そう、私です。皆さんお久しぶりです。半年以上ぶりの配給だぞ!!
あと何話分かストックがあるのでまめに落とします落とせます。本年もよろしくお願いいたします。
嵐の前、離別の後で
『
ヴラッドは屋上を撫でるゆるい風を感じながら、耳にねじ込んだイヤホンから垂れ流される無線通信を聞き流した。一時間おきに繰り返されているらしいその放送は、同じ文言を三回読み上げ、沈黙する。
無線が示す内容は、簡潔かつ暗澹たるものだった。
つまり、ヴラッドが頼るべき特殊戦部隊は全滅した公算が高い。そう告げているのだ。通信傍受の可能性が示されている通り、情報を秘匿するべき状況であることは間違いないだろうが、通達以上の内容がないことはすなわち、現段階で一切打つ手なしであることを示していた。
どうしたものか、という思考すらもはや湧いてこない。
ヴラッドは背中に下げたカービンと身体を包む装具の重みがもたらす責任の自認識に支えられながら、黙々と作業を続けていた。
彼は今、死者の処理を行っているところだった。
この拠点に逃げ込んでから発症し、処理された民間人と僚友の遺体は今、近くの倉庫から持ち出された袋詰モルタルの上に集められている。
夕刻まで降り注いだ雨の残る屋上。その中央に近い一区画に敷き詰められたモルタルは雨水と反応し硬化が始まりつつあったが、これからの用途に影響はない。それらは、遺体を焼却処分する際の断熱材だった。
地上で遺体を火にくべれば、悪臭が小隊本部ビルを包み込むだろう。そうでなくとも、民間人や巡回の目に付く場所で遺体をそのように処理するのは、士気に多大な悪影響を与えることは想像に難くない。
別に、小隊本部は遺体の処理を隠そうと画策しているわけではない。腐敗が始まりつつあるそれを放置できないこと、焼却せざるを得ないことは周知済みだった。単に、目につくところで行われるか、そうでないかの差が無視できなかっただけだ。
そして、その仕事を引き受けたのは、ヴラッド他数名の戦闘員だった。ヴラッドは敷き詰め終えたモルタルの上に、ダニエルの遺体袋を運んでいる最中だった。持ち込まれた黒の遺体袋の持ち手はその一端をヴラッドが、もう片側をマディソンが掴んでいる。
中に収められたダニエルの遺体は、二人で運ぶのに苦労するほどの重みだった。それは、完全に脱力しきった遺体を運ぶのは思われているほど楽ではないとか、そういう理屈の話を抜きにして、気分の問題だった。
自分で処理した自分の部下をこれから燃やそうと言うのだ。
モルタルの中央に集められた遺体の小山に、ヴラッドはダニエルの遺体を静かに下ろした。ダニエルが最後の遺体だ。それまでに死亡した者たち同様、完全に黒の布地に包みこまれたそれから目をそらすと、ヴラッドは何も言わず、モルタルの外に集めた燃料缶へと足を向けた。
この燃料もまた、遺体の処理のためにかき集めたものだ。わざわざ一個班を送り出して燃料を回収する程度には、遺体の処理は大きな問題となっていたわけだ。実際、早い段階で発症した民間人の遺体は刻々と悪臭を増しつつあったから、当然といえば当然だろう。
仲間が危険を犯して回収したものに文句を言う気はないが、中身がたっぷり詰まった燃料缶を遺体にまんべんなく撒く作業の憂鬱さに思い至り、同じ作業に従事するマディソンへと目を向けた。
特に、意図があったわけではない。ただくだらない悪態と、現状にうんざりした気持ちを共有しておこうと思っただけだ。共感を求める女々しい行動だと自分を嗤い、しかし人とは疲れ果てればどうしてもそういう部分が出るのだと、自分を納得させながら顔を上げた先にはしかし、マディソンの姿はなかった。
代わりに、眼の前には白衣の女が立っている。
