side 八幡
寒さが加速度的に増えていき、足早に冬が近づいてくる。俺が普段使っている校舎裏、通称ベストプレイスはそこそこ日が当たるのだが、風が吹くと流石に寒さを覚えるようになった。俺はこの秋という季節が嫌いじゃない。日に日に寒くなる気温が、万年冬である俺の周囲と徐々にマッチするような感覚。これが中々どうして悪くないのだ。
だが、今年は妙に寒い。千葉が過ごしやすいことは言うまでも無いので、多分世界の全てが寒いんだろう。夏になると毎年近年稀に見る猛暑とか言ってるので、たまたまそれが冬に当てはまっただっただけだ。知らんけど。どうでもいいけどまじで毎年言ってるよね、あれ。毎年言いすぎて最早ただの定型文として使ってるんじゃないかと疑うレベル。定型文は会話デッキに必須レベルだし仕方ないのかもしれんが。つまり夏とはボジョレーヌーヴォーのことだった・・・?
「・・・なんかあったんですか?先輩」
「は?」
そんなくだらないことに思考を飛ばしていると、ベストプレイスに足を踏み入れる奴が一人やってきた。そんな奴を、俺は一人しか知らない。
城ヶ崎景虎。
春に俺と出会って以降、かなりの頻度で一緒に飯を食っている変わり者だ。出会ったきっかけとなった提出用紙に書かれていた文言から、どこか似たような波動を感じたから・・・と言えば聞こえは良いが、実際はただの拗らせたボッチである。捻くれ者と揶揄される俺と、拗らせている城ヶ崎。あっちの交流関係を詳しく知っているわけではないが、俺にとっては貴重な同性の会話相手だ。
「別にいつも通りだろ。俺はなんも変わってねぇよ」
「いや、最近ここに来るのめっちゃ早いじゃないですか。前まで俺が先に来る時もあったのに」
「・・・いやまあ、寒いからな。うん」
・・・妙な所で勘の鋭い奴だ。人間観察が得意なのはボッチの固有スキルなのかもしれん。
なにか言い返そうとしたが、上手い返しが喉から出てこない。なにせ、事実だからだ。今の俺は、あまり教室に居たくない。教室に居ると、視線が痛いのだ。由比ヶ浜がチラチラと送ってくる、気遣うような、腫れ物に触るような視線が。
やめろ、そんな目で俺を見ないでくれ。そう願っても、意味など無い。彼女はあまりに優しいから。
「普通は逆なんだよなぁ・・・おかげで俺が来たときにはもうここ秋っぽくないんですよ。先輩がケツで暖めてるせいで」
「俺は秀吉かっつの。大体、俺が暖めるのは草履じゃなくてベンチくらいだ。暖めすぎて最早夏になるまであるぞ」
「先輩補欠入れるんですか?」
「ふっ、馬鹿言え。俺は万年補欠要員だぞ。もはや補欠過ぎて誰からも覚えられてないまである」
「まあ俺ら日陰者ですしね。日が当たらないから自分らで暖めるしかないか」
「道理だな」
下らない冗句の応酬に、ふと懐かしさと物足りなさを覚えた。こいつとは、昨日もこんな会話をしたはずだ。何が違う?何が足りない?俺は思考を巡らせるが、その答えはあっさりと見つかった。
「お前、紅茶なんて飲むやつだったか?」
紅茶。そう、紅茶だ。俺の記憶の中では、こいつは微糖のコーヒーを飲んでいる。俺はマックスコーヒーを勧めているのに。とても紅茶なんて上品なものを嗜む奴ではなかったはずだ。だと言うのに、今日に限ってこいつは紅茶を持参していた。風に乗って俺の鼻を突く香りは、まるで俺を攻めているように感じる。とんでもない被害妄想だ。
しかし俺がそれを聞けば、城ヶ崎は虚を突かれた様子で苦々しくぎこちない表情筋を動かした。
その表情を、俺はよく知っている。小町と喧嘩した翌日の朝、鏡に映っていた俺の顔とそっくりだ。何かやまし・・・くはないが、きっと何か事情があるんだろう。
「あ、いや。別に好きって訳じゃないんですけどね。・・・偶々ですよ。」
城ヶ崎が飲む紅茶。その匂いが、俺にあの場所を連想させていた。夕日が差す教室、そこに香る紅茶の香り。もう二度と嗅ぐことは無いと思っていた。もう二度と、戻れないと思っていた距離感。
「・・・似合わねえな、お前に紅茶は」
「デスヨネー」
・・・本当にこいつは侮れんやつだ。そう認識した結果、俺は一色の依頼を思い出していた。
***
生徒会選挙に勝手に立候補させられていた、と語る一色は、俺達奉仕部に依頼をしてきた。「角が立たないように、私を選挙で落として欲しい」と。その際に、彼女はもう一つ条件を出してきた。
「・・・城ヶ崎には絶対知られたくない、か?」
「はい。できれば、というより絶対に」
何故ここで城ヶ崎が出てくるのか、とあの時は疑問に思った。確かに城ヶ崎は正義感・・・というより、何かに全力を出しすぎる傾向があった。だが、この件に関しては全くの無関係だろう、と。
「理由を教えて欲しいのだけれど。彼も学年こそ一年だけれど、生徒会長になる素質は充分にあるわ。むしろ、それは貴方の方が理解してるのではないかしら」
雪ノ下の言葉は最もだと思った。彼に立候補してもらえば、少なくとも信任投票で落ちるなんてことはしなくて済む可能性が増える。人気は一色の方が上だろうが、応援演説をやる人次第ではそれがひっくり返る可能性は高い。そんな安牌を捨てるなど、正気とは思えなかった。
