9月。セミの大半がとうの昔に土の養分となり、熱さを残しながらも朝晩を半袖では過ごし辛くなるこの時期は、新たな生活の始まりの合図でもある。すなわち、新学期である。二年生は修学旅行、三年生は職場体験を控えるこの時期は非常に浮き足立つ時期だ。そしてそれは、一年生も例外ではない。高校生になってから初めての大型連休ということもあってか、誰も彼ものテンションがワンランクあがっている。そのせいで教室はうるさいことこの上なかった。
やれ「彼女とデートしたわー」だの「めっちゃ日焼けしてさー」などの会話が飛び交い、教室内はお喋りという名のマウンティング合戦が開催されている。どいつもこいつもプロレス顔負けのマウンティングぷりである。先生がいないのをいいことに、スマホで写真を見せ合ったりと、それはもうお盛んなことだ。中学時代もこんな感じで新学期はざわついていたが、高校はひと味違う。これもスマホのせいなんだろうか。どうせインスタントなSNSとか某鳥とかで散々自慢しているはずなのに、よくもまあここまでできるもんだ関心すらしてしまう。俺はSNSやってないから知らんけど。あと今日はよく視線が刺さる。新学期もボッチな俺を見て笑ってるんだろうか。見世物じゃないんだけどネ。
しかし、ここまではいつも通りのただ憂鬱なだけの新学期であったはずだったのだ。そんなブルーな俺の気持ちを吹き飛ばし、更にブルーに陥れた事件が発生した。
それが起きてしまったのは、部活の朝練が終わる時間。新学期早々から運動に精を出す彼らがグラウンドから帰ってきたときだった。俺はその時、いつも通り読書にいそしんでいた。誰と会話するでもなく文字を追っていた俺は、このまま授業が始まるまで追い続けようと思っていたのだ。だがそれは、突如襲った肩への衝撃で強制的に中断させられた。誰かと思って後ろを振り返れば、そこに居たのはサッカー部の集団。俺の肩を叩いたのは、その中の一人のリーダー格だった。
「なあ城ヶ崎。お前、ナンパからいろはを助けたんだってな?」
一瞬でシーンとなる教室。静寂の中でそれを聞いた瞬間、俺の全身の血液は凍り付いたといっても過言ではない。冷たい俺の心に、興味の視線が鋭く突き刺さる。さっきまでの視線を数段強くしたものを浴びる俺は、ギギギ、と言ってそうな首を回し、応答せざるを得なかった。
「・・・なぜ、それを?」
フリーズする頭でどうにか答えたが、正直俺はパニックになっていた。全然話したことのない人から話しかけられたのも相まって、情緒が天元突破コレハヤバイである。むしろこの状況をドリルで突破できればどれほど良かっただろうか。
しかしその反応は相手にとっては正しかったらしく、我が意を得たり、といったように会話が続行される。
「あ、やっぱあれお前だったんだな。ほら見ろよこれ。めっちゃバズってたぜ?」
バズってる、という言葉を聞いた瞬間、俺は猛烈に嫌な予感がした。頭に浮かぶのは、集団から掲げられるスマホの群れ。そしてそいつが見せてきたスマホの画面を見た時。俺はすべてを察した。
出された画面には、某有名な鳥のSNSのタイムライン。そこに映っていたのは、例のナンパ現場だった。チャラ男が一色の手を掴もうとした瞬間に下駄が突き刺さり、ぶっ倒れるシーン。その後俺が一色の手を掴んで走るところまでバッチリ映っていた。
「山田がいろは取られたーとか言ってた理由もこれで分かったんだよ。いやー、すげえよなこれ。」
恐らく、あそこに居た誰かがSNSにあげたんだろう。投稿日を見るに、俺が突っ切った人混み。あの中の誰かがやりやがったと考えると、腸が煮えくりかえるようだ。
そして、同時に合点がいった。祭り会場で向けられていた視線の理由。その一因がこの投稿だったんだろう。SNSの、いわゆる時の人が目の前に居れば見てしまうのも道理だ。全く、余計なことをした人もいたものだ。
