死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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 ストックがあると投げたくなる、そんな気持ちありませんか?
 私にはあります。我慢が利かないのである。


火蓋

『ナイトホークからストリクス各機、基本計画A号(ベースプラン・アルファ)は放棄。繰り返す。ナイトホークは第一降下点を放棄する』

 

 アンブレラが保有するUH-60ブラックホークの機内有線につながったヘッドセットが、“ナイトホーク”――すなわち、このブラックホークのパイロットの声を発した。

 

 ベルナルド・ヤンセンは閉じていた目を開け、銃口を股に挟み込み、抱え込むように体から提げたH&K製短縮小銃(カービン)を撫でた。対面に座り、バラクラバで口元を隠した副長がこちらを見ていた。深い眼窩に埋め込まれたビー玉のような眼球を無視し、ベルナルドはシートのフレームをしっかりと掴むと、ひどく窮屈な腰を持ち上げる。

 

 軍用機内において、装具で着ぶくれした身体はひどく窮屈だ。ソフトアーマーの上から抗弾プレートを重ね、更に弾薬資機材を詰め込んだベストを身につけた身体はそうでなくとも重いというのに。

 

 副長と、その隣に座った古株の部下が僅かに身を反らして避けた。彼らはベルナルドが不機嫌なときほど銃を撫でることを理解していた。

 

 理由はシンプルだ。基本計画A号(ベースプラン・アルファ)に定められたベルナルドの降下地点は目標建造物屋上だからだ。

 

 任務内容は武装集団に対する空中機動からの襲撃。他のヘリに分乗した部隊は地上から目標へ接近し圧迫。その間にベルナルド等が屋上へ降下し、上下から挟み込むようにして“敵”を拠点に押し込んだまま鏖殺する。しかしそのプランも、降下地点を放棄するとなればおじゃんだ。

 

「何があった」

 

 コクピットへ顔を突っ込んだベルナルドは努めて朗らかな声で問いかけた。少なくともそのつもりだった。しかし、喉の奥から絞り出すような低い響きが混ざるのを抑えきることはできない。

 

 とはいえ、副操縦手(コパイロット)はともかく、主操縦手(パイロット)の男はそれを気にするほど肝の細い男ではなかった。“ナイトホーク”はラクーンの騒動が活発化するより前に投入され、現在行方不明となっているアルファチームの輸送担当だった。

 

 そしてアルファを指揮していたのは、“死神”と恐れられるU.S.S随一の戦闘員だ。そんな男の捜索と回収を命じられるパイロットの神経がか細いはずもない。

 

 音信不通からすでに四八時間以上が経過。やつの命運もここまでだろうかと、どこからともなく浮かんできた白々しい考えを意識の外に追いやると、ベルナルドは“ナイトホーク”が左手で示した方向を見た。

 

 少なくとも、“死神”ハンクの生死不明最長記録は四八時間どころの話ではない。“死神”同様部隊の古株となったベルナルドは、最も腕のたつ同僚を気遣う習性を持っていなかった。死んでいるのであれば、自分がその後釜に据えられるだけだ。

 

『目標建造物上層が燃えてる』

 

 “ナイトホーク”の返事は端的だった。彼はラクーンが封鎖されてから今の今まで、何度も市内上空を飛行しアルファへの無線呼びかけを繰り返していた。当然、睡眠は十全ではない。いまベルナルドらがこの機に乗り込んでいるのは、単に稼働可能なアンブレラの作戦機が払底していたからだった。

 

「クソ」

 

 ともあれ、ベルナルドは“ナイトホーク”の示した先に目を向け、毒づいた。暗視装置を装備したパイロットと違いベルナルドは裸眼だったが、それでもキャノピーの向こう、遠くで揺らめく橙色は目視できた。

 

 周囲を見まわし、市内のランドマークと自機の位置を勘案してから炎上するビルに目を向けなおす。位置関係で考えると、確かに目標建造物かその周囲の建物が燃えていると考えられた。少なくとも、この距離からはそのように見える。