首を巡らせると、マディソンはヒラヒラと手を振り、屋上からビル内へ通じるドアへと消えるところだった。休憩だと言わんばかりのその態度に、あいつめなどとボヤくだけの気力もわかず、ヴラッドは持ち上げかけた燃料缶をその場に下ろす。
そこでようやく自分がいまどのような顔をしているかに思い至り、卑屈をにじませた歪んだ笑みを引っ込めた。
「何があった」
「私が顔を出すことがトラブルと紐づけられているのなら、心外ね」
アリッサは取り繕うようなヴラッドの問いにあっけらかんとした態度でそれだけを返すと、両手に持った保温マグの片方を差し出した。
「ああ……済まない。気を使わせたか」
「あなたが休むことに文句を言う人間はいないわ。そのうえでまだ働くというのなら、私としても言うことはないけれど」
「いや、休ませてもらう。ありがとう」
ヴラッドはそれだけをどうにか口にすると、無精髭が生えつつある顎を撫でるふりをして、自分の口元に歪な笑みが張り付いていないかを確かめた。
「そんな顔もするのね」
「意外か」
しかし、そんなものはお見通しだとばかりにそっと投げられた言葉に、ヴラッドはバツの悪い顔を向けるよりない。眉根を下げ、顎にやった手で雨水の染み込んだ髪をなでつけた。
「いいえ。ただ、人並みなところがあるのはいいことよ。あなたはいつも、兵士の顔をしているから」
「そんなに四六時中しかめっ面かね、俺は」
「そういうわけではないけれど。ただいつも、危険を探す目をしている、ということよ」
それが仕事だからなと、そう口にしかけた言葉をヴラッドは飲み込んだ。今は緊張の線を緩めろと、そうアリッサに諭されていることに気づいたからだ。肩の力を抜き、空を仰ぐ。頭上はあいも変わらず雲が垂れ込め、地上の僅かな灯りを受け止めて曖昧に過ぎる濃淡を漂わせていた。
しかし、無意識のうちに張り詰めていたものが、僅かではあっても緩んだのは間違いない。思えば、肩肘張らずにただ空を見上げたのも、ラクーンに送り込まれて以来初めてのことだった。
戦闘員の目は、あらゆる情報を拾うために用いられる。
足元の障害物、死を招く兆候、変化する気象の行く先。それらに頓着することなく、ヴラッドは数秒ほどただ微妙なグラデーションの散らばる暗雲を見つめていた。ふと、湿った雨の匂いを鼻腔が拾い上げた。
「また一雨来そうだ。歩哨連中に雨衣の手配をしないと」
「ため息だわ。四六時中その調子だと、あなたの部下も苦労するでしょうね。上司がオンオフを切り分けられないのは、下にとって悲劇よ」
「気を抜いて死なせるよりはいい、ってのは屁理屈か?」
「自覚があるなら、それは自分で活かして頂戴」
突っぱねると言うには柔らかく、しかし甘さを感じるにはにべもない、素っ気なさと気楽さの混ざった声音だった。手痛い指摘だなと、ヴラッドは口端にようやくまともな笑みを浮かべ、積み上げた遺体袋のそばを離れる。
異性を相手にリラックスするには、死体の隣というのはいささか現実の匂いが強すぎたからだ。一八で軍に入り、今日この日まで一一年と少し。青春時代はともかくとして、軍人としての経歴を歩みだしてから素人の一般人女性というのは疎遠であったから、なおさらだった。
自分を取り巻く状況、それを思い起こさせるもののそばにいるだけで、意識が仕事に逃げ込もうとするのが、自分でも嫌というほどよく分かる。
ヴラッドは屋上の隅から生えた換気ダクトに腰掛けた。何も言わず、遠くに薄らと見えるラクーン山脈を眺めながらあとに続いたアリッサも、僅かに間を開けて隣に腰を下ろす。
両膝に肘をつき、さて何の話をしたものかと思考を巡らせたものの、浮かんでくる話題はこの街でのことばかりだ。見たもの、聞いたものは愚か、嗅覚すら死の気配に塗りつぶされた記憶たち。それをどうにか抜け出し、ラクーンに降り立つ以前の自分に向き合ったとて、思い出されるのは結局誰かの最後と血の色だけ。
