ちりん、ちりんと鈴の音が耳に響く。
店先に吊るされた来店を知らせる涼やかな鈴の音をきっかけに、小さなうさぎが何匹か俺たちに向かって近寄ってきた。
うさぎと触れ合えるカフェというだけあってやっぱり人間慣れしているんだなぁ、と当たり前なことを思う。
ぴょんぴょん、ぴょんぴょん……すりすり……。
ふと足元にこそばゆさを感じ視線を下ろすと、小さな動く白い毛玉……じゃない白うさぎが頭とかお尻とかを足に擦りつけていた。
(なにこの可愛い生き物ぉ……‼︎ やばいやばすぎるんですけどぉ……‼︎)
あまりの可愛さに語彙力が喪失する。
以前文化祭の打ち上げで
今度、戸塚を誘って来ようかな。勿論、二人で。次こそはアイツに邪魔されることなく二人きりで。大事なことなので二回言いました。
「あはは、八幡くんは人気者だね」
「いやいや、成瀬さんのところにだって……」
言いかけてやめる。
成瀬の近くにうさぎは一匹もいないというわけじゃない。二、三匹寄ってくるうさぎはいる。
だが、いずれも成瀬さんがしゃがんで手を伸ばそうとすると、決まって噛みついては俺の側に寄ってくる。
「はぁ、なんで僕のところには来ないんだろ……」
「ま、まぁそういうことも、あ、ありますよ」
不憫でならないその姿に居た堪れず、俺は先にカウンターへと向かった。
「いらっしゃいませ〜。何名様でしょうかぁ?」
まどろみを誘うような心地よさのある声で女性の店員さんはそう訊いてくる。
この質問に対して、俺は答えに窮した。
和泉がいるからと言われて成瀬さんに連れて来られただけで、べつにこのカフェに用があるわけではない。むしろ、なにもない。
第一、俺は和泉と待ち合わせ場所に集合してからの予定をなにも知らないのだ。ざっくりとしたことは由比ヶ浜から聞いて知っているが、それ以外のことは本当になにも知らない。
「あ、え、えっと……」
「すいません。待ち合わせなんです」
なんて言えばいいかわからないまま口を開くと、横から口を挟まれた。
突然のことに驚いて声の主へと振り向くと、そこには茶髪の綺麗な女性……、もとい柏木さんがいた。
「そうでしたか。それは失礼いたしました」
「いえいえ、お気になさらないでください。……それじゃあ八幡君。こっちだよ」
助けられておいて思うのもアレだが、柏木さんも俺のこと名前で呼ぶんですね……。いや、まぁ誰がどんな呼び方をしようがべつにいいんだけどさ、それでもいきなり名前呼びは心臓に悪いからやめてほしい。
「あの、さっきはありがとうございました」
「いいのいいの、気にしないで。それより、裕介さんは? 一緒じゃなかったの?」
「あー、あの人ならあそこに……」
指差して、柏木さんの視線を後ろに
指の先に見えるのは、変わらずしょんぼりと項垂れる成瀬さんの姿。うさぎに相手にされないことがそんなにショックだったんですか……。
すると、背後から深いため息が聞こえた。
「ごめん、ちょっと先に言ってて八幡君。二階のほうにふうちゃんがいるからさ」
「あっ、はい。わかりま──」
「それともう一つ。女の子的にやっぱり男の子とデートしたときはオシャレしていることを褒めてほしいものだよ♪」
ぱちりとウインクを残し、柏木さんはこの場を後にする。
「べ、べつにデートじゃないんですけど……」
しゃがんで成瀬さんと目線を合わして話す彼女を横目に、俺は独りごちた。
成瀬さんにも言われたけど、そんなに女の子の服装を褒めるという行為は大事なのだろうか。
これは俺の主観でしかないけど、そういうのって恋人や好きな人に言われたら嬉しいものであって、興味関心のない人から言われても全然嬉しくもなんとも思わないと思うんだ。
だいたいギャルゲー主人公じゃあるまいし、それに「現実で最初に服装を褒める男のほとんどが体目当てだ」って前にネットで見た覚えがある。
和泉にとってモブでしかない俺がもし仮に「今日のその服、似合ってるな」と言おうものならば、「ぐへへへ、食べちゃいたぜ☆」って翻訳されるわけだ。そんなこと微塵も思ったことがないのにだ。……もう変態じゃん。イエローカード通り越してレッドカードじゃん。
詰まるところ女の子の服装を褒めるという行為は、ゲームだから許されることで、現実でやったら絶対相手を不快な思いにさせるに違いない。
(……だとしたら、和泉はなんであのとき不機嫌になったんだ?)
