楽しんでいただければ何よりです。
「どうぞ」
先ほどまでの不機嫌そうな顔つきは何処に行ってしまったのやら、雪ノ下は居ずまいを正して扉の向こうにいる人に呼びかける。
「し、失礼しまーす」
緊張しているのか、少し上ずった声で教室の戸を開けておずおずと入ってくる女子生徒に、俺は見覚えがあった。
まだ純粋で素直な心を持っていた中学時代、俺に数々の黒歴史を生み出させた張本人である。
まさか彼女も同じ高校に通っているとは思いもしなかった。
ここは忘れてしまいたい黒歴史を知る彼女に、俺の存在がバレないように特技【ステルスヒッキー】を発動する。
説明しようっ! 【ステルスヒッキー】とは比企谷八幡が小学生の頃からのぼっち生活で自然と身についたステルス機能だぞ! オンオフと切り替えが可能で、切り替えを忘れると廊下で人とすれ違う際にぶつかっちゃうから注意が必要だぞ! ……断じて、嫌がらせを受けているとかそんなんじゃないんだからねっ!
「あの、生徒のお願いをなんでも叶えてくれる部活があるって噂で聞いたんだけど、……ここがその部活であってるかな?」
「和泉風花さんね。残念ながら、生徒のお願いをなんでも叶えるわけじゃないわ。あくまで奉仕部は手助けをするだけ。願いが叶うかどうかはあなた次第」
「あれ? 私のこと知ってるんだ」
「ええ、彼女からよく聞い──」
「やばい、雑誌で見るよりめちゃくちゃ可愛いんだけどっ! あの、和泉さん握手してくださいっ!」
ガタガタガタン、と興奮した顔つきで席を立つ由比ヶ浜はあろうかとか和泉に握手を求めていた。
……え、あいつって有名人か何かなの?
気になったので、未だ俺の右腕をがっちりホールドして一色に小声で訊いてみることにした。
ていうか、この子そろそろ離してくれないかな。腕を解こうにもセクハラで訴えられそうで怖くて無理なんだが……。
「なぁ、一色。あいつって有名人かなんかなのか?」
「先輩知らないんですか? あの人、最近女子高生の間で話題の〝読モ〟ですよ」
「あのいかにも偏差値の低そうな雑誌に載ってるモデルのことか?」
「……先輩、わたしだからいいですけど、結衣先輩がそれ聞いたら『ヒッキー、バカにしすぎだし!』なんて言われて詰め寄られますよ絶対」
「由比ヶ浜のマネか? 全然似てねぇな」
「う、うるさいです。ていうか先輩、さっきから和泉先輩がこっちをチラチラ見てる気がするんですけど……」
「……き、気のせいだろ」
どうか気のせいであってくれ、と俺は願う。
中学を卒業してからもう一年。あと数ヶ月もしたら二年が経つ。
『人生はリセットできないが、人間関係はリセットできる』
何時ぞやの俺が得意としていたこと。
独りでいることが当たり前だと思うようになった俺の数少ない手札で、最善を求めた結果。
人間関係というのは関わらなければ関わらないほど記憶から薄れて、いつかは消えてなくなっていく。
例え、どんな黒歴史でもその原因から距離をおけば、いずれ忘れられるはずだった。現にドーナツショップで偶然折本かおりと再会するまでは、彼女のことなんて記憶の奥底に打ち捨てられているとばかり思っていたのに。
すんなりと名前が出てきてしまった。
リセットできたつもりで、ふとした拍子で崩れる。
結局のところ、詰めが甘いと言わざるを得なくて、もっと簡単な方法があるにも関わらず怖気ついて中途半端なことしかできない。
知り合いがいないだろうと踏んで、苦手な数学も必死こいて勉強して偏差値の高い進学校──総武高校に運良く合格できたというのに。なんでよりにもよって和泉がいるんだよ。
あぁ、俺の目の前に
依然として落ち着かない様子でわーわーキャーキャー、とはしゃぐ由比ヶ浜に雪ノ下はため息をつく。
「由比ヶ浜さん、和泉さんが困っているわ。それに──依頼のほうをそろそろ伺いたいのだけれど」
「あ、ゆきのん、ごめん! すっかり忘れてた。ふうぴょん、立ち話もアレだし座って座って!」
背中を押され、案内されるがままに依頼人用の椅子に座る和泉は由比ヶ浜の顔を見上げた。
「あ、ありがと……。それとひとつ気になったんだけど〝ふうぴょん〟って私のことかな?」
「うん、そうだよ! うさぎみたいで可愛いかったから、ふうぴょん!」
「うさぎみたいで可愛い、か……。そんな風に言ってくれる人、周りにいないから嬉しいな」
そう言って、えへへ、とはにかむ微笑みを向けられた由比ヶ浜は苦しそうに胸を押さえた。
「お……」
お花摘みに行ってくる、とでも言うのだろうか。はぁはぁ、となんだか息遣い荒いし、我慢しないでさっさと行ってきたほうがいいと思うのだが……。
「お持ち帰りしたい」
「「「「……は?」」」」
由比ヶ浜を除く四人の声が重なった。こいつ、なに言ってんの? 思わずみんなして顔を見合わしてしまう。
その結果、うっかりばっちり目が合ってしまった。
「あ、やっぱり比企谷君だ! 久しぶりだね!」
「……あ、あぁ」