 

『接近して本当に燃えてたときが面倒だ。ベースプラン・ブラボーに切り替える。構わないか』

「構うも構わないもあるか? 接近して駄目でした、で死ぬのは俺達だ」

 

 俺に文句を言うのはやめてくれよと、“ナイトホーク”が頭を振った。会話はそれきりだった。接近し、炎上している建造物が目標建屋で間違いないかを確かめる手はあったが、仮に本当に目標建屋が炎上していた場合、第二降下地点へと移動する時間の分だけこちらが不利になる。

 

 少なくとも、U.S.Sの作戦担当は攻撃目標――U.B.C.S北米支局第一中隊チャーリー小隊――がこちらに対し離反の意図ありと伝えてきている。そのうえで、十二分の戦闘経験を持つ集団であると通知されている以上、こちらの接近から降下、接触までに不必要に時間をかけたくはない。

 

 仮に離反者狩りの意図を察知されていた場合、戦闘慣れした集団相手に遅れを取ることになるからだ。アンブレラにとって重要度の高い任務を遂行する少数精鋭のU.S.Sの組織性質上、U.B.C.Sを格下と侮る隊員は多いが、ベルナルドは真逆だった。

 

 そして、それが間違いではないことは現在の状況が証明していた。市内に投入されたU.S.Sチームの殆どが音信不通、壊滅となっている中、チャーリー小隊は民間人を収容し未だに組織的な行動を継続している。彼らは一線級の戦闘部隊であると見るのが自然だ。

 

 だからこそ、慎重に行動する必要がある。そもそもベルナルドが指揮するU.S.S戦術チーム“アンバー”は定数二四名の強襲部隊であり、奇襲を成立させたとしてもチャーリー小隊相手に数で劣る。それは戦術原則上避けるべき状況であり、それを回避するためにアンバーには増員が行われていた。

 

 そして、その増員が問題だった。ロックフォード島でのU.S.S選抜を通過し、配備直前だったひよっこを二〇名と少し。もちろん、選抜訓練は必要十分の技術と素養を保証するが、戦闘経験の浅い作戦人員は脆いことをベルナルドは理解している。能力と技能は別の話だ。

 

 “ナイトホーク”の左右と後方を占める“ストリクス”各機に分散した若造共にベルナルドは期待を持っていない。数合わせ程度の認識だった。そしてその数合わせを抱えたまま、戦術上の優位を一つ失った事実を飲み込む。

 

 ひどい戦いになる。彼はみぞおちに重くのしかかるその確信をため息とともに追いやるのに数秒を要した。

 

 

 

 

 

 

同一周波数帯各局へ放送(A l l s t a t i o n)、接近する回転翼機のローター音聴知。各班警戒態勢。戦闘員は装備着用、防御配置で待機。補助員にあっては民間人の退避準備を開始せよ』

 

 耳に差し込んだイヤホンからハリソンの声が流れた。

 

 ほんの僅かなヘリの飛行音を察知したヴラッドの一報から五分と経過していない。ヴラッドはすでに戦闘服に袖を通し、S.O.Eベストを着用してカービンを提げていた。周囲のノーマッドメンバーらも、自分の火器を手にして背中に緊張をにじませている。そして彼らの背景では、配置と命令を受領した戦闘員が班ごとに慌ただしく行き交っていた。

 

 チャーリー小隊の反応が劇的かつ迅速だったのは、彼らが置かれている状況ゆえだった。建造物の直上を這うように移動する編隊は米軍の捜索隊とは思えず、また先程から指揮系統用無線での呼び出しに対し、中隊本部は沈黙を貫いている。

 

 すべてが劇的に悪化しつつあった。すでに小隊本部はこの拠点の放棄を視野に入れ、補助員に指名された民間人を中心に負傷者と資材の搬出準備を始めている。これ自体は早朝のベリヤの一件のあと、ハリソン主導のもとに準備が進められていたためつつがなく進行している。

