死者に祈りを、兵には讃歌を   作:兎坂

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希望は未だ遠く

「降下してすぐに任務の変更があった。……小隊長は、抗議したが……上は、社の財産が優先だと」

 

 個々人に配布される応急キットで首筋の傷を消毒し、止血剤入りのガーゼを貼り付けたが、ルーベンスの腹部の傷を処置するには量が不足していた。

 

 彼のベストの下、破れた戦闘服(BDU)から覗く腹部は引き裂けている。裂けた腹膜の下から内臓が覗いていた。幸いにして、内臓器官そのものに外傷は見られず、汚物が溢れ出した様子はないが、ひどい怪我であることに変わりはない。

 

「俺ははぐれちまったがな……おかげでこのザマだ」

「喋るな、無駄に体力を使うぞ」

「そんなもん……とっくに、残っちゃいねえよ。自分で……立ってらんねえんだ」

 

 苦しげな喘鳴が呼吸に混ざり、ルーベンスはぼんやりとした眼差しをヴラッドと向けた。ヴラッドは運行管理室のキャビネットから引っ張り出した書類の束から、役に立ちそうなものを選んで引っこ抜いたところだった。

 

 ファイルは手入れが行き届いているとは言い難く、中身はまとまりを欠いていた。が、地下鉄の路線図や保守点検用のマニュアルに混じって、アンブレラの傘のマークの入った資材搬入用ファイルが紛れ込んでいるのを、ヴラッドは見逃さなかった。

 

「すぐにジョエルが来る。手当を終えたら、ここから脱出して小隊長を捜索する」

「いい……手遅れだ、構う、な」

「ジョエルが来てからにしろ。俺は医者じゃない」

 

 ヴラッドは言った。マディソンはルーベンスの腹部に、残りの最後の止血剤入りの滅菌ガーゼと包帯を巻き付けているが、出血を止めるにも、傷口を覆うにも量は不足していた。腹から流れ出た血が、ルーベンスのBDUの股座を黒く染め上げている。

 

 いま自分にできることはなにもない。そう分かっているからこそ、ヴラッドは自分の仕事に専念することにした。手元のファイルを開き、詳細を確かめると、それはアンブレラの地下施設向けの物資搬入に関する注意書きだった。

 

「小隊本部は、地下鉄の分岐点から地下施設の搬入口に向かったらしい」

「おそらくは、そのはずだ。俺は改札ではぐれちまって……後のことは、わからんが」

 

 ルーベンスがあえぐように呼吸しながら頷いた。

 

 マニュアルでは、運行プランの調整の仕方とは別に、保守点検の際の方法やその他が記されている。記載が正しければ、ホームからヴィクトリー湖方面、操車場側へと向かった中間地点に、一般には公開されていない分岐点があるようだった。普段は隔壁で閉鎖されているらしく、開放方法は記載されていない。

 

 鍵か電子ロック式か。あるいは遠隔での操作が必要か。なんにせよ、現場へ向かわねばわからないことだが、記述の内容から判断するに不測の事態に備えて予備のドアがあるようだった。

 

「マディ、成形爆薬の残りは」

「3セットであがりだ。なんだ、またドアでも吹き飛ばすのか」

 

 そんなところ、と頷いてやり、書類を投げてやる。彼はそれをキャッチすると、バインダーに留められた紙面を読み上げた。

 

「なに? 通常運行時は隔壁の閉鎖を必ず行うこと。また分岐点の確認は二重に行うことを忘れぬように。また保守点検は定期的に行われるため可能性は少ないものの、万一隔壁が動作しない場合、予備のドアから内側へアクセスし、予備電源への切り替えを行った後強制的に閉鎖/開放を実施するように」

「あくまで予想だが、研究施設の設備、備品の搬入路だろう。そこからアクセスを試みた可能性が高い」

「それで、予備のドアの鍵は」

 

 マディソンがバインダーをこちらに突き返した。ヴラッドはそれを受け取って肩をすくめると、親指で壁に取り付けられた金属製のケースを示した。

 

「キーの保管棚にはそれらしいものはなかった。だから吹き飛ばす必要があるかもしれない」

「解決策が常に爆破、野蛮だな、まったく」

 

 けらけらと、マディソンが笑う。つられたルーベンスがしかし、大きく咳き込んだ。ひゅーひゅーとかすれた呼気、苦しげに胸を上下させる彼の顔色は、先程よりも悪くなっているように感じられた。