「分かってます。・・・でも、城ヶ崎君にこれ以上迷惑をかけたくないんです」
「・・・何か事情があるようね」
「はい。彼がこれを知ったら、絶対なんとかしようとすると思うんです。『俺のせいだ』なんて言って。絶対そんなことないのに。だから、知られたくないんです」
深くまでは話そうとしない一色。だが彼女の必死さからは、普段被っている「可愛い女子」というガワは脱ぎ捨てられている。多分、相当悩んだ末に相談して、平塚先生に連れてこられたんだろう。
「分かったわ。城ヶ崎君には知らせない方針で、何か策を考えましょう」
***
今ならば分かる。こいつは、一色の状況を知ったら絶対行動する。「そんなことしないだろう」なんて思ってかかったら、痛い目を見るのはこちらだ。ついでに言うならば、こいつは『偶然』一色のことを知ってしまっている可能性すらあった。
「なあ、最近変わったこととかなかったか?」
探りを入れるべく、俺はなんてことない風に会話を続ける。正直、ちょっとリスキーではある。だが、こいつが今どこまで知ってて、どう行動しているのかを知るメリットは大きい。万が一にも、知ってて行動してない、という可能性も考慮した上でだ。
もし知ってて行動していない場合、俺の手札が増えることになるからな。立ってる者は親でも使え。持てる手段全てを駆使しなければ、雪ノ下には勝てないのだから。
「変わったことですか?うーん・・・犬のうんこ踏みかけたとか?」
「歩いて登校するやつの定めだな、それ。」
思ったより何も無さそうである。やはり、一色のことを知らない可能性が高いか?
「・・・あ、そういや最近俺の靴が隠されるんですよね」
「いじめか?」
「んーそんな感じですかね?まあ実害少ないし放っておいてるんですけど」
「いやちゃんと対処しろよ・・・。ぼっちは実害出ても誰も気づかんぞ。早めに対処しとけ」
「まあそのうちなんとかしますよ。って言っても、諸事情により厳しそうなんですけどね」
前言撤回。こっちはこっちで大問題を抱えていた。規模は小さいようだが、苦労しているようである。
「何か心当たりとかないのか?」
「うーん・・・あるにはあるんですけど、確証ないですし。まあ、そのうち飽きるんじゃないですかね?」
「心当たりあるのかよ・・・」
一体何をやらかしたんですかねぇ・・・。まあどうせなんかに巻き込まれたか割って入ったかのどっちかだろ、多分。こいつそういうのでやらかしてそうだし。ていうか今更だけど、こんな正義感あるやつがなんでぼっちやってんだよ。お前絶対陽の側だろうが。
「あ、俺の靴なくなったくらいの時期からクラス内の雰囲気が変わりましたね。なんていうか、派閥が変わった?って感じです」
「派閥が変わった、ねぇ」
思わぬ所から結構重要な証言を得られた。
十中八九、雰囲気が変わった原因は一色の件が絡んでいるだろう。陥れた犯人がまだ分かっていない以上断言はできないが、城ヶ崎の件も同一犯とみて良さそうだ。
派閥が変わった理由は、中心人物がそれらをやったからだ。主導となってそれをやった以上、反感を覚える奴は当然出てくる。しかもそれがいじめや度が過ぎた嫌がらせともなれば尚更だ。
状況証拠は充分揃ったと言えよう。犯人の割り出しは先生達がやってくれるからいいとして・・・
「まあ、そのうち収まるんじゃねえの?」
「そうですね」
状況は変わってない。だが、吉兆の目は見えてきた。
恐らく、一色の件さえ解決してしまえばこいつのいじめもなくなる。ただでさえ株を落とした犯人が失敗したとなると、その求心力は大きく落ちるからな。
「ま、なんかあったら言えよ。聞くくらいはしてやる」
「なんだかんだ面倒見いいですよね、先輩」
「当然ろ。俺はお兄ちゃんだからな。年下の面倒見るのは慣れてる」
とは言ったが、こいつが素直に相談してくるとは思えない。だが、こちらに誘導できる餌を撒いておくことで、情報が得られるかもしれない、という打算込みである。純粋に心配なのが8割だが。ぼっちはぼっちに優しいのである。
「ありがとうございます。・・・じゃ、時間もそこそこなんで、これで」
「おう。背後には気をつけろよ」
「夜道じゃないんで大丈夫で~す」
そう言って立ち上がる城ヶ崎。唸りながら背を伸ばし、こちらに背を向けて立ち去っていった。
「あ、先輩」
「なんだ?」
しかし、去り際にこんなことを言って行きやがった。
「・・・何があったか知りませんけど、そっちこそなんかあったら相談してくださいよ?俺で良ければ協力するんで」
・・・俺はそこまでわかりやすいのだろうか。小町が一瞬で見抜いて来たのは仕方ないにしても、まさかこいつにまで見抜かれているのか?
「・・・お前、やっぱ変な奴だな」
「先輩こそ。隠してるのが儲け話とかだったら、俺も一枚噛ませてくださいよ?」
「安心しろ。万が一にも儲かることはないからな」
「えぇー。じゃあいいかな・・・」
「どっちだよお前・・・」
仮に俺に友人がいるとしたら、こんな感じなんだろうか。
ふと、そんなことを考えてしまった。
しかしこれが大きな分かれ道になることを、彼らは知らない。
城ヶ崎が一色のことを知ったとき。それが、大きな乖離点となるのだ。