浅い呼吸で、前を睨む。思わず揺れる視界の先にいる女は、俺には大将首を取った兵士のように映っている。
よもや誰にも言いたくなかった過去を、こんな形で突きつけられることになろうとは。
「その顔。やっぱり図星だったみたいだね。」
俺の睨みも意に介さず、涼しい顔で笑う雪ノ下さん。だが、その笑いは絶対的に優位であるが故の、余裕の笑いだ。下衆であることには変わりないが、それでも笑顔の恐ろしさは群を抜いていた。
「・・・随分と妹さんにご執心のようで。俺なんかを調べ上げるなんて、苦労したでしょうに。」
俺はぼろぼろになった不敵な笑みを張り付け、なんとか虚勢を絞り出す。それくらいしか、この窮地を脱する方法はなかった。これ以上弱みを見せてはいけない。少しでも判断を誤れば、いよいよもって俺はここから飛び降りるくらいしかすることがなくなるだろう。どうやって調べたかなんて見当も付かないが、目の前の女がそれを知ってることに違いはないのだから。
「勿論大変だったよ。なにせ全然情報がなかったんだもん。苦労しちゃった。結局事件の概要しか分かんなかったしね。」
「その大変さに折れてやめてくれれば良かったんですがね。」
「そういう訳にもいかなかったからね。お姉さん頑張っちゃった。」
てへ、と言わんばかりに舌を出された。目さえしっかり笑っていれば雑誌の表紙にでも使えただろうに、残念ながらその目は俺への凍てつく波動で溢れている。こちとらにらみつけるしかしてないというのに、随分な対応である。是非ともそれを収めてほしいものだ。
なんて内心でうそぶいてはみたが、俺にはどうすることもできなかった。
「・・・結局、貴女は何がしたいんだ。俺の過去を掘り返してばらまいたとしても、この文化祭に影響はないはずだ。」
俺は聞くしかなかった。本当に分からなかったからだ。
こうして俺の過去が白日の下に晒されたとしても、せいぜい俺が虐められるだけのはず。ここでこうして俺の過去を突きつけたところで、文化祭への影響などなかったはずだ。なのに、一体何故・・・
すると、雪ノ下さんはきょとんとした様子でこちらを見ていた。
「あ、勘違いしないで欲しいんだけどさ。私はこのことをどこかにばらしたりする気はないよ?」
「・・・え?」
「だって沙耶の弟だしね。私だってそこまで鬼じゃないよ。」
「・・・だったら、なんで。」
「私がこうしている理由は二つ。一つは、君への忠告だよ。」
意味が分からない。忠告?一体何の・・・?
本気で困惑する俺が見えてるのか否か、雪ノ下さんは言葉を続けていく。
「君、夏祭りの時のことで時の人になってるでしょ。ならもっと気をつけなさい。どこから君の情報が伝わってくるか、分かったもんじゃないでしょ。例えば、『一個上の同級生』、とかね。」
そこまで調べていたのか、と再び驚かされる。
俺は傷害事件を起こしている。だが、相手も被害届などを出さなかったおかげで俺は今もこうして居られるわけだが、それが噂にならないわけがない。結果俺は一度受験を諦め、一年浪人したのだ。だから俺は、実は比企谷先輩達と同い年なのだ。それを知る人は、現状先生達しか居ないはず。一色が俺に敬語を使って焦ったのは、そのせいである。
それと同時に、やはり敵わない相手だとも再確認させられた。
相手の方が数枚上手だ。当事者の俺でさえ気づかなかったことに気づいている。
「それともう一つ。」
歩み寄って俺の肩を掴み、ぐいっと引っ張る雪ノ下さん。耳元で囁かれた言葉は、俺の背筋を凍らせるのに十分な働きをしだった。
「あんまり私の邪魔。しないでね。」
顔は見えなかったが、多分、相当”イイ笑顔”をしていたんだと思う。
震える背筋をなんとか御し、引きつった笑顔を浮かべる俺。こわばる口を動かし、なんとか言葉を絞り出した。