 

「ジョエル、ルーベンスの容態が芳しくない、急げ」

『了解、今確認が終わった、そちらへ向かう』

 

 送信した無線に、即座に投げ返された声。他にめぼしいものがないことをざっと確かめ、ルーベンスの脇にしゃがみ込む。呼吸は浅く、顔色は血の気が薄く唇は紫になりかかっているようだった。呼吸が浅く、間隔が大きいことから見て、軽度のチアノーゼだろう。

 

「入るぞ」

 

 そうかからず、ドアがノックされてジョエルが入ってくる。後から姿を見せたクラヴィスは廊下に残り、接近する者がいないかを警戒している。それを見、マディソンがヴラッドの肩をたたいて外へ出た。

 

「ひどいな……」

「手持ちの備品でどうにかなるか」

「わからん。呼吸を安定させないことには……」

 

 そこまで言って、腹を押さえていたルーベンスの手をどかしたジョエルが顔をしかめる。右の脇腹から臍のあたりにかけて肉が引きちぎられ、裂けた皮膚はすでに変色を始めていた。その下、腹膜が破れ、圧力に押されてはみ出かけた内臓が呼吸に合わせて動くさまは、なにかの生き物のようにも見える。

 

「出血がひどい。臓器に外傷はないようだが、コレは手持ちじゃ無理だな。搬送しないと長くは……」

「置いて……いけ。わかってる……、俺はだめだ」

「バカ言え、どうにかしてやる」

「くそ……わかってないんだな。俺は、……ぁ、噛まれてるんだ」

 

 ルーベンスの声はすでに力なく、紫に変色した唇が弱々しく笑みを刻んだが、それはより一層、悲惨な負傷状態を強調しただけだった。ジョエルが片眉を上げ、どういうことだと問いただす。

 

「くそ……上の奴ら、黙ってやがった。感染症に……ビビって、暴動になったんじゃない。いいか、()()()()()()()()()()()()()()んだ。そいつらに()()()()や、つらも……同じく。暴徒なんか、最初からいねえよ」

「冗談だろ」

「……俺を見ても、そう思うか」

 

 ジョエルの呻きに、ルーベンスが返した。ほとんど消え入りそうな声をどうにか絞り出し、それからこちらを見上げる。顔から血の気がほとんど失せ、目の焦点が合っていない。

 

「最初に噛ま、れた……ジョルジュは、……起き上がって俺を噛みやがった。ち……くしょう、俺だって……認めたくねえが」

 

 そこまで言って、ルーベンスが激しく咳き込む。背を丸め、心臓すら吐き出しそうな勢いでえづくと、口の端から唾液を垂らして天井を見上げた。目の動きは鈍く、ほとんど何も見えなくなっているのが分かった。

 

 ヴラッドはそれを見、最初に死んだエドモンドを思い出した。死亡確認までしたというのに、起き上がってダニエルに噛み付いたエドモンドのことを。そこで、安全地帯に待機する仲間の内3人が負傷している事実に思考がたどり着き、じっとりと手のひらが汗ばむ。

 

「……腹ぁ、減った……、なあ……頼むぜ、おれ……は、ああは、なりた……く」

 

 ほとんど呼吸音すら聞き取れなくなったルーベンスが、手にしたシグをだらりと垂らしてこちらへ突き出す。しかし、小さくいまにもかき消えそうな声が最後まで言い終える事なく途切れると、指先が白くなった彼の手もまた地面へ落ちた。

 

 銃が転がり、数秒の沈黙の後、ヴラッドはそれを拾い上げた。スライドをわずかに引いて、エキストラクターが真鍮の薬莢を薬室から引き出したのを確かめた。装填済みだ。

 

「ヴラッド」

「ジョエル、下がれ」

 

 動かなくなったルーベンスの喉に触れ、脈をとったジョエルの襟首を掴んで引き剥がす。彼は装弾を確かめたヴラッドに目を向け、問いただそうとする真っ直ぐな瞳を据えた。

 

「もう死んだ。死人になる前に始末してやる」

「まて、死に際の世迷い言かもしれないんだぞ」

「お前だって、エディが起き上がったのを見ただろう。時間がない、小隊長を捜索してマルコフに警告すべきだ」

「だが……」

 

 なおも食い下がるジョエルの肩を、背後からマディソンが掴んだ。クラヴィスは必要な措置と判断したのか、こちらを横目にちらりと見やっただけだ。

 

