を下ろそうとしていたピューマが突然機首をひねった。

 

 高度を下ろすために回転数を落としていたメインローターが唸りを上げ、重たそうに機体を巡らせながら浮き上がる。なぜ、と思うより先に、時計塔の影から白煙の筋が勢いよく飛び出す。

 

個人携行式対空ミサイル(MANPADS)! クソ!』

 

 無線ががなった。

 

 それに対して、反応を示すだけの時間はなかった。そしてそれは逃げようと機体をひねったピューマにしても同じだ。降下姿勢に入ってからでは、回避など間に合いようもない。

 

 必死に高度を取ろうと身を捩るヘリの後部から、勢いよく弾体がキャビンへ飛び込む。瞬時に爆発が生じ、内側からの爆圧を受けた機体が膨らんだ。炎と破片がコクピットをぶち破り、燃料に引火したピューマがそれまでの浮力を失って落下を始める。

 

「嘘だろ」

 

 クラヴィスがうめいた。ドアを警戒していたマディソンが、銃口を廊下へ向けたまま駆け足で窓に近寄り、外を見やる。

 

 事態を飲み込めず、唖然とした顔で落ちていくヘリを見つめるマディソンをよそに、ヴラッドはハンドマイクをベストのフックに戻した。無線を送るまでもない。搭乗員は即死だ。

 

 火に包まれたピューマは、旋回の勢いでくるくると回転したまま時計塔の敷地へと落ちた。衝突音、金属の悲鳴。そして一拍おいて爆炎が噴き上がる。

 

「ジョエル、ヴラッドだ。救援ヘリが墜落した。地上からの対空攻撃と思われる」

 

 ヴラッドは無線を送りながら双眼鏡を覗きこむ。航空燃料が引火し、時計塔は炎の照り返しで赤く滲んでいる。鐘の音、ヘリの飛行音に墜落と、たっぷりの騒音に引き寄せられた死者が時計塔外周を埋め尽くしていた。

 

『待て待て、対空攻撃と言ったか? 再送してくれ』

「MANPADSだ。弾体の飛翔と命中を確認。回収機は墜落した。繰り返す、回収機は墜落。詳細不明、待機してくれ」

 

 了解と声が返ってくるまで数秒ほどの間があった。当たり前だろう。ヴラッドにしても、傍目には平静に見えても内心には混乱がある。

 

 いま、この街は戦場と変わらぬ危険地帯だったが、それでも飛び道具――とくに対空火器――はどこかで思考の外に追いやられていた。主要敵性存在が火器と無縁な相手だったせいだ。

 

 パタタ、とかすれたカービンのバースト音がかすかに耳朶を叩いた。死者の喧騒に押しつぶされてほとんど擦り切れかけの発砲音は、時計塔の方角で生じているようだった。

 

 二度、三度、四度と三点射の音が続く。誰かの交戦音だ。M4のものらしい銃声からすると、おそらくは同じU.B.C.Sの隊員だろうか。

 

 呼び寄せた救助ヘリが目の前で撃破され、そしてヘリを撃墜した何者かと戦闘に陥ったのだろうが、それを確認するすべはヴラッドらの手元にはなかった。

 

 それは、助けに行く手立ても同じだ。時計塔に群がる死者の数は膨大というよりないありさまで、ヴラッドらノーマッドには帰還のタイムリミットが設定されている。

 

「それで、だ。どうする」

「どうもこうもない。不明、一切不明だ。武装した敵の存在が予見される。それ以外に言うことは」

 

 ないな、とライフルをおろしたクラヴィスがため息を吐いた。航空燃料に引火した火災の炎が揺らめき、あぶられる時計塔が上げる黒煙がのしかかる雲海へと立ち上る。

 

 銃声が止んだのは、それから程なくしてのことだった。

 

 

 

 

 

「俺達以外で、投入された武装集団がいると思うか」

「州軍はどうだ」

個人携行式対空ミサイル(MANPADS)を持ち込むと思えない。第一、州軍がわざわざ市内に入る理由は?」

「状況調査くらいはしたっておかしくない」

「ラクーンで航空戦力との接触を想定して? 非現実的だぜ」

「ま、たしかに識別して撃墜したとも思えんしな。何も分からん」

 

 ひそひそと潜めた声はしかし、垂直のエレベーターシャフトの中ではよく響く。

 

