冬晴れの土曜日。やはり休日だけあって千葉駅前は人で活気づいていた。
待ち合わせに指定された場所は千葉駅東口前の柱である。素敵なことにこの場所は某妹アニメの聖地だ。ちょっとした気分で気軽に聖地巡礼ができる千葉ってほんと最高だと思います。
駅前を行き交う人を横目に、時間を確認すれば九時三〇分。
約束の時間より少しばかり早い到着。べつに女子と二人きりのお出かけだから、浮かれて早く来すぎたわけでははい。
女の子を待たせるな、と可愛い我が妹からの教育に従っただけのこと。
それにしたって、三〇分前行動はちとやりすぎなんじゃないかと思う。社会人でも五分前が基本なのに、その倍以上の行動が求められるなんて時間外労働にも匹敵するだろ……。
いくら晴れているとはいえども、この時期の吹きつける風は冷たい。
俺は風の当たらない位置に移動し、柱に寄りかかって目を瞑る。こんなことならもう少し重ね着をしてくるべきだったと若干後悔した。
「あーあ、私もあんな彼氏欲しいなぁ……」
「理想高すぎだって……。あんなモデルみたいな人と付き合うには、やっぱりそれなりに釣り合ってないと無理でしょ」
「あー、たしかに連れている女の子めっちゃ可愛かったもんねぇ。私もあんな小動物みたいに、もしくはもう一人の小悪魔系女子? みたいに可愛くなれたらなぁ……」
「あんたの場合、小悪魔というより小ぶ……とりあえずダイエットしろダイエット」
すると、耳に入ってきたのはそんな女子二人組の会話。
モデルと聞いて一瞬だけ和泉のことを頭に思い浮かべたが、話を聞く限りだとモデルみたいなのは男性らしい。それで、彼氏が欲しいと言った奴は小豚らしい。ちょうどうでもいい。
待ち合わせ場所に早く来といて今更だが、俺は待つという行為が正直苦手だ。
例えば、自分という物語が一回完結を迎えてしまったように感じる信号の待ち時間。
例えば、気が遠くなるような『○○分待ち』と書かれたなにかの行列店。
例えば、今自分が置かれているこの状況。
例を挙げようとすればキリがなくて、この生産性のない時間が無駄に思える。
「はぁ……帰りてぇ……」
『時は金なり』っていう言葉が世界に広まっているぐらいなんだから、この無駄にされた時間に対価が支払われてもいいんじゃなかろうか……。
「帰られたら困るんだけどなぁ」
「っ⁉︎」
ふと出し抜けにかけられた甘い声に、俺はぎょっと顔をあげる。
そこには、俺の顔を覗き込むように見上げる和泉の姿があった。
「ごめん、待ったよね? ちょっと準備に手間取っちゃった……」
前を開けた黒いダウンコートにハイネックの白いニット。ベージュのスカートの丈は長めで、見るからに暖そうで大人っぽい印象を受ける。
それに今日は中学のときから見慣れたツインテールじゃなくて、前髪に青いヘアピンをつけて髪を下ろしていた。
雪ノ下と東京わんにゃんショーで会ったときも、由比ヶ浜と花火大会に行ったときも思ったが、制服姿じゃない女の子っていうのは反則にも程がある。
なにが反則って、いつもと違う一面にドキッとさせられる可愛さにだ。
ドギマギする気持ちを抑えつけて、なんとか言葉を絞り出す。
「い……いや、全然待ってねぇから。ていうか和泉、お前って普段はコンタクトだったんだな」
「え、あぁ、これ伊達眼鏡だよ? 今日は気分的にかけてみようかなって……どう、頭よさそうに見えない?」
言って、和泉は眼鏡のブリッジを中指でくいくいっと押し上げた。
以前……といっても二週間前ぐらいの出来事だが、雪ノ下の誕生日プレゼントを選んでいるときに由比ヶ浜も同じようなことを言っていたっけな……。
眼鏡=頭よさそうっていう発想が既に頭が悪く思えるが、和泉は由比ヶ浜と違って頭がいい。中学のときなんて常に定期考査で首位を維持していたぐらいだ。
今はどうなんだろうと気にはなるけど、それ以上に俺は和泉の背後から生暖かい眼差しを向けてくる見知らぬ二人のことが気になっていた。
「そんなことより、後ろにいる二人は知り合いかなにかか?」
我慢できず口に出すと、何故か和泉は「ふん」とあからさまに不機嫌な顔をした。
「
「──ちょっ、ふうちゃんっ⁉︎」
そして俺を睨みつけるとぷいっとそっぽを向いて、後ろにいた茶髪の綺麗な女性の手を引っ張って歩き始める。
(え、ええぇ……。今、和泉を怒らせるようなことなんかしたか……?)
