sideいろは
最近、城ヶ崎君の様子が可笑しくなった。・・・まあ、前から若干変な部分はあったけど。それを抜きにしても異常だ。
まず、仕事の量が激増した。前もあっちこっちを駆け回って仕事を貰ってきていたが、今はそれを越える勢いで仕事を請け負っている。おかげで彼の机には常に書類が積まれており、その高さも数日間ほとんど変わっていない。多分、仕事をやった後にそれと同じくらいの仕事が与えられてるんだと思う。
「一色。すまんがこれ、雪ノ下先輩に回してくれ。」
「え、あ、うん。」
数枚の書類を差し出す彼の目線は、パソコンの画面から動いていない。片手であってもキーボードや電卓を叩く彼の目には色濃く隈が浮き出ているし、心なしか目の濁り方が酷くなっている。だが、そのせわしなく動く指だけはずっと変わっていない。
「・・・ねぇ、そろそろ休憩入れたらどうです?今日ずっと作業してるじゃないですか。」
「ん、ああ。これ仕上げてこっちの書類を別部署に届けてからな。」
私の提案も一応聞いてはくれるが、返事はどこか上の空といった様子。これでは本当に休憩しているのかすらも定かではなかった。
そんな彼を気に掛けながらも、とりあえず言われたように雪ノ下先輩へと書類を届けることにした。ホワイトボードの前で仕事をする彼女もまた、同じくらいの仕事を抱えていた。
「あの、雪ノ下先輩。」
「ええと、一色さん、だったかしら。何か用?」
「これ、記録雑務からです。」
「ありがとう。」
事務的なやりとりで書類を渡すと、彼女もすぐ仕事に戻ってしまった。ていうかこの人話したことないのに私の名前覚えてたの何気にびっくりなんですけど。もしかして全員の名前覚えてたりするんだろうか。
そんなことを思いながら自分の席に戻ろうとしたとき、城ヶ崎君が立ち上がるのが見えた。さっき言ってた書類を届けるんだろうか。
(・・・あれ、なんか様子が。)
だが、立ち上がった彼の足取りが不安定だった。前に向かって歩いてはいるが、肩がふらふらと揺れて危なっかしい。足取りもどこかおぼつかなく、今にも倒れてしまいそうだった。
「・・・雪ノ下先輩。私ちょっと出てきます!」
「え、ええ。」
その様子に嫌な予感がした私は、思わず会議室から飛び出していた。だがその時には、既に手遅れだったのだ。
ガシャン!!
「キャー!!」
何かがぶつかる大きな音と、女子生徒の悲鳴。響き渡った音は、異常事態の発生を嫌にでも感じさせた。
そして音の発生源の階段へと走った私が見たのは・・・
「じ、城ヶ崎君!!」
踊り場に仮置きされていたパイプ椅子や机の近くで倒れる、城ヶ崎君の姿だった。
***
減らしても減らしても減らない紙って、なーんだ。答えは仕事です。
そんな夢も希望もない具合で仕事を永遠と抱え続けていた俺。減り続ける人員とそれに反比例して増える仕事量は尋常でなく、ここ数日は最低限の睡眠と最大限のやる気で仕事をやり続けていたおかげでなんとか全体の仕事量をカバーできていた。だが、どうやらそれも限界だったらしい。自分が階段の中腹あたりで意識が遠のいて転げ落ちたことはよく覚えている。
「いって・・・」
これが証拠だと言わんばかりに鈍く痛む頭は、視界に見覚えのあるカーテンのような仕切りを映す。どうやら俺は、保健室にいるらしい。
カーテンをゆっくりと開けて時計を見れば、驚愕の光景が。
「7時40分・・・もう仕事終わった後じゃねぇか。」
会議室を出るときに時計を確認していないから、俺がどれほど眠りこけていたのかは分からない。だが、俺がしなかったせいで遅れが生じてることは確かだ。急いで事情を説明して書類を纏めて持ち帰らなければいけない。
急いで立ち上がろうと肘をつくが、思ったように身体が動かない。どうやら結構な勢いで頭をぶつけたせいで、まだ脳震盪の影響が残ってるらしい。
「あっ・・・!目、覚ましたんですね!」