 ボイスレコーダーに回収した医院長の声によってエレベーターのセキュリティを切ったヴラッドらは、外扉をこじ開けるとそこを侵入口とした。エレベーターそのものは地下へ下ろし、アンブレラ地下施設への侵入時と同じ方法を用いることにしたわけだ。

 

 それは当然、素直にエレベーターで降りて、ドアの向こうになにが待ち受けているかを確かめようという気にならなかったためである。

 

 敵性が跋扈する環境において、未制圧地域にエレベーターで乗り付けるのは分の悪いギャンブルだからだ。

 

 エレベーターのキャビン天板に片膝をついたヴラッドは、隣にひざまずくマディソンの肩越しに開放された点検ハッチの中を覗き込んだ。

 

 マディソンは点滴スタンド(ガートル台)の棒を繋げた長いロッドで、エレベーター内の開放ボタンを押し込んでいる。さらにその脇から、クラヴィスが手鏡をダクトテープで巻き付けたロッドをエレベーター内に下ろしていた。

 

 細かく角度を変え、エレベータードアの向こうを確認するクラヴィスがなにも言わないということは、そこに脅威はないと見ていいだろう。

 

「異常なし」

「了解。ジョエル、聞こえるか」

『聞こえる。侵入開始か』

「そうだ。先遣し、安全を確保する」

 

 了解、と短い返事。僅かな金属音に頭上を見上げると、ロープで吊られた非常はしごが医師詰め所のエレベータードアからするすると目の前に降ろされる。

 

 途中、収納されていたそれを持ち込もうと言い出したのはフレデリックだった。エレベーターを下階で固定し、キャビン天井のメンテナンスハッチから出入りする都合上、登るのは一苦労になるからだ。

 

 ヴラッドはそれを受け取り、こちらを見下ろすフレデリックに手振りで指示を出す。彼はそれにうなずくと、ドアの向こうへと引っ込んだ。コントロールパネルの電源を遮断するためだ。

 

 電源を喪失すると、安全のためにエレベーターがその場で固定措置をとるようになっていることは、すでに確認済みだった。

 

「先頭は俺でいいな」

 

 クラヴィスが言った。

 

 彼はM14の弾倉を確かめ、セレクターをフルオートへ入れている。大口径、曲銃床とじゃじゃ馬反動の権化のようなライフルだが、彼の腕なら至近でマンターゲットに弾着を絞ることは造作もない。

 

「任せる」

 

 ヴラッドは頷いた。

 

 閉所であり、クラヴィスのM14は取り回しが劣悪だが、.308の威力はそれを補ってあまりある魅力がある。そして、この先の空間の構造はある程度の目星がついていた。もちろんそれは、ウォーレンの協力あってのものである。

 

 ヴラッドの肯定を受け、クラヴィスはニヤリと笑うとライフルを背中に回した。その間に、頭上からバンダリアとともに束ねられた擲弾銃がロープによって降ろされる。

 

 マディソンがそれを受け取り、中折式擲弾銃(HK69)の薬室を開放すると、ポッカリと口を開けた空洞に四〇ミリ四号散弾(M576)のカートリッジを押し込んだ。

 

 擲弾銃、とは言うものの、ただ炸裂弾頭を撃ち出すだけの代物ではない。煙幕、照明、催涙弾と特化した用途の弾種も存在する。四〇ミリ四号散弾もその一つだった。

 

 まずクラヴィスがエレベーター内に降り立った。その後にマディソンが続き、二人が廊下を張る間にヴラッドが降りる。

 

「行くぞ」

 

 ヴラッドは囁くように言った。

 

 抱えたカービンの銃口は足元に下ろしてある。クラヴィスとマディソンは廊下の左右に横並びに展開し、銃口を前へ据えていた。二人の間に十分なスペースが有ることを確かめ、銃口を持ち上げる。

 

 不明の敵に対して、指向できる火力は多いに越したことはない。そして敵に対して可能な限りの最大火力を叩き込むのは戦闘の基本だった。

 

 三人は銃口を進路に向け、ゆったりと重心を落とした足取りで前進する。通路の角に差し掛かると、スプリングフィールドを構えたまま、クラヴィスが上体を傾けてその先を覗き込む。

 

 クラヴィスはそのまま、一言も発さずに再び歩み始める。無言は安全の証だ。危険があればそれを告げるか、ジェスチャーで伝達を図る。安全であることをいちいち口にしないのは、気配で察知されるのを嫌ってのことだ。

 

