死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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合流、老いたる願いに応える者は

 もちろん、戦地において、希望的観測というものは自身の命を奪う甘い罠にほかならない。

 

 であったとしても、兵がそれにすがってしまうのは、ひとえに彼らもまた人間であるからにすぎない。

 

 

 

 二人目の戦死者が出た事実が胃に重くのしかかるヴラッドにとり、合流地点へ近づけど味方の気配を感じられないのは、何よりも恐ろしい事実を想像させた。

 

 生き残っているのは、自分の分隊だけかもしれない。もちろん、部下も考えることは同じで、皆口数は少なくなっている。唯一の救いは、居住区と主要施設が市街地の中央から南部と東部に集中しているせいか、歩く死体を見る数は減ったことだ。

 

 北西から北部にかけては工業施設や、街の王であるアンブレラの施設、列車の操車場などの施設が集中しており、準工業地域に近しい地勢故だろう。

 

「チャーリー02から01、現在位置知らせ……だめか。チャーリー02から03、聞こえているか」

 

 ハンドマイクの送信ボタンを押し、声を吹き込むが応答はない。すでに小隊本部が仮拠点を設ける予定だった地域にたどり着き、無人となった……もとい死人を掃討して無人にしたオフィスビルに身を隠してそれなりの時間が経過していた。

 

「どうします」

「どうもこうもない。小隊本部は壊滅したと見なさざるを得ない。おそらくは、第三分隊も」

「くそ……冗談だろ。なんでこんな」

「喚いたって仕方ない。無線を探し出すか、退路を見つける以外何があるよ」

 

 座り込み、うなだれて毒づくチャベスに、マディソンが銃を手にしたまま視線を投げた。

 

 マディソン・ヘイズリーは、U.B.C.Sにスカウトされる前は凶悪犯刑務所に収監された死刑囚だった。元麻薬取締局の戦術班隊員で、捜査で深入りしすぎた結果に妻を陵辱の末惨殺され、報復に麻薬組織の幹部を家族ごと皆殺しにした、という噂だ。

 

 が、少なくとも部下としてのマディソンは仕事に実直であり、腕も立ついい兵士だ。上官である自分に対して、友人や同期に対するような態度で接してくる部分を問題視されることもあるが、ヴラッドは気にしていない。

 

「退路ったって、陸路は塞がれてるんだぜ? ヘリを見つけられるかよ、こんな田舎町で!」

「喚くな、チャベス。分隊長の考えの邪魔をするな。それに、外に聞こえるだろうが」

 

 ダニエルが親指で外を示した。オフィスの外では、先程オフィス内を駆逐した際の銃声に釣られた死体がいくつかふらついている。掃討するのは楽だが、道路封鎖をおこなって遮断しない限りはきりがない。

 

 ヴラッドは、オフィスの隅で身を寄せる民間人をみやった。若い女は、目の前で自分のボーイフレンドを食い殺されたのだという。気疲れからか老婦人の膝に頭を載せ眠っていた。老婦人はここまでの逃避行で体力を使い果たしたのか、女の頭を撫でる姿勢のまま眠りに落ちている。

 

 古物商の老人――マイケルと名乗った――は散弾銃を膝に載せ、こちらから息抜きにと差し出した煙草をさもうまそうに吸っているところだ。残り二人はいずれも三〇代の男で、膝を抱えて何かをブツブツと呟くか、不透明な今後を悲観して遺書もどきを手帳に書き込むか。

 

 どうあれ、ここからすぐに移動となれば持たないだろう。

 

 この状況で、八人の人員で何が出来るかを考える。動けない民間人を連れて脱出路を探すことは現実的ではないが、分散させた場合、ここに死人が押し寄せる可能性を考えるとぞっとしない。

 

 打つ手なし、か、と胸中にひとりごち、目頭をもんだとき、ザッ、と肩にくくりつけたハンドマイクが空電音を鳴らした。

 

