ガチャガチャと鳴る錆びた鍵の音。それは、屋上がしっかり施錠されていることを示している。
喧噪から離れたこの場所には、その音だけが空虚に響いた。まるで、がらんどうの箱に響くように。
「・・・こっちじゃなかったみたいだな。相模委員長」
「え、ええ。」
ぎこちない二人に生まれた会話は、酷く事務的な物だ。
コツリコツリと階段を降りる音に混じって、ブーブーと機械的な音が響いた。発生源は、一色のスマホ。だが彼女はそれに目もくれることなく階段を降り続けている。城ヶ崎はそれを気にしていたようだが、それを言い出すことなく階段が終わった。
階段が終われば、そこは廊下。左右に伸びるその先は、傾き掛けた陽が作る影で暗くなっている。何かを暗示するかのようなその光景を前に、城ヶ崎は切り出した。
「あー、えっと。一色はこっちにいなかったって、城廻先輩に報告してきてくれないか?」
見え透いた嘘だった。
報告なんて、もう片方と報告し合ってからでいいと言うのに。
「分かりました。」
だが、一色いろははそれを了承した。
「・・・そっか。ごめんな」
城ヶ崎景虎が何に謝ったのかは、誰にも分からない。
「いいんです」
一色いろはが何を許したのかは、彼女にしか分からない。
しかし、彼らの道がここで別たれたのは、紛れもない事実だった。
「それじゃ」
そう言って、城ヶ崎は歩き始めた。
一色に背を向け、罪人のように。
「・・・あの!」
背中に掛けられる制止の言葉。
一色は、城ヶ崎へ向けて、こう言った。
「私、思うんです。もっと、人を頼ってもいいって」
それは、どういう意味だったのか。
彼にとって、どういう意味を持っていたのか。
彼は長い沈黙の末に、こう言い残した
「・・・・・・まあ、そのうち、な。」
これを最後に、彼らは話すことはなかった。
傾き始めた夕日が映す影は、重なることはない。
***
side 城ヶ崎
文化祭が終わった帰り道。帰り始めるのが遅くなってしまった俺は、薄暗くなった道を一人で歩いていた。
学校を出た俺はそのまま公園でぼんやりと時間を過ごしていた。そして気づくと周りが暗くなっていたのだ。しかしとても帰る気にはならなかった俺は、普段の倍以上の遅さでのろのろと帰り道を歩いている訳だ。
「・・・はぁ」
思わず、ため息が漏れてしまった。
日が傾いたとはいえ、まだじっとりと熱を帯びる空気に流れ出る俺の吐息。しかし、それが俺のぐちゃぐちゃの心を綺麗にしてくれることはなかった。
理由は、あの時の屋上からの分かれ道。一色に言われた言葉だ。
「私、思うんです。もっと、人を頼ってもいいって」
俺はその言葉に、なんて返しただろうか。情けないことに、それを覚えていない。もしかしたら、言葉が出せずに無視してしまったのかもしれない。だとしたらとても申し訳ないことをしてしまった。
だが、これだけは思ったはずだ。
(・・・頼れるはず、ないだろ)
「人という字は、人と人とが支え合って成り立っている」。これは広く知られる言葉だ。そして文化祭のスローガン決めの時に、比企谷先輩はこれを引用してこう言った。
「よく見たら片方が寄りかかっているだけだ」と。
そこで彼は自分が寄りかかられている被害者だと訴えて総スカンを食らっていたわけだが、今はその話はいい。
「人に頼る」ということは、「寄りかかる」ということだ。
そして俺が寄りかかったとき。それは確実に大きな負担となる。
俺は、未だに自分のトラウマに清算が付けられていない。そんな罪人が人に寄りかかってしまえば、下手をすれば相手が折れてしまうかもしれない。
そう思うと、俺は絶対に人に頼れないのだ。
軽い頼み事くらいならできる。だが、それ以上はできない。それが、俺なりの処世術だった。
(とはいえ、悪いことをしてしまったな)
結局、一色の文化祭を後味の悪い形で終わらせてしまった。そこは本当に申し訳ないと思っている。
・・・しかし、ある意味これで良かったのかもしれない。