その中に埋もれた真っ当に人並な記憶を求め眉根を寄せた横顔を見かねたか、アリッサが口を開いた。
「べつに、気の利いた話をしろ、なんて言わないわ。言葉が出ない時、話をしたくない時、私だって身に覚えがないとは言わない」
「そう言ってもらえれば気は楽だよ。俺はどうにも、今自分の職掌範囲のこと以外に意識が向きようもないらしい」
「そう。なら、その話をすればいい。私はそれを拒んだ覚えはない。ちがうかしら」
そちらのおっしゃるとおり、と。ヴラッドは頷いた。
少し考えてから、脇腹に収まった無線に手を伸ばし、周波数を分隊内に切り替え直す。とっくに司令部からの通信は途絶えていた。次は一時間後だろう。
「投入された米軍部隊はおそらく全滅した。俺達の救助も、今のところ白紙だ」
背後を振り返り、閉じたきりの屋上ドアを確認すると、ヴラッドは静かに口を開いた。ほとんどささやくような、しかしはっきりとした声だった。
「そう。残念ね」
「ああ、残念だ。きっと、俺の仲間も参加していただろう」
”
高階層戦闘員の世界は思われているよりよほど狭い。ヴラッドは、その中にかつて肩を並べた僚友の誰かしらが含まれているだろうと確信していた。
「それで。どうするのかしら」
「どうもこうもない。自力で脱出の手立てをさがす。あるいは、部隊を捜索し生存者と合流する」
ヴラッドは言いながら、後者の可能性の薄さと、それを口にせずにはいられなかった自身の青臭さを噛み締めた。しかし、それを恥じる気だけはなかったが。戦友とはそういうものだった。そして、彼は同じ階層――すなわち、最上位の特殊戦部隊――の作戦人員の能力にある種の信仰を持っていた。
無傷とは言わないまでも、生存し活動を続けていると信じるのは、職業上の病と言っていい。
もちろん、ただ裏付けのない願望というわけでもない。実際にヴラッドはまだ生存し、小隊も行動を続けている。そうでなくとも、かつて墜落したヘリのパイロットを救出したとき、ヴラッドは絶望的状況で生き残った。そして、仲間はそれを信じて捜索を継続した。
「それで」
「悪いが、俺は市民の、特に子どもたちの脱出を優先する」
先を促したアリッサに、ヴラッドは答えた。
マグに口をつけ、コーヒーを口に含む。やや薄く淹れたらしい苦みを舌の上で転がし、舌の根に絡みつく安物の刺激を堪能してから、ヴラッドは再び口を開いた。
「君だけでも先に逃がせないかと思ったが、その余裕はない」
「あたりまえね」
「俺一人の限度がそこだ。すまない」
「いいえ、その話ではないわ。子どもたちを、戦えない人間を優先する。あたりまえよ」
「思い切りがいいな」
「あなたほどじゃない。それに、私には責任がある。あなたと同じように。そしてあなた以上に」
きっぱりと言いきったアリッサを横目に、ヴラッドは何か返す言葉を探すように、沈黙した街並みに目を眇めた。
かつては一〇万人の生活を内包していた市街は、今ではその一〇万の非業を抱えて静まり返っている。これが自分の責任であると、ためらわず言い切るだけの胆力を持つ女にとり、自分の命の優先順位など些末ということだろうか。
そこまで考えて、ヴラッドは小さく笑った。それは自分の行動原理と同じ根を持つものであることに気づいたからだった。
星条旗に宣誓した戦闘員である以上、自身の命は職責を全うするために消費すると決めた身だ。アリッサの言わんとするところは、すなわちそれと同じだった。誰かが定めた規範と理屈、それによって定義される責任ではない、自分が自分であるために必要だからこそ、それを果たさなければならない。
「ハラが決まってる女はいい女だ」
「あら、口説き文句かしら」