『……ちら…3……聞こえ……こちらチャーリー…3、聞こえているか』

「こちらチャーリー02だ。03か」

『ヴラッド! 生きていたか』

 

 ヴラッドがハンドマイクに声を吹き込むと、電子ノイズまじりの野太い声が帰ってきた。第三分隊長であるマルコフの、酒に焼けた声。周りで希望が潰え、うつむき気味だった部下が一斉に顔を上げる。

 

「今どこにいる。何度も呼びかけたってのに」

『悪いな。降りてこの方どこも地獄で、地下鉄に逃げ込んだせいで電波が遮断されたんだろう。そっちは』

「合流地点で待機している」

『小隊長は、無事か』

 

 マルコフの問いかけに銃声が混じった。ハンドマイクの音量を絞り、ようやく他分隊と連絡がついたことに希望を取り戻した部下を横目に、ヴラッドは声を潜めて返した。

 

「合流地点にはいない。音信も不通だ」

『クソ、了解。こちらはスピアストリートに面した路地に出た。もうしばらく地下にゃ無縁であることを祈るぜ。いまからそちらに向かう。生きてたらな』

「了解、上階からそちらの方向を確認する。急げよ、待ち遠しくてたまらないぜ」

『男に求愛される趣味はないね。交信終わり』

 

 無線が途切れると、ヴラッドは自分の口元に薄く笑みが浮いていることに気づいて、そこに指を触れてどうにか無表情をつくった。数時間ぶりの交信が、薄いながらも希望を運んできたのだ、部下も同じように士気を取り戻している。

 

「ダニー、射撃班(Fire Team)を指揮して下階の警戒に当たれ。マディ、チャベスは俺についてこい。屋上から周囲の様子を見る」

「射撃管制は」

 

 ダニエルが立ち上がりながら問いかけた。肩の痛みが引かないのか額に汗が浮いている。噛み傷は化膿しやすい、あとで消毒をし直す必要があるかもしれない。

 

「侵入されるようなら撃っていい。掃除を始めたら、徹底的にやれ」

「了解」

 

 彼は部下を率い、再分配した弾倉を確かめて階段へ向かった。

 

「マイケル」

「なんだね、若いの」

「ここの階を任せます」

「わたしにやることがあるとは思えんが……まあいい、任された」

 

 肩をすくめた老人の返事に小さく笑うと、ヴラッドは部下を伴ってビルの屋上へと向かった。

 

 ドアを開け、階段から屋上階へ出ると、銃口を巡らせて周囲を確かめる。人影も、死体も見当たらない。隅まで確認を終えると、ヴラッドは給水塔以外に目立つもののない屋上の縁へ身を寄せ片膝をつき、ベルトにくくりつけた多目的ポーチから、小さな双眼鏡を取り出した。

 

 レンズに目をあてると、周囲を取り巻く地獄がより鮮明になる。すでに日付が切り替わっているが、この状況にあってもまだ発電施設は稼働しているらしく、街灯は煌々ときらめいていた。逃げ出したかすべて餌食になったかはわからないが、周囲のビルも明かりがつきっぱなしのところが多く、街路を照らす明かりには事欠かない。

 

 そう離れていない路地の方向から、M4の連射音が聞こえてきた。一つ二つではなく、少なくとも射撃班(FT)が連携しているのがわかる、組織だって連携の取れた、理性的な発砲音だ。

 

 プロらしい銃声はひっきりなしに銃弾を送り込んでいるようだったが、追い詰められて無茶苦茶に発砲している様子はない。

 

『03だ、もうすぐそちらに到着する。詳細位置を示してくれ』

「02より03、了解。屋上からライトを点滅させる」

 

 送信しつつ、銃声の方へ双眼鏡を向けると、そうかからず路地から人影が飛び出してきた。相互に死角を潰し、連携を保った分隊の姿だった。ぞろぞろと姿を表した彼らが、数名の非武装の人間を囲んでいるのが見える。

 