「ルーベンスの言うとおりなら、そこらじゅう死人まみれなのも説明がつく。わけのわからん感染症、なるほど、噛まれたやつがああなるなら、道理だ」

 

 忌々しげに吐き捨てたマディソンが、うなだれた姿勢のままで事切れたルーベンスを見やる。ジョエルもそれにつられて、目の前で死んだ仲間に目を向けた。ほんの僅かな逡巡、しかし状況を鑑みてやむないことと判断したのか、ほんの数秒目を閉じて引き下がった。

 

「遺言だ、果たしてやるのが人情ってもんさ。ヴラッドの判断は正しい。それとも、お前さんがどうにか出来るのか」

 

 クラヴィスが視線を廊下へ向けたまま言った。納得しきれない様子のジョエルを見て、こちらをかばったつもりなのだろう。それにジョエルが頷いたのを確認し、ルーベンスのシグを彼の頭へ向けると、ぴくりと、真っ白く血の気の抜けた指が動くのが見えた。

 

 小さいが、この地獄に降り立ち数時間で耳慣れた呻きがルーベンスの喉から漏れる。ヴラッドは、彼が濁った眼差しをこちらへ向け、大きく口を開くのを待たず、引鉄を絞った。

 

 

 

 

 

 

 引鉄の重み、たかだか数キロ分のテンション。それが人の命を刈り取るのを阻む、唯一の障害。殺すか殺さないかの判断を瞬時に求められる人間にとり、それはあまりにももろく頼りない。

 

 命のやり取りの場において、決断の最後の確認を取るのは、そのほんの僅かな重みを指が押し切るまでの一瞬だ。

 

 ヴラッドはルーベンスの頭を撃ち抜いた瞬間を思い出し、それから、ほとんど瞬間的に、肉体の判断に任せてぶち抜いたエドモンドの顔がまぶたの裏にちらつくのを無視して、眼前に広がる闇へとライトを向けた。

 

 ルーベンスを彼の希望の通り射殺し、小隊本部の後を追うことで一致したヴラッドたちは、最終的にダクトを利用してホームへと戻ることになった。職員エリアからの出口は何箇所かあったが、いずれも銃声と生者の気配につられた死人が群がっていたせいで、脱出は不可能と判断されたからだ。

 

 結局、時間をかけて施設の構造を調査し、換気ダクトの修理記録と改築報告書からダクトの配置を拾い上げ、そこを脱出路にしたわけだ。装備を着込んで這いずるのには随分と苦労したが、永遠に雪隠詰めにされるよりはマシだ。

 

「随分歩いたと思うが」

「もう少しだ」

 

 マディソンの問いかけに、ヴラッドはため息交じりに返した。

 

 下水道からのアクセスに使ったドアはとっくに通り過ぎていた。駅からそう離れぬうちは何体かの死者に出くわしたが、更に奥へと進んだ今、地下鉄はすでに音のない漆黒に逆戻りしている。背後から流れてくる死者の合唱と、自分たちの物音だけが聞こえる全てだ。

 

 進む先は未知なる漆黒、戻れば地の下でうごめく死者の楽園。救うべき市民すら見つけられず、ただ望まぬ死を押し付けられ、強烈な飢餓に突き動かされて生者を探し求める餓鬼を、あるべき死へと送り返す以外に出来ることはない。

 

 降下前、中隊本部のずさんさに苛立っていた自分には想像もつかなかった地獄。そこに身を置き、文字通り一寸先すら見通せぬ闇の中を進む自分が滑稽に思えて、知らずのうちに口元に嘲りを多分に含んだ笑みが浮かんだ。

 

 いけないな、と感づかれぬようにゆっくりと深呼吸をする。レールを辿る単調な行軍は、混乱に揉まれてこの方、休みなく活動を続けている身体にはいささか堪える。

 

 左手首の時計の時針は、すでに作戦開始から一〇時間が経過していることを示している。トリチウムで発光する針を読み、ヴラッドは指定した六時間までそう余裕がないことを胸に留めた。

 

 視線を巡らせると、すぐ隣でカービンを下へ向けたままのマディソンが、眉根を寄せて目頭を揉んでいる。クラヴィスはライフルのストックを指先でリズミカルに叩いていた。ジョエルはルーベンスを射殺してから、なにか物思いに耽っているらしく無口だ。

 

「見えた、あれだな」

 