「親父のね。昔、よく言ってたのを思い出した」
片眉をゆるく持ち上げたアリッサに、ヴラッドは苦笑とともに返した。
振り返るたび、父親の輪郭は徐々に薄れ曖昧になりつつあるが、それでもその言葉のいくつかははっきりと覚えていた。無論くだらないものも過分に含まれているし、今回はどちらかといえばその類だが。
「ずいぶんとユニークな
「どうかな。人並みだったように思うが。
「長らく家には帰っていないのかしら」
「もう数年開けっ放しだ。親父が死んでから俺も軍に入って、帰る暇がね」
管理と清掃は知り合いに任せてあるが、と続けたヴラッドは、ほんの僅かにアリッサが眉を下げたのに気付いた。おそらくは、ほとんどの人間が見逃すだろう僅かな動きだが、ヴラッドはそれを見逃さなかった。
「ごめんなさい、変なことを聞いたわね」
「ああ……、いや、いいんだ。一〇年も昔の話だから。それにまあ、親父は喜ぶだろうね。俺が身の上話を女性にするなんて、親父からすれば天変地異だ」
ヴラッドがからからと笑うと、アリッサは呆れの混じった眼差しをそれに向けた。
「驚いた。そういうのと無縁なのね、あなた」
「仕事で一年中あっちにとんでこっちに飛んで。そんな仕事で女に縁はないよ。親父の受け売りだが、地に足ついてない男に女は持て余すと」
「なかなか示唆的な言葉だわ。よほど尊敬しているのね、その分だと」
かすかな羨望をにじませた声だった。ヴラッドはマグを揺らし、コーヒーを呷ると頷いた。
「ああ、してる。親父は最期まで正しい事をしようとした。誇りに思うよ。結果がどうであれ」
「なぜ、と聞いてもいいのかしら」
「むしろ、聞いてほしいと思ってる。なんでかは知らないが」
主語を省いたアリッサの言葉だったが、ヴラッドはその意味するところをしっかりと汲み取っていた。なら聞かせてちょうだい、と柔らかな声が続き、ヴラッドは頷いた。頷きながら、なぜ自分はアリッサに父親の話を聞いてほしいなどと思ったのかを考えた。
もちろん、理由など分かるわけもない。自分の何処かに眠る、無意識の欲求のせいだろう。ただ一つあるとするならば、自分がこの街から出られるとは思えないからだろう。根拠はないが、それは確信に近いものだった。手持ちのリソースと自分の能力、それに対して果たすべき責任と任務を秤に乗せたうえで、ヴラッドはそう考えた。
自分は死ぬのだろうと漠然と意識した時、自分がどんな人間だったか、どんな生き方をしてきたかを誰かに知って欲しくなる。そういう欲求があるのだと、そう教えたのは父親だった。
そこでヴラッドは初めて、自分が覚悟を決めたことを自覚した。もちろん今までも、死ぬ可能性が高い選択肢を必要にかられて選んだことは何度もあった。しかし、それはその先に僅かでも活路があると信じたからだ。
そしてそれは、極めて刹那的な判断、あるいは短期的な可能性を見据えての行動だった。タイラントの胸元へ飛び込んだときがまさにそうだ。死の恐怖を、アドレナリンと闘争心で塗りつぶし、その瞬間に死という可能性を飲み込んだだけだ。
いま、ヴラッドの中にあるものは違った。
他の人間にとってどうかは彼の預かり知るところではないが、死とはその存在が曖昧であればあるほど恐ろしいものだと言うのが彼の考えだった。眼前から飛びかかってくる死は、避けようがない。それを真の意味で呑み込み切る前に、結末がすべてを押しつぶしてしまう。
混乱と当惑の中でそれに向き合うのは、寝起きの鈍った頭で親からの小言を受けるようなものだ。その意味に思い当たることはない。
一方、確実に迫りつつある死を認識し、それを見据えるのは途方もない恐怖を伴う。自分にあり得たはずの未来、取りこぼしてきた、いつかは手にしたいと強く願う可能性の欠片たち、自分の積み上げてきたこれまでの人生。それらを思い返すだけの時間が手元にあり、それでいて死が迫るのは途方もなく恐ろしい。
