今回はいつもよりちょっと長めです。
「えっとね……私、好きな人と寄りを戻したいんだ」
微かに震える声で紡がれた言葉は、ただひたすらに切実で真っ直ぐな想いは、俺たち──奉仕部に不穏な空気をもたらす。
嫌な予感ほどよく当たるというが、今回ばかりは外れてほしかった。
二度目の恋愛相談。
一度目は
あの修学旅行の一件は解決も、解消もしていない。問題そのものを覆い隠すことで事態の収束を図ることしかできなかった。その場にいた誰もが納得しないことは自明の理であったというのに。
ただ、それでも──。
『……あなたのやり方、嫌いだわ』
『人の気持ち、もっと考えてよ……』
冴え冴えとした月光と青く照らされた竹林、枝葉を鳴らす冷たい風。あのとき、あの場所で彼女たちから言われた言葉が未だ耳に粘りついたまま消えようとしない。
彼女の依頼に私情を挟めば、俺はこんな依頼なんぞ即刻辞退している。
しかしながら、これは俺個人の依頼でなく奉仕部の依頼である。生憎なことにそれを拒否する権限は奉仕部部長である雪ノ下しか持ち合わせていない。
視界に入る雪ノ下はやや困惑したような表情を浮かべていた。眉尻を下げたその姿は、いつもの
「寄りを戻すって具体的にどうすればいいのかしらね……」
それは和泉に向けて放たれた言葉なのか、あるいは自身に向けて問いかけた言葉なのか。独白にも似たその呟きは静かな空間でやけにはっきりと耳元に届いた。
「もう、ゆきのんったら、それを今からみんなで考えるんでしょ?」
雪ノ下のブレザーの裾をちょこんと
「ヒッキーもちゃんと考えてね! やっぱりこういうのって男子の意見が結構大事なんだから!」
「そうは言うがな、俺の意見なんて当てにならないだろ……」
生まれてこの方、恋愛という恋愛をしたことがない俺は明らかに力不足だ。
じゃんけんで負けた罰ゲームの告白も、女子が代筆した男子からの偽のラブレターも経験はあるけれど、女子と付き合ったことは一度もないのだ。そんな恋愛経験ゼロとも言える俺が他人の恋愛相談に乗れるわけがない。
やはり俺にはこの依頼は無理だ、と訴えかけるように和泉を見やると、こてんと首を傾げた。
「あれ? でも比企谷君ってたしか中学のとき結構ラブレター貰ってなかったっけ?」
「先輩に、ラ、ララ、ラブレターッ⁉︎」
「ヒッキーに、ラ、ララ、ラブレターッ⁉︎」
逡巡せず吐き出された俺の黒歴史は、この狭い教室に奇怪なハーモニーをもたらした。
「和泉先輩、嘘ですよね? たまに教室に通り掛かったときニヤニヤと気持ち悪くひとりで本読んでる先輩にラブレターなんて……」
「ふうぴょん、嘘だよね? いつも休み時間とか寝たふりしてたり本読んで笑ってたりしてキモいヒッキーにラブレターって……」
事前に打ち合わせでもしていたんだろうか──。
そう思えるくらいに、一色と由比ヶ浜は息ぴったり俺の心ぐっさりとピンポイントに抉ってくる。もし仮に、これを無意識にやっているんだとしたらお前らスナイパーに転向することをお勧めするぞマジで。
「あ、ははは……、二人とも息ぴったりだね。それにしても比企谷君、中学の頃から全然変わってなくてちょっと安心したかも」
「へぇ、あなたのその気持ち悪い癖って中学生の頃からだったのね。アレ、本当に気持ち悪いからやめたほうがいいわよ」
「……き、君達さ。さっきから人のことを気持ち悪い気持ち悪いってから言い過ぎじゃない? ねぇ泣くよ、泣いていい?」
だいたい今の話の流れから察するに、和泉が言った『中学の頃から全然変わっていない』というのはその頃から俺のこと気持ち悪いって思ってたことだろ? 気持ち悪くて安心したとかなんだよ、中二病じゃない材木座は材木座じゃない的なやつなの? あらやだなんかすごい納得できちゃうんですけどー。
これ以上はもう精神的に堪えられそうになかった。俺の中学時代を和泉の手によって暴露されるぐらいなら、嫌でも彼女の依頼の話を進めて逸らしていくしかない。