 しばらく進み、ライトが線路の分岐点を捉えると、ヴラッドは銃で円を描いた。ライトがくるくると分岐点の部分を丸くなぞる。ようやくだなとクラヴィスがけだるげに呟き、マディソンが大きくため息を吐く。

 

 分岐点の先、ラクーンステーション側へと続く搬入路を奥へ進むと、五〇メートルほど進んだ先で隔壁が降りて封鎖されていた。貨物車を通過させるための大型の隔壁は分厚く、ライトで照らしただけでもその頑丈さが伝わってくる。

 

 03とナンバーの振られた隔壁、それに手を触れ、軽くノックしてみる。音は響かない。厚さは爆薬程度でどうこうできるものではないだろう。仮に電車で突っ込んだとしても、突破するのは難しい。そう感じさせる質量が目の前にそびえている。

 

「厳重だことで」

「研究施設の搬入路だ、当然」

 

 クラヴィスが口笛で囃し、ジョエルが鼻を鳴らした。研究施設ということは、社の機密に関わるものも多く存在するはずだ。となれば、万一の可能性を考えて出入り口のセキュリティを強化するのは当然のこと。

 

 ゲートの脇にはコンソールボックスが設置されていた。蓋は鍵でロックされており、ツマミを引っ張っても開かない。

 

「予備のドアってのは、これだな」

 

 隔壁のチェックをおこなっていたマディソンが、そびえ立つ鉄の壁の脇のドアを示した。大きさは人間の出入りを想定しているのか、そこらにある扉と大差はない。素材は鉄製で、そのドアの脇には隔壁と同じように小さなコンソールが張り付いている。そちらの蓋は開いたままで、誰かが最近アクセスしてそのままにしたのだろう。

 

「電子ロック式、電源が死んでやがる。役たたずめ」

「仮に電源が生きてても、俺達には解除方法がわかりゃしない」

 

 マディソンが吐き捨て、ヴラッドは通電していないらしく沈黙したままのパネルを一瞥すると、ドアに触れた。金属製で頑丈そうだが、隔壁そのものよりはよほど薄いはずだ。

 

 ライトを枠とドアの隙間に向け、目を細めてロック箇所と数を確認する。ドアの中央から2本、金属のロックバーが伸びているのが見えた。ほかにドアを施錠している部分は見受けられない。これなら爆薬で強引に開通できるはずだ。

 

「マディ」

「設置だろ、そこらに座って待ってろ。休憩時間だ」

「気遣いどうも」

 

 バックパックを下ろして中身を引っ張り出したマディソンが、下水から地下鉄へ繋がるドアを爆破したときと同じように、ケースに入れた成形炸薬を手にした。最小サイズで最大の威力を生み出す成型炸薬といえど、適当に設置していいわけではない。十分な効果を望むのであれば、角度や破壊目標との距離など様々な要素を考える必要がある。

 

 マディソンはその道のプロだった。麻薬取締局で戦術班所属だったころ、専門分野は爆発物による障害物除去と()()()の構築だったと聞く。爆発物運用の知識、そして銃器の運用に長けた、作戦には欠かせない人材だ。

 

 彼はざっと、成型炸薬の効果を引き出すのに必要な距離を維持する設置位置を検討すると、爆薬をテープで設置し始めた。

 

「この先にいると思うか」

「パネルに誰かがアクセスしたのは間違いない。小隊本部以外に考えられるやつがいるか?」

「いない、な。設置完了……と、吹き飛ばすぞ」

 

 そこをどいた、とマディソンが手で隔壁に寄るように示す。爆薬に差し込まれた信管、そこから伸びるコードは起爆装置に接続されている。安全装置をかけた起爆装置を手にしたマディソンが、隔壁に身を寄せたこちらにの前にかがみ込んだ。ヴラッドが頷いてみせると、マディソンは安全装置を外してそれを握り込んだ。

 

 爆発音は、周囲をコンクリートに囲まれた環境ではことさら大きく響き渡る。起爆と同時に膨大な熱量が生じ、想像を絶する圧力を受けた施錠部分は、瞬間的にその役割を喪失した。

 

 トンネルを駆け抜けた爆発音が尾を引き遠ざかるのを聞きながら、ヴラッドはコードを起爆装置から切り離したマディソンの脇を通り過ぎ、施錠部分に風穴を開けられたドアへ向かう。

 