「マディ、ライトを照らせ。間欠点灯で位置を示してやるんだ」

「了解」

「チャベス、下に降りてダニエルの射撃班(FT)に連絡、第三分隊が北東からアプローチする。支援に出るんだ、残りを連れてお前も同行しろ」

「すぐ向かいます」

 

 チャベスが弾かれたように飛び出した。双眼鏡の中では、第三分隊がくさび形の陣形を構築し、進行方向に立ちふさがる死体を集中火力で殲滅しながら接近してくる。

 

「02から03、こちらを目視したか。地階から迎えを出した、誤射に注意しろ」

『03だ、確認した。ちくしょう、地獄じゃお前の声ですら頼もしいな』

「後でキスしてやる。急いでこい。合流したら周囲を封鎖せにゃならない」

 

 陣取るビルの周囲の死者が、銃声に釣られて第三分隊の方へと足を向けた。しかし地階から外へと進出したダニエルらの射撃班(FT)に奇襲をうけ、ものの数十秒で駆逐される。数が少なく、開放的地形での交戦であれば、歩く死人の脅威度は低い。

 

 彼らとの戦いでネックとなるのは地形による移動阻害とその数だ。

 

 だからこそ、群がってくる前に周辺の路地を封鎖し、安全を確保しなければならない。第三分隊が生存していた以上、小隊本部が生き残っている可能性はゼロではないが、捜索を出すにしろ安全な拠点が必要だった。

 

『02、いや、ヴラッド。よくここを確保した』

 

 迎えに出たダニエルらと合流したマルコフが、こちらを見上げながら親指を立てたのがみえる。旧ロシア衛星国の生まれ。空挺軍に所属し、のちに上官を射殺した咎で服役した男。頼れるベテランの笑みが、街灯の白い明かりの下に見える。

 

「喜ぶのは後回しだ。路地の封鎖を始めるぞ」

 

 ヴラッドはそれだけを返すとビルの中へ引き返した。安全地域を確保しなければならない。

 

 

 

 

 

 

1998年9月26日 0530時

 

「路地の封鎖は完了した」

「そのようだ」

 

 血にまみれ荒廃したオフィスビルを背後に、ヴラッドはうなずいた。周囲では、路地の制圧を済ませ封鎖作業を完了させた兵士らが、ローテーションでの巡回にあたっている。マルコフの分隊は生存七名、ヴラッドの分隊の八名と合わせて一五名、小隊の半分がここに集結していた。

 

 負傷者は合計で三名であり、一度彼らを含む九名を休憩に回し、六名を二人ずつに分散させ巡回に当てていた。保護に成功した民間人は合計で九名になっている。

 

「ひどいもんだな」

地獄が満室になるとき(When there's no more room in hell,)死者は地上を闊歩する(the dead will walk the Earth.)、ね」

「なんだ、そりゃ」

 

 マルコフが眉根を寄せて問うた。ヴラッドは、自分の口をついて出た言葉が何だったかを考える。映画だ。

 

「映画のセリフだ。まさにこんな状況を描いた。俺も途中までしか見ちゃいないんだが」

「笑えないね。で、そこじゃアレはなんて呼ばれてたんだ」

 

 路地の封鎖に使うために持ち込んだが、封鎖を前に攻撃を受け放置されたのだろう金網をトラックごと持ち込んで封鎖した路地。その向こうをさまよう死人を示して、マルコフが問うた。

 

「ゾンビ」

「ヴードゥーの?」

「おそらく。生ける屍なんて、冗談にもほどがあるが」

「嫌な映画だ。ここを出たとしても一生見る気はしないね」

 

 そりゃそうだ、とヴラッドは笑ってやった。そこでまだ笑う余力がある自分に気づき、他の封鎖箇所に足を向けつつ、胸のポーチからタバコを取り出す。

 

