死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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 はい、更新間隔2ヶ月かかりましたがどうにかしました。
 現在最新話に取り掛かっておりますのでお待ちくださいませ。


たとえ報いがなかろうと

「それを私に使うのは無駄だ。だから、置いて行ってくれ」

 

 ウォーレンがそれを口にしたのは、残っていた薬品をすべて使い、二本分の血清を確保して少ししてからのことだった。電源を復旧したエレベーターで地階の医師詰め所に後退し、必要な医療品の回収を確認し、撤収の用意をしているヴラッドに彼は静かに言った。

 

「血清が効果を発揮する段階をとうに超えている。私に使っても意味はない」

「試してもないのに分かるのか」

「試薬の段階で検討済みだよ。効果があることも、どこから効果を失うのかも」

 

 ヴラッドは、自分の背嚢に荷物を詰め込み終えると、ウォーレンに向き直った。

 

 ウォーレンは出会ったときと同じように、椅子に腰掛け、だらりと手足を垂らしている。すでに四肢は完全にその能力を喪失しており、今となっては首もやや垂れ気味だ。

 

 ヴラッドは背嚢を床に置き去りにして、ウォーレンに歩み寄った。隣にしゃがみ込み、ウォーレンに煙草を一本差し出す。彼はうつむいたまま、吸口を唇で銜え込んだ。

 

「わかっていただろう、君たちは」

「ああ」

「だろうね。そうでなくては困る。君たちはそうでなくてはね。こんなところで愕然とされては、私も安心できないものだから」

 

 ウォーレンが笑った。その笑みは物静かで、しかし刻々と増していく死の色を伴って壮絶な色を帯びていた。死を前にして、避け得ぬそれを見据えた人間の顔には、ある種の鬼気迫る迫力が宿るものだ。

 

「お前はそれでいいのか」

 

 ジョエルが訪ねた。彼は血清を収めたケースを肩から提げ、その蓋をきつく握りしめている。ウォーレンに現段階で投与しても効果はあるまい、とジョエル自身も結論づけていたが、それを飲み込むのは容易ではない。

 

 それはヴラッドも同じだった。心の何処かでは、あるいはもしかしたらという気持ちがあることを、ヴラッド自身も感じていた。そしてそれは、最終的に自分とは相容れないものであることも。

 

「いいも悪いもない。現実としてそうというだけだ。万に一つ、億に一つの可能性を信じる、というのは、人として理解できても、君たちは避けるべきだろう」

「お前の心情は」

「私にそれを使うのはやめてくれたまえ。そんなみっともないことは御免被る。君たちの手を煩わせたくない。それに、私が自分のしたことに納得を得るには、私は結末を受け入れるしかない」

 

 ウォーレンはきっぱりと答えた。煙草の穂先を器用に唇で揺らし、灰を落として首を傾ける。それを受けて、ジョエルは数秒の沈黙の後、わかったと頷いた。荷物の支度を終え、装具の不備を確認したクラヴィスとマディソンも、何を言うでもなくこちらを見ていた。

 

 フレデリックはマディソンから返却された擲弾銃を肩から提げると、外の警戒につくと言い残して部屋を立ち去る。戸口をくぐる間際、フレデリックがウォーレンに目礼を投げたのを、ヴラッドは見逃さなかった。

 

 ウォーレンがそれに笑みで返し、フレデリックに続いて荷詰めを終えたクラヴィスとマディソンも部屋を後にする。

 

 部屋に残された三人は暫しの間、口を開くこともなく黙り込んだ。ジョエルは回収した医療品のリストを防水シートに挟み込み、医療品の防水パックの口を閉じると、黙々と残りの作業に取り掛かり始めた

 

「ヴラッド」

「なんだ」

 

 口火を切ったのはウォーレンだった。

 

「君は言ったね。その後の結末に寄与しなかろうと、その時その瞬間の判断の合理は別の話であると。誰も生き残れなかったとしても、私があのとき、娘を撃った選択は必要たり得ると」

「ああ、言った。結果は手段を肯定しないが、必ずしも否定するものではない」

「ありがとう。君が言うのなら、きっとそうなんだろう。だからこそ、私はここで終わりだ」

「いいんだな」

「可能性に賭けるというのは、いい言葉とは限らない。とくに分の悪い賭けならね。たとえ、この街から誰も生きて出られなかったとしても、私は君たちに最善の選択を重ねてほしいと望んでいるよ」

 

