死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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 はい、今までの停滞が嘘かのような更新速度!!!
 内容がしっちゃかめっちゃかになってないと良いなと祈りながらシコシコ書いております。

 


銃、そして結果

 バーストのマズルフラシュが、蛍光灯に漂白された研究室に弾けた。

 

 燃焼に伴う橙色の発砲炎が散り、ダクトから吊り下がった蓋を貫いた銃弾が青黒くテラテラとぬめる影に突き刺さる。

 

 ヴラッドはそのままバーストを三セット、都合九発のライフル弾を叩き込んだ。リズミカルな発砲音が壁で跳ね返り、籠もった銃声が乱反射する。映画の派手な弾着の火花とは違い、銃弾を浴びたダクトは埃を撒き散らしただけで、あっけないほど小さな穴が連続して穿たれた。

 

 しかし、その中からいましもクラヴィスに飛びかかろうとしていた“敵性”の反応は劇的だった。

 

 粘液を滴らせる肉々しい表皮が身を捩り、ダクトを内側から押しのけると、金属板を引き裂く耳障りな音とともにダクトがひしゃげる。ぼこりと膨らんだそれの中から、低くきしむような、それでいて銃声の残響を押しつぶす大音量の咆哮が轟く。

 

 クラヴィスは、ヴラッドの射撃音に弾かれるようにしてその場から飛び退いていた。なりふり構わず地を蹴り、背中から後転した彼は直ちに膝立ちの姿勢を取ると、引き裂けたダクトから飛び降りた“敵性”にスプリングフィールドを指向する。

 

 つい数瞬前までクラヴィスが立っていた空間に降り立った“ソレ”は、ともすれば人間一人程度踏み潰して圧殺しかねない音ともに地を踏みしめた。ヴラッドはクラヴィスと自分との間に着地したそれの仔細を確かめるより先に、カービンを抱え込んで横に転がった。

 

「撃て!」

 

 ヴラッドは叫んだ。

 

 彼が横に飛び退いたのは、クラヴィスの射線を阻害しないためだ。訓練された射手は基礎の四原則を骨身に刻み込んでいる。標的の背後に何があるかまで気を配り、非破壊対象への付随被害を回避するのはそのうちの一つだ。

 

 どちらかが動かねば、クラヴィスもヴラッドも射撃を封じられる。

 

 そして、今最も威力のある火器を構えているのはクラヴィスだ。

 

 ヴラッドが飛び退くと同時に、腹に響く銃声が連なった。M4のそれよりもより大きく鋭い発砲音は耳を通じて脳髄を揺さぶり、その場にある全ての音響を蹴散らす。

 

 床を転がり、カービンを構え直したヴラッドがカービンを構えるまでの間に、“ソレ”はクラヴィスのスプリングフィールドの弾倉を丸っと一本分叩き込まれていた。合計二〇発のライフル弾は、過たず全て“ソレ”の胴部に集中している。

 

 至近ではあるが、不意打ちに対するカウンターであることを考えると、驚くべき技量だった。しかし“ソレ”はずんぐりとした血の吹き出す胴体をふらつかせ、おびただしい血を撒き散らしながら、それでもクラヴィスを獲物と定めたのか飛びかかろうと腰を落とした。

 

「ごっつい分頑丈だなこいつ!」

 

 クラヴィスが喚く。彼は弾倉留めのレバーを指で弾き飛ばし、新しい弾倉を差し込んだところだ。彼が後退して止まった槓桿(ハンドル)を前進させるより、“ソレ”の跳躍の方が早い。

 

 ボッコリと膨らんだ下腹部に、大きく丸みを帯びたカエルのような頭部。それに対して四肢は不釣り合いに細く見えるが、筋肉の隆起はその機動性を軽んじることを許さない。

 

 ヴラッドは瞬時に照準を跳躍に備えて曲げた膝部へと据えた。そのまま引鉄を絞り、関節部に射撃を集中させる。胴部がライフル弾の威力を減殺するとしても、骨格を内包し、なおかつ肉の薄い膝はそうも行くまい。