 運良く近場で見つけた封鎖用の金網フェンスで封鎖したのは二箇所。残りの路地はトラックを横向きに停車させ、隙間に近隣から集めた家電と、フェンスと一緒に接収した有刺鉄線で塞いだのが二箇所。大きな通用路はそれで封じ込めることに成功し、細い路地は大振りのダストボックスとかき集めた家具の類で埋めた。

 

 即席の封鎖だが、しばらくは大丈夫だろう。大半の()()()は、こちらの交戦の音よりも、少し前に頭上を飛び抜けたヘリの音と、市警本部のほうでとどろき始めた銃声につられて移動していったようだ。

 

 それよりも問題は、と咥えた煙草に火を灯し、頭をかく。

 

「小隊本部はどうなっているか、情報はあるか」

「わからん。最後に交信したときは、任務の追加があったと言っていた。地下の施設にアンブレラの研究員の保護任務があると。地下鉄の管理用通路から地下へアクセスするルートがなんとか」

 

 それで地下鉄へ向かえば合流できるかと思ったんだが、とマルコフが言葉を切った。彼は短く刈り上げた髪を撫で、それから鼻に親指を押し付ける。

 

「結局見つからずじまいだ。今どこにいるかはわからん」

「捜索任務? そんな事前情報、あったか」

「いんや、無いね。聞かされてない。あのゾンビどもと同じく。なにが新種の病原菌により恐慌状態に陥った市民の暴動だ、阿呆ども」

 

 不機嫌に吐き捨てたマルコフの横顔に浮かぶ怒りは曖昧な情報をもとに自分たちを送り込んだ中隊本部、ひいては雇い主たるアンブレラに向けられたものだろう。

 

「なんにせよ、小隊本部も混乱してた。本来ならここの確保をやるはずが、わけのわからん任務を割り振られちゃ無理もない」

「捜索を出したほうがいいな」

「状況の詳細を把握するためにもな。市警本部の状態が知りたい、分遣隊を編成する必要があるかもしれん」

「この戦力じゃ市警本部への偵察までは手が回らないだろう。それに作戦継続の可否も、他小隊の状況を把握するためにも野外無線が必要だ」

「優先は小隊本部の捜索、か。誰を送る」

「俺と、あと数名。そっちが先任だ、ここの維持は任せる」

 

 自分から捜索を申し出たヴラッドに、仕事熱心だなとマルコフが目を細めて笑った。疲れの残る笑みだったが、誂うような響きが混ざっている。

 

 ヴラッドはそれを受け、肩をすくめただけだった。作戦の今後を決めるためにも、自分の任務のためにも、長距離無線が必要だ。生き残るためにも、外部との連絡手段は必須となる。

 

 封鎖箇所の巡察を終え、拠点としての準備を進めているオフィスビルに戻ると、すでに入り口には緊急時の封鎖のためのバリケードが集められていた。

 

 指揮所を兼ねる三階では、武器分隊の役割を兼ねる第三分隊の火器類がデスクに並べられ、点検を受けている。四階は民間人と負傷者のためのスペースとなっている。が、武装した兵士と一緒にいるほうが安心するのか、何人かの民間人はこの三階に居座っている。

 

 手持ちの火器は個人装備のM4と、武器分隊に二人配属された機関銃手のミニミ機関銃、残りは拳銃と、HK69A1擲弾銃(グレネードランチャー)が二つ、使い捨てロケットランチャー(M72A1)が二つ。残りは途中で拾い集めた民生品の銃器ばかりだ。

 

 予備の弾薬は両分隊ともに半分と少し程度。状況と敵の特性から、ミニミの予備弾薬をばらしてM4の補充に当てたが、むやみに発砲すればそう長くは持たない程度の弾薬しか無い。

 

「第一分隊の降下地点はこの場所だ。交信したのは降下直後だったからな、そう遠くへは移動していまい」

 

 マルコフが作戦地図に指を這わせ、ヴィクトリー湖とラクーンダムへと通じる幹線道路の脇、ラクーン駅からそう離れていない地点を示した。ヴラッドは降下地点を書き込み、それから、降下地点の側に、地下鉄路線に挟まれるようにして存在するアンブレラ社の管理施設を指差す。

