ふんふ~んというご機嫌な鼻歌と、かすかに伝わるタイヤからの振動音。それ以外に、聞こえるものがない車内。一生に一度乗る機会があるかないかといった高級ハイヤーに詰め込まれた俺は、さながら出荷されている途中の家畜の気分で揺られていた。緊張のせいで背筋は異常なほどピンと張ってるし、背中はシートに付いてすらいない。卒業式ばりの姿勢の良さで座る俺は、横に座る姉を見る。
「あ~。やっぱハルちゃんの車は乗り心地いいねぇ~。」
俺とは反対に、姉はめちゃくちゃリラックスしていた。ほにゃっと頬を緩めており、全身をシートに預けている。肝が据わっていると言うべきか、脳天気なだけと言うべきか。姉の言から察するに、何度かこの車に乗ったことがあるらしい。どちらにせよ、慣れというものは怖いものである。
「ふふん、でっしょ~?まあ私の車じゃないんだけどね。」
さっきまでの刺々しい雰囲気はどこへやら。自慢げに話す雪ノ下さんも、姉さんの前ではどこか自然体だ。さしもの雪ノ下さんも、我が姉の魅力の前には陥落せざるを得なかったと言うわけだ。本当かは知らんけど。
しかし、一体どうやってこの二人は仲良くなったのだろうか。方や、かの雪ノ下建設のご令嬢で、もう片方は普通の一般人。姉の交友関係を全く知らない俺では、彼女たちがどうやって知り合ったかすらも不明なのだ。まあ仮に知ってたとしても友達の作り方なんてすっかり忘れちゃったけどね。
「どうしたのかね~景虎君。お姉さんの方をジロジロ見つめちゃって。一目惚れでもしちゃったのかな?」
色々考えていたら、どうやら雪ノ下さんのことを見ていたらしい。ニヤニヤと楽しそうな様子を崩さず、俺に話題を振ってきた。
「流石にそれはないですよ。ちょっと疑問が湧いただけです。」
確かに綺麗な人だとは思うが、流石にそれだけで一目惚れするほど俺は単純ではない。・・・いやだから単純じゃないって言ってるでしょ我が姉。なんでそんなビックリしたみたいな顔してんの。まさか俺が恋することを阻もうとして・・・?
「・・・トラって、男が好きなの?」
「断じて違う。」
SIT!ただ俺の性癖を心配してるだけだったわ!というか性癖云々に関しては姉に言われたくないんですがねぇ。通販サイトでBL同人誌買ってたの忘れてねえからな。しかも俺のアカウントで。
・・・というかこう言う場合ってどう答えれば正解なんだろうか。肯定すればもれなく変態戦隊ハンザイシャーの称号を授与されるのは想像だに難くないし、否定すればそれはそれで相手を傷つけてしまうのではないだろうか。
そして話題を逸らすため、質問をしてみた。話題逸らしに使ったとは言え、気になっていたのは本当だ。
「ああ、そんなこと。沙耶とは同級生で大学が一緒なんだよね。それで仲良くなったんだよ。」
「最初は喧嘩ばっかりだったけどね。あの頃が懐かしいな~。」
「今思えばしょうもないことで喧嘩したりもしてたけどね。」
成程。大学の友人か。大学は色々な場所や地域から人が集まると聞くし、分からないでもない。
しかし、こんなハイスペックな姉と対等に喧嘩できるなんて、雪ノ下さんってマジで優秀なんだな・・・恐ろしい相手だ。
「それより、君はどうして雪乃ちゃんと知り合いになったの?沙耶から聞いてた話だと、あんまり人と関わるタイプじゃないらしいけど。」
「あぁ。雪ノ下先輩とはこのボランティア活動でたまたま一緒になっただけですよ。俺は内申点欲しくて来ただけですし。奉仕部が参加してるなんて、聞かされても居ませんでしたよ。」
「担当が静ちゃんなら知らなくても無理ないかもね~。あの人、ちょっとズボラなところあるし。」
「ははは、違いないです。」
こんな感じで緩やかな会話が流れ、車内の空気は段々と弛緩したものになってきた。だが、それでも俺の背はピンと張ったままである。汗とかで染みが付けちゃったら嫌だし。まあ背筋が伸びっぱなしなのはそれだけが理由ではないが。
そして会話は続いた。総武高校のイベントのことや、雪ノ下さんが在籍していた頃の生徒会の話など、いろんな有益なことを聞けた。一番面白かったのは、平塚先生のラーメン愛についてだったが。あの人バチクソかっこいいバイク乗り回してラーメン食べ歩いてるのかよ・・・イケメン過ぎない?俺が女だったら即オチレベルだわ。あの人も女の人だけど。