原因がわからずに困惑していると、もう一人のすらっとした細身のイケメンと目が合った。
今度は呆れた目で俺を見ている。
「君さ、アレはさすがにないんじゃない? 女の子と出かけたことあんまりないでしょ」
「そうですけど…っていうかどなたですか?」
雰囲気からして年上っぽいので失礼がないよう敬語を使う。
「あぁ、自己紹介がまだだったね。僕は
「あ、え、えっと俺はひき──」
「比企谷八幡くん、だろ? 君のことは風花からたまに職場で聞いているよ」
人に名を訊ねるときはまず自分から……、そんな子どもでもわかる当たり前のことを忘れて、慌てて吃りながらも名乗ろうとするがその前に遮られた。
どうやら俺は成瀬さんに知られているようだ。それもきっと悪い意味で……。
「和泉の奴、きっと俺の悪口とか言ってるんでしょうね……」
初めて会った相手に自分の黒歴史とか中学の出来事とかを知られたと思うと、今すぐに誰もいない遠い地へと逃げたい気持ちに駆り立てられる。
そのまま行方知れずになりたいくらいの気分で答えると、成瀬さんは大きく目を見開いた。
「え、なにを言ってるんだい? 悪口なんて言ってないよ。むしろ、風花は八幡くんのこと…………」
途中から声が小さくなって聞き取ることができなかったけど、和泉に悪く言われていないようで俺はほっと安堵の胸を撫で下ろす。
っつーかこの人、今さりげなく俺の名前呼ばなかった? 会ってすぐに名前呼びとかフレンドリーすぎるだろマジで。
「ところで、和泉と柏木さんを見失っちゃいましたけど……帰っても大丈夫ですかね?」
「いやいや、なんでそんな自然に帰宅しようとしてるの! 普通ここは探しに行こうとか携帯に連絡しようとか思わないわけ⁉︎」
「いや、だって俺、和泉の連絡先知らないわけですし……。それに今日は和泉の予定に付き合わされる予定でしたけど、成瀬さんたちと一緒にいたのでどうやら俺は用済みっぽいじゃないですか……」
あーほんと残念だなー。残念すぎて足が勝手に帰路につこうとしてるわー。
「こら八幡くん、そう言って帰ろうとしない!」
「ちょっ、腕離してくださいっ!」
「僕が連絡するから大人しくしてて!」
成瀬さんが俺の腕を離さず語気強めに言うものだから、さらにここが人の流れが多い駅前ということもあって、周りを行く人々が皆足を止めてこちらを見ていた。
所謂人だかりが俺たちの周りにできていた。
「え、なになに揉め事?」
「いや俺も今来たばっかりだからあんま知らないけど、腕掴まれてるゾンビみたいな奴がなんかやったらしいぜ」
「ゾンビみたいってお前……、アレは明らかにグールだろ(笑)」
「お前こそよく見ろよ。あの目の腐り具合……絶対ゾンビに決まってるだろ」
「た、たしかに……ヒィッ‼︎」
──た、たしかに……、じゃねえーよっ‼︎ なに冷静に納得してんだ。あと、ちょっと目が合ったぐらいで悲鳴上げんなアホ。
偶然耳に入った中学生くらいの男子どものやりとりにツッコミを入れていると、再び腕を引っ張られる。
見れば、ちょうど成瀬さんが携帯電話をポケットにしまっているところで。
「それじゃあ、行こうか」
「行くって何処へですか?」
まるでモーゼの十戒の如く、人だかりの割れた中を悠然と歩く成瀬さんの背中に問いかける。
既視感を覚えた。
(こんな光景……前にも一度何処かで……)
歩みが止まった。そして、成瀬さんが振り返った。
「片割れのガラスの靴を履かせに、灰かぶり姫がいる場所へかな」
「は、はぁ……」
この人いきなりなにを言い出すんだろう……。
なんの脈絡もない発言に俺は首を捻る。もし成瀬さんの口振りが真剣でなかったら、一笑を付したいところだ。
けれど、こちらを見据える成瀬さんの瞳の奥にある
ガラスの靴……と聞いて連想されるのは、小さい頃に読み聞かせであった『シンデレラ』という女性が主人公の童話。
意地悪な継母や義姉たちから召使いのように扱われる毎日の主人公であったが、舞踏会で王子に
それで、ガラスの靴は『シンデレラ』の作中で登場する魔女から与えられたものだ。成瀬さんの言う「灰かぶり姫」っていうのは聞いたことないけど、きっと主人公の名前の言い換えたものなのだろう。