 それがたとえ誰も救い得なかったとしても。そう続けたウォーレンは煙草を唇から取り落として噎せる。ヴラッドはその背をさすってやった。

 

「私はあの娘を撃った。それがその時、被害を抑えるためだと信じて。だから、私はここで私を切り捨てないといけない。どうもありがとう、ヴラッド。君は私にとって救いだ」

「俺は俺の考えを口にしただけだ」

「だからこそだ。それ以外に縋るものも無いものだから。君にとっては重荷かな」

「いいや」

「なら、済まないが許してほしい。君の言葉が正しいものであると信じなければ、やりきれない。みんな死んでしまったからね」

 

 ひゅー、ひゅーとウォーレンの気管支が悲鳴を上げていた。口の端から唾液が垂れ、唇は先刻よりもさらに紫色に変化しつつある。時間がない。彼の命はもう消えかけている。

 

「幾つか、わがままをいいだろうか」

「構わない。言ってみろ」

 

 呼吸を整え、喘鳴がはっきりと混ざり始めた声で、それでもウォーレンは絞り出すように言った。ヴラッドは背を擦る手を止めぬまま、もう動くことのないウォーレンの手を握った。

 

 感覚はまだ残っているのだろうか、ウォーレンがほんの微かに唇を笑みの形に歪める。

 

「シャーロットを、リアムを。この街から連れ出してほしい。それが叶えば私の最期にも、皆の最期にも意味があったと思える。最後に何かをなし得たとするなら、私にとってはそれだけだから」

「当たり前だ。俺はそのためにここにいる」

 

 君ならそう言うだろうねと、ウォーレンはうつむいた顔を持ち上げた。彼の目はすでに視力を失いつつあるようだった。目は濁り、焦点の合わない瞳がせわしなく動いている。

 

「もう一つ。デスクに医師名簿がある。それをもって行ってくれ。私たちの名前だ。血清まであと一歩で力尽きた仲間たちの名前だ。それを持ち出してほしい。忘れられるには惜しい、良い人々だった」

「分かった」

 

 ありがとうと、ウォーレンが囁いた。ほとんど末期の呼気に近い、弱々しいものだった。ヴラッドはウォーレンの手を握ったまま、ジョエルに目配せした。彼はデスクに散らばる書類からファイルに閉じられた名簿を引き抜くと、それを防水シートに押し込む。

 

「もう行くと良い。私は適当に繋いで、あとは放っておいてくれ。彼女は私の不手際で、死後に歩きだしてしまったからね。私もそうあるべきだろう。迷惑と思うなら、君に任せるよ」

「もういい、休め。ありがとう、ウォーレン」

「私はできることをしたつもりだ」

「ああ、それは俺が保証する。」

「本当かい」

「俺はそんなことで嘘をつかない」

 

 ヴラッドの声に、返事は帰ってこなかった。ウォーレンの呼吸が止まっていた。ヴラッドはウォーレンの手を離すと、薄く開いたその目を閉じてやる。そうかからず見開かれるだろう瞼を、それでも死者への敬意の証として。

 

「ヴラッド」

 

 ジョエルが、横から手錠を差し出した。途中、警官の遺体から拝借したものだ。それをウォーレンの手首にかけ、反対側をソファの手すりにつなぐ。

 

「各員、移動開始だ。行こう」

 

 ヴラッドは無線のボタンを押して言った。地面におろした背嚢を背負いあげ、ストラップを締める。部屋の外に出ていた三人が戻ってきた。各々、事切れたウォーレンに目を伏せ、外した帽子を胸に当て黙祷を捧げる。

 

 それが最後だった。ウォーレンが起き上がるのを待たず、ノーマッドは病院を後にした。

 

 

 

 

 

 病院から小隊本部陣地に戻ったとしても、それで終わりになるわけではない。

 

 時計塔での騒ぎは、ヘリの墜落から数時間を経過してなお活性死者を十分に引き付けてくれていた。おかげでヴラッドらは面倒に直面することなく帰投することができたわけだ。

 

 それが苦難の終わりを意味していればどれほど良かっただろうか、と。ヴラッドは内心に独りごちる。眼の前で、横たえられたシャーロットがアリッサの手によって血清を投与されていた。

 

 もちろん、これは一つの終わりだ。それも、肩の荷が下りる結節点であることは間違いない。しかし彼を取り巻いている状況は複雑で、一つが片付けば楽になれるほど生易しいものではなかった。

 