 

 問題は、部隊配置だった。早期警戒のために警戒班を拠点周囲に展開するには、頭数が不足していた。

 

 実際のところ、ヴラッド等が病院内を検索している間に、弾薬回収部隊が拾い集めた生存者によって戦力補強は達成されていた。時計塔の救助信号を聞きつけた生き残りが小隊系周波数で呼びかけ、ブラヴォー小隊とアルファ小隊の生き残り、及び行動をともにしていた警官や市民を引き連れての合流を果たしていたからだ。

 

 戦闘人員の頭数だけで言えば四〇名以上。戦力として十二分といえば十二分だ。が、それは感染者と多少のB.O.Wを相手取る場合の話であって、訓練を受け必要な装備を携えた戦闘部隊を相手にする場合の話ではない。

 

 まして、入り組んだ街路で十分な接近防止措置を講じるのには不足だった。五名一個班にしたとして、四箇所に配置しただけで本部の直掩は半数に減ることになる。当然、街路における接近防止に当たる部隊は最低限以上の練度が必要となるからして、補強に当てている市警や市民の志願組は使えない。

 

「ろくでもない状況だ」

 

 地図を見下ろしていたフレデリックが言った。彼は擲弾発射機ではなく、M249軽機関銃を肩からぶら下げている。ノーマッドに対する火力増強のために割り当てられた火器だった。

 

 全くだとヴラッドは笑った。経験豊富な人員を接近防止班にあてたとして、一個班での能力と強度はたかが知れている。敵が十分な戦力を一点に集めた場合、まともな抵抗もできずに全滅することは疑いようがない。

 

 もちろん、それは接近中の不明機が敵対的であり、また陸戦人員を積載していた場合の話だが、ヴラッドはその点に疑義の余地はないと考えていた。すなわち、戦闘は必ず発生する。

 

 そして、その戦闘に際して十分な有利、そして時間の猶予を生み出せるだけの余裕を小隊は有していない。これは致命的だった。

 

「移動を小隊長に具申するべきだ」

「もうしてある。移動可能まで三〇分と見積もられるが、敵の接触がいつになるかは不明だ」

 

 マディソンの声に、ヴラッドは押しかぶせた。

 

 デスクを囲んだノーマッドは、その上に散らばったノーマッド配分の弾薬、資機材をダッフルバッグと背嚢へとねじ込んでいる最中だった。弾薬は大学前に乗り捨てられた陸路部隊の残置物を接収しているから、相当の余裕がある。

 

「移動先の候補については」

「事前伝達の通り。民間人の移送には一、二分隊が帯同する」

「俺達の配置は」

「特に変更指示のない限り三分隊と共同して後衛だ」

 

 クラヴィス、ジョエルの問いにそれぞれ答えながら、ヴラッドはS.O.Eベストの雑嚢に満タンのカービン弾倉をさらに三本押し込んだ。装具の弾倉ポーチにしめて一二本が収まっているが、そんなもの、本気の射撃戦になればすぐに射耗する。

 

 そして、それは皆が考えることだった。ノーマッドの隊員等は、配布された予備のバラ弾薬を余っている弾倉に詰め込むと、それを各々取り出しやすい位置へとねじ込んでいる。

 

「しかし、事実上の降格人事だぜこれは」

「何の話だよ」

 

 マディソン鼻を鳴らしながら言った。HK69擲弾発射器を脇に吊るし、四〇ミリのバンダリアを肩から提げた彼は、フレデリックの疑問に眉を上げるとヴラッドを示す。

 

「第二分隊長から“我らが”ノーマッドの班長。こりゃ降格だ」

「俺としては都合がいい。掌握下人員の能力に疑問の余地はないし、多少乱暴に運用してもどうとでもなる」

 