 しかしそれでも、ブーツはリノリウム床を踏むたびに独特の音を立てる。長時間、不安定な足場で行動するにはブーツは最適な選択だが、こういう環境で気配を消しつつ軽快に動き回るのには向かない。

 

 三人分の息遣い。床を慎重に踏みしめる重みのある足音。それらに混ざる異音がないか、僅かな危険の兆候がないか。神経を尖らせたヴラッドは、足元の僅かな違和感に視線だけを下へ向けた。

 

 それはクラヴィス、マディソンも同様だった。見れば、限りなく透明に近い液体が床に点々と散っている。つま先でそれを踏みしめ、ゆっくりと持ち上げる。粘性の水音は、それが粘りを帯びていることを示していた。

 

 どうすると、マディソンが視線だけで問いかける。ヴラッドは前方に迫りつつある地下研究室のドアを顎で示した。足元の粘液が何であれ、敵らしい姿をまだ目視していない。その気配もない。

 

 通路は至ってシンプルだった。十分な広さのそこは、突き当りの両開きドア以外に接続された部屋はない。天井に近い位置に設置された大型のダクト、白い床と壁。それ以外に語るもののない空間は、現状安全そのものだ。

 

 三人がお互いにうなずくと、ヴラッドは五指を揃えた手のひらで前進の指示を出した。彼らは可能な限り静かに、そして素早く前進した。

 

 両開きのドアに取り付くとドアの開閉範囲ギリギリで足を止め、はめ込まれたガラス窓から中を覗き込む。

 

 ドアには、銃弾の貫通痕と思われる小さな穴が複数見て取れた。クラヴィスとマディソンがそれぞれの位置から確認できる範囲で窓の向こうを確認し、親指を立てる。脅威不在、二人はそう言っているのだ。

 

 ヴラッドがフラッシュライトの光軸をドアノブへ向けると、彼らは片手でライフルを保持し、外側両開きのドアを引き開ける。

 

 ドアの向こうは、ウォーレンが言う通りそこで戦闘があったことをしめす破壊と混乱が散らばっていた。デスクがひっくり返り、割れたガラス容器となにかの液体が床に撒き散らされている。

 

 壁際に並んだ電子機器のいくつかは銃弾で粉砕され、空になった弾倉と空薬莢が、至近距離での乱戦の結末を示していた。

 

 しかし、問題はそこではない。ここで戦闘が発生したことは、すでにウォーレンから聞いている。それが事実であったことを目で確かめることに意味はない。

 

「どう思う」

 

 そこで、ヴラッドはようやく口を開いた。戦闘の痕跡、床に広がる薬液に混ざった血の痕。しかし敵の気配も、姿もない。

 

「不明。動きはない」

「こちらも同じく」

 

 マディソンが応え、クラヴィスが続く。こちらの声に反応するような気配もない。

 

 ヴラッドは数秒考えてから、侵入を命じるためにライトを数度明滅した。マディソンが構えたまま銃口を持ち上げ、クラヴィスがそれに応じるようにスプリングフィールドの筒先を目線の上へ持ち上げる。

 

 それを合図に二人は銃口を水平まで下ろし、研究室に踏み込むと同時に、左右に別れて屋内の死角へ目を走らせた。無声合図によって開始された侵入にヴラッドも続き、戸口をまたいで踏み込む。

 

 そこに脅威らしきものは何も見当たらなかった。ヴラッドらは油断なく銃口を巡らせ、あらゆる死角を確認し終えると、そう結論づけた。というより、そう判断するよりなかった。敵がいないことは事実だからだ。

 

「どうなってる」

「死体一つありゃしない。人間も、化け物も」

 

 ヴラッドの疑問に、クラヴィスが肩をすくめる。マディソンは弾切れのまま地面に転がったM4カービンの隣に膝をつくと、弾痕の位置と数を数えるように屋内を見回している。

 

「ジョエル、ヴラッドだ。研究室に到達」

『了解。状況は』

「敵性との接触なし。姿が見えない。ウォーレンに心当たりはないか聞いてくれ」

『了解、待て』

 

 無線を送りながら、ヴラッドはカービンを脇に抱えたままL字に折れた部屋の隅、奥の方に設置された大きな設備に目を向けた。

 

 分厚い樹脂素材の円柱容器。人が数人押し込めそうな直径のそれは、ウォーレンが言っていた保管容器だろう。

 