「その医師の言う通りなら、これでひとまず安心よ」

 

 アリッサが言った。ヴラッドは、感染の進行によって赤らんだシャーロットの額に浮かぶ汗をタオルで拭ってやる。隣では、泣きつかれたリアムがシャーロットのそばで丸まって寝ていた。アルヴィンはその傍らで座り込み、階段を警戒している。

 

「結果はいつ出る」

「持ち帰った資料が正確であれば、四時間前後で」

「そうか。ありがとう」

 

 ヴラッドはタオルをたたむと、下階からもってきた防寒着をリアムにかけてやった。そのまま立ち上がり、カービンを手にする。アルヴィンが顔を上げ、尻尾をゆるく揺らした。

 

「彼のもとへ?」

「ああ。ダニーが待ってる(・・・・)

「そうね」

 

 ヴラッドは振り返らずに答えた。雨に濡れた被服はすでに余り物の作業着に着替えていたが、身体は濡れたままの重さと冷たさを引きずっていた。

 

 わずかに身体が傾ぐ。それを気取られまいと足で踏ん張り、装具の重みがのしかかる身体を階段へ向けて踏み出す。それを見、それでなお口をつぐむアリッサの視線に気づかないふりをするのは、酷く苦労した。

 

 階段を固めていた隊員が敬礼を投げた。ヴラッドはそれに応じ、薄暗い階段を上階へ向かう。その先は最上階、感染した人間を隔離する空間だった。そしていま、そこに収容されているのはダニエル一人だけだ。他は全員死んだ。

 

「ヴラッドか」

「どうだ」

「聞くなよ」

 

 足音でこちらに気づいたらしいジョエルが肩越しに問いかけた。ヴラッドが返事を投げると、彼はゆるく頭を振る。

 

 意味はよくわかっている。ダニエルもすでに、投与が間に合わない段階だった。感染の進行は、事前投与された抑制剤をもってしても致命的なラインを踏み越えているのだ。それが、ジョエルとアリッサの出した結論だった。

 

「マイケルはどうだ」

「安定している。輸液のおかげだな」

 

 ヴラッドはジョエルの隣に腰を下ろすと、毛布をかけられたダニエルの顔を見た。すでに、彼の黒い肌は生気を失っている。

 

「ここを任せていいか。マイケルじいさんの様子を見てくる」

「分かった。俺が見ておく」

「まかせた。必要ならこれを使え」

 

 ジョエルは検診道具を片付けると立ち上がり、ヴラッドの肩にそっと手を置くと、鎮静剤の注入容器を床に残した。そのまま立ち去る足音を背中で聴きながら、ヴラッドはダニエルの気絶に近い寝顔を見つめていた。

 

 そうかからず、彼は発症する。首元の咬創からうねうねと伸びる黒い筋は、彼の顔の半分に達している。そうでなくとも、血の気を失った顔色は数時間前に見たウォーレンの死に顔のそれに近い。

 

「ヴラッド」

 

 どれほどの時間そうしていただろうか。気づけば、背後にハリソンが立っていた。声音はしゃがれ、疲労がありありと滲んでいる。ヴラッドは肩越しに振り返り、差し出されたコーヒーのカップを受け取った。

 

 指先がじんわりと熱を帯び、冷え切った身体に吸い込まれていく。金属製マグは熱いはずだったが、それを感じる神経が残っていないようだった。熱がある。それ以外のことはわからない。

 

「伍長は私が」

「いいえ、俺がやります。俺の指揮下で負傷しました」

「いいのか」

「俺にとって必要なことです。貴方でもそうするのでは?」

 

 ヴラッドは言った。

 

 隣に立ったハリソンは、何を言うでもなく煙草を咥えて火をつける。そのまま時間をかけて一本を吸い切ると、床に落とした吸い殻を踏みつけ、もみ消しながら頷いた。

 

「そうだな」

 

 二人の会話はそれきりだった。それ以上の言葉が必要とされる状況でもなかった。死にゆく部下を前に、饒舌に語るようなものを、二人共持ち合わせていない。彼らは経験豊富な戦闘員だったが、それでもなお、部下を失うに際して沈黙以外に差し出せる気遣いはない。

 

 ハリソンがヴラッドの背をそっと叩いて立ち去る。ヴラッドは言葉こそ無いものの、ハリソンに感謝した。一人きりのほうが、今は気楽だった。ジョエルもアリッサも、それを理解しているからこそ、ここには訪れない。