 ヴラッドは言いながら、自分の装備品に問題がないことを確かめ終えると、衛生用品と水と弾薬でパンパンに膨れ上がった背嚢をデスクから担ぎ上げた。

 

 見回せば、ノーマッドの全員が無言でこちらを見つめている。

 

「なんだ」

「いや、お前に乱暴な運用の自覚があったんだなと」

 

 ヴラッドの返事を受けて、マディソンが目を瞬いた。

 

「あるさ。だから、今は気兼ねしないでいい。士気旺盛、精強無比、俺にとっては願ったり叶ったりだ」

 

 豆鉄砲でも食らったようなその様子に小さく笑うと、ヴラッドは自分のカービンを抱え、待機とだけ言い残してその場を離れる。

 

『キングピン、こちらウォッチャー。報告する。ローター音が分散した。詳細方位不明』

『ウォッチャー、キングピン。了解。引き続き周辺監視継続。終わり』

 

 イヤホンから垂れ流される無線を聞きつつ、ヴラッドは小隊本部指揮所に踏み入った。

 

 指揮所ではガルシアが監視や哨戒に出た班からの報告を地図に取りまとめ、ハリソンが撤収準備の進捗報告をアリッサから受けている最中だった。ヴラッドが踏み入ると、その場にいた全員がヴラッドの方を見やった。

 

「ホーキンス軍曹、出頭しました」

「ご苦労。まだ接触はないが、哨戒班は接触の場合、敵の足止めを試みるように伝達済みだ。撤収作業完了にはまだ二〇分程度必要と見積もられる。そうだな、アリッサ」

「ええ」

 

 アリッサが頷いた。彼女は小さくこちらに目配せすると、報告するべきことを終えたのか、呼び出しに来た老婦人の方へと歩み去る。

 

「俺達の仕事は」

 

 ヴラッドは、薄らと甘い匂いを残して立ち去った背を横目に見送り、ハリソンへと向き直った。ハリソンはわずかに眉を持ち上げ、しかし淡々と口を開く。

 

「我々を処理するのであれば、投入部隊はアンブレラ保安部戦術班(U.S.S)と見積もられる」

「同感です。それに、どうあってもU.B.C.Sは投入できる頭数を用意できんでしょう」

「接触される前に離脱できると思うか」

「現段階で敵が分散機動を開始したのであれば、無理でしょうね」

 

 単刀直入な質問に、ヴラッドもまた要点だけを返した。

 

 ヘリのローター音が分散したのは、各機がそれぞれに定められた降下地点へと向かい始めたことを意味する。すなわち、すでに降下を始めていておかしくない。本来であれば察知を嫌ってもっと手前で降下するか、あるいは直接乗り込んでくるだろうが、そうしなかった理由に関してもヴラッドは見当がついていた。

 

 遠方すぎれば活性死者との接触が障害となり、至近に降りるのはこちらの防御が硬すぎ、またチャーリー小隊が離反者狩りを警戒し備えていた場合のリスクが大きすぎる。

 

 しかし一方で、こちらの警戒状況が不明であることを懸念したのであれば、投入方法が兆候を発しすぎる空中機動だった点が噛み合わないが、おおかた投入前は地階侵入(BLE)部隊と屋上階層侵入(TLE)部隊の挟み撃ちを目論んでいたのだろう。

 

 そしてあいにく、いま屋上では死者の焼却処理の真っ最中だった。当然、真っ当な思考回路をしていれば燃え盛る降下地点(LZ)は嫌がるものだ。

 

 しかしながら、それは裏を返せば屋上での遺体処置を行わなければ今頃こちらの頭は抑え込まれ、周囲から処理部隊が群がっていた可能性を意味していた。そうなってしまえば、ろくすっぱ抵抗もできずにこちらは全滅するだろう。

 

