人類の決して短くはない歴史の中で、永らく決定的な役割を果たしてきた兵科といえば、まず疑いの余地なく騎兵であろう。
チンギス=ハンのモンゴル騎兵は帝国を築き、ポーランドのフサリアはオスマン軍のウィーン包囲に穴を開け、コサック騎兵は常にロマノフ家の切り札であった。
信頼性の高い機関銃と、精密な野砲が戦場に姿を現すまで、戦いの決定権を握るのは騎兵であったし、それはこの世界でも決して例外ではない。
新兵器・ハンドキャノンでさえ足を止めなかった魔族政治犯達がようやっと足を止めたのは、見事に統率された重騎兵の群れが自らに向かって突進してきた時だった。
重々しい鎧と、長い槍、強靭な騎馬が、速度と質量を伴って迫ってきた時、魔族達にはそれらを止める術が用意されていなかったのだ。
よって、彼らは蹂躙された。
1週間後
辺境伯領居城
執務室
グスタフの第4親衛騎兵連隊は救援に間に合い、魔族の侵攻軍…いや、グスタフの言うところの"大変可愛らしい集団"を尽く破砕した。
方伯軍第6近衛騎兵隊を救出し、ハンドキャノン隊が持ち直す時間を与え、捕らえた捕虜は全て処刑したのだ…辺境伯命令で。
方伯はこの小規模な戦争で、土地の安寧を得た。
私の手元には彼からの修飾語たっぷりのお礼のお手紙が届いた。
だが、私はそんな紙切れよりもずっと多くの物を得たのだった。
この日私は閣僚達と共に、その
「国庫の有り金を叩いた甲斐がありましたな、辺境伯。方伯軍の実力はしっかり推し量ることができましたぞ。」
「ほほう、というと?」
「例のハンドキャノン隊など恐るるに足らぬという事じゃ!連中敵の歩兵さえ満足に…」
「違う、そうじゃない」
私はちょうど一週間前に同じ場所でそうしたように、目頭を抑えて天を仰ぐ。
自信満々に見解を述べるカリウス将軍は心強いが、戦争の前に私が言ったことを丸々忘れていたと言うのだろうか?
ならこの将軍を更迭しなければ。
「おおっ、そうじゃった!辺境伯から命ぜられた事項もしかとグスタフに観察させましたゾイ!」
「そう、それそれ。」
『増援の出兵と共闘による方伯領軍の観察』
コレこそが私が新魔王にさえひた隠しにしたもう一つの目的であった。
第4親衛騎兵連隊長は越境を行う前にこの密命を帯び、それに準じた行動を取った。
つまるところ、方伯領軍本営と連携を取ることで、向こう側の特性を掌握したのである。
「まず、方伯軍の編成から。連中は軍を主に4つの方面に割り振っておる。北部軍、南部軍、西部軍、南部軍。それぞれ守備範囲が決められており、主攻勢方向の軍に他の方面軍から援軍が出されるようになっておる。」
「随分と守備的な配置だな…指揮系統は?」
「これがかなり複雑じゃ。まず本営があるわけじゃが、この時点で系統が分かれておる。方伯直轄の『近衛騎兵』を運用する組織と、農地から徴発した兵を運用する組織とがそれぞれ別の本営を持っておるのじゃ。」
「…一元的な運用ができない、ということかな?」
「その通り。騎兵と徒歩兵で系統がキッパリ別れておる。今回の件では試験的に近衛騎兵側の本営が徴発兵の本営も兼ねたのじゃが…本営が徴発兵のハンドキャノン隊を見捨てた事から再び分離の方向へ動いておるようじゃな。」
「そいつは素敵だ、大好きだ。…他には?」
「末端部隊の伝令は単一の伝言を複数の機関に報告せねばならん。まず直上の上級部隊へ報告、その指揮官が重大と判断すればそのまた上級部隊へ。そのまた指揮官が重大と判断すればまずは部隊が所属する貴族へ、その後方面軍、方面軍司令官が重大と判断すれば本営へ……それも両方の本営へ。」
「何てこった…つまり、組織間の情報伝達は各組織の長や所属する土地の貴族の承認を受けねばならないし、情報を集積して方伯の判断を容易にする組織体もないわけか。」
「そもそもが違うの。方伯は方伯で近衛騎兵側本営の最高指揮官という位置付けにおる。方伯軍司令はその命令の実行者で、徴発兵本営を束ねるのはその副官という割り振りじゃ。」
「ん?どゆこと?」
「つまり…ワシもこんがらがっとるが……騎士と従者の関係をそのまま軍組織に拡大したのが方伯軍じゃ。徴発兵部隊は近衛騎兵の尻に敷かれとるというわけじゃが、徴発兵側も一応本営を持っておる。しかし、命令の優先権は近衛騎兵側にある。」
「それもう単一組織にした方がいいんじゃ」
「言ったじゃろ。今回の戦争で近衛騎兵側は徴発兵側を見捨てた。再分離は避けられんよ。」
「伝令の話が出たけど…それだけ複雑な系統を持つなら伝達には相当な時間を食うんじゃ…」
「勿論。一例を挙げると、第15ハンドキャノン隊があるのぉ。この部隊が後退の報告を挙げてから、本営にそれが伝わったのがなんと6時間後。あの限定的な地域でそのザマじゃからの。」
驚いた。
私が侵攻を恐れていた仮想敵国は時代遅れも良いところな…全く持って機能し難い軍事機構を持っているようだ。
おおよそ軍隊で考えられる最も不効率な体制を考えればきっとこうなることだろう。
「徴発兵部隊の本営は方伯軍の副官が持っておるが、徴発兵を実際に指揮するのは徴発した地域の貴族ないし貴族が任命した者じゃ。」
「じゃあ、方伯軍の中にも2つの指揮系統があるのに、そこに別の指揮系統も絡んでるわけか…よくもまあ。」
「じゃから言ったじゃろ!方伯領の素人どもなぞ瞬殺じゃと!」
「まあまあ。…それはそうと、鹵獲したハンドキャノンの分解の方は?」
「グスタフが戦場で拾ってきたアレか?領内の鍛冶屋達を集めて調査させた。どうやら、あの無駄な紋様以外は腰を抜かすほど単純な作りらしい。こちらの鍛冶屋でも作れそうじゃ………金さえあればの。」
すんばらしい!