 

「軍曹」

 

 気づけば、ダニエルが目を開けていた。まだ視力を失っていないらしく、しばらくぼんやりと瞬きをした後に、ヴラッドの顔へ目を向ける。

 

「起きたか、ダニー」

「あの子は」

「血清が間に合った。次はお前の分だ」

 

 ヴラッドは言った。ジョエルが置いていった鎮静剤の注入器を手にし、ダニエルの腕を毛布の下から掴みだす。これを打てば、ダニエルはそのまま眠りに落ちるだろう。そのまま目覚めることはない。苦しみを長引かせずに済む。

 

「軍曹、いいんです」

 

 しかしそれは本当に正しいことだろうか。かつて自分が止めを刺した老人に思ったように、幾度目かの疑問が鎌首をもたげる。そしてその迷いを指摘するように、ダニエルが小さく言った。

 

「もう手遅れだ。そうでしょう」

 

 その声は問うというより、ただ目の前の事象を口にするような確信に満ちたものだった。迫りつつある雨雲を示すように、振り始めた雪を告げるように。淡々としていて、ゆらぎがない。

 

「どうした、いきなり」

「腹が減って仕方がない。妙なんです。どこも痛くないし、酷く寒い。自分のことですから」

 

 あの子が助かったなら、よかった。そうため息とともにこぼしたダニエルがヴラッドを見た。目の焦点を必死に合わせようと瞳が揺れている。

 

「軍曹」

「なんだ」

「寝るまで、話に付き合ってもらえますか」

「構わない。俺で良ければ」

「よかった」

 

 ダニエルが笑う。笑顔というより、ほとんど表情筋が引きつった結果の曖昧なものだった。ヴラッドは手にした注入器を床に下ろすと、潰れた煙草のパッケージを取り出し、吸口をダニエルに向けてやる。

 

 彼はそれを見、ほんの僅かに首を振って見せた。

 

 ヴラッドは煙草を咥えて穂先に火をつけた。ため息をのせて煙を吐き出す。その行く先に目を向けず、ヴラッドは呼吸に僅かな喘鳴が混ざり始めたダニエルに向き直った。

 

「部隊は、どうですか」

「どうにか小隊定数と縮小分隊一個は維持できている」

「よかった。弾薬は」

「今のところ不安になるほど逼迫しちゃいない。ガルシアの分隊が、ラクーン大学前に乗り捨てられたウチのトラックから弾薬を回収した」

 

 良かったと、心底安心した様子でダニエルが笑う。ウォーレンを看取ったときにも思ったことだが、自分の死が迫りつつある中で、他人の身を案ずるというのはどういう気持だろうか。

 

 無論、ヴラッドにしてもそういった経験が無いわけではない。しかし、それは戦闘の最中の刹那の思考の中で、だ。アドレナリンはすべての恐怖を遠ざけるものであるからして、刻々と迫る死をじっくりと噛みしめるものとは根底が違う。

 

 自分がそうなったとき、彼らのように振る舞えるだろうかと、ヴラッドは他愛もない雑談に応じながら思う。

 

 彼らが示した静かな覚悟が、ありふれたものだとは思えなかった。そうであったのなら、この街の惨状はもう少しだけマシだっただろう。ヴラッドは十二分すぎるほどの経験の結果として、自己の生命の危機を前に毅然と振る舞える人間が、どれだけ貴重であるかをよく理解している。

 

 少なくともヴラッドは、この拠点を抑えた日のチャベスの態度を覚えていた。

 

 過酷な訓練を突破し、精鋭に配属された人間であっても、その時に取り乱さない保証はない。そして自分がそうならないと自惚れられるほど、ヴラッドは自分を信用していなかった。

 

 ダニエルとの会話は、部隊や自分たちの置かれた状況を離れて、より他愛もないプライベートなものに移っていた。

 

 最後の休暇の思い出、部隊の定番の笑い話、演習地近くのダイナーの名物店主。それが生まれ育った街の話に移り、子供の時分の思い出や入隊の経緯から、現役の頃の輝かしい記憶へと流れていく。

 

 気づけば、ダニエルは自身がU.B.C.Sへ流れ着いた理由をとつとつと語りだしていた。

 

 パトロール中の待ち伏せ、拡大する被害。観測付きと思われる迫撃砲の正確な弾着の恐ろしさ。敵が正規の軍隊で無かろうと、知識と経験を持っていれば脅威度に変わりはない。結局、ダニエルは近隣の部隊に支援砲撃を要請した。