 凄まじい圧力を受け、熱ではなくその圧力がもたらす破壊。爆破と聞いて一般的に想像される、破片が飛び散り熱で焼け焦げた破壊面と違い、ドアに刻まれた破壊痕は極めて限定的だ。

 

 ヴラッドは穿たれた施錠部を見、内開きのドアに蹴りを叩き込んだ。歪んだドアがきしみを上げ、勢いよく内へと押しのけられる。

 

 こじ開けた通用口、その向こうへ銃口を向けてくぐり抜けたヴラッドを待ち受けていたのは、こちらの額へと向けられた複数の銃口。そしてクランプで固定されたフラッシュライトの放つ、まばゆい明かりだった。

 

 

 

 

 

 

 

「お前たちが来なければ、私達はここが墓場になるところだった」

 

 もう一〇時間近く、明かりのない闇の中に閉じ込められていたらしいハリソンの声は、降下前にくらべて張りを失っているように感じられた。それは小隊本部の生き残りの他数名も同じだ。

 

「アクセスコードで隔壁をクリアしたのはいいが、肝心の施設の電源が落ちているんだろう。にっちもさっちも行かなくなったところで、こっちの電源も落ちた。おそらくは、到着以前から長時間、予備電源に切り替わっていたと思われる」

 

 そう言って隔壁で親指を示したのは、ハリソン率いる小隊本部の射撃班長(FTL)にして小隊の副長であるガルシア・アフォンソ曹長だった。南アフリカで生まれ、国軍を経験した後各地を傭兵として転戦した経験豊富な下士官だ。ローデシア軍への参加経験もあると聞く。

 

「予備電源は」

「起動を試したが、整備不良か応答なし。爆薬はここに来る途中で担当とはぐれて、無線も不通。おまえたちが来たのは幸運だ」

 

 ヴラッドの問いかけに肩をすくめて応じたガルシアは、角張った鼻梁を指先で掻き、部下から冷静にして冷酷と評される、細くすべてを見通すような眼差しをこちらへ据えた。グレーの瞳、感情の色の薄いそれは、かつての上官と同じ戦果と利益のみを成果とみなす冷たさがある。

 

 ここに来ることになったのも、戦闘中に敵掃討を優先し、多数の民間人を巻き添えにしてそれを隠蔽した罪で告訴され、アンブレラのリクルーターに拾われたのだそうだ。それ以外にも、現役当時に巻き添えにした民間人や切り捨てた部下の噂には事欠かない。

 

「お前たちは、どうしてここに」

 

 何度会話を重ねようと、慣れることのない冷ややかな眼差しの居心地の悪さ。幸運だと口にしながら、声音はどこまでも平坦なガルシアから、ハリソンの問いかけに目を向けて逃れる。

 

「マルコフが、最後の無線交信で分隊長は地下鉄から地下の研究施設へ向かうといっていた、と。駅舎の捜索を行い、ルーベンスを発見。カメラの映像と搬入用の資料、彼の証言から、ここだろうと」

「マルコフが? ……そうか、ルーベンスは」

「死にました。死者になったので、自分が」

 

 顎に手をやって怪訝な様子で一瞬考え込んだハリソンの問いかけに、ヴラッドは素直に応じた。ハリソンはそれを聞き、小さく頷いて壁に寄りかかった。煙草を取り出し火を点けた彼の顔にまざるほんの僅かな悲しみの色を、ライターの明かりが照らし出した。

 

 彼が指揮官として、小隊の部下から信頼される所以。大仰に感情を顕にすることはないものの、しかし部下の死傷に対して無感動ではない。冷静さを欠かず、しかし胸のうちにしっかりと悲しみを抱ける、その人間味は人を率いる上で求められる部分だ。たとえ有能であろうと、機械的なだけの人間の後ろに続く者は多くない。

 

「お前は仕事をした。処置をしたことを悔いる必要はない」

 

 先ほどと変わらぬ無感動な声でガルシアが言った。ただ淡々と言葉をなぞっただけの彼は、それでと付け足して片眉を持ち上げる。

 

「そちらの状況は」

「現在マルコフの第三分隊が集結地点を掌握、民間人とともに安全地域を確保しています。我々は小隊本部の捜索、及び野外無線機の確保のために分遣されましたが……その前に、ルーベンスの言っていたことは本当ですか。噛まれたものは……」

「事実だ。すでにこの場で一人、処理した」

 