 

「地下に施設があるなら、ここから通じてないだろうか」

「わからん。十分にありえると思うが、行って調べないことにはな」

 

 問題は、とマルコフが腕を組んだ。

 

「そこに至るまでのルートだ。せいぜい三、四ブロックほどだが、クソッタレのゾンビ共をかき分けて進むとなると、ろくなことにならん。それに、施設に入るよりも小隊長と無線の行方を追うほうが先だ」

 

 マルコフの言うとおりだった。少数での捜索を行う以上、目的地までの移動経路で弾薬を消耗した場合、その後がどうなるかは目に見えている。包囲されて全滅だ。

 

「地下を使うのは、どうだ」

 

 分隊長同士、そろってどう捜索経路を設定したものか、首をひねってしばらく悩み込んでいると、こちらの会話に聞き耳を立てていたらしいマイケルが、眼鏡の向こうから視線を投げた。

 

「地下?」

「下水道だよ。若い頃、この街で店を持つ金が欲しくてね。下水道の修繕からなにからやったもんだ。アレはあちこちつながっておるから、地上を移動するよりは死人共に出会わずに移動できると思うが」

「それはどこから入れる」

「そこらの鉄蓋を開ければ簡単に。中は迷路だが、お前さんら、紙はないか」

 

 散弾銃を手にしたまま、座り込んでいた老人はゆっくりと立ち上がる。彼は曲がり気味の腰に手をやり、眼鏡を指で鼻の上へ押し上げると、それをよこせとばかりに広げた地図を示した。

 

「なにしとる、ペンがなけりゃ何も書けんだろう」

 

 地図を差し出したヴラッドを見、老人はこの間抜けがとでも言いたげな眼差しをこちらへ向けた。老人の尊大で自信に満ちた態度に片眉を上げつつ、マルコフがペンを差し出すと、彼はそれをひったくるように奪い取る。

 

「いいか、管理用の下水路は格子状に四方に伸びている。いくつかは封鎖されておるが、大きく改築されたなんて話はついぞ聞いとらん。この街ができたその時から原型は変わっちゃおらんってことだ」

 

 マイケルはそう説明しながら、デスクに広げた地図の地形を確かめ、いくつかの基点を決めるとそこから線を引いた。生活用水の処理のために設けられた地下道の輪郭を街中へ引き、それから、こちらが目指すべきアンブレラ施設付近の出口と、線路につながる管理通路の位置を記す。

 

「これだけ書けば十分だろうが……」

 

 そこまで言って、ヴラッドとマルコフが図面を確認しようと顔を寄せると、老人はニヤリと笑って地図を引き、それを折りたたんで内懐へ。

 

「おい、あんた何を」

「こいつをくれてやってもいいが、一つ条件がある」

 

 深いシワとともに笑みの刻まれた口元。しかしレンズの向こうの眼差しは、鈍く鋭い色を帯びている。冗談でもなんでもなく、交換条件を飲めば渡してやる、とその眼差しは言葉より雄弁に意志を語っていた。

 

「なんだ、必死こいて守れとでも」

「命なんぞ惜しくはないさ。ヨーロッパの空から突き落とされたこともある。弾雨の中をな。お若いの、あんたにそんな経験があるかね」

 

 マルコフの僅かないらだちを含んだ問いかけを、マイケルは鼻を鳴らして一蹴した。虚勢でもなんでもなく、純粋に自分の命の残りに価値を見出していない、人生で見るべきものを見終えた男の顔だ。

 

「単刀直入に言うが、見に行ってほしい場所がある。そう遠くはないし、今すぐにとは言わん。そちらの小隊長とやらを見つけてからで構わん。息子の家だ。弟の遺した孫二人が、そこにいるはずだ」

 

 それだけを約束してくれんか、とマイケルは先程までの老獪な態度とは違う、ほのかな湿り気を感じさせる声で言った。

 