冷めてしまった紅茶を口に含んで、喉の調子を確かめるためにゲフンゲフンと咳払いをしてみた。よし大丈夫、問題ない。
いつもよりやや低めの声を俺は意識する。
「っつーか、俺の話はどうでもいいんだよ。今は和泉の依頼をどうするかだろ」
「あら、意外にも乗り気なのね。あなたのことだから、てっきり逃げ出したいとか家に帰りたいとかでも言うと思ったのだけど」
「それには概ね同意だが、依頼人が男の意見も欲しいって言ってるんだから流石にそうもいかんだろ。やるからにはちゃんとやらないとな」
「へぇー、先輩が率先して働こうとするなんて明日は槍でも降りそうですね」
「ほぇ? いろはちゃん、槍が降るっておかしくない? 今は冬だから雪でしょ普通」
至極真面目な顔で告げる由比ヶ浜に、学年がひとつ下である一色は目を瞬かせた。
「え、え〜っと、結衣先輩は『青天の
「せ、せいてんの、へ、へき? ……せいへき?」
耳慣れない言葉に由比ヶ浜は首を傾げる。
「……お前、今自分がなに言ったかちゃんと理解してるか?」
「結衣先輩は、今日は下ネタで行くんですか?」
「え、行かないよ⁉︎ い、今のは……そう! こ、言葉の綾だからっ!」
顔を赤くして捲し立てる由比ヶ浜に、それまで不躾な眼差しを向けていた一色はやれやれと首を振る。
「まぁ、そういうことにしといてあげます」
「いろはちゃん、なんで上から目線なんだし……」
「てゆーか、和泉先輩の寄りを戻したい相手って誰なんですか?」
「あっ! それ、あたしも思ってた!」
キラキラと、目を輝かせる由比ヶ浜は何処かの文化部部長を務める好奇心旺盛な女の子みたく、今にも「わたし、気になります!」とでも言いそうな雰囲気だ。
ただ、これはあまりに好ましくない。質問する側はなんてことないかもしれないが、答える側は堪ったものじゃない。
誰にだって言いたくないことの一つや二つあるはずだ。
それこそ、恋愛における好きな人というのは心の内にしまっておくべきものなのだ。
うっかり口外してしまった日にはクラス全体に知れ渡って──
『ねぇ、聞いた? 比企谷ってさ風花のこと好きなんだって』
『うわー、風花が
『風花と比企谷って確か同じ図書委員だったよね?』
『もしかしてずっと舐め回すような目で風花のこと見てたりして……』
『流石は変態様ってところだね(笑)』
『──あ、おはよう風花。突然なんだけど風花って比企谷のこと異性としてどう思ってる?』
『…………』
『ちょ、風花が真顔とか超珍しいんだけど(笑)』
『どんだけ比企谷のこと嫌なのー(笑)』
──なんていうやりとりを教室の片隅で狸寝入りをしながら、告白もしていないのにフラれることもあるのだ。言ってしまったが最後それをネタに弄られることもままあるし、もしかしたら誰かの好きな人を知るために交換材料として使われるかもしれない。
だから、好きな人を口外するということは相当な勇気を必要とする。
和泉は手元のティーカップに視線を落とした。
「や、やっぱり、言わなきゃダメだよね……」
「いえ、プライバシーもあるでしょうから個人名は出さなくて結構よ」
「雪ノ下先輩、それじゃあ寄りの戻しようがないじゃないですかー」
「ええ、だからそれも踏まえて、どんな人なのか教えてほしいのだけれど」
「まぁ、それくらいなら……」
ティーカップで口元を隠して、ちらりと和泉は目だけをこちらに覗かせる。
やはり中学の同級生が居る手前、個人名を出すのは気が引けるのだろう。
「彼ね、私が今まで会ってきた人の中でほんとにほんとに優しいんだ。私って……見た目がお爺ちゃんお婆ちゃんみたいに白っぽい髪に白人みたいな青い瞳だから幼稚園のときにひどく気味悪く思われていじめられてたの」
「「い、いじめっ⁉︎」」
気にする素振りを見せず重ための過去をぶちかます和泉に、一色と由比ヶ浜は驚いたように声を上げた。
俺も雪ノ下も声を上げやしないものの、驚きで目を見開いていた。