 

 ヴラッドのバーストが膝を撃ち抜き、カエルじみたそれは苛立たしげな悲鳴とともにバランスを崩す。

 

 血を撒き散らし、地面に倒れ込んだそれが、それでも立ち上がろうと手をばたつかせる。カエルの手そのものの指の長いそれが地面を捉え、吸い付くようにして身体を引きずろうとしたが、大きく開かれた口という弱点を、マディソンは見逃さなかった。

 

 怒りのままに唾液を滴らせ、耳に刺さる濁った大音量を撒き散らすその口。人間一人程度、あっさりと丸呑みしかねないその暗がりに、マディソンが至近から中折式擲弾銃(HK69)の狙いを定める。

 

 撃発。銃声よりもくぐもった小さな破裂音。ボズン、と間の抜けた音とともに吐き出された弾子(ペレット)はしかし、至近距離では必殺の破壊力を秘めている。それこそ、生身で被弾すれば人体は瞬時に引き裂かれ、生ぬるい大粒の粗挽き肉の完成だ。

 

 当然、それは相手が異形の化け物であっても変わらない。どれだけ頑丈であろうと、肉と骨で構成された生物である以上は。

 

 肉体の構成素材が瞬時に破砕される鈍く湿った音とともに、血肉が飛沫を散らす。それはヴラッドにとって見慣れた破壊の瞬間だった。砲弾、銃弾、爆発物。運動エネルギーを身にまとった金属塊を受けた肉体がどうなるかを、ここにいる三人はよく知っている。

 

「無力化を確認する」

 

 ヴラッドは言った。

 

 カービンの銃口を、人間で言う後頭部を弾けさせた“ソレ”に向けて二発。倒れ伏した身体がピクピクと痙攣したが、それだけだった。口腔にぶちまけられた弾子は文字通り進路上の全てを粉砕したらしい。

 

「どうだ」

「死んでる」

 

 マディソンの問いかけも、それに対するヴラッドの返答も簡素だった。二人ともその間も油断なく視線を周囲に走らせ、手にした火器の再装填を行う。

 

 マディソンが中折式擲弾銃の薬室を開放し、ヴラッドが半分以上を射耗した弾倉を右のポーチに押し込み新しいものをカービンに叩き込む。先に装填を終えたクラヴィスは、M14を抱えたまま天井から等間隔に生えたダクトを見つめていた。

 

 ダクトの幾つかは、外れた蓋が脱落防止のワイヤーでぶら下がっていた。まだ粘液が滴っているものもある。

 

 すなわち、ヴラッドらがこの部屋に侵入する直前まで、地面に転がるカエルもどきの仲間がそこを通路として利用していたのだ。

 

 マディソンが新たな四〇ミリカートリッジをねじ込んだ中折式擲弾銃を閉じると、給排気の唸り以外の音が絶えた。三人共、一言も発さず、身じろぎ一つせずに周囲の様子をうかがう。

 

 今しがた撃ち殺した一匹は、粘液の滴る水音以外の兆候を一切放つことなくダクトから姿を現した。半端な警戒の仕方では、危険を見落とすことになりかねない。そのヴラッドの判断は二名の戦闘員についても同様で、マディソンとクラヴィスは口を閉ざし、装具の音すら嫌ってじっと佇んでいる。

 

 それは上階で待機しているジョエルとフレデリックも同じだろう。短時間だが猛烈な射撃音は聞こえていたはずだが、戦闘が発生した場合でも先遣組の連絡を待つように手はずを決めている。

 

 それは当然、こういった状況でヴラッドらの背負う危険を削るためだ。もちろん、待機している二人は経験豊富な戦闘員であるから、最後の二発が死亡確認のものであることは察しているはずだった。

 

 音はない。気配もない。ヴラッドが最初の一発を放つまでと同じだ。

 

 なるほど、全滅するわけだとヴラッドはほんの僅かに鼻を鳴らした。自分が気づいたのは、あらゆる異変を無視しないある種の臆病と言うべき性分の賜物だ。クラヴィスが無事だったのは、ほとんど運が良かっただけと言っていい。