 処理、という一言に眉根が寄る。ガルシアが親指で示した先にマディソンがライトを向けると、頭を撃ち抜かれた隊員の亡骸が線路脇に転がされているのが見えた。ライトの照り返しが、マディソンの僅かにしかめられた顔を薄ぼんやりと照らしている。

 

「これは新種の感染症だ。市内全域に広まっていると見ていいだろう。私はそちらには詳しくないが、感染、発症した人間に噛まれることで感染すると見ていい。そして、たとえその傷が致命傷にならずとも、いずれは発症し死に至る。その後、起き上がり人を襲うようになる」

 

 ハリソンが赤熱する煙草の穂先を見つめつつ言う。彼は頭を撃ち抜かれた部下の方をみやり、彼の外傷は少なくとも致命傷ではなかったからな、と付け足した。ジョエルが示された死体へと歩み寄り、ラテックスをはめた手で死体の見聞を始めた。

 

「小隊長の言うとおりだ。咬創は四箇所だが、いずれも重要器官、動脈にも触れていない。出血量も見たところ大したものじゃない。止血もしっかりされている。外傷が原因で死んだとは思えないな」

「感染経路はわかるか」

「俺は感染症の専門家じゃないですがね。空気感染なら、生存時間次第ではもう俺らも手遅れ、飛沫感染や接触感染は十分にあり得るな。噛まれて感染するなら、接触感染は間違いない。血の一滴でもアウトだろう」

 

 ジョエルが死体の具合を確かめながら解説し、ハリソンの問いかけに首を振って応えた。彼は戦場での外傷処置に長けてはいても、感染症に関して専門的な知識を有するわけではない。

 

「死人、感染者の体液。コレに極力触れないこと、また触れたものを傷口に触れさせないこと。飛沫感染はわからないが、警戒に越したことはない」

「早くマルコフに警告すべきじゃないのか」

 

 クラヴィスが言った。彼は侵入のために爆破したドアの方へ銃口を向けたままで、膝をついてこちらへ急かすような視線を向けている。

 

「負傷者がいるのか」

 

 ガルシアが眉根を寄せて問うた。語気がわずかに力んでいるのが分かった。

 

「三名、いずれも噛まれています。我々は野外無線を回収し、即座に帰還を……」

「野外無線はない。無線手とは地上ではぐれた」

 

 ハリソンの声音は静かだが、その分状況の劣悪さをしっかりと示していた。本部とのやり取りを可能とする野外無線手と地上ではぐれたとなれば、それを探し出すのは骨が折れる。そもそも、現段階で無線手が生きているとは到底思えない。

 

「現段階で、この地点から施設へのアクセスは不可能だ。施設からの電源供給が途絶えていてコンソールは反応しない。別の迂回路を確認するためにも無線が必要だ」

 

 ハリーはそこまで言って、根本まで吸いきった煙草を捨てた。葉が燃える微弱な明かりすら失った搬入路線に、再び完全な闇が落ちる。

 

「そちらは我々で捜索します。小隊長は集結地点へ移動して、マルコフと合流してください」

「移動経路は、どうやってここまで来た。まさか地上の死人共をかき分けたわけじゃあるまい」

「下水道を使いました。途中、わけのわからないバケモノに遭遇しましたが」

「バケモノ?」

「四つん這いの、皮を剥いたカエルみたいなヤツです」

 

 怪訝さを含んだハリソンの問いかけに頷き、ヴラッドは地下道の経路と、接敵した奇妙な個体のことを説明した。異常発達した四肢、むき出しの脳みそ、想像を絶する俊敏さ。一体は仕留めたが、あと何匹あの地下に潜んでいるのかは不明だ。

 

「死人だけじゃないってことか。詳細不明のバケモノがうようよする地下、死者で一杯の地上、どちらもろくな経路じゃない」

「地下を通るべきだ。正体不明であっても、ヴラッドの言うとおりなら地上ほど数がいるわけではあるまい。残弾から考えても地下を通ったほうが損害は少ない」

 

 目頭を揉むハリソンにガルシアが押しかぶせるように言った。彼はカービンを手にし、自分の装備の確認を始めている。

 

「経路はサイリウムで示してあります、これがその経路図」

 

 ヴラッドはハリソンにマイケルが記した下水道の経路図を差し出した。ライトをつけてそれを確かめるハリーが、視線をこちらにあげて問うた。

 