カーテンが動いたのを見たのか、一色がひょいと顔を覗かせてきた。ホッとした様子の彼女の手には氷嚢と濡れたタオルが握られており、彼女が看病をしてくれたのは間違いなさそうだ。当たりを見回しても先生がいないところからも、それが覗える。
「悪い。迷惑掛けた。」
「ホントですよ。様子がおかしいと思って追いかけたら、階段から落っこちてるんですから。もう超心配しました。」
「いや、まじですまん。」
階段からの転落をクラスメイトに見られるというみっともない姿を見られた俺は、ただただ平謝りするしかない。というか追っかけてきてくれたのね。一色の優しさに思わず涙が出そうだ。
だが、今はとりあえず状況を把握しなければならない。
「すまんついでに一つ聞きたいんだが・・・今、どんな状況だ?」
「起きて最初に聞くことがそれですか・・・。まあいいですけど。とりあえず、今日の所は作業が中止になりました。人が一人倒れてますからね。それで、城ヶ崎君が抱えてた仕事は一旦保留になってます。」
「そうか・・・。」
聞いた状況は、予想より酷かった。なにより、今日の作業が中止になったのが痛すぎる。人員が少ないとは言え、それでも全体の仕事は減りはする。なのにそれすらできなかったとは・・・。自分のリスク管理の下手さには嫌になるばかりだ。
「ならこうしてられないか。悪い、俺そろそろ・・・」
「は、馬鹿なんですか?病み上がりどころか現在進行形で病人なんですからおとなしくしといてください。っていうかなんならもう一回寝てください!」
ドンと肩を押され、再びマットレスへ吸い込まれる俺。起き上がろうとしてもタオルをびゅんびゅん回して威嚇してくるので起き上がれない。仕方なく諦めて寝転がることにした俺は、暇ので天井の染みを数えることにした。・・・というか、今の俺暇なんだな。俺はようやく、なにもすることがないことに気づいた。最近ずっと仕事ばかりだった俺は、「暇」というのが久々に感じられた。そして、こんなに静かな時間も。やだ・・・これが仕事するってことなのかしら・・・!
そして、俺も一色も何を話すでもなくじっとしており、目立った音がしない空間。
やがて時が過ぎ、時計の長針が30度ほど動いたとき。一色が意を決したように声を発したのだ。
「・・・なんでそんなに頑張っちゃうんですか?」
予想外の質問に、俺は面食らってしまう。だが、固まった口をなんとか動かした。
「・・・やんなきゃ間に合わないしな。俺が無理して回せるならそうするさ。」
つい先日も同じようなことを言った気がする。・・・どうにも歯切れが悪い。その理由は明白。俺が迷ってしまったからだ。俺がここまで意固地になって無理をする理由には、俺の一番知られて欲しくない部分が大きく関係している。これを話すべきか否か。それを迷ってしまったのだ。
「それ、本当の理由じゃないですよね?」
だが、一色はなおも踏み込んできた。真っ直ぐに俺の目を見つめ、その眼力で心を見透かすようにして言葉を続ける。俺は視線を動かすことも忘れ、それを聞く。ごまかしの効かない雰囲気のせいで、気分は裁判所の被告人だ。
「だいたい、悪いのは仕事しない人じゃないですか。それを肩代わりするにしても限度があります。それに、こんなになるまで無理する理由がありません。」
「・・・それは、まぁ。」
・・・これは痛いところを突かれた。確かに、普通はそうだ。言い方は悪いが、たかが高校の文化祭。どんなに仕事をする人が減ったとしても、きっとそれなりのものには仕上がるはずだ。それを知っているからこそサボりは加速するし、相模委員長が「仕事のペースを落とす」なんて発言ができる。そして、俺一人が頑張ったところで文化祭のクオリティが劇的に上がることがないことも。影響が全くないとは言い切れないが、精々運営上の問題が一つ二つ消えるくらいじゃないだろうか。
だがらこそ、一色は疑問に思ったんだろう。
「だから、何か理由があると思うんです。こんなに頑張っちゃう理由が。」
「そりゃ、まあ。」
無理矢理に顔を逸らし、視線から逃げる。