「息子は嫁に先立たれて子はおらんかったが、弟の孫二人が親と祖父を事故で亡くしてから、息子が引き取って育てた大事な子だ」

 

 訝しる眼差しを向けるマルコフに、老人は先を続けた。ヴラッドはマルコフに語り続ける老人の目の奥に、諦めとほんの僅かな――しかし強い執着と希望の色を見た。古物商店で銃を磨いていたこの男は、おそらく自分たちが飛び込んで来さえしなければ、今頃死者の山をかき分けて二人の家へ向かっていたに違いない。

 

 それを一度脇においてここまでついてきたのは、武装し、訓練を受けた若者のほうが、この老人――口ぶりからすると先の大戦の従軍者だろう――よりよほど役に立ち、たどり着ける可能性が高いと踏んだからに他ならない。

 

「だがな……」

 

 そこまで聞き、マルコフが渋った。彼がこちらへ視線を投げる。経験豊富なロシア人の目の奥には、老人に対する同情と同時に、リスクを認識した兵士の理性が宿っている。

 

「そんなリスク犯せるか? 俺らにゃ外と連絡する方法もないってんだぞ。それにそんな、死んでるかもしれないガキにかまけてられるか」

 

 マルコフが先を口にするのを待たず、チャベスが浅黒い顔に苛立ちを浮かべて口を挟む。マイケルが散弾銃を強く握りしめるのが見え、ヴラッドは気色ばむチャベスに睨みを効かせ、更にまくしたてようとした若い部下を抑え込んだ。

 

「腑抜けるのは程々にしろ、チャベス。別にいいじゃないか、俺らの任務は民間人の救助だろう? 仕事の内だ」

 

 突然、聞き耳を立てていたらしいマディソンが横から口を挟んだ。彼は煙草を咥え、火のついた穂先を揺らしながら、引っ張ってきた椅子に腰掛けて足を組み、頬杖をついている。

 

「素晴らしきかな犯罪者の寄せ集めの俺らだ、こういうときくらいまともな仕事しとかないと、あの世で焼かれちゃたまらないぜ。俺は乗ってもいいと思うね。どちらにせよ、探しに行くのは、俺とヴラッド、あと何人かだ」

 

 お前に来いとは言わないよと、マディソンが彫りの深い、しかしスッキリとした顔立ちに嘲りの笑みを向けた。チャベスはそれを見、鼻腔を大きく膨らませたが、それだけだった。模擬格闘でマディソンがチャベスを含む数名の若手をあっさりのして、部隊内の序列を明白にしたのは記憶に新しい。

 

「くそ、好きにしろよ……お人好しはすぐ死ぬぜ」

「腑抜けから死ぬのが常識ってもんだ。先に向こうで待ってろ」

 

 捨て台詞を残して立ち去るチャベスの背に、マディソンが中指を立てようとして、ヴラッドがその手を制した。

 

「やめろ、部隊内で諍いを起こすな」

「そいつは失礼。後ろから撃たれたらたまらんからな」

 

 横で、マルコフが大きくため息を吐いて目頭を揉んでいる。一癖どころか、社会的にはただの問題児をかき集めたこの部隊、平時でも隊内で喧嘩や揉め事は絶えず発生するものだが、この状況でとなると胃に重い。

 

「わかった。ヴラッド。お前に任せる。小隊本部の捜索はお前の受け持ちだからな」

 

 マルコフがひらひらと手を振り、どかりと椅子に座り込む。

 

 どうすると彼が視線をこちらに投げると、マイケルも同じように、力強いがどこかすがるような色味を含んだ眼差しをヴラッドへと据えた。

 

 その姿は、記憶の彼方で霞がかった祖父のそれに見えた。幼い頃に息を引き取った祖父、頑固者で、貧乏な南部の白人だった祖父。小さな墓石の下に埋められた、大きく骨ばった背中。

 