「こんなにうさぎみたいで可愛いのに……。ふうぴょん大丈夫だったの?」
「まぁ、当時は大丈夫じゃなかったけど、結果だけを見ればあのときいじめられて良かったって今は思ってるかな」
「和泉さん、それはどうしてかしら?」
「え、だってあのとき私がいじめられていなきゃ彼にきっと出会えていないと思うから」
「…………そういうものかしら?」
「少なくとも私はそう思っていたいかな」
和泉は静かに目を伏せ、過去を懐かしむように微かに口許を緩めた。
「っつーことは、そのとき和泉を助けたのがお前の言う『彼』なのか。すげぇな、そいつ……」
いじめから助けるなんてそうそうできることじゃない。
素直に『彼』を称賛していると、和泉はむすっとした表情で唇を尖らせる。
「でも、彼ってば階段から足を踏み外して当時のこと全然憶えていないんだよね。それに久しぶりに会えたと思ったら、それぞれ違った美少女を連れているし……ほんとなんなのかな……」
「ん? てことはふうぴょんの好きな人ってモデルやってるんだ」
「……え、あぁ、うん。そんなとこかな」
ばつが悪そうに由比ヶ浜から顔を逸らして紅茶を飲む和泉を見て、俺はふっと笑ってしまった。
「先輩どうかしました?」
「いや、なんでもない」
一瞬、外面が剥がれかけたなこいつ……。
「今の話を聞く限りだと、和泉先輩ってその人とまだ付き合ってないですよね?」
「う、うん。そうだよ。あれ、言わなかったっけ?」
「いえ、和泉先輩の言い方だと別れた彼氏と復縁したい的な感じで聞こえたので……」
呆れた様子で一色は言うと、俺をちらりと
「ところで先輩、どうでもいいんですけど甘いものって好きですか?」
「
もう一色の行動原理はある程度把握している。先んじて言うと、一色はつまらなそうに頰を膨らませた。
「いえ、そういうことではなくてですね。今のこの時期に男の人と距離を縮めるなら、やっぱりバレンタインしかないと思っただけですよー」
「いろはちゃん! それナイスアイデア!」
「口実作りにはちょうどいいし、いいのではないのかしら」
彼女たちの間で具体的な策が決まりつつある中、和泉はゆっくりと弱々しげに手を挙げた。
「わ、私、料理とか全然作れないです……」
「べつに市販のものでもいいとは思いますけど、手作りのほうが男心をぐっと掴めますよ。相手はお菓子作りのこととか全然わかんない男子なんですから手作りのほうがチョロいですよ絶対」
「お前からお菓子貰った男子は可哀想だな……」
「なんか嬉しくない……」
「一色さんってそういう子だったんだね……」
さんざんに言われるとさすがの一色もひよるらしい。ううっと言葉に詰まりながらも、強引に話題を切り替えにかかる。
「まぁ、幸いなことに味見役につご……頼りになる先輩がいるんですから大丈夫ですよ!」
「そうね。都合のいい味見をしてくれる人がここにいるものね」
「雪ノ下。お前が言い直してどうするんだよ……」
まぁ、味見することには特に反対はない。
ただ、和泉が由比ヶ浜みたいに
「あのさ、比企谷君……」
「なんだ?」
見ると和泉は制服の胸元のリボンを握っていた。緊張しているのか、きゅっと唇を結ぶ。上気した桜色の頰を隠すように、潤んだ瞳が俺を捉えた。
目が合ったせいで俺まで緊張してくる。
なにか絞り出すように、和泉は小さく糸のように細い声で
「そ、その……つ、付き合ってくれないかな?」
「……お、おう」
勿論それはお菓子作りにですよね? 本当にまったく言い方気を付けてくれないかなぁ……。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
まさかの八幡が自ら進んで働こうとするとはびっくりです。流石の八幡も黒歴史の前では動かざるをえないようです。
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