 運が良い。ヴラッドは内心につぶやいた。そこで気づく。眼の前に立つ指揮官も、同じ思考を経て同じ結論に至っていることに。悪化しつつある状況を前に顔はしかめられているが、目の奥にある戦意と活路を探す意志の光がその証左だった。

 

「現在三分隊が外周の哨戒中だ。その応援に回ってほしい」

「了解。接触時対応等は」

「中隊一般標準作戦規定(S O P)に従え。細部は現場に一任する。質問は」

 

 ハリソンの返答はシンプルだった。

 

 すなわち、相手の交戦意志が明白でなく、また“明確に敵である”と断定できない限り、一度は誰何に始まる識別の努力を求めていた。それが中隊の一般SOPに定められた原則だった。当然、相手が戦闘を目的としていた場合は先手を譲ることとなる。

 

 不利だが、仕方がない。敵対状況下にあるという判断は、現状から導き出したこちらの推測でしかなかった。たとえそれがどれほど現実的であろうと、わずかでも無意味な同士討ちの可能性を恐れるのは理解できる。

 

 結局、そこで最後の確認に重きを置く理性を失えば、自分たちも長くはあるまい。

 

 しかし同時に、状況の危険性を理解しているからこそ、細部をこちらに委ねているのだ。ハリソンの理性的な部分は、先手を取る必要性を認識している。それは確信だった。そうでなければ、しっかりと手綱を握りたがる男だ。

 

 言ってしまえば、中隊一般SOPの適用はハリソンの習性と人間的な弱点がもたらした結果だった。元は同じ雇い主を持つ者同士、出会い頭に問答無用の射撃を浴びせることに対する本能的な忌避感は捨てきれない。

 

 ある意味で言えば、無責任な判断と評価するべきかもしれなかった。しかし、ヴラッドはそれを指摘することも、態度に出すこともしなかった。彼はヴラッドが脅威を前にしてどのように振る舞うかを理解していたからだ。

 

 すなわち、先手必勝。この一言に尽きる。

 

「撤退前に襲撃が始まり、また外周での防御が不能、ないし包囲された場合は」

「屋上伝いで撤収する。橋代わりになる足場材は確保してある。使わないで済むことを祈るがね」

「了解。これよりノーマッドは三分隊の支援に向かいます」

「幸運を、ホーキンス一等軍曹」

「大尉こそ」

 

 ヴラッドは敬礼を投げると、素早く踵を返す。すでに第三分隊が哨戒に出ている以上、速やかに合流しその補強を行う必要がある。いまこの瞬間に第三分隊が接触し、戦闘にもつれ込んでも不思議はない。

 

「集まれ」

 

 ヴラッドは階段を駆け下り、デスクを囲んで装備完全着用で待機するノーマッドの元へ戻るなり声を張り上げた。

 

 周囲で本部防御のために弾薬と人員の分配に駆け回る戦闘員等が、一瞬立ち止まり、あるいはこちらへと目を向ける。それほどにヴラッドの声は緊張感が満ち、同時によく通った。

 

「ノーマッドは予定通り三分隊の応援に向かう。質問は」

「接触時対応は」

「中隊一般SOPに従う」

 

 フレデリックの問いにヴラッドは短く答えた。瞬時に、ヴラッドの元に集まった四名の顔がしかめられる。当たり前の話だ。現場の人間からすればこちらを狩りに来たと思われる集団相手に、先手を譲れと言われて納得はしない。

 

「が、細部は現場の裁量とされている。よってノーマッドについては、俺の判断で動かす。他になにか」

 

 そのまま疑義を挟む余地を与えずにヴラッドが続けると、ノーマッドの戦闘員等は一斉に不満を呑み込んだ。その言葉の意味するところと、それを発したハリソンの意図を理解したのだ。

 

 そもそも、まともな指揮官であれば、絶対的な識別を求めるにあたって細部の一任などという曖昧かつ解釈幅の広い言葉は用いない。自身と僚友の生命の危機を前に現場がどう動くかなど理解しているからだ。