一色の推理は至極まっとうで、俺に反論の余地はない。本当に胸中を見透かしてるんじゃないかと思えてしまうほどに俺の弱点を突き当ててしまっている。「もう観念して白状してしまおうか」。そんな風に思ってしまえる程だ。
だが俺は、その一歩を踏み出す決断をできないでいた。二年前から進んでいない俺の心は、こんなところでも足を引っ張っている。話してしまったら、怖がられるんじゃないか。こうやって話すこともなくなってしまうのではないか。その恐怖が、俺の口を凍らせる。
だが、そんな俺を見た一色はクスリと一笑いをした。
「・・・別に、無理に言わなくてもいいんです。無理して聞くような内容じゃ無さそうですし。」
いやにあっさりと引き下がる。さっきまでの急所を突いてくる姿勢とはえらい違いだ。その違いに驚く俺を見て、さらに一笑。
「でも、一つだけ教えてください。頑張っちゃう理由、あるんですよね?」
ずいっと顔を近づけ、放たれた問い。核心を突くようで、微妙にはぐらかしたようなそれ。意図的に逸らされた問答は、俺がどんなことを言っても優しさの膜でそれを包み隠してしまうだろう。そうやって気を遣われたことに気恥ずかしい感じがした俺は、剃らしていた顔を一色へと向けた。正面からじっと目を見つめ、自分の言葉で答える。
「ああ、ある。・・・でも多分、今の俺はそれを上手く言えないと思う。」
自慢じゃないが、俺の対人経験は一般人を大きく下回る。弱さを見せぬように過ごしてきた日々は、俺から「伝える」という行為を薄れさせてしまっている。
だからせめて、俺の気持ちが少しでも伝わるように。
「でも、もし。もし時間をくれるんだったら・・・ちゃんと伝えたいと思ってる。」
例え気持ち悪くても、思いだけは伝わるように。俺は言葉を紡いだ。慣れない言葉を言ったせいで、顔が急速に熱を持つのが分かる。恥ずかしさが天元突破し、心臓が痛いくらいに動きまくった。
だが、俺の思いは伝わってくれたらしい。
「なんですかそれ。もしかして告白ですか?この雰囲気ならいけるかなーなんて思ったんだったらその考えを正してきてから出直してきてくださいごめんなさい。」
一瞬あっけにとられた後、ふふっと笑う一色。俺を弄るその顔は実に楽しそうで、まるで小悪魔であった。でびでびいろはすである。
「告白じゃねぇっつの。というかなんで告る気もないのにフラれにゃならんのだ・・・。」
「む、告る気がないとは聞き捨てなりませんね。だいたい前から思ってったんですけど城ヶ崎君は私に対する態度がおかしいんですよ!」
「なんだそれ・・・。でも女子に可愛いって言ったり特別扱いしたりしたらセクハラになるんだろ?なら俺は絶対にやらないね。」
「そういうのは好感度把握してない人がやるからそうなるんですよ。・・・・・・はっ、もしかしてそれは私を特別扱いしたいっていう感じのやつですか!?もしそうならもっと普段からそういった態度を取って好感度をもっと上げてから手順を踏んでからにしてくださいごめんなさい。」
「あーはいはい。絶対言わないから安心してくれ。」
この部屋にある弛緩した空気は、夏のキャンプで感じた「あの部活」と似たようなものを感じた。ならば、俺は・・・
浮かんだ淡い思考を断ち切り、横を見遣る。ベットのそばに腰掛ける彼女が、心なしかさっきよりも近く感じったのは――多分気のせいだ。きっと、窓から差す夕日が見せた幻覚に違いない。だが夕日が運んできた熱は心地よく、いつまででも触れていたいと思う程心地よい。願わくは、こんな空気をいつまでも・・・。このときほど、そう願ったことはなかったかもしれない。
「行動に理由がある」。これを知れただけでも、彼らにとっては大きな前進なのだ。何も知らない状態から、一歩でも先に進めたのだから。
では、もう一方の彼――比企谷八幡はどうだろうか。
倒れた雪ノ下の見舞いに行った彼は、もう一歩踏み出せるのだろうか。「私たちを頼って欲しい」という由比ヶ浜の願いは、彼の心にどう映るのか。
次回、「歪んだ鏡は、違った心を映せるか」。