「・・・ぜ、善処します。」
「うん、よろしい。」
そう言って俺を解放し、ヒールの音を鳴らしながら出口へと向かう雪ノ下さん。遠のくヒールの音は、まるで死期が遠ざかっていくようで。
俺はようやく緊張状態から解放された。
(・・・死ぬかと思った。)
人生で初めて、そう思った。ふぅ・・・っと息を吐けば、全身の筋肉が弛緩する感覚が。思わず倒れそうになったが、なんとか持ちこたえることに成功した。
「あ、そうそう。」
しかし、去り際に放たれた言葉は俺の心臓を再び鷲掴みにするには充分な威力を持っていた。
「流石に私も、誰がコレを知ってるかなんて調べられないから。」
結局俺の心臓は死に、その場に倒れることになった。あの人は前世、アサシンでもやってたんだろうか。
結局ヒールの音が聞こえなくなってから、たっぷり10分以上の時間を使ってようやく起き上がれた俺は、のろのろとした足取りで会議室へと向かうことになった。
・・・その頃には、すっかり忘れてしまっていた。
「なぜ雪ノ下さんが文化祭を失敗させようとしていたか」を聞くことができなかったことなど。
***
「あ、遅い!」
会議室に着いた俺に待っていたのは、一色のストレートな怒声だった。その怒声に一瞬会議室内も静まりかえりかけたが、すぐ元の喧噪に戻っていった。どうやら全員仕事がいいところらしい。唯一比企谷先輩だけが「ざまぁ」と言わんばかりの腐った目を向けてきていた。後で仕事回してやろうか(逆ギレ)
しかしながら、腰に手を当てて若干マジギレ気味に俺を叱る様子は、とても年下とは思えない。むしろ俺の方が出来の悪いガキのような気さえしてきた。
「私よりもずっと前に教室出たはずなのになんで私より遅いんですか!?」
「いや、ほら。アレがアレだったんだよ。」
「どれがどれなんですかね~?説明してくれます?」
にっこり笑っているが、目が笑ってない。さっきの雪ノ下さんとは違うベクトルで恐ろしい。一方俺は頬が引きつってまるで笑ってるように見えただろう。
この状況を作ったんだから、せめて助け船を寄越せという視線を会議室に飛ばすが、当の本人は不在。どうやらもう帰ってしまったらしい。ガッデム。これじゃ四面楚歌だ。おっと元々味方はいませんでしたね。ならいつも通りか。
っていうかなんでこの子は俺が真っ先に教室から出たことに気づいてるのかしら。誰にも見られないように細心の注意を払って出てきたはずなんだけど。
「俺が悪かった。遅れた分は仕事でカバーするから許してくれ。」
「ふぅん。仕事で、ですか。」
何やら試すような視線を向けてきている一色。
これはあれだろうか。もっと具体的なもので誠意を示せということだろうか。
「・・・分かった。荷物持ちでもなんでもやろうじゃないか。」
「・・・貸し二つ目ですからね。ほら、仕事する!!」
してやったり、といわんばかりの笑みを浮かべたかと思えば、俺の背を押して定位置にぐいぐいと押しやってくる。どうやらしっかり俺の分の仕事は取っておいてくれたらしい。
「・・・やるか。」
身体は少し疲れているが、気分は大分軽くなった。
俺はパソコンを開き、今日の仕事に専念することにした。
なんやかんやあった文化祭の開催期日は、もう目前だ。
結局、城ヶ崎景虎は優しい人間だった。それ故に、初恋の少女を泣かせた男を許せなかったのである。
城ヶ崎が元々住んでたのは、周辺の県のどこかです。千葉村には高速道路とかで移動したんだと思います。
ようやく城ヶ崎の過去が明らかになりました。ですが現状、周囲でそれを知っているのは陽乃さんと姉の沙耶だけです。ひとまず安心ですね()。
次回、「祭りは最高にフェスティばり、仕事も最高にぱーりない。」