 

 蚊の羽音にしてもささやかに過ぎ、高すぎるかすかな音が耳の中に充満していた。耳鳴りがするほどの静寂の中、ヴラッドは視線だけを動かし、死にたての化け物に目を向ける。

 

 力なく転がり、血のにじみを刻々と広げていくそれは、シルエットこそハンターαやジットフェイス(ハンターβ)に似ていたが、細部は異なる部分が多い。

 

 人を丸っと飲み下しかねない大きな口はだらしなく開かれていたが、その奥に歯らしきものは見当たらない。また丸みを帯びたカエルのような顔に目は見当たらず、喉に当たる部分は大きく膨らんでいる。

 

 ハンターαとの一番の違いは手足で、水かきの発達した指先に爪はなく、吸い付きの良さそうな形状をしていた。実際、垂直に生えたダクトに出入りできると考えると、壁面に張り付く程度のことは可能と考えられた。

 

「一度エレベーターまで戻るぞ」

 

 数秒ほど考え込んでから、ヴラッドは言った。機器破損を回避したい都合上、この研究室での戦闘は避けるべきだ。それに、ヴラッドの真横の保管容器の中では、一匹の怪物が眠っている最中だった。

 

 銃撃で破損し、それが目覚めをもたらしでもしたら笑えない。

 

 ヴラッドの決定を耳にした二人の反応は首肯のみだ。頭上のダクトをクラヴィスが警戒する間に、ヴラッドはカービンを構え、ダクトから距離を取って壁際を進む。

 

 移動するとなれば、もはや物音を気にする意味もない。すでに銃声をたっぷりと轟かせている。ヴラッドは安全装置を掛け直したM4カービンのセレクターに親指を乗せたまま、足元に散らばる器具や血の痕を飛び越え、出入り口のドアへと向かう。

 

 背後で、再びダクトの薄い金属板がたわむ音が聞こえた。首だけで振り返ると、クラヴィスは後方に銃を向けたままこちらに追従している。その肩越しに、垂れ下がっている蓋がブラブラと揺れるのが見えた。

 

「急いで……」

 

 前へ向き直った瞬間、ヴラッドの口は続く言葉を紡ぎそこねたまま、呻きとも唸りともつかない小さな音を絞り出した。

 

 眼前に迫った両開きドアの覗き窓のすぐ向こう、ドアに顔を触れるほどの至近に暗青色のぬめりが佇んでいる。

 

 それはドアの前、廊下の真ん中に佇んだまま、大きな口を笑みの形に歪めてみせた。それはもちろん、ヴラッドの目にはそう見えたというだけの話だったが、少なくとも彼には、目の前に飛び込んできた獲物を前にほくそ笑む捕食者のそれに写った。

 

「二度と笑えなくしてやるよ」

 

 ヴラッドがとっさにカービンを据えて引鉄を絞るより、マディソンが罵る方が早かった。ヴラッドの腕の中でカービンが撃発され、リズミカルなバーストに従ってドアに風穴が開く。

 

 ピッチの高い貫通音。着弾の衝撃でドアが歪み、覗き窓がひび割れ耳障りな音を立てて崩れ落ちる。射撃を受け、容赦ない先制攻撃に憤怒の雄叫びを上げた化け物がドアを押しのけ飛び込んできたのと、ヴラッドの真隣に踏み込んだマディソンが擲弾銃を撃つのはほとんど同時だった。

 

 片腕を横薙ぎにしようと持ち上げ、ドアを押しのけたカエル頭に弾子(ペレット)が殺到する。至近距離から放たれた鉄の奔流は開きかけのドアもろとも化け物の頭部に突き刺さり、血しぶきと肉片を撒き散らした。

 

 しかし、口腔内への直射ほどの効果はない。大きくたたらを踏み、カエル頭がたじろぐ。無論無傷とはいかず、眼球らしきものの見当たらない頭部は大きく肉が削げ、大きな口は引き裂けて歪な輪郭を晒している。

 