「親父は薬物中毒の若造に滅多刺しにされて死んだ。地元のダイナーで、女に馬乗りになってタコ殴りにしているのを止めようとして殺された」
そして、その恐ろしさはウォーレンやダニエル、そしてヴラッドが手にかけたベリヤが感じ取ったものだと、ヴラッドは理解していた。
それを前にして毅然と振る舞った者、狂った者。自分はどちらになるかなと、益体もない事を考えながら父親の顛末を話し始めたヴラッドは、奇妙に凪いでいる自身の心中に苦笑をこぼす。
「俺が呼び出されて現場に駆けつけた時、親父は一二箇所を刺されてくたばったあとだった。親父を刺した
「その後は」
「爺さんが俺の面倒を見た。と言っても、五年と経たずにガンで逝っちまったけどね。俺が空挺学校を卒業した直後だった。爺さんは俺が空挺資格を得たと知って喜んでくれた。親父も爺さんも空挺経験者だったから」
「そう。ならきっと、あなたの父親も喜んでいるかしらね」
「そう願う」
そっちは、とヴラッドはアリッサに問いかけた。
別段、なにか思惑があってのことではない。単に、自分の身の上話から繋げられそうな話題がそれしか思い浮かばなかっただけだ。
無論、普段ならそんな話題は避けただろう。お互いの人生について掘り下げた話をするにはまだ付き合いが浅く、そしてアリッサの雰囲気に家族の気配を感じたことはない。
「いないも同然よ。今も昔も円満には程遠いし、血の繋がりもない。もう連絡すらしていないわ」
だからこそ、帰ってきた言葉に驚くことはしなかった。自分で問いかけながら結果が予想できてしまったせいで悪びれる素振りすらままならず、ヴラッドは済まないとだけ一言添えた。
「気にしないでちょうだい。特になんの思い入れもないものだから。むしろ、気を使わせた方が申し訳ないくらい」
「やめとけよ。単純にデリカシーがなかった。もともと俺はその辺、貧相な感性しか持っちゃいないが」
それに、自分から語り始めてじゃあ貴女もなんて下手くそなナンパ師のやり口だ。ヴラッドはそう笑って続けた。
「搦め手は性に合わないということかしら」
「そんなところ」
「嫌いじゃないわ、そういうの。硬派なのね」
シワが刻まれるにはまだ若々しいアリッサの眼尻が僅かに垂れ、目が微笑みとともに眇められた。
「そっちは不得手ってだけ」
「あら、意外と奥手なのかしら」
「ガールフレンドの一人もいたことはないよ」
ヴラッドは言った。コーヒーはすでにぬるくなり、半分ほどに目減りしている。その水面を見下ろし、言ってから恥をさらしただろうかと思考を巡らせ、隣を見やった。
「そう。ならデートは」
「ないない。高校の頃は本の虫。卒業したら訓練、選抜、実戦配置だ」
「ずいぶんとストイックだこと」
「振り返るとね、確かにどうしてそんなに頑なだったんだろうかと今になって思う。もう少し遊んでも良かったかもしれない。そうしたら、俺はここにはいなかったかもしれないが」
その程度で、貴方が一級の戦闘員から外れるとは思えないけれど、と。隣で発された言葉はある種の敬意の響きを伴っていた。ヴラッドは苦笑をこぼし、ゆるく頭を振った。
「どうにかこうにか喰らいついて今がある。遊んでたら、俺はきっと平凡な兵隊だっただろう。実際のところ、才能はないんじゃないかと思ってる」
「他の皆の前では言わないことね」
「言わないよ。よそからどう見えているかは知ってる」
「客観的評価を知っていて、その上で才がないと自認するのはある種の傲慢さ、嫌味に等しいもの」
「わかってるさ。俺の心の中の自己評価、オーケー?」