「私は小隊の指揮を取る必要がある。無線の捜索は任せても構わないか」

「問題ありません。我々で無線を捜索します」

「そうか、手間をかける。無線手とはぐれたのは、駅に北からアクセスする途中だ。私が直に見たわけではないが……」

 

 ハリソンが言葉を切りガルシアへ目を向けると、闇の中で生き残った小隊本部の部下と装備を確認していた彼が、こちらへ振り返るのが気配で分かった。

 

「やつは途中で分断され、俺が最後に見たのは北へ逃げ去る背中だけだ。おそらくもう死んでいるが、探すのは骨だ。俺も同行しよう」

 

 ハンドライトを点灯させたガルシアが地図を広げ、駅へのアクセスへ使ったルートをなぞり、見失った地点を指差して言った。どこまで逃げたのかは判然とせず、捜索範囲は広大だ。気が遠くなるなと目頭を揉むヴラッドをよそに、マディソンが口を挟んだ。

 

「ガルシア、あんたが同行する必要はない。小隊指揮官と次席は集結地点で指揮に当たるべきだ。ウチの分隊長がいればこっちは足りる」

「無線の捜索は急務だ。それに場合によってはシビアな判断を求められる」

 

 マディソンの意見に、ガルシアが眉を持ち上げて色のない眼差しをマディソンへと据えた。彼は分隊長よりも下の序列にあるものが口を挟むことを好まず、自身の階級を示すようにはっきりとした声音で応じた。

 

 その態度は横に置くとして、ガルシアの言にも一理ある。社の財産保護という任は、上からすれば市民救助よりもウェイトの重いものであるのは考えるまでもないからだ。当然、重要度の高い任にはある程度の責任者が随行するほうが、都合がいい場合もある。

 

 それに、過去幾度かの任務では、小隊指揮に忙しいハリソンに代わり、重要と目される副次任務にガルシアが帯同していたこともある。すくなくとも、ヴラッドの経験から言えば彼の上層部からの覚えはよく、ある意味でお目付け役に近い役割を与えられている。

 

 それを指して、裏では本社の回し者と隊内で言われているのを、ヴラッドは知っていた。

 

「ヴラッドは優秀だ。俺たちだけで事足ります。小隊長と副長は仮設本部で待機するべきでしょう」

 

 横合いから会話に混ざったジョエルの進言に、地図を照らしたままのガルシアが目を向けた。その思考の読めない無色の眼差しが、ほんの僅かに感情を宿し、ヴラッドはなぜか執着という二文字が脳裏をよぎるのを感じた。

 

「この状況では、指揮系統上位の人間は本部で指揮に当たるべきだと私は考える。分遣隊はヴラッドに任せて構わない。信頼できる人間だからこそ第2分隊を委ねている」

 

 ガルシアの頑として譲ろうとしない態度にヴラッドが口を挟むより早く、ハリソンが場を掌握すべく小隊長としての意思決定を行った。彼は静かだがはっきりと小隊内の序列を示す力強い口調で、我々は合流を急ぐぞと告げる。

 

「了解」

「よろしい。ヴラッド、捜索の結果発見が見込めない場合、あるいは装備、人員による限度へ達した際は、こちらへ合流しろ。その場合、別小隊との合流を視野に方針を決める」

「了解しました」

 

 小隊長の判断に食いつく愚は犯さず、ガルシアは頷いて素直に引き下がった。それを見、ジョエルとマディソンがこちらへちらりと視線を投げたのを感じつつ、ヴラッドも小さく了解を示す。

 

「分遣隊は直ちに無線手の捜索に着手せよ。まあ、見つかってくれれば儲けもの、程度だがな」

 

 必要になるかはわからんが、とハリソンが手書きのメモを差し出した。それを開くと、中身は中隊本部との交信用に野外無線に割り当てられた周波数を始め、幾つかの数字が書き込まれている。

 

 手持ちの無線では出力的に市内の一部にしか電波を送れないが、周波数さえ一致していれば野外無線との交信は可能だ。もちろん、向こうが生き残っていれば、だが。

 

「無理はするな。この状況では、一人でも頭数を減らしたくはない」

「こちらの心配より、自分の身を案じてください。下水道はわけのわからん敵がいます、気をつけて」

 

 頷き、銃を手にして移動を始めたハリーを見送る。

 

 すれ違いざま、ガルシアがこちらへ向けた何気ない眼差しの奥に、一瞬だけ探るような色合いが見えた気がして、ヴラッドは立ち去る彼の背をほんの僅かな間見つめていた。

 

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