再び、振り出しに戻る。
頭の中で疑問符が乱舞しているうちに、ついにやってきてしまった。
二階は木製の低いテーブルが並んでおり、うさぎがぴょんぴょんと駆け巡る。どうやら一階が普通のカフェで、こちらが本格的なうさぎとの触れ合い場のようだ。
ちらほらと子ども連れの家族や若い人たちがうさぎに餌をやって戯れている中、ある一点において決定的に異なるテーブル席に目が入る。
(な、なんだ、アレは……)
ちょうど窓側の一番奥の席。テーブルの上に白とか茶とか黒とか……いろんな色の毛並みのうさぎたちがピラミッドのように積み重なっていた。
あんなことありえるのか、と目を擦ってもう一度確認する。
が、何度見ても異様な光景は変わらず、むしろどんどんとピラミッドは大きくなっているような気さえした。
そういえば、和泉は何処にいるんだろうか。
柏木さんはここにいると言っていたが、見渡す限りあの人目を引き寄せる容姿の彼女は何処にも見当たらない。
(も、もしかして……)
そこでふと、俺は再び一番奥のテーブル席へと目を向ける。
じっと目を凝らして見てみると、うさぎのピラミッドのちょうど天辺に透明感ある青紫色の髪がゆらゆらと揺らいでいた。
あんな特徴的な髪色……見間違えようはずもない。
一応念のため、別のまったく知らない人の可能性も考慮して、音を立てないよう静かにゆっくりと歩く。さながら忍者の気分だ。ニンニン。
あと五メートル。この距離でようやくこちらにお尻を向けたうさぎの丸くて可愛い尻尾の輪郭がわかった。
あと三メートル。うさぎのピラミッドの一番上に鎮座する白うさぎがビクッと体を震わせた。
じりじりと着実に距離を詰めてあと一メートル。そこに一歩足を踏み入れた途端にまるで不穏な気配を感じ取ったかのように、一番上の白うさぎが下にいるうさぎたちを足場にして、力強く跳び俺の横を素早く駆けていく。
そして足場にされたうさぎたちはというと、いきなり上から重力をかけられたものだからバランスを保てずにピラミッドの形を崩していた。
その結果──。
「「あ」」
パシャリ、と自撮り棒で写真を撮っていた和泉の携帯越しに視線がぶつかった。
「……ひ、比企谷君、これはその……違うのっ!」
今日会ってすぐの不機嫌な様子と打って変わって、和泉はあわあわと手を意味もなく動かして慌てふためく姿に俺はまたも首を傾げる。
だがしかし、これは千載一遇のチャンスなのではないだろうか。ここで上手い返しができれば今日という日をなんとかやり過ごせる気がする、と俺は直感的に悟った。
ただそこで問題になってくるのが、どんな風にして返すかだ。
「なにが違うんだ?」
これは流石に愚直すぎるから却下。
「違う……? なにが違うんだい? ほら、言ってごらん?」
これも却下。だいたい普段こんな口調じゃないから違和感ありすぎる。ていうかこれ最初のやつとほぼ同じ内容だし、それに言い方がなんかゲスい。
…………。
(……ああ、もう! なんかねぇのか。こう、なんかいい感じの言葉がっ‼︎)
碌な案しか思い浮かばず、ガシガシと頭を
これ以上の沈黙はあまりよろしくない。なにか口にしなければ。
『……あのさ、お兄ちゃん。たまには素直になったほうが色々といいことがあると小町思うのですよ』
『人生のちょっと先輩からのアドバイス。──女の子と出かけるときは必ず最初にファッションを褒めること! わかった⁉︎』
『それともう一つ。女の子的にやっぱり男の子とデートしたときはオシャレしていることを褒めてほしいものだよ♪』
焦りの中、頭をよぎるのは小町と今日初めて会った人たちの言葉。
素直になる。ファッションを褒める。オシャレしていることを褒める。素直に。褒める。褒める。……素直になってとりあえず褒める。
それぞれの言葉が頭の中にリフレインし、俺はとある答えに行き着く。
これならいける、むしろこれ以外にないだろという謎の自信を覚えて俺は口を開いた。
「眼鏡姿の和泉も新鮮でいいけど、やっぱり中学の頃から見慣れてる眼鏡かけてない和泉のほうが可愛くて好きだなぁ」
「ななななななな‼︎」
「いま、は……くん私のことかわ、……ってそれに……って‼︎ っ! こうし……いっ!」
なにやらぼそぼそと呟いているようだが、早口すぎて全くと言っていいほど聞き取れない。
「ご、ごめんっ。ちょっと私、お手洗いに行ってくるね!」
「お、おいっ。和泉、ちゃんと前を向かないと危ないぞ……って聞こえてないよなアレ……」