利口で安心したわと、アリッサがため息を吐いた。ヴラッドはそれを横目にカラカラと快活に笑うと、懐から煙草を取り出した。ソフトパッケージはすでに汗と雨で形崩れを始めている。
それでも中身が無事なのは、防水を兼ねて巻いたラップと一緒にねじ込んだコンパスのおかげだった。手首のスナップで一本振り出しフィルターを銜えると、もう一本の吸口を露出させ、アリッサへと差し出した。差し出しながら、非喫煙者だったら不躾だなと今更の反省を噛みしめる。それすら、この短時間で何度繰り返しただろうか。
疲れているなと、そう考える間にアリッサの白くほっそりとした指がそれをつまみ上げた。
「吸うのか」
「何事も試してみて悪いことはないわ」
それは確かに、とヴラッドは頷いた。頷いてから、つまり彼女は煙草を吸わないのだなと思い至る。フィルターを噛むように銜え、穂先を揺らす横顔は妙に様になっていた。
気の強い女は煙草が似合うとは、かつて父親が言っていたことだが、なるほどなと今更の納得にヴラッドは目を眇めた。
「それで、どこに行くかは貴方に任せるわ」
「なんだって?」
「デートの話よ。楽しい会話はカフェテリアで、そうでしょう」
まさか自分の言葉を忘れたわけじゃないでしょうねと、からかうように切れ長の眼差しが細められた。確かに、地下施設で二人きりになったとき、そんな話をした覚えがあった。
「驚いた。本気?」
「貴方が雑に粉をかけたつもりだったのなら、別に構わないけれど」
「それ、俺がどっちの答えだったとしても小っ恥ずかしいと思うんだが」
「私は貴方の恥より真意が知りたいところね」
にべもない、思わずヴラッドは笑った。肩を震わせ、片手でポケットを弄ってジッポライターを取り出す。
「乗ってくれるなら、俺は大いに本気だよ」
「そう。なら任せるわ。気張る必要はないけれど。ダイナーでもただのドライブでも」
そのためにも、ここを生きて出ないと行けないわねと。そう続けられた言葉とともに向けられた眼差しに、ヴラッドは射すくめられた。まるで、死の予感を呑み込んだことを咎めるかのように、アリッサはヴラッドの目の奥を見つめていた。
見透かされたのかと、うろたえるようなことはしない。そうであったのなら慌てるだけ無意味だからだ。ただヴラッドは、そうだなと静かに頷いた。
「シャーロットとリアムを連れて、どうにか出ないとな」
「そうよ。途方もない道のりになるでしょうけれど。……サブジェクトも、蘇ったそうだから」
アリッサの言葉は、最後の方はほとんどささやくようだった。
「気がかりか」
「とてつもない脅威だもの」
「そういう意味じゃない。君は、あいつがまだ人間だった頃を知っているだろう。マクダネルのレポートは読んだ」
「……哀れとは思うわ。ああなってまで、自分の主人に対して忠実であろうとするのだから」
そうかとヴラッドは曖昧な返事を投げた。ジッポで火をつけ、肺いっぱいに煙を吸い込む。それをゆっくりと吐き出す傍ら、ヴラッドはアリッサへライターを差し向けた。
「一つ、頼まれてくれるかしら」
「なんだろうか」
アリッサは煙草を銜えたまま、ゆるく頭を振って火を断った。
ヴラッドはスナップでジッポを閉じると、それを握り込んで首を傾げる。
「無理にとは言わない。でも、機会があるのなら、サブジェクトを殺してちょうだい」
「脅威だから、というわけではなさそうだ」
「ええ。単に、獣に憐憫をかけているだけ。あなた達の命を無駄に危険に晒す必要はない」
「理由を聞いても」
「“彼”は執拗に“戦闘員”と“ハンター”を狙うわ。施設のカメラで見ている間、特にその二種類に対してだけは偏執的なまでのこだわりを見せた」
ヴラッドは無言を持って先を促した。口端から煙を追い出し、残ったコーヒーを飲み干す。舌に残った煙草の渋みと混ざって、苦み以外に感じるものはない。