 

 問題は、それによって生じた被害だった。

 

 ダニエルが砲撃支援のための諸元に使用したのは、待ち伏せの初動で釘付けにされずに済んだ射撃班が偵察によってもたらしたものだった。無論、その数値自体は正確だ。

 

 しかし、発見した迫撃砲陣地の側に非武装の民間人が居るかどうかまでは確認していなかった。そしてその確認が、現場においては不可能に近いことを、彼は理解していた。近隣の村に据えられた迫撃砲陣地、その加害範囲の民間人の不在確認を、ダニエルは切り捨てたのだ。

 

 そうでなければ、部隊が全滅する恐れがあった。そして本来、下士官であり分隊長に過ぎないダニエルではなく、その判断は小隊長が行うべきだったが、若い士官は最初の攻撃で機関銃によって粉砕されていた。

 

 結果として、迫撃砲陣地の殲滅には成功した。近隣の基地に配置されていた155ミリは人と砲をまとめて吹き飛ばし、原型を留めぬガラクタか肉塊に変えたのだ。その周囲で、民家に隠れていた――すなわち、射撃班の偵察で発見できなかった――多数の民間人もろともに。

 

 そして彼はその結果と、それに対して下された処分を受け入れた。彼の選択は明確に禁止項目を踏み越え、その上で民間人を多数死に追いやったからだ。

 

 ダニエルとその部隊が置かれた状況は、早急な敵砲火力の無力化以外に生存の可能性のない過酷なものだった。そしてそれを実施するためには、民間人の有無の確認を行う時間も人員も存在しなかった。そしてよしんばそれを行えたとして、民間人が存在した場合、攻撃の許可は下りない。

 

 その上で、ダニエルは砲撃を要請した。民間人の確認が取れていないことを伏せて。そうしなければ生き残ることは不可能であると理解したからだ。

 

 それは自分が生き残るためだったのか、それとも部下を生き残らせるためだったのか。ダニエルは語らなかったが、ヴラッドにとってはどちらであっても、あるいはその両方が理由だったとしても同じことだった。

 

 状況に対する解決策と、それを阻む人命に対するリスクと規則の相反問題はどこにでも潜んでいて、その状況に陥ってしまえば死ぬか責任を負うかの二択だ。潔く部下もろとも死ぬか、被害を生んででもそれを回避するか。理不尽な二択に直面した経験は、ヴラッドにも覚えがあった。

 

 そこに答えはない。どちらであっても、その決定と結末は非難の対象足り得る。

 

「軍曹、まだそこに居ますか」

「どうした」

 

 身の上話を終え、しばらく黙り込んだダニエルが口を開いた。焦点の合わない目をあちこちへ向け、ヴラッドの声に安堵したのかゆっくりと肩の力を抜く。

 

 すでに彼の視力は失われている。ヴラッドはダニエルの汗ばむ手をブランケットの下から出すと、分厚い手のひらを握ってやった。

 

「少し、疲れました」

「休んでくれて構わない。警戒班は配置してある。安心して良い」

「よかった……起きたら、俺もローテに加えてください」

「無理することはない」

「体が軽くなってきました。もう大丈夫です。少し、少しだけ、眠いだけで」

 

 かすれた吐息を交えたダニーの声は弱々しい。彼の意識が濁り始めているのは明白だった。彼の言葉は空元気などではなく、本当に目が覚めれば部隊に復帰できると思っているのだろう。しかし、彼の言う体の軽さが近づきつつある死の気配であることは疑いようがない。

 

「分かった、伍長。明日の朝、起こしに来る。そこで復帰だ」

「ありがとうございます、軍曹」

 

 ダニエルが小さく笑う。握られた手をしっかりと握り返すと、彼は意識を失った。

 

「……そこに、いますか?」

「ここにいる」

 

 しばらくの沈黙。眠りというより気絶に近いそれから目覚めたダニエルに声を返す。かれはそれに安心したように、再び力を抜いて意識を落とす。

 

 それが何度か繰り返された。その間もじわじわとダニエルの血色は失われ、手足の神経が食いつぶされたのか奇妙な痙攣が混ざっていくのを、ヴラッドはただ見つめていた。

 

「……軍曹」

「どうした、ダニー」

「皆を頼みます」

「ああ」

「子供たちを連れて、必ず生き残ってください」

「約束する。それが俺の仕事だ」

「良かった」

 