すっきりとした終わり方ではなかったが、あるべき形に戻っただけだ。
俺は日陰に。彼女は日向に。
ちくりと痛む本心。―――この関係を壊したくない
だがそれは、俺が手に入れてはいけない。
願わくは、彼女が俺と出会ったことすら忘れ、平穏無事で楽しい学生生活を送ることを。
俺の夢は、ここで終わりだ。
***
side 一色
「ええ~。じゃあ一色さんは後夜祭来れないんだ」
「はい。すみません、折角誘って貰ったのに」
「ううん、いいの。それじゃあ、お疲れ様!」
「はい、お疲れ様でした!」
城廻先輩はそう言って、立ち去っていった。そして私は一人、誰も居ない教室に残る。
後夜祭に誘われたけど・・・今はとてもそんな気分にならなかった。
文化祭の喧噪が嘘のように静かな教室で、私は自分の席に座る。教室の一番後ろの廊下側が、今の私の席。そこで何をするでもなくぼんやりしていると、自然にさっき―――屋上でのことが頭に浮かんできた。
あのぎこちない空気の中で交わした会話はそう多くなかった。
でもあの時、私は思い切って彼に言うことができた。「もっと周りを頼るべきだ」と。
・・・だって、見てられなかったから。
準備段階で倒れるまで仕事をして、本番だって自分の楽しみなんて二の次で仕事をこなしていた。
誰に頼ることもなく、弱音も吐かず、ただ黙々と仕事に向き合うその姿は、まるで機械のようで少し怖かったのを覚えている。
そんな彼に、私は何もしてあげることができなかった。
それどころか、クラスで起こってしまった厄介事に彼を巻き込んでしまった。
そんな私が、頼って欲しい、なんて口が裂けても言えなかった。だからせめて、誰か頼れる人に頼って欲しかったのだ。
だけど。
「・・・・・・まあ、そのうち、な。」
彼は長い沈黙の末、悲しげに聞こえる声でそう言い残した。
私はそれを聞いて、直感で感じることができた。「これは、彼の過去に関係がある」と。
そう感じた瞬間、私は胸が締め付けられるような思いでいっぱいになった。
彼が囚われている過去は、彼自身が誰に頼ることもできなくなり、なんでも一人で抱え込んでしまうような物である。
改めて行き着いたその結論が、あまりに残酷だったからだ。
「・・・やっぱり、このままじゃダメだよね」
思い出されるのは、彼を一番最初に認識した時。真っ向から自分の意見をぶつけ、教室から飛び出していったあの時。思えば、彼の本音らしい言葉を聞いたのは、あれが最初で最後な気がする。
その事実に胸をチクリと刺される。でも、それは今は忘れておこう。
今私が座っている席は、その時に彼が座っていた場所と同じ。でも、私は彼とは全然違う。
彼と違って、私は一人で全部することはできない。
・・・だからせめて、私のせいで彼に迷惑がかからないように。一人でできるようになるまでは。
私は席に座ってスマホを取り出して、LINEを起動した。一番上には、不在着信と共にこんなメッセージが踊っていた。
『この後、時間ある?伝えたいことがあるんだけど』
あの時、しつこく鳴っていたのはこれだ。
その事実に若干腹立たしさを覚えながら、私は長押しすることなく既読を付け、こう打ち込んだ。
『ごめんなさい。無理です。』
思い返してみても、こういった誘いの言葉に対してここまできっぱりと断ったのは人生で初めてだ。送信ボタンを押した後は、少しすっきりした気持ちだった。
「きっとこれで、私だけでも問題が解決できたはずだ」
このときの私は、そう考えていた。
季節は巡り、秋がやってくる。
あれから関わることのなかった彼らは、ある一件によって関わらざるを得なくなってしまった。
「生徒会選挙」
奉仕部と城ヶ崎と一色。それぞれが問題を抱える中で進んでいく選挙活動は、終着点の見えぬレースのよう。
比企谷八幡は紆余曲折を経て、「本物が欲しい」と告げる。
では、城ヶ崎景虎は?
次回以降、生徒会選挙編です。