「前者は、マクダネルを殺したから。後者は、彼にとって数少ない身近な者を殺したから。私の同僚よ。ハンターに首を落とされた。私が保安室のカメラを復旧したとき、サブジェクトは、レイラの亡骸の前に膝をついてうずくまっていた」
「あいつにそういった、自我とやらが残っているとして、俺は驚かない」
ヴラッドは言った。脳裏には、地下での決着の直前、一瞬だけ覗き込んだサブジェクトの瞳の奥がちらついていた。明確な感情の噴出。怒りと形容するよりない激しい情動の色。
「意外ね」
「俺はあいつの目を覚えてる。自分が見たもの、感じたことは信用しないとな」
別に俺は構わないよとヴラッドは笑った。どうあっても、敵として正対したのならば撃破するか離隔するかの二択となる。そして常に離隔できるとは限らない。必要であれば、次こそは完全撃破を目指すべき時があるだろうとヴラッドは考えていた。
そして、マルコフらがサブジェクトの再活性を報告してきた時点で、ヴラッドはいつ再び接触することになってもおかしくないと考えている。今この瞬間、どこからかあの地響きに似た足音が破砕音を引き連れてきたとして、驚きはない。
だからこその、生還に対する諦めに近い感情があるわけだが。
「ありがとう。それでも忘れないことね。まずは、生きて出ること。それ以外はすべておまけ」
「俺がやるべきことをやりきった後で、それを考えるとするよ」
アリッサは僅かな沈黙の後、貴方はそういう男ねと笑った。そのまま、銜えていた煙草を指に挟むと、こちらに突き返す。
「また今度にするわ。出たらもう一度もらえるかしら。いま吸うと、後で困りそうだから」
「もちろん。それがいいな。初めての煙草はいいものじゃない」
ヴラッドはフィルターに噛み跡の残るそれを受け取った。そのまま箱に戻し、肩を竦める。アリッサはそれを見送ると立ち上がり、自分のコーヒーを飲み干した。
「戻るわ。貴方は?」
「火をつけて、番をする」
「そう。それが終わったら休みなさい。不休で戦える人間はいない。そうでしょう」
そうだなとヴラッドは頷いた。アリッサは満足げに微笑むと、手をひらりと振って階段へと立ち去る。
ヴラッドはそれを見送ると、自分の煙草を地面に落としてもみ消した。そのまま燃料缶を掴み上げると、積み上げた遺体の山へとそれをかける。タイミングを見計らったように――実際に待っていたのだろうが――マディソンが戻ってくると、二人は黙々と作業に取り掛かった。
燃料をかけ、断熱下地からの漏れ出しがないことを確認してから火を付けるだけの作業だ。
「点けるぞ」
「ああ」
それだけが、二人が交わした唯一の言葉だった。マディソンがマッチを擦り、燃料をまぶされた遺体袋の山へと投げつける。着火したそばから瞬く間に火の手が大きくなり、積み上げられた遺体を呑み込んだ。
「俺達の死体はこうはしてもらえんだろうな」
「縁起でもない」
マディソンが言い、ヴラッドは笑った。実際のところ、同じことを考えていた。おそらくこのラクーンで戦死したU.B.C.S隊員らの中で、理由はどうあれ遺体の処理をしてもらえるのは、ここに積まれたダニエルたちだけだろう。
そして、ここに来てヴラッドは、マディソンも自分と同じ心境に達しているのだと理解した。当たり前だろう。人員割振りと能力から考えて、最も危険な状況に当たるのはノーマッドの人員である可能性が高い。
「いいさ、死んだら野ざらしで。皆そうだから」
「そうだな。それに、こんな稼業だ」
それきり、沈黙が降りる。
ヴラッドの耳が接近するヘリの僅かなローター音を拾い上げたのは、遺体が炎に飲み込まれてからのことだった。
評価、感想等お待ちしています。
執筆の原動力となりますので、何卒何卒。