公国領内
教皇領
大聖堂
建設中の大聖堂というのだから、サグラダファミリア的な物を思い浮かべていた。
だが、実際にはそんな馬鹿でかい施設ではない。
確かに聖堂としては大きい方だと思うが…こう言っては罰当たりかもしれないが…私の想像よりも背は低く、幅も狭かったのだ。
「今回の寄付には感謝してもしきれない、辺境伯殿。きっと主の恵みが、あなたに降り注ぐ事でしょう。」
「信者の1人としてなすべき事をしたまでです。」
「信心深い御心をお持ちですね。あなたのお父上もとても熱心な信者でした。…最近は教会への信仰を捨てる愚か者が後を絶たない…嘆かわしい事だ。それに引き換えあなたとその領民達は素晴らしい。皆、あなたの姿勢を見ているのでしょう。」
「お褒めいただき恐縮です。」
私はピッケルハウベを小脇に掲げながら、教皇様の一歩後ろを歩いている。
建設中の"大聖堂"はサイズこそ私の想像を超えなかったが、その内装は私の想像を軽く超えていた。
凝った彫刻に素晴らしい装飾。
だがその豪勢な内装が、教皇様肝いりの大聖堂建築計画に大きな影を落としていたのだ。
つまるところ、建設費用が足りなくなった。
教会は王国内のありとあらゆる優れた芸術家達を集めてこの大聖堂の建築に取り掛かったは良いものの、予算が思いの外高騰してしまう。
金がなくては物は作れない。
この大聖堂の建築は細々と続けられていたのだが、遂に資金が枯渇するかというタイミングで、1人の男が寄付を申し出た。
それがこの私である。
『国』という名前が付くものの、『公国』は実際には王国の一部に過ぎない。
便宜上、国という表現を使っているだけで、国王の親類である『公爵』が治める地域ではあるものの、実態は『教皇領』及び『教皇』が幅を利かせる宗教色の強い地域だ。
公国は横に長い長方形の形をしていて、その北辺を辺境伯領と方伯領に、南辺を国王の直轄地に接しているが、その長方形の中にはあまりにも多くの教会とその関連施設がある。
この大聖堂もそうした施設の一つになるはずで、当初の計画では何年も前に完成する予定だったのだ。
「巡礼にやってくる信者達もめっきり減ってしまったが、あなたの領民達だけは必ず巡礼にやってきます。巡礼に来れなくてもちゃんと贖宥状を購入する。…そして、あなたのように寄進も。」
「我が領民が信仰を欠くことはありません…私が約束致します。ですが…心配なのは他領の領民達です。待ち望んだ平和は歓迎すべきものですが…残念ながら、それが共和国の"疫病"を持ち込んでいます。」
「ええまったく!あの不信心者共に天罰のあらん事を!奴らと自由都市の詐欺師達が、迷える民を惑わしています!まったく嘆かわしい!」
「私としても自由都市の害虫どもを皆殺しに」
「…!…あぁ、忠実なる信徒、我が息子よ。気持ちはありがたいのですが、主の前でそのような事を口にしてはなりません」
「はっ、こ、これはつい…申し訳ありません教皇様。感情が昂ってしまいまして…」
「自由都市の詐欺師達から"民を救う"には国王の許可が必要です。大変立派なお志ですが、今は耐え忍ぶ時でしょう。…この度はわざわざ遠方から足を運んで下さってありがとう。あなたの行動を、主もきっとご覧になっておいでです。」
「いえいえ、大したことなど…」
「あなたの寄進のおかげで、信徒を救うための大聖堂の工事も再開できました。きっとこの世に同じもののない、立派な聖堂になるはずです。…何か困ったことがあれば、ご相談ください。」
「私は信徒として、一刻も早い大聖堂の完成に貢献したかっただけです。教皇様こそ、何かお困りになりましたらこのゲルハルトめにお命じください。必ずや駆けつけます。」
「良き信仰心です。お父上も主の下でお喜びでしょう。それではまた。」
私は工事が再開した大聖堂を後にして、待たせてある馬車の中へと乗り込む。
親衛隊の御者が馬に鞭を打って馬車を発進させると、私はふぅっと深いため息を吐いた。
ずっと馬車に乗って待っていて、今では私と向かい合わせに座っているダニエラさんが、こちらに問いかける。
「手応えはあったのか?」
「うん、まあ、上々かな…当たり前だけど。人間、自分がやりたい事に金を出してくれる人間を無下にはしない。」
「………我にはよく分からない、前代魔王の戦争の時もそうだったのだが…」
エルフやダークエルフの寿命は人間のそれとは比べ物にならない。
遠い昔の事をつい最近のように覚えている。
彼女は目を閉じ、私がまだ産まれる前の時代の記憶を遡っていた。
「人間は信仰の為に弓兵の射撃も厭わずに突っ込んできた。何故"そんなモノ"の為に、そんなことまでできるのだ?」
「逆に言えば、"それしかない"んだよ。勝算や収穫のない戦いをする時、ヒトの心には支えが必要だ。信仰は酷い境遇に遭った時の良い支えとなる…人間は、その支えがあるからこそ戦える。」
信仰のチカラは恐ろしい。
私は転生前に、そのチカラの恐ろしさを…間接的ではあるが…見てきた。
人間は信仰の為に自爆ベストを巻き、AK47を持って、飛行機ごとビルに突っ込める。