こうなることは薄々わかっていたけど、いざその現実を目の当たりにすると、胸の内の奥底に封印した数々の黒歴史がフラッシュバックするんだなと口元の片方を
「比企谷君もここに通ってたんだんだね! 知ってる人いないと思ってたから嬉しいな!」
「……あ、あぁ」
微笑みながら話しかけてくる和泉に、俺は壊れかけのロボットのような返事と苦笑いで返すほかかなった。
コレだよコレ。俺を含める中高生男子を勘違いさせる言動は中学の頃から全然変わっていやしない。
ただ、もう馬鹿みたいに勘違いを起こしたりしない。もう和泉の
俺たちのやりとりを傍らで見ていた一色がひょいと身を乗り出す。その瞬間、ようやく右腕が解放された。若干名残惜しい気持ちもなくはないが、微かに右腕に残る柔らかな感触と温もりが俺の心にほのかな
「えっ、もしかして、先輩のお知り合いですか?」
それは、以前折本と偶然再会した時の陽乃さんの聞き方と酷似していて「……知り合いいたの?」に聞こえるのはどうか気のせいであってほしい。
だからあのときと同じようにベストアンサーで俺は答える。
「中学の同級生だ」
「もう、相変わらずつれないなー。私は比企谷君のことお友達だと思ってたのにー」
言って、和泉はぷくーっとふくれっ面を作って見せる。
側から見たら、
ただし、周りの人間が和泉風花を『劣化版陽乃さん且あざといろはす』ということを知らなければの話だが。
「ところで和泉さん、紅茶はお好きかしら?」
「うん、好きだよ」
「それならよかったわ。これ、どうぞ」
いつの間に電気ケトルでお湯を沸かしのやら、雪ノ下は一色によく使っている来客用のティーカップに紅茶を淹れて和泉の手元に置いた。
「うわぁ〜、いい香り〜」
ティーカップを口元に近づけて、目を閉じて香り嗅ぐ和泉はそう零す。
透き通るような白い肌とくりくりっとした大きな瞳、それに二つに結んだ色素の薄い青紫色の髪も相まって、どこかのお伽話に出てくるような少女みたいだ。
そんな彼女が「おいしいな」と幸せそうに目を細めるのを見て、不覚にも見惚れてしまった。
「由比ヶ浜さんも一色さんもおかわりはいるかしら?」
「ゆきのん、ありがと!」
「雪ノ下先輩、ありがとうございます〜」
「あれ? 俺には……」
雪ノ下と過ごしている時間は一色よりも長いはずなのに、さりげなく除外されることに定評のある俺です。いや、まぁ別にいいんだよ? 中学の頃、クラスの男子とやった王様ゲームで「五番は今すぐ家に帰れ」なんて笑顔で言われて、周りの奴らからも「王様の命令はぜったーい‼︎」なんて笑いながら言われたときよりも全然さりげないからいいんだよ?
ただそれでも、忘れ去られることは寂しいので自分もこの教室にいますよーっと雪ノ下にアピールしてみるとため息をつかれた。
「あなた、熱いの苦手じゃない。もう少し待ってちょうだい」
その一言に、衝撃的な事実が発覚する。
もしかして今の今まで、紅茶を淹れられるのが一番最後だったのって俺を思ってのことだったの⁉︎
そう思ったら、途端に気恥ずかしくなって彼女から目を逸らす。
「はい、どうぞ。比企谷くん」
「お、おう、さんきゅ。なんか猫舌で手間かけて悪いな」
「悪いと思うなら猫舌なんてやめてくれないかしら。まったく、猫に失礼よ」
相変わらず、猫大好きフリスキーの雪ノ下は変なところで怒ってみせる。
「──それで、奉仕部への依頼はなにかしら」
それぞれの手元に紅茶が行き届くと、雪ノ下が本題を切り出した。
その言葉で本来の目的を思い出したのか、和泉はあっと声を上げる。
「えっと、えっとね、その……」
言いかけて俺の顔をちらっと見る。
前にも、由比ヶ浜が初めてここへ訪れたときもこんなことあった気がする。確かあのときも……。
「比企谷くん」
「あぁ、わかってる」
言って、席を立つ。
女の子同士でしか話せないのなら仕方ない。邪魔者は一時退散するとしよう。
「ま、待って比企谷君っ‼︎」
扉に手をかけたところで和泉に呼び止められる。
なんだよ、と振り向きざまに視線で問いかけると彼女は顔を俯かせながら呟いた。
「その、男の子の意見も聞きたいからここにいてほしい……」
依頼人である彼女がそう言うならば俺はただ黙って席に戻るわけだが、なんだか嫌な予感がする。
男女両方の視点から意見が聞きたい。
そう考えたとき、思い当たる節はひとつだけあった。それは一色も言っていたが、あと一ヶ月も経たないうちにバレンタインだということ。
つまり、そこから導き出される和泉風花の依頼というのは──
「えっとね……私、好きな人と寄りを戻したいんだ」
──きっと恋愛相談に違いない。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
細かい設定といたしまして、まだこの段階では海浜高校との合同バレンタイン企画は決まっておりません。
不定期更新ですが、続きも気になるって方は感想・お気に入り・評価をお願いします。