 無力化には程遠い。当然だ。分厚い外皮に叩き込むのと、無防備な口腔に散弾を浴びせるのでは重要器官への威力伝達が違う。

 

 カエル頭は溢れ出る血液を撒き散らしながら頭を振り乱し、引き裂け歪んだ口唇をこれでもかというほどに大きく開く。鮮血混じりの唾液を撒き散らし、耳を引き裂かんばかりの絶叫が眼前で弾けた。

 

 が、ヴラッドはそれを意に介さず、ポーチから取り出した金属筒の安全ピンを引き抜いている。AN-M14/TH。焼夷手榴弾(サーメート)のレバーが弾け飛び、ヴラッドは怒りをあらわにする口腔の奥へとそれを放り込んだ。

 

 点火され燃焼まで秒読みのそれは、カエル頭の喉奥へと転がり落ちると、反射的な嚥下動作によって飲みくだされる。次の瞬間、それを飲み込んだカエル頭の腹の中で劇的な反応が生じた。

 

 金属酸化物とアルミニウムの混合物に点火されたそれは、瞬時に超高温の燃焼物に変化する。その燃焼温度はゆうに二〇〇〇度を上回るうえ、酸素を必要としない。消火のしようのないそれが腹の中で生じればどうなるか。

 

 いましも反撃に転じようとしたカエル頭は、体内で膨れ上がった熱量に身を捩り、床に転げると全身を痙攣させてのたうち回り始めた。

 

 ヴラッドはそれを無視した。すでに背後で、クラヴィスの罵りと銃声がとどろき始めている。そしていかに頑丈であろうと、肉と骨で構成される生物である以上、焼夷手榴弾の生む膨大な熱量に打ち勝つことは不可能だ。すでに無力化と同義だった。

 

 しかし、ヴラッドが左手の人差し指に引っかかった安全リングを投げ捨て、カービンを掴んで振り返る頃には、背後の戦闘もほとんど雌雄を決していた。

 

 クラヴィスが弾倉内の弾薬を惜しげもなく叩き込んだカエル頭は下半身を中心にずたずたに引き裂かれ、跳躍も叶わず地べたを転がる肉塊に成り下がっていたからだ。

 

 しかし、流石にそれで死ぬほどやわな敵でもない。人の頭を鷲掴みにできそうな大きな手のひらで濡れた床面をしっかりと捉え、カエル頭が腕力のみで横に跳ねる。止めとばかりに弾倉を入れ替えたクラヴィスの射撃は地面をえぐったのみだ。

 

 とはいえそれでどうこうなるものでもない。着地し、血の跡を地面にべったりと残しながら制動をかけたカエル頭を待ち受けていたのは、先に後方の支援に意識を戻したマディソンの射撃だった。

 

 バーストが容赦なく連鎖し、リズミカルに吐き出されるカービン弾がリノリウムの床にカエル頭を縫い付けようと殺到する。当然、横方向に流れる自身の慣性を殺そうと踏ん張っている最中に、それを躱す余力などあるはずもない。

 

「無駄弾使わせてくれるなよ」

 

 連続する弾着。腕から頭にかけてたっぷりの銃弾を受けたカエル頭はのたうち、それでもなお粉砕された腕を痙攣させ、大きく口を開ける。まるで今からでも呑み込んでやると言いたげなその威嚇はしかし、ダメ押しとばかりに叩き込まれた四〇ミリ散弾に粉砕された。

 

 バケツに貯めた水を手のひらで叩くような、それでいて粘りのある音とともに、最後のカエル頭の頭部が崩れ落ちた。もとい、打ち砕かれて原型を失う。

 

「オーケー、後詰めは」

「ない」

「無力化を確認しろ」

 

 マディソンは再装填が必要な擲弾銃をスリングに任せて脇に投げると、カービンを持ち上げて問いかけた。クラヴィスが応じ、ヴラッドが後を追うように命じる。

 