しかし、どうしたもんか。正直、俺ではどう頑張っても鎮火は不可能だ。一度ネットに広がってしまったものは回収不可能。デジタルタトゥーとして一生刻まれ続ける。
『連絡します。』
一体どうしたものかと考えていたとき、俺に救いの声がかかった。もはや神の降臨とも言えたかもしれない。
『一年F組、城ヶ崎景虎君。至急、職員室までお越しください。』
「じゃ、じゃあ俺呼ばれてるから!」
逃げるように教室を後にし、歩いて職員室へ向かうことにした。走って向かいたい気持ちは山々だが、ここで走ってしまうと余計な問題を生んでしまいかねない。あのまま教室にいれば質問攻め待ったなしだったので、本当にありがたかった。
***
「さて、久しぶりだな。城ヶ崎。」
職員室へたどり着いた俺は、奥にある仕切られた空間へと案内されていた。微かに残るタバコの香りが鼻につくが、それ以外は至って普通の空間でしかない。まあ座りたまえ、とソファーに座らされた俺は、久しぶりに平塚先生と対面していた。
「お久しぶりです。奉仕活動以来ですね。」
「ああ。陽乃に拉致された後も元気そうで何よりだよ。」
「その件は忘れてください・・・」
先生はげんなりとする俺にいい笑顔でくすりと笑った後、咳払いをして仕切り直すように真面目な顔で切り出した。
「さて、なぜ呼ばれたかは大体分かっているな。」
「はい。SNSの件ですよね?」
「その通りだ。今朝の職員会議でも上がっていたよ。生徒がいざこざに巻き込まれている、とね。」
わお。放送で呼び出された時点で覚悟はしていたが、先生一堂にまで話が伝わっているのか。今まで話題にすら上がらなかった俺からしてみれば、正直なんともいえない気持ちだ。
「まずは学校を代表して謝罪しよう。対応が遅れてしまって、本当に申し訳ないと思っている。」
「いや、あれは俺が勝手にやったことなので全然大丈夫ですから。」
実際、俺は気にしてはいない。確かにしばらくは質問攻めに遭ったりするかもしれないが、どうせそのうち興味は尽きるだろう。人の噂も七十五日というやつだ。そこまで耐えれば、俺にとって実害はないに等しい。
「そうか。だが困ったことがあったらいつでも言いたまえ。その時は私が解決してやろう。」
「ありがとうございます。」
随分頼もしい味方ができたものだ。さっきとは違う意味のイイ笑顔でコキリコキリと指を鳴らす姿は、まるで世紀末だ。指先一つでダウンできそうな覇気は、その意思表示だけであってほしいが。そのままぶん殴りでもしようもんならとんでもない騒ぎになってしまう。
「あとは学校側としての対応も話しておこうか。」
「学校側が何か対応を取るんですか?」
「ああ。さしあたっては、学校周辺の見回りの強化や休み時間の教師の見回りといったところだろう。あとは警察に届け出を出してSNSからの映像消去くらいか。もっとも、最後のは徒労に終わりそうだがね。」
まあ一度ネットに出てしまった映像は回収は不可能だしな。だが、一度大本を消してくれるのは素直にありがたい。それだけでもそれ以降の大本からの拡散は防げるからな。むしろ、先生が動いてくれるだけでも十分にありがたい。
「随分大げさな対応ですね。」
「まあ、学校としてはどうにかして火消しをしたいんだろう。ここの対応の遅さから悪評が広まってしまえば、大事になってしまうからな。」
「ああ、成程。」
悪評が広まってしまえば、生徒数の減少に繋がってしまう。ここが県内有数の進学校といえど、ブランドイメージのダウンは避けたいといったところだろうか。これもある意味「大人な対応」というべきだろう。
「先生も色々大変ですね。」
「まあな。ほら、私若手だし?こういう仕事が回ってきやすいんだよな~。」