「もちろん、わかっとるよ。もうだめかもしれん。だが電話が通じなくなる前、避難所に行かずに家にこもると言っておった。ウチの息子はしぶとい男だ。だから、だから万一ということも……」

「いいよ、約束しよう。作戦推移次第だが、目標を達成し次第捜索に向かう」

 

 こちらを説得しようと言葉を選ぶしゃがれ声を最後まで聞かず、ヴラッドは頷いた。こちらの返答に、一瞬聞き間違いとでも思ったのか、マイケルが目をしばたかせる。背後では、マディソンがくすくすと潜めた笑い声を上げた。

 

「あとでやっぱりナシとはいかんぞ。必ず、行ってくれるんだな」

「男の約束だ。必ず行く。行かなかったら見捨てたみたいで気分が悪い。それに俺たちの任務は市民保護だ。傭兵ってのは信用第一、やれるだけやる」

 

 約束を破ったらドタマぶち抜いてくれてもいいぜと背後からマディソンがヴラッドのこめかみをつついた。

 

「やめろ、マディ。言い出しっぺだ、お前も一緒にぶち抜かれちまえ」

「ひでえな、責任は指揮官のものだろう」

 

 よく言う、と返したヴラッドの前にマイケルが内懐へ隠した地図を広げ、ペンを走らせてローマ字と数字の記号を書き込み始める。おそらくは現在地を知るための目印のようなものだろう。もし地図を隠したマイケルから無理やり奪い取っていた場合、地下で現在位置を確認するのはひどく骨の折れる作業になったはずだ。

 

 うしろで、ずる賢いじいさんだとマディソンが潜めた声音でつぶやいた。肩をすくめてそれに応え、これで道がわかるはずだと差し出されたそれを受け取る。

 

「誰を連れてく」

 

 マルコフがそれを見ながら、今更の問いかけを投げた。

 

「俺、マディ、ジョエル。あと、お前の班からクラヴィスを借りる。マディ、二人を呼んで下に集合だ」

「分かった。好きに連れて行け」

「地下に入ると連絡が取れなくなる可能性が高い。状況次第では地上に出るのに時間がかかるかもしれんが、侵入から六時間音信がない場合、全滅したと捉えてくれて構わない。その場合、作戦の最終計画通り時計塔へ迎え」

「それだけの余力が俺たちにあればな」

 

 マルコフが言った。実際、四名を送り出したまま、残りの人員で救出ポイントまで撤収するのは至難の業になるだろう。その場合、どれだけの死者が生じるか、想像もつかない。

 

 ヴラッドはお喋りを切り上げ、自分の銃を手にしてスリングを身体にかけた。再分配された弾薬をS.O.Eパトロールベストに詰め込む。おそらく下水道は明かりのない闇の王国、フラッシュライトの予備電池を確かめ、それから予備の照明類の残数に目を通す。

 

「お若いの。名前は」

 

 指定した二名を呼びにマディソンが階段へ向かうと、マイケルが歩み寄ってきた。

 

「ヴラッド・ホーキンス。軍曹」

「ヴラッド……シャーロットとリアムだ。二人を頼む。行って、確かめてくれるだけでいいんだ。ここが住所だ、ここに行って……いなければ、もう生きてはいるまい。その時は、もうそれで構わない」

 

 マイケルが懐から手帳を取り出し、おそらくは彼の息子だろう男とともに写っている写真を見せた。透けるような金髪の愛らしい少女と、勝ち気そうな少年。兄と思われる少年はまだ一〇になるかならないか。年端も行かぬ子供の顔を目に焼き付ける。

 

 同時に差し出されたメモを受け取る。住所が書き込まれたそれを、ベストの内懐へ収めた。

 

「男の約束だ。任せてくれ」

 

 ヴラッドは、こちらを見つめる老人の眼差しが湿った光を帯びていることに気づいたが、何も言わなかった。老人が目を伏せ、ほんの僅かに喉を震わせるのを横目に、彼は自分を待つ部下のもとへと歩き出した。

 

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