 ヴラッドは、先程口の中に焼夷手榴弾を投げ込んでやった一匹に銃口を向けた。マディソンが最後の一匹を粉砕する間に、腹の奥から身を焼く熱量によって焼き尽くされたそれは、もはや痙攣することもない。

 

 網膜に突き刺さる燃焼光がちらつき、カエル頭の身体を食い破った焼夷薬剤は床をも溶かそうとしている最中だった。

 

 ヴラッドは念のため、それに二発。動きはない。その間にクラヴィスとマディソンが頭部を粉砕された三体目に死亡確認の銃弾を叩き込んでいる。

 

「無力化」

「こちらも」

 

 事務的な報告を終えると、再び沈黙が降りた。

 

 音はない。戦闘の音を聞きつけると、B.O.Wはおしなべて獲物に食いかからんと寄ってくることを、ヴラッドらは知っている。

 

 しかし、その気配はない。

 

 彼らが安全化の判断を下したのは、一〇分ほどしてからのことだった。

 

 

 

 

 

「しかし、酷い有様だ」

 

 ウォーレンが言った。

 

 彼は血清生成装置の前に引っ張ってきた椅子に腰掛け、自由の利かない手足をだらりと垂らして研究室の惨状を眺めている。

 

「文句は受け付けないぞ」

 

 その隣に立ち、ウォーレンから言われた通り機器の数値設定を終えたジョエルが、必要な薬品と素材をセットしながら言った。

 

 ヴラッドはそれを聴きながら、最後に始末した三体目の遺体にラテックス手袋をはめた手を突っ込んでいる。体内はいまだ暖かく、生き物の持つじんわりとした熱が冷えた指先を温めた。

 

 心地よさには程遠い感覚だった。散弾で引き裂かれた内蔵を押しのけ、指先で中身を弄る。硬いものを探り当て、ヴラッドはそれをつまんで引っ張った。

 

 彼は、未知の化け物の遺体を相手に腑分けをしようとしているわけでも、研究のために体内を弄っているわけでもなかった。単に、死後の見聞でドックタグが腹からはみ出しているのを見つけたからだった。

 

 引っ張り出したものは、金属製の板切れだった。チェーンが繋がったそれは間違いなく識別札(ドックタグ)だ。血と体液でぬめるそれを指で拭い、文字を改める。

 

「誰のだ」

「アルファのディーツ」

「あいつか。いいやつだった」

 

 クラヴィスの問いかけに返し、ヴラッドはマディソンが横から差し出した金属トレーにそれを落とした。洗浄液で満たされたそれに、ドックタグが沈む。

 

 ヴラッドは再び手をカエル頭の体内に押し戻し、しばらく弄ると手を引き抜いた。見つかったのは二名分のタグと腕時計が二つだけだ。もう一人を飲んだのは、焼夷弾で焼かれたほうか、それとも最初に始末した一体か。

 

 どちらにせよ、いちいち腹をさばき直して探す気はない。ディーツともう一人の分は、目についたから拾い上げただけだ。この街にはすでに、誰に看取られることもなく死んだ仲間の、引き取るもののいない遺品が散らばっている。

 

「どうする」

「洗って、持ち帰る。もう一人の分は探さない」

「了解」

 

 ヴラッドは抜いた手からラッテクスを外した。それを放り投げ、クラヴィスが横から突き出した消毒液を手のひらで受ける。手首から指先までしっかりと洗うと、ヴラッドはノーメックスのグローブを嵌め直した。

 

「ジョエル、どうだ」

「機械は問題なく動いている。待つだけだ」

「了解。クラヴィス、フレッドを連れて地階に戻ってくれ。上の警備が必要だ」

「オーケー」

 

 ヴラッドが指示を出すと、クラヴィスは立ち上がりドアの警備に当たるフレデリックと通路へ消えていく。それを見送り、カービンを背中に回したヴラッドは、持ち込んだ背嚢(バックパック)から金属カップと水、コーヒー粉末を取り出した。

 

 バーナーを燃料缶につなぎ、水と粉末を入れたカップを火にかける。それが温まると、ヴラッドはそれを手にウォーレンの元へと向かった。

 