必死に若手だから、と繰り返す先生の姿は、どこか哀愁を帯びていた。夏期休暇の間に合コンで失敗でもしたのだろろうか。もしや生徒の間でまことしやかに囁かれている、「平塚先生合コンクラッシャー説」は当たっているのだろうか。初めてそれを盗み聞きしたときはそんなまさか、と思ったが・・・うん。この話はやめておこう。そんなことを考えて思わず可哀想な者を見る目で見てしまうと、先生はううっとうなり声を上げ、ガクッとうなだれてしまった。
「はぁ・・・。結婚したい。」
たっぷり時間を掛けて空気を吐き出し、もはや悲壮感すら漂う背中を見せながらぼそっと漏れている言葉のせいで余計に可哀想になってしまったな・・・。そのせいで、俺の朝の呼び出しは微妙に締まらない感じで終了してしまった。響くチャイムを背に受けながら職員室を後にした俺は、憂鬱な気分を拭えない。先生の辛気くさい雰囲気を引きずってきてしまったみたいだ。
こうして最悪なスタートを切った新学期。だがしかしこれ以上に不幸の連鎖が続くとは、このときの俺は想像だにしていなかった。
***
sideいろは
「はぁ~。」
新学期が始まる日。私は今日ほど学校に行きたくないと思った日はなかった。そう思うきっかけは、城ヶ崎君と一緒に行った祭りの日。あの日ナンパから助けてくれた彼の姿が、SNSで拡散されてしまったことにある。
(別に恨み言があるって訳じゃないんだけどね・・・)
助けてくれたことには感謝しているし、今回の件について彼を責める気は全くない。むしろ、彼だって被害者だ。だが、それとこれとは別問題。私の心中は穏やかじゃないのだ。
はぁ、っと、今日何度目か分からないため息が口から出てしまう。今が部活の朝練中だと言うことは分かってるけど、出てしまうものは止めようがなかった。今日が朝練の担当でなければ、と思っちゃうのは勘弁して欲しい。
ぼんやりと練習風景を眺めていると、練習時間の残りを示すタイマーが終わりの時間を知らせてくれる。そろそろ朝練が終わる時間が差し迫っていた。
「そこまでで~す!」
首から掛けたホイッスルを吹き、練習試合の終了を知らせる。それを合図に、試合形式の練習に疲れた様子の部員達がこちらへ歩いてくる。私はタオルが入った籠を持ち、それを迎えた。
「お疲れさまで~す。」
普段ならここで、もっと愛嬌のある笑顔を振りまいていただろう。でも、今の私にはそんな心の余裕はなかった。むしろ、夏祭りのことを言われるんじゃないかと考えると会話すらしたくないような気分だった。でも、笑顔は絶やさない。にこぱーっとした笑顔をしておけば、大抵の男はデレて何も言わずにさがってくれることを知っているからだ。その証拠に、目の前の部員達はにやけるばかりで何か言うわけでもない。唯一葉山先輩だけが怪訝そうな目をしていたが、空気を読んで何も言わずにいてくれたようだ。
(葉山先輩と言えば・・・今日、どんな練習してたっけ?)
葉山先輩を意識したせいで浮かんできた疑問は、自分が思っていた以上に余裕がないのだと自覚させられた。いつもなら意識しなくても葉山先輩のことを目で追っているのに、今日はそれすらできなかったのだから。
(ぐぬぬ・・・城ヶ崎君め・・・!)
私がマネージャーをしている理由の10割を占める葉山先輩。そのかっこいい姿を見れなかったことに対する悔しい気持ちは、とりあえず架空の城ヶ崎君にぶつけておこう。私の意識を葉山先輩から切り離すとは、なんという大罪だろうか。少しくらい文句を言ってもバチはあたらないと思う。
こうしてなんとか朝練を乗り切った私。でも、本当にめんどくさいことになるのがこの後だなんて、知るよしもなかったのです。
いろはすがいいクソ女であることは確固たる事実だけど、それがどのくらいクソであるかは検討の余地があると思うんですよ。