 少し前まで絶え間なく痙攣していたダニエルの四肢は、今ではピクリとも動かなくなっている。すでに感染の進行は最終段階に至っていた。残っているのは、生命を司る神経系のみだ。

 

 そうかからず、呼吸も止まる。そんな状況にあって、彼は意識の混濁から抜け出したようだった。自分が置かれた状況に再び直面し、ぎこちなく力ない笑みを浮かべた彼は、それきり動かなくなった。

 

 日付変更時刻から程なく、ヴラッドはダニエルを“処置”した。

 

 

 

 

 

 当初の計画より作業進捗は大幅に遅れていた。

 

 それもこれも、地下鉄の路線区画が“ネイルフロッグ”の巣窟となりつつあったからだ。部隊に損害を出さず、退路を確保して四つん這いの化け物をすり抜けるのは簡単な仕事ではない。

 

 しかしマルコフはそれをやり遂げ、目的地での必要物資の回収を順調に終わらせた。

 

 施設全体に散らばる保安職員の遺体を一つずつ調べ、使える弾薬をカートリッジ一個に至るまで見逃さずに回収するのは、労力の割に見返りが少ない。そう思えばこそ気乗りしない任務だったが、彼の当初の予想とは裏腹にそれなり以上の弾薬の回収ができたのは幸運だった。

 

 それもこれも、保安職員らの抵抗が長時間に及ばなかったからだろう。せいぜい接敵から数十秒が限度で、肉薄されて殺されたに違いない。

 

 相手が飛び跳ねるカエルの化け物や、人体を一撃で粉砕する巨人であるのだから、それを無様とは思わなかった。自分にしても、事前知識と心構えなしに挑めば同じように殺されかねない相手だ。

 

 そうなれば、自分の弾薬と装備も誰かが拾っていくのだろう。であるからして、そこに不満はない。戦えなくなった人間の火器弾薬は、それを必要とする人間の手に渡るべきだ。

 

「弾薬の回収、終了しました。移動できます」

 

 かき集めた弾薬を詰めたボストンバッグを背負い直すと、チャベスが自分の分のバッグを背負って近寄ってくる。チャベスはヴラッドの分隊の人員だったが、ヴラッドがノーマッドを連れて出てからはマルコフのもとに配置されている。

 

 態度は悪く利己的だが、少なくとも生きるために必要な弾薬の回収に関しては熱心だった。最低限のしごとをするのであれば、マルコフはいちいち細かいことを言わないようにしている。

 

 そもそも、こんな状況で他人の命を気にかけ、責任という理不尽な重みにまっすぐ向き合える人間は多くない。そして、それができる人間は真人間であったとしても何かしらの破綻を抱えているものだ。それを疎ましいとは思わないが、下につける分には並の人間であるほうが扱いやすい。

 

 そしてそれは、上に付く人間にも言えることだ。少なくともチャベスにとり、必要だからと危険を迷いなく選び取るヴラッドの指揮下よりは、最終的には生存を優先するマルコフの下で働くほうが収まりが良い。マルコフにしてもヴラッドを上司とするのは骨が折れるだろうなと感じていた。

 

 その点で、ノーマッドに破綻がないのは、あそこに居る人間が根っからの戦闘員だからだろう。

 

「了解。休憩はあと五分で切り上げ、帰路につく。他に報告は?」

「弾薬、資機材爆薬、すべて十分です。五分、伝達します」

 

 チャベスの報告に、マルコフは鷹揚にうなずいてみせた。

 

 それを会話終了の合図と心得ているチャベスが、ちらりと視線を横に投げ、僅かに眉を寄せて立ち去る。

 

 その意味を問うまでもない。最後の休止地点である地下施設の物資搬入口、その出入り口である隔壁は酷い有様だったからだ。

 

 ヴラッドらがタイラントと交戦したことは、報告で受けている。しかしコンテナの直撃を受けて歪み開閉不能となったはずの隔壁には、大きな風穴が開いている。

 

 内側からひしゃげ、外に向かってめくれた最後の隔壁は、報告にはなかったものだ。当たり前の話だろう。隔壁の穴は、ヴラッドらが脱出したあとに開けられたものだからだ。

 

 マルコフがそこに確信を持っているのは、あるべきものが存在しなかったからだ。

 

 ヴラッドらが仕留めたはずのタイラントの遺体は、黒ずんだ大量の血痕を残して消え失せていた。

 




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