「俺もコーヒーを飲んでも?」

「ご自由に。用意は自分で頼む」

 

 機械を眺めながら問いかけたジョエルに、ヴラッドは頷いた。彼はひらりと手をふると、自分の分の用意を始めたマディソンの元へ向かう。

 

「私の分はあるのかい」

「こいつがそうだ」

 

 ヴラッドは言いながら、研究室の洗浄済み器具から引っ張り出したガラス容器にコーヒーを半分注いだ。

 

「どうも、ありがとう」

 

 ウォーレンが微笑んだ。顔色は、もはやほとんど土気色に近づきつつある。地下に降りる前までやかましく動いていた手足も、今ではピクリとも動かない。

 

「君らの戦友は」

「消化済みだった。タグが二つだけ見つかった」

「もうひとりは」

「探さない。全員の遺体を探せるわけじゃない。目についた分だけだ」

 

 慣れているねと、ウォーレンが目を細めた。その口元にカップを近づけてやると、彼が口をつける。ゆっくりと傾け、少しだけ飲ませてやる。

 

「仕事だからな。生き死には慣れてる。遺体を回収できなかったのは初めてじゃない」

「そうか。そうだろうね。君たちに取り、これは生活の一部かい」

「そこまでじゃないが、いちいち気にするほどでもない。俺も、こんな身の上になってからは遺体を拾ってほしいとも思わなくなった」

 

 ヴラッドは肩をすくめ、自分のコーヒーに口をつける。煙草を取り出して咥えると片手でライターの火をつけた。それをウォーレンに差し出し咥えさせると、もう一本を取り出す。

 

 隣では機械がせわしなく動き回っている。死にかけの冷蔵庫に保管されていた素材は使用に耐えうるとウォーレンが判断した。そしてそれはいま、機械の中で合成され、シャーロットを救うための血清に変化する最中だ。

 

 研究室に再び無音が満ちた。バーナーでコーヒーを温める音以外に、聞こえてくるものはない。ヴラッドは自分の煙草をゆっくりと楽しみ、根本まで吸ってから足元に落とす。ウォーレンの煙草もそこに加わった。ヴラッドはブーツでそれを踏みつけ、もみ消す。

 

「失礼な質問をしても」

「今更すぎるな。好きにしてくれ」

「初めて人を殺したのは?」

「パナマだ。俺はレンジャー連隊にいた」

 

 ヴラッドは答えた。答えながら、なぜだか無性に煙草が吸いたくなって、再びもう一本取り出す。穂先をウォーレンに向けて勧めたが、彼は首をゆるく横に降った。

 

「街路を制圧中に、幅広の車道を挟んで撃ち合いになった。横断中だった兵士がひとり撃たれて転がった。俺はそいつを撃ったやつを見ていた」

 

 ヴラッドは先を促される前に口を開き、ゆったりと記憶のページを捲りながら語りだした。ライターを擦り、火を穂先へ持っていく。点火し、吸い込む。煙が肺に満ち、ニコチンが脳みそを駆け巡る。

 

「俺は、待機していた窓からM16を構えて、敵が顔を出すのを待った。道路沿いでは味方がやたらめったら弾をばらまいて、倒れた兵士を助けようとしていたよ」

「それで」

「敵はすぐに顔を出した。バレてないと思ったんだろうな。銃を突き出し、のたうち回ってる兵士に銃を向けたところに、俺が撃ち込んだ。街路を制圧したあとで、そいつがいた建物を検索した。若い男だったよ。一八になるかどうかの少年だ。頭に一発。右目を貫いて、左後頭部から弾は抜けた」

「ありがとう」

「何が知りたい。人殺しの心理か」

「そこまで大したものじゃない。私が知りたいのは、殺人に対して折り合いがつくのかどうかだ」

「そんなものは人それぞれだ。女子供を殺して気にならないやつもいる。殺人犯を殺して病むやつもいる」

「君は?」

「敵であるなら殺す。そしてその行為の責任は上が負う。それそのものの結果は俺の所掌範囲だ」

 