 

「撤退前に包囲と言わずとも、取り付かれたら」

「屋上階から隣接ビルに撤収する。資材は用意済みだ。その場合、俺達は敵の排除と周囲の保全に当たる」

「俺達がそれまでに討ち死にしてないといいが」

「俺は分遣隊員の能力に対して、一切の不安を感じていない」

 

 口端を歪めたマディソンのつぶやきに、ヴラッドは間髪入れず押しかぶせた。状況から見て厳しい撤退になる。当然、戦死者は覚悟することになるだろう。しかし、眼前に横たわるそれをつま先でどかすような、言葉通り一抹の不安すら感じさせないヴラッドの声に、分遣隊員たちは無言をもって先を促した。

 

「敵はすでに攻撃第一案を放棄し、副案に切り替えたものと思われる。幸いにして、上下挟み撃ちを喰らわずに済んでいる。ツキがあるってのは、こういうことだ。その上で、我が小隊の作戦人員の能力が敵に劣るものであるとも思っていない」

 

 ヴラッドは言った。カービンを携え、装具を身にまとい、胸を張って佇む彼を、ノーマッドのみならず手隙の作戦人員等も足を止めて見守っている。ヴラッドはそれらを見回すことはせず、芝居がかった、しかしさりげない仕草で腕時計を見た。時間の余裕はない。

 

「各員、再度それを証明してくれるものと信じている。お前たちは俺の知る限り最も優秀で、最も勇敢な兵隊だ。各員の経歴、これまでに乗り越えた困難、ここまでに倒した脅威数がその証左だ」

 

 ヴラッドは野戦服の袖を戻した。ボタンを止め、カービンを手繰り寄せる。

 

 この街に降り立ってから、最も困難な危機が眼前に迫りつつあった。それを感じ取り、グローブを嵌めた手のひらが汗ばむのを飲み込み、上ずりそうになる声を低く抑え込む。彼は戦闘部隊の指揮官だった。そして、この状況で後退戦闘のいちばん重要な部分を支える戦闘員であると、期待されている自覚があった。

 

鼻持ちならん本社付き(U.S.S)に、最高の人員で本物の戦闘ってやつを教えてやろう。行くぞ。出動だ」

 

 ヴラッドは言葉を締めくくると、カービンを脇に抱えて階段へと足を向けた。

 

 民間人も本部付きの戦闘員等も等しくノーマッドに道を開ける。彼らは、いまこの陣地があるのが誰の成果であるかを知っていた。そしてノーマッドが、いままでどんな困難を押しのけてきたかを。

 

 人垣の向こうに、移送に備えて階を降ろされたシャーロットと、その隣に座り込むリアムが見えた。いまだ眠っているシャーロットの手を握り、こちらを見つめるリアムがなにか口を開こうとしたが、ヴラッドはそのまま階段を駆け下りる。

 

 大勢が死ぬ。自分もその一人になるかもしれない。そんな状況で、寄る辺のない子供に掛ける言葉を彼は持ち合わせていなかった。

 

 

 

 

 

 背後、わずかに人の活気が感じられた。

 

 あるいはそれは思い込みかもしれなかったが、チャベスには関係のないことだった。実際に、彼の後方では小隊本部陣地の撤収作業が行われていた。

 

 静止し、身を潜めているにも関わらず息が上がりそうな気配がある。意識して呼吸を抑え込み、ゆっくりと酸素を肺に取り込みながら耳を澄ませる。繁華街の路地裏で胃の中身を吐き出したあと、次の嘔吐感がこみ上げるまでの僅かの間にだけ感じ取れる、行き交う人々に押しのけられた空気の収縮を、鋭敏になったチャベスの五感は確かに拾い上げた。

 

 死者はこれに反応するだろうか。

 

 そんな事を考えて、彼は知らずの内に唇を歪めていた。

 