「意外だね。ハルちゃんがこんなに話してるの見たのは初めてかも。」
俺が雪ノ下さんと話していると、姉がこんなことを言ってきた。
「そうなの?」
「うん。ハルちゃん、人と話さないことはないんだけどそんなに長く話さないんだよね。もしかしてハルちゃん、トラのこと気に入った?」
なんてアホなこと言ってんだこの姉は。確かに雪ノ下さんとの会話は楽しいし、結構長くしゃべってる。それは事実だ。だが、雪ノ下さんのプレッシャーが半端ない。仮面を被るのが癖になっているのかは知らないが、俺と話しているときの笑顔も凝り固まった笑顔なのだ。おかげで俺の背筋もゾクゾク。まるで氷柱でも刺されたような気分だ。これが、俺が背筋を緩められない理由でもある。
「あっはっは、気づいちゃった?私、景虎君結構気に入ったよ。」
「・・・冗談もお上手なんですね、雪ノ下さん。」
「冗談じゃないよ?だって・・・可愛いんだもん。」
・・・どうやら本当に冗談が上手いらしい。俺が可愛い?そこそこの身長、濁った目、陰キャと三拍子揃ったこの俺を可愛いと形容するとは。これが冗談でなきゃ雪ノ下さんの目が節穴か何かだろう。もしくは異常性癖持ちかのどっちかだ。
「俺が可愛い訳ないでしょう。」
「ううん。可愛いよ。だって、そんなにおびえてる姿。小動物みたいで可愛いじゃない。」
俺は一瞬、猫の目を幻視した。瀕死のネズミを転がして弄ぶ猫のような目が俺に向けられている。そんな気がしたのだ。
俺は返す言葉が思いつかず、黙るしかなかった。
俺は節穴か異常性癖かのどっちかといったな。訂正しよう。どうやらどっちでもなさそうだ。
彼女は、「趣味が悪い」らしい。自分が絶対的に強いと分かっているが故の趣味といえるだろう。
「・・・姉さん。その辺にして。」
「あれ、雪乃ちゃん嫉妬しちゃった?大丈夫大丈夫!雪乃ちゃんだってすっごく可愛いから。」
雪ノ下先輩が仲裁に入ってくれているが、全く意に介した様子もない。ケラケラと笑いながら、冷淡で暖かい笑みを浮かべている。雪ノ下先輩もおでこに手を当て、やれやれといった感じである。
「奇遇ですね。俺も雪ノ下さんのこと気に入りましたよ。」
「ふーん。ありがと。」
まるで興味がないといったような返し。向けられる視線も冷えたものに変わり、もはや無視に等しい。どうやらこの返しは気にくわなかったらしい。もしかしたら、これが彼女の素の内の一つなのかも知れない。無関心は装えるものじゃないからな。
「えぇ。雪ノ下さんのその仮面。まるで拘束具みたいで、とっても可愛いですよ。」
だが、窮鼠猫を噛む。たとえその噛み傷に一切のダメージがなかったとしても、噛んだという事実だけは残り続ける。だから俺は、できる限り思いっきり猫を噛むことにした。ただ可愛い、なんて言われっぱなしなのは男が廃る。
「・・・・・・へぇ。拘束具、ねぇ。」
冷えた視線が絶対零度くらいの温度へと変化し、俺を貫いた。思わず全身が震え、汗が背筋をツーっと流れるのがハッキリと分かった。
だが、その冷気も一瞬。そのあとにはまた、太陽のような笑顔が戻ってきていた。
「景虎君。君、趣味悪いね?」
「雪ノ下さんこそ。趣味悪いですよ。」
目を合わせれば、虎の目が見える。猫で済んでいたはずの猛獣を噛んで起こしてしまった感は否めないが、こうなっては仕方がない。俺も頑張って口角を上げ、できるだけの悪そうな表情を作った。多分、かなり小物臭がしてたと思う。
「やっぱり面白いね。景虎君。」
そういって満足げに前へと向き直った。車に乗ったときのように鼻歌を歌いながら、上機嫌そうにしている雪ノ下さん。指でリズムまで取り始めてるあたり、乗ったときより上機嫌・・・なのかな?
そして二つ隣に座る雪ノ下先輩が「こいつマジ?」みたいな表情がをしていたのが、非常に印象的だった。
ちなみにこの後特に何事もなく家まで送ってもらい、俺の夏のボランティア活動は終わりを告げたのであった。
ちなみに景虎の身長は八幡より1,2cm小さいくらいっていう設定。外見は前髪長めの黒髪。中肉中背でちょっと猫背気味って感じです。アホ毛はない。
次回はかの剣豪将軍との邂逅か、いろはすとの絡みを書く予定です。