しかし、問題はその金が無いこと。
我が領には金がなく、僅かに残った国庫の金もこの前の出兵で使い果たしてしまった。
それに我が領内にコレといった産業があるわけでもない…そう、今までは!!
私はカリウス将軍との話を切り上げて、今度はアンドレアスとシュペアーの方へ向き直る。
「コカインの製造の方はどんな感じ?」
「順調だ、ゲルハルト。女魔術師はこちらが望むものを全て製造できる。来週には量産体制が整うよ。」
「問題はコカの栽培ですね。魔王国との国境沿いにしか栽培に適した場所は…」
「かまわん、やりたまえ。あそこに住む亜人種共にやらせればいい。…今回の戦争で方伯からは食糧が送られてくるから、それを出汁に使うんだ。」
「かしこまりました。」
「モノを作ったところで販路がなければ何にもならない。
「『自由都市ハンザブルグ』にはそう言った輩はごまんといます。適当な者には目星をつけていますから、ご安心を。」
「大変結構。」
次いで私は、シュタイヤー大臣の方を向く。
「シュタイヤー、軍と金はまもなく整う。つまり…」
「あとは外交の問題じゃな。我々が方伯領に攻め入るとすれば、王国は必ず黙ってはいまい。
「正当な理由」
「往々にして正当な開戦理由は次の内のどちらかじゃ。1つ、我々が攻撃を受ける。2つ、大義名分を掲げる」
「口を挟んで悪いが…辺境伯、方伯軍は此度の失敗で己の軍事能力を見直すハズじゃ。恐らく先に述べた指揮体系を見直す事から手をつけるのじゃろうが、それが整うまでこちらに攻め入るようなマネをするとは考えにくい」
「逆に考えよう、将軍。方伯領軍の指揮系統が旧態然としている今こそが好機だ。それ相応の大義名分があり、国王の承認を得れれば楽な戦いになる。シュタイヤー、何か提案は?」
「ワシを誰だと思うとるんじゃ。案がないわけなかろう…ただ、その案じゃと、最初にアンドレアス殿の薬物を口にするのは方伯と言うことになるがの。」
…………………………………
辺境伯領-公国領国境
賊の親玉は暗闇の中、自身の愛用の武器である大斧に向かって這いずっている。
普段はそんな事しなくとも手下に一声掛けるだけで良いのだが、しかし、今彼らの拠点たる洞窟にいる生きた人間は2人だけで、それはすなわち親玉と彼を追い込んだ敵であった。
親玉は這々の体でようやく大斧に辿り着き、その柄に向かって手を伸ばす。
だが残念。
親玉が斧の柄を掴む前に、重いブーツの底が彼の手を潰す。
「ぎゃあああああ!?」
「騒ぐな。質問に答えてもらおう。」
ブーツの主は痛みに悶える親玉に鋭い蹴りを入れた。
フードを深く被ったその威容からは、只者ではない…何か悍しい雰囲気を感じる。
少なくとも、戦いの素人ではない。
「知らねえ!!俺たちは何も!!何も知らねえ!!本当だ!!」
「嘘を吐くな、お前達が孤児院を襲ったことは分かってる」
「孤児院!?…んなもん知らねえよ!!本当だ!!」
「まだ嘘を」
「本当に本当だ!!手下を皆殺しにされて自分まで殺されかけてんのに、此の期に及んで嘘なんか吐くかよ!!!」
ブーツの主…シスター・フローレンス…つまり猟師は、親玉の様子を見るに嘘を吐くような状態でない事を見て取った。
彼女が抱いていた予感はもう確信に変わりつつある。
あの日、孤児院から女魔術師の子供を連れ去ったのはこの野盗共ではない。
そもそも、手順があまりにも手際良く、華麗だった。
それでも野盗の親玉を追い詰めたのは、確信を得るためだ。
少なくとも、孤児院を襲ったのはこいつらではないという確信を。
「だ、第一、俺たちが孤児院を襲うなら目撃者なんて1人も…」
ズバァアアンッ!!
洞窟の内部に火薬の爆発音がこだまする。
火縄式の片手用ハンドキャノン…言ってしまえばマスケット銃が、親玉の首から上を完全に破壊した。
本来魔族の装着する固い鎧を打ち抜く為に設計されたその火器は、親玉の薄汚い頭を破壊するには十二分な威力だった。
猟師は洞窟を後にしながら、考えにふける。
孤児院を襲った連中は間違いなく
そこまでは分かるが、"なぜ"が分からない。
国王は剣士を公開処刑したという。
だがその国王も、女魔術師と第九代勇者の間に生まれた子供の事は知らないはずだ。
一体誰が聞きつけて、何のために連れ去ったのか。
彼女は何があっても友との約束を反故にしようとはしなかった。