信仰の為に従軍し、信仰の為に無防備な人々を虐殺できる。
信仰の為に全てを捨て、信仰の為に全てを奪うこともできる。
宗教とその信仰は、人間に常軌を逸した行動をさせる事もできるのだ。
「………やはり…我には理解できないよ」
「理解できなくてもいいし、する必要もない。今大切なのは教会の信用を得ることだ。教会が私を支持すれば公爵も賛同せざるを得ない。国王だって教会との対立には二の足を踏むはずだからね。」
「ふむ、なるほど。つまり我の
「確かに大きな出費だが、その効果は絶大だ。教会が私を信頼するなら、あの程度の出費屁でもないね。…まあ、それもこれもコカインのおかげだが。」
「そのコカインについてだが、新しく情報がある。」
「え、何々?」
「共和国政府がコカインの存在に気づきつつあるそうだ。」
「え?…マジ?早くね?」
「どうやら、勘の良い
…………………………………
共和国
首都
歓楽街の高級娼館
大広間は酒池肉林の大騒ぎだった。
時刻はもう夜中の2時だというのに、老若男女問わず浮かれて、騒いで、飲んだくれている。
音楽家は滅茶苦茶に音色を奏でて、ポーターは常識外のチップに喜び、客達は危なっかしい足取りではしゃいでいた。
何人かは我を忘れて飲みまくり、何人かは娼婦を連れて上の階へ、そして何人かは白い粉を鼻腔から啜っている。
そんなバカ騒ぎの中、大広間の端っこの席でフードを目深に被り、静かに酒を飲む人物がいた。
彼、いや彼女は周りが浮かれ騒いでいようともチビリチビリと酒を飲むだけで、その席から一時間近く動いていない。
しかしその視点は常にある物質を捉えていた。
バーカウンターで提供されている、あの白い粉である。
「潜入捜査についてももう少し教えておくべきだったわね、レティシア」
一時間近く観察を続ける彼女に、声がかけられる。
フード越しに目線を向けると、胸元を大きく開いた真っ赤なドレスを身に纏う美女が目に入った。
彼女は驚愕のあまり目を見開く。
「そ、ソフィア団長!?」
「しっ!声が大きいわ。…貴女、そんな格好しているけど、チョイスとしては最悪ね。周りと自分を見比べてごらんなさい。すっごく浮いてるわよ。」
「団長が何でここに」
「目的は…きっと貴女と同じよ、レティシア。」
美女はフードの人物の隣に座ると、そのフードを優しく後ろへと引っ張った。
フードの中からは顔…まだあどけなさの残る、可憐な少女の顔が現れて、その頬を紅潮させている。
団長と呼ばれた女はその頬へ真っ白な指を這わせていく。
「勇気は認めるわ。でも、勝手に動くのは認められない。貴女1人でどうするつもりだったの?」
「わ、わたしはっ、自分にできる事をしたくて…」
レティシアと呼ばれた少女も、このファムファタムっぽくて仕方のない女も、共にある組織に所属する人間だった。
『共和国薔薇騎士団』
共和国の治安を担うこの組織は、女性団員によって構成される武装組織であり、その主たる任務は共和国内の治安維持と犯罪捜査であった。
その隊長はソフィアという女性であり、この…魅力的な瞳の片方を見事なブロンドで覆う、目を見張るばかりの美女は、薔薇騎士団への所属から今に至るまで大きな功績を挙げてきた人物でもある。
レティシアはまだ所属経験の浅い団員で、薔薇騎士団の中でも若手のメンバーであった。
若いが故の熱意か、彼女は他のメンバーの誰にも相談せずに最近共和国内に流行している謎の秘薬について単独捜査を行おうとしたのだが。
寄しくも彼女は薔薇騎士団団長とバッティングしてしまい、バツの悪い思いをする事になったのである。
「ふふっ、可愛い娘。…例の粉の件は、まだ手出しできる案件じゃないわ。」
「でも、あの粉が原因で死んだと思われる人物も何人か出ています。強い依存性があるという報告も…ただ手をこまねいているわけにはっ」
「落ち着きなさい。あの粉は王国内の自由都市から運ばれてる事も分かってる。運んでいる商人の名前もね。」
「ならっ、尚更押さえるべきじゃ」
「
「そんな…」
「きっと賄賂でも積まれているのね。自由都市の商人がよくやる手口だわ。"日の当たる物は影へ、日の当たらない物も影へ"」
「それじゃあ、わたし達は…」
「どうする?王国に足を運んでみる?…知らないかも知れないけれど、王国の教会によれば、貴女とわたしの関係は
ソフィアはそう言って、レティシアの唇を指でなぞった。
赤毛を短く切った若い少女は団長の行動によって更に頬を紅潮させ、その赤さは彼女の赤毛に迫らんとしている。
ベテラン騎士団長は、若き団員を揶揄いつつも、こんどは真剣な口調で語りかけた。
「まだ辛抱なさい、レティシア。この件には貴女も参加させるわ。今はどうか待っていて?」
若い団員が黙り込んだまま小さく頷いたのを見て、ソフィアは安堵の表情を浮かべた。
だが彼女の目線が、レティシアの向こうにあるテーブルを捉えると、表情は一気に険しくなる。
テーブルに盛られる白い粉。
ソフィアはそう遠くないうちに、この麻薬を取り締まるつもりだった。