 何かしらの液薬に満たされたそれの中に、初めて見る化け物が浮かんでいる。ずんぐりとした身体から生えた細いが筋肉質な四肢は、ハンターβの系譜に近いように見える。しかし容器越しに観察する限り鱗はなく、顔周りはカエルによく似ていた。

 

 未知の敵ではあるが、アンブレレラが言うところのB.O.Wであることは間違いない。しかしどう見ても活性化しているとは思えなかった。

 

『ヴラッド、ジョエルだ。ウォーレンに心当たりはないと。保管容器の化け物は?』

「まだ容器内だ。ウォーレンが確認したのは全部で三匹。間違いないか」

『そのとおりだ』

「了解、まだ降りてくるな。まず設備の無事を確かめる」

 

 無線を切り上げると、ヴラッドはウォーレンから伝達された血清培養装置の配置を記したメモを取り出す。それはL字の部屋の奥、保管容器の隣に設置されていた。

 

「どうだ」

「銃弾は浴びていない。幸いなことに」

 

 その機械の前に立って外観を確かめると、ヴラッドはマディソンの問いかけに返しながら電源マークのプリントされたボタンを押し込む。

 

 中央に薬品容器を収めるスロットが三つ配置されたそれは、起動と同時に電子音を鳴らした。スロット台座の銀色の円盤がくるくると回転し、位置の零点調整を終えると、液晶モニターに準備完了、モードと数値設定のメニューが現れる。

 

「生きてる。運がいい」

「どうする、呼ぶか? 数値はウォーレンしか知らんのだろう?」

「まだだ。もう一回通路まで戻って捜索する。いたはずの化け物がどこに消えたのか、分からんままじゃ気味が悪い。クラヴィス、どうだ」

 

 ヴラッドは機械の無事に満足すると、実験室内の保管用冷蔵庫を覗き込んでいたクラヴィスに声をかけた。

 

 業務用冷蔵庫と同程度の非常に大柄なそれの中には、重要な薬品が保管されている。ウォーレンの記憶では、そこに一、二セット分の血清素材が保管されたままだそうだ。

 

「銃弾で電源がぶっ壊れてやがるが、まだ冷気は残ってる。行けるかもしれん」

「そうか……よし。一度エレベーターホールまで戻るぞ」

 

 了解と二人が応じた。

 

 ヴラッドはカービンを手にし、入り口まで引き返すマディソンの後ろに続く。

 

 そこでふと、足元の痕跡に目が行った。血を踏みつけた足跡だ。しかし靴底のパターンでも、人間の足の形でもない。

 

 足は大きく、指が長い。かすれてはいるが、それは爬虫類や両生類の手足のそれに見える。その足跡は壁のすぐ直前まで続き、そこでぷつりと途絶えていた。

 

 眉根を寄せ、ヴラッドは周囲を見回す。立ち止まったその気配に気づいたのか、マディソンがこちらを振り返り、何事か問おうとしてやめた。

 

 彼らは高度な訓練を受けた戦闘員だ。仲間が何か異変を察知していることは、いちいち問うまでもなく雰囲気で理解できる。マディソンが小さく口笛を吹き、それを受けたクラヴィスがライフルを腰に抱えたまま周囲の警戒を始める。

 

 ヴラッドはその間に、壁の前で途絶えた足跡の理由を考えた。まさか壁の中に消えたわけでもあるまい。しかし周囲を念入りに見回しても、どこかに飛び跳ねて着地したらしい痕はない。

 

 ではどこに。そこまで考えかけ、ヴラッドは敏感になった聴覚の拾い上げた、僅かな液体の滴る音にぞくりと背筋が凍るのを感じた。

 

 ウォーレンが言っていた。どこからか一体が侵入し、状況は破滅的になったと。

 

 エレベーターからここに至るまで、他に出入り口らしきものはなかった。唯一この空間に接続されているのは、大型の換気ダクトのみだ。

 

 指が安全装置を弾き、すぐ間近のダクトに銃口を向ける。

 

 それはまさにクラヴィスの真上だった。不自然に外れ、高い天井から垂れ下がったダクトの蓋。その影からゆったりと、粘液を滴らせながら姿を表したぬめる粘膜質な輪郭に、ヴラッドは引鉄を絞った。

 




 感想、評価等お待ちしています。
 執筆のやる気の源です。救急スプレーみたいなものですな。

 いつも読んでくださっている皆様、お付き合いいただきありがとうございます!
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