今までの経緯から考え得るに、「灰かぶり姫」は和泉もしくは柏木さんのどちらかを指していることは理解できる。ただ、そもそもの大前提として何故こんな回り
「──すまない。今のは忘れてくれ」
哀しげな目をしていた。しかし、それも一瞬のこと。
なにごともなかったかのように歩き出す成瀬さんに、俺はほんの少しだけ距離を空けてついて行く。
「それとさっき茉奈ちゃんに電話して場所を訊いたら、この前オープンしたばかりの〝うさぎと遊べるカフェ〟に今いるそうだよ」
「あーそのお店、今日テレビで紹介されてたから知ってます。なんでもチョコが安くて美味しいって評判良いらしいですよ」
「へぇ、チョコが美味しいだ。テレビとかあんまり見ないから知らなかったよ……ってどうして八幡くんは僕の後ろを歩いているのかな?」
成瀬さんは突然きょろきょろとし出して、後ろにいる俺を視界に捉えるや否や疑問をぶつけてくる。そして歩調が緩まり、俺の横を並んで歩く。
「どうしてって言われても、後ろのほうがなにかと安全だからとしか」
主に俺の精神的安全であるが……。
「その言い方だと、前を歩く僕は危険ってことだね?」
「いえ、そ、そういう意味じゃ……」
「はははっ、冗談だよ冗談。一人のほうが気楽で他人に迷惑かけないで済むってことだろう?」
「…………」
ちゃんとわかっているさ、とでも言いたげな面持ちで肩に手を置く成瀬さんはちっとも『ぼっち』という生き物の扱い方をわかってないです、はい。取り扱い説明書でも作って差し上げようかしら……。
和泉と同じ職種の成瀬さんはやはり彼女同様、周囲の視線を集めていた。道行く女性の大半が立ち止まり、振り返る。
決して俺自身に向けられたものでないことは理解しているが、視線の量に気持ち悪さを覚える。思わず顔を
「でもさ、」
ちらりと横顔を窺うと、目が合う。
「安全な場所にいてもなにも変わらないよ、むしろ衰退する一方だ。そんなの辛いじゃないか。……だからほんの少しでいいから風花に歩み寄ってくれないかな」
「……えっ、なんでここで和泉が出てくるんですか」
前触れなく挙げられた名前に面食らった。本当になんで彼女の名前が今出てくるか理解できない。首を傾げて言うと、成瀬さんはふっと笑った。
「まあ、それは八幡くん自身で考えてよ。そうじゃなきゃ意味がないからね」
なにやら楽しそうに、満足そうに、軽快な足取りで成瀬さんは小洒落た雰囲気の小さな木造店舗に向かって歩いていく。
ふと見上げると、そこには──。
『Rabbits Cafe』
と所々に可愛らしいうさぎの模様が刻まれた看板が、入り口の前にぶら下がっていた。
どうやら目的地に着いたようだ。てっきり今朝テレビで話題になっていたものだから行列でもできていそうだなと思ったけど、並んで待っている人はおらず空いてるっぽい。
「ああ、そうだ。八幡くん」
先ほどから意味のわからないことを言う成瀬さんが、お店へ入る前に足を止めてこちらを見る。
「人生のちょっと先輩からのアドバイス。──女の子と出かけるときは必ず最初にファッションを褒めること! わかった⁉︎」
「イ、イエッサーッ‼︎」
(……ていうか成瀬さん。あなたの身になにがあったんですか)
訊きたくても怖くて訊けなかった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
デート回だと意気込んで書いていたのですが、何故か新たなオリキャラが追加されておりました……。いや、今後の話で登場させるつもりではあったけど、今じゃないだろうとこの話を書き終えて思いました……。
僕自身、言葉にして伝えることが苦手で、物語を紡ぐのに時間がかかるので、勢いに任せて書きました。後悔はしていないっ! ……たぶん、きっと。
乱入者が現れましたが、次回こそはふうぴょんと八幡メインの話になるはずです!
不定期更新と言いつつも、なんとか二週間置きに投稿できているので、二週間後にまたお会いしましょう。
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