 来るかどうかもわからないのろま()の死にぞこないより、よほど強力で素早く、明確な意思を持った脅威が迫りつつある。意識を向けるべきはそちらだろう。

 

 そして、いま彼と彼の僚友たち。すなわちチャーリー小隊第三分隊はその脅威を押し止めるための防御線として、小隊本部拠点から2個地域区画単位(2ブロック)の距離を取って展開していた。

 

 準工業地帯として区画整備の施された市街だったのが幸いだ。本部拠点の街区を囲む道路の各交差点に人員を配置することで、接近の早期察知自体は容易だった。問題は戦闘になった際に防御を行えるほどの人員がいないことだった。

 

 もっとも、小隊長構想は接近の察知を重視し、それによって得られた状況に合わせて配置を変更するつもりのようだったが、それが果たしてうまくいくだろうか。

 

 いわゆる戦力の逐次投入になるのではないか。また接触情報に合わせた戦力投入というのは妥当で堅実な判断に聞こえるが、その情報が正確であることが前提となる。そして接触によって得られる敵情とは、ある程度の火力応酬によってのみその精度が担保される傾向が強い。

 

 警戒側が小勢では“敵が来た”以上の情報を得られない可能性が高かった。そしてそれは完全な奇襲を避ける事以外、何の役に立たない。例えば今この瞬間にチャベスが接触し、それを報告して即時離脱をかけたとして、その接触した敵が主力の側方を警戒するごく少数でしか無い可能性は十分にありえた。

 

 その場合、対応のために部隊を動かした結果として敵の主力がこちらの防御をすり抜ける可能性はあった。あるいは移動中の部隊の横腹に敵が食いつく危険も否定できない。

 

 それを避けるためには、その場で互いの火線を交わすより無い。しかし、そうなってしまえばチャベスは生き残れないだろう。

 

「誰に文句言ったって始まらねえけど、さ」

 

 しかし、チャベスにそれに関する対案が出せるわけではなかった。民間人誘導にそれなり以上の頭数を必要とするのは事実だったからだ。またチャベスの懸念を潰すためには、戦える人間の数が不足していた。

 

 そして、小隊長構想に同意できる部分があるのもまた事実だった。警戒線で接触した時点で先手を取り、一人でも二人でも損耗を与えて後退する。同じ警戒状態であっても接触前と後で部隊の移動速度は変わるし、こちらは本部拠点に接近すればするほど防御密度を上げることができる。

 

 もちろん、それを十分な有利条件として認めるには、後方縦深があまりに浅すぎるのをチャベスは理解していたが、それこそ文句を言っても始まらない。これ以上前に出ると通過を見落とす可能性がある。

 

 少なくともチャベスは、そういったことに頭を回せる程度にはまともな教育を受け経験を積んだ人員だった。そしてこの街に降りた当初に見られた自己保身の傾向も鳴りを潜めつつある。

 

 それはこの市街の地獄ぶりに感覚が麻痺しつつあるがゆえではあったが、部隊とともに行動しなければ自身の生存が怪しいという現実認識の芽生えが大きく影響していた。

そして、彼は情緒の面において平均的な男であった。

 

 生存者が稀なこのラクーンにおいて、数日も市民との籠城を経験すればある程度親しく話す相手の一人や二人はできるものだ。そしてそういった人間に対しての親近感や情を感じないほど、擦れた男でもなかった。

 

 少なくとも、立哨から戻るたびにコーヒーの差し入れを欠かさない老女や、少しでも疲労を取れるようにと気を回してくれる若い女、負担を減らせるようにとローテーションに加わった警官等の命が、自分の肩に僅かであってもかかっている自覚はある。

 

 だからこそ、無人のアパートの開け放たれた窓の向こう。薄闇に包まれた通りに接続する小路の暗がりに目を凝らす。敵がそこに現れれば、弾倉一本分を一気にぶち込む算段だった。

 

「来るなら来いよ、いつでもいいぜ」

 