そして、いきなりガバッとこっちを振り返ったと思えば、和泉は下を向いてトイレへと駆け出した。さすがに店内を走るなんていう危険行為に注意を促すが、俺の声など耳に入っていないようだった。
とりあえずは素直に思ったことを、当初の和泉の伊達眼鏡に対しての感想を述べたのだが、なんだかんだ勢いに任せて言ったものだから自分自身なにを言ったかすらよく覚えていない。でもあの様子から見るに声は明るかったし、たぶん上手くできたんじゃないだろうかと思う。
ほんの少しの達成感に浸っていると、和泉とすれ違いに成瀬さんたちがやってきた。
成瀬さんたちは俺を見るなり驚いた様子で肩をぽんぽんとそれぞれ叩いてくる。
「……って二人してなんですか。急にどうしちゃったんですか」
「いやぁ、八幡くん。僕は君がやればできる子だって信じていたよ! まさかあの風花をあそこまでさせるなんてね」
「うんうん。わたしもビックリしたよ。八幡君って奥手そうに見えて意外に積極的だったんだね!」
嬉しそうに話す二人を見て、いまいち状況が掴めなかった。一体なんのことを言ってるんだこの人たちは……。
「あ、あの本当になんのことですかね?」
言うと時間が止まった。
時間が止まったというのは勿論比喩なのだが、その比喩が冗談ではないほどに周辺一帯が物音一つなく静まり返っていた。
「ねぇ、裕介さん。この子、本気で言ってるのかな?」
「どうだろう……。でもあんな台詞を人前で堂々と言ってるからさすがに覚えてるでしょ普通……」
「あのさ……、八幡君。ここでわたしたちに会う前に、ふうちゃんに言った言葉って覚えてる?」
「和泉に言った言葉ですか。それなら、お二人に言われた通り服装について褒めた気はしますけど、正直なんて言ったか覚えてないですね」
柏木さんに問われて答えると、二人してまた顔を見合わせて今度はぽんと優しく肩を叩かれた。
「……まぁ、こういうのって本人の自覚が大事だからね」
「……はぁ、ふうちゃんの道のりは長そうだなぁ」
成瀬さんと柏木さんは呆れ半分諦め半分といった感じで俺を見てくる。だから、なんなんですか気になるんですけど……。
「とりあえず、僕たちは今日予定していた映画でも観に行くとして、あとは若いお二人で楽しんでもらおうか」
「ちょっとぉ、若いお二人って……わたしはまだ裕介さんと違って高校生だよ? でもそうするのが一番だよね。ちょっとふうちゃんに伝えてくる」
「うん、お願い。僕は外で待ってるから」
同じ場所にいるのにこの疎外感はなんだろう……。
「──そういえば、成瀬さんたちって和泉と出かける用事があって一緒にいたわけじゃなかったんですね」
一つだけ確認したいことがあって訊いてみると、成瀬さんはきょとんとした顔で答えた。
「ああ、風花とは道端で偶然会って行くところが同じだったから一緒に居ただけだよ。あれ、言ってなかったっけ?」
「まぁ、言ってはいないですけど、俺に言う義理もないんでべつにいいですけど……」
ただ、あのときもし成瀬さんがそのことを言ってくれたら、余計な勘違いなんかしないで済んだのにと少し思ってしまうだけだ。
「それじゃあ、僕はもう行くよ。茉奈ちゃんに外で待ってるって言っちゃったし……またね八幡くん」
「……またです成瀬さん」
遠ざかる成瀬さんの背中を見送ることなく、俺はテーブルについた。初めての人と長い間話すことが想像以上に緊張したのか、ため息がこぼれる。
なんとなく窓の外を眺めると、ちょうど成瀬さんと柏木さんが駅のほうへと歩いていくのが目に見えた。しかも、手なんか繋いで仲良さげだ。
(さっきの会話といい、一階での柏木さんの成瀬さんへの接し方といい、やっぱりあの二人って恋人同士なのかなぁ……)
もうすぐバレンタインで、男女が手を繋いでいる光景に苛ついたわけでも羨ましいと思ったわけでもないが、これだけは窓ガラス越しで聞こえないかもしれないけどもラブコメの神様に向かって言わねばならなかった。
「リア充爆発しろ」
最後まで読んでいただきありがとうございました。
元より成瀬さんと柏木さんは偶然和泉と鉢合わせた設定でした。前回の話でpixivにも似たような感想を頂いたので、今回の話で疑問を解消させられたら幸いです。
……デート回デート回と言いつつ、全然和泉と八幡が二人きりにならない状況ですが、次回は二人きりになるはず。気分が変わらなければ……。
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