 シンプルだねとウォーレンが笑った。ヴラッドは煙とともにため息を吐き出し、コーヒーをすべて飲み干した。

 

「誰かを殺したのか」

「うん、残念ながら。罪のない娘を殺してしまった」

「なぜ、と聞いても」

 

 ヴラッドの声音は、口調とは裏腹に悪びれないものだった。

 ウォーレンはそれを気にすることもなく、静かにうなずく。

 

「母親が発症してね。ストレッチャーに固定されて暴れる母親を、私は処置しようとした。そこにさせまいとした彼女が覆いかぶさって、ペンをナイフのように握って叫んだんだ。やめてと。そのまま彼女は母親の固定を外そうとした。母親の頭は、彼女の背中に隠れていた」

 

 ウォーレンはどこかを見ているようで、どこも見ていない、うつろな目で言葉を区切った。

 

「気づいたら、私は拳銃を撃っていた。処置用のリボルバーだ。彼女の胸に一発。即死だった」

「それに折り合いがつかない、と」

「残念なことに。放っておけば、母親は暴れ出して彼女も、周りにいた人間も食われただろう。でも、そうはならなかった。そうはならなかったはずなのに、もう生き残りは私だけだ。私は無意味に人を殺してしまった」

 

 よくある心理だなと、ヴラッドは思った。そうすることで、そのときに発生する被害を抑止できたとしても、その正当性を心の奥底から信じるのは難しい。他の手があったのではないかと考えてしまう。

 

 もちろん、その娘を母親から引き剥がして拘束する手はあっただろう。しかしその可能性の話はあまりにも難しい。特に、人を喰らう死者のそばでもみ合いなど、議論するべき内容として不適格だ。訓練された人間でも避けたい状況だった。

 

 とはいえ、それでも無辜の人間を殺すというのは納得しがたいことだろう。誰も彼もが死に絶えたこの状況で、その行為が人を救ったはずだと言いきることもまた、酷く難しい。

 

「一つ、私見を述べても?」

「なんだろうか」

「誰も彼もが、撃つべき時に躊躇(ためら)わなければ、この街はこうなっちゃいない。皆が皆、そのときに躊躇(ためら)った。だからみんな死んだ。無神経な言い方だが、俺はそう思う」

 

 ヴラッドはウォーレンの目を見た。感情の色のない目はしかし、自分の目の奥を見据えている。

 

「その娘に罪はなかったかもしれない。その娘は死ぬべきではなかったのかもしれない。だがね、ウォーレン。生き死にが懸かった状況で、感情が現実の危険を塗りつぶすのなら、待つのは死だけだ。俺がその状況なら、娘を撃っただろう。そのうえで、俺はその責任を負う。誰に責められようと、俺は撃つ」

 

 もちろん、ヴラッドなら射界を変えて発症した母親を狙っただろう。しかしそれは緊張下での最善を選ぶべく、訓練を重ねた人間だからとり得るものだ。そしてその考えもまた、話を聞いた上で状況を想像した上での結論でしかない。

 

 実際にその場にいれば、また違った判断をしたかもしれない。それこそ娘を撃ち殺さざるを得なかったかもしれないからこそ、ヴラッドは否定を口にしない。

 

 ヴラッドもウォーレンも互いの目から視線を離さなかった。二人はただ相手の目の奥、意志の灯火だけを宿した瞳を認めあった。

 

 ヴラッドが続く言葉を口にするまでのわずかの間、機械が最後の動作を終えて停止した。生成完了のアラートが鳴り、液晶にCOMPLETEDの文字が踊る。

 

「それが生き残るということだ。それが、銃を手にするってことだ。銃を右手に、左手に責任を握る以上、正しさは時として社会通念上の倫理から乖離する。誰にそしられようと、必要なことをした。それだけだ。たとえ誰も生き残らなかったとしても、それは別の話でしかない」

 




 感想、評価等お待ちしています。
 執筆のやる気の源です。全色混合ハーブ並みによく効きます。

 最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!
 また、いつも感想下さる皆様に多大なる感謝を。
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