 ささやくような呟きは、あるいは自分の戦意を保つためかもしれない。自分が勇敢な人間ではないことは彼もわかっている。少なくとも、ノーマッドのような生粋の戦闘員には遠く及ばない。

 

 それでも、この仕事だけはこなし切る必要がある。

 

 そう自分に言い聞かせたとき、僅かな風鳴りと死者のコーラスを小さな物音が押しのけた。足音、そう判断するより先に呼吸を更に潜め、音の方向を確かめる。

 

 硬質なブーツのものらしき足音は自分のいるアパートの廊下からだった。足音は神経を張り詰めているとは言い難いが、大きく響かないように気を使っている気配がある。

 

 敵であればもっと注意を払って音を消すだろう。まして自分が担当する区画にその影を見た覚えはないし、他の警戒員からも通報はない。となれば僚友だ。

 

 足音はまっすぐこちらを目指している。位置を把握しているとするなら間違いあるまい。

 

 しかし、配置変更や伝令を出すといった知らせは受けていない。であれば誰が何の目的でここへ来るのだろうかと、チャベスの思考がめぐり始めたとき、視界の端で何かが動いた。

 

 背後に近づきつつある足音に向いていた意識を、瞬時に引き戻す。窓から銃口を出さぬようにカービンを構え、自分の目が捉えた動作を探した。

 

 オートメーション化された発電施設はまだ稼働を続けているらしく、街灯がぽつぽつと薄橙の明かりを路面へ投げかけている。その照り返しを受けて一層暗さを増している小路の影に、何かがうごめいていた。

 

 死者であれば、今頃フラフラと通りへ姿を表しているはずだ。B.O.Wであっても同様だった。基本的に化け物どもは完全に静止しているか、何かを探してさまよい歩くかの二択だ。

 

 敵だという確信があった。

 

 暗がりの中にあって、その恩恵を受けている間に進路の安全を確認しているに違いない。

 

 潜めたブーツの足音はいよいよ自分の陣取る部屋の前へ差し掛かりつつある。一方、モゾモゾと闇の中でうごめく黒い輪郭は一向に姿を表さない。まるで警戒があることを理解しているかのように、チャベスが射撃を決意するだけの露出を避けている。

 

 ただの進路警戒にしては入念に過ぎるそれに対し、チャベスが根拠のない疑念と不安を感じた瞬間だった。足音が真後ろの玄関口で止まった。

 

 ライフルの筒先、小路の動きはもう見えない。影の主は静止していた。あるいはそれは見間違いで、自覚のないまま極度の緊張に陥った自分が見た幻覚だったのだろうか。

 

 であるなら、背後の足音はなんだろうか。幻聴か。それとも自分がなにかヘマをやらかして警戒線を通過した敵が背後にいるのではないか。そんなバカなと自分を笑おうにも、背後で止まった足音は一切の気配を消している。僚友であれば、声をかけるはずだ。

 

 いつの間にか、額にびっしりと汗が滲んでいた。腕と言わず顔と言わず、あちこちの汗腺から冷や汗が吹き出している。鼻筋を伝った汗が鼻頭で大粒の雫となって滴り、頬を流れたものがストックを濡らしている。

 

 背後で、小さく金属質なものが擦れる音がした。

 

 それを耳にして、ほとんど弾かれるようにてチャベスは振り返った。

 

 それが最後だった。床を蹴るブーツの音とともに、何かがチャベスの顎を押し上げ口をふさぐ。グローブを嵌めた手。そう理解するのとほぼ同時に、彼の意識は途絶えた。

 

 喉を引き裂いて侵入したナイフが、頸動脈も声帯も何もかもを引き裂き、そのまま頚椎の隙間へと刃を滑り込ませたからだったが、チャベスがそれを感じることはなかった。




 評価、感想等、お待ちしています。
 次話執筆のやる気の源ですので、何卒何卒……。
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