「なんだこれは?」
国王はある書簡を見て、怪訝な顔をしながら首を傾げる。
書簡の送り主は方伯。
国王の知る限り、教養もあり礼儀も正しい知識人で、彼の直筆文章の美しさは毎度彼を感嘆させた。
だが、今国王の手の中にあるそれは、教養とは程遠いものだ。
筆は乱れ、文字列は上下し、そして何より…その文字は国王に読み取ることができないほど乱雑に書かれている。
「…一体あやつの身に何があった?」
「陛下、誠に…残念なお話ですが…」
国王の側に控えていた近衛隊長が国王に耳打ちする。
話の内容が誰にも聞き取れないほど小声での報告にも関わらず、国王の顔はどんどん赤黒く染まっていき、その目は充血、怒りに満ち溢れた表情へと変わっていく。
近衛隊長が全てを報告して国王陛下の耳から顔を離した直後、彼は怒りをその場でぶちまけた。
「そんな噂話など信じられるか!すぐに真偽の程を確かめさせよ!!」
「陛下、既に使いの者を出しております。」
「……おのれっ…方伯ッ!…あやつには役割があったというのに…」
国王の1番の心配事は、その統治機構の分散であった。
魔王国の脅威が強かった時代。
北側から侵入した魔族への対応は困難を極め、王国軍はその足止めに失敗する事も多かった。
そこで、国王は地域の統治機構を分散させ、それぞれの地域が各々の任務に邁進する事で効率的な迎撃態勢を構築しようとしたのだ。
北西部の地域は辺境伯領として、魔族からの王国防衛の任を与えて指折りの精鋭を送り込んだ。
北東部には方伯領を設けて食料・物資の供給にあたらせた。
中部の、元々教会の勢力が強い一帯には公国領を作って前線兵士の心の支えとし、ハンザブルクには自由都市としての権限を与えて王国内で産出しない物資の確保を命じた。
そして、国王とその直轄地は、全般の調整と諸外国から王国全体を防衛する任を引き受けた。
まだ魔王軍が国境を超えているうちは、この機構が驚くほど機能した。
だが国王にとってはその時でさえ、統治機構を分散させた事を後悔していたのだ。
王国が魔王国との戦争をしている時、隣国の共和国と帝国は鬼の居ぬ間と言わんばかりに大掛かりな戦争に興じていた。
元々、王国はこの2カ国の陸路通商ルートとして重要であった。
だが王国が戦場と化すと、彼らは自然と海に通商ルートを求めたのだった。
王国直轄地の更に南部にある海域が、共和国と帝国の新たな戦場となる。
当初は軍事大国として名高い帝国の圧勝が予想されていたが、"人間界"でも新米国家である共和国は多数の小型船舶と海賊を用いて帝国相手の非正規戦を繰り広げたのだ。
結果として共和国は海の通商ルートの覇権を手に入れ、帝国は孤立主義へと方向転換を余儀なくされる。
そして…この戦争の不参加者に交渉の席は用意されなかった。
国王にとってこの出来事は、トラウマと言って良いほど屈辱的なものだった。
魔王との戦争が終わった暁には、何としても共和国のクズどもを彼が所持するはずの海域から追い出したい。
そのためには一度バラバラにしてしまったモノを再び纏めなければならないが、その上で邪魔だったのは勇者とそのパーティであった。
王国の民たちは魔王との戦いに疲れて平和を望んでいた。
再び国内が戦火に包まれれば、民たちの国王への求心力は低下し、"無駄な"戦争を引き起こした国王を打倒して勇者を頼ろうとするだろう。
だからこそ国王は辛抱強く待ち続けたのだった。
ようやく勇者がくたばった!
かつてのパーティ仲間には汚名を着せて、1人は処刑し、1人は魔王国へ追いやった。
もう1人は未だ潜伏中だが、いずれ燻り出してやる。
これでようやく王国の再編成に移れる事だろう。
もし諸侯が抵抗して戦争が始まっても、民の傷は癒えているはずだし、もはや国王以外に安寧の拠り所は存在しない。
その為の施策を始めようとした矢先にこの始末!!
方伯は有用な手駒であった。
しかし噂が本当ならば、彼はもう駒として使えない…使い物にならない。
だからこそ国王は怒り狂っていた。
「誠に…残念ですが、少なくとも方伯が女魔術師を匿っていたという話は本当のようです。」
「………確認したのか?」
「はい。私の直属の配下を向かわせました。例の廃教会には女魔術師が魔術研究に用いた痕跡があったとのことです。」
「くそ!…その
国王が書簡を投げ捨てて、手近にあったサイドテーブルをひっくり返す。
上に乗っていたワインが木目調の床に身を投げて、瓶は粉々に砕けてしまった。
その中身がどうなったかは言うまでもない。
「どうかお気を確かに、陛下。"方伯が女魔術師を魔王国に逃した"という
「誰を使えば良い!?」
「………辺境伯を」
「辺境伯!?あの間抜けか!?良いか、"あの時"魔王の娘をみすみす逃してしまったのはあの大間抜けだぞ!?」
「魔王の娘が暴走したとあらば、人間が止められなくて当然です。…それに、奴は確かに間抜けですが、その分扱いやすくもある。陛下からの命令に抵抗することなく従うでしょう。」
「………」
「どうかご決断を、陛下」
「…致し方あるまい。方伯は黒魔術に取り込まれた。辺境伯に命じて、奴を"救って"やれ。」
…………………………………………
辺境伯領
重犯罪者地下牢
ここにいる連中は、ただ死刑が執行されるのを待っているだけの連中だ。
薄暗く、湿気ていて、カビと腐った肉の臭いがする。
牢に閉じ込められている連中は様々で、壁にチョークで文字列を書き続けるヤツもいれば、気が触れたのか高笑いするヤツもいて、或いはオイオイと泣き続けるヤツもいた。
私はハンカチで鼻と口を押さえながら、目的の牢へと向かっている。
正直、ひとりぼっちでこんなところに放り出されたら、泣き叫びながら小便を漏らすことだろう。
幸いな事に私は親衛隊の護衛を連れているし、側にはダニエラさんもいる。
おかげで泣いてもないし漏らしてもいない。
「それにしても酷い臭いだな、ハニー。折を見て我の腋の下の匂いを嗅ぐと良い。」
「何故に腋の下限定?…まあ、冗談はさておき…看守長、例の犯罪者の牢はまだかな?」
「あと少しです…ほら、あそこの牢。囚人番号57番!面会者だ!」
思ったより囚人番号の数字が小さかったので私は統治者として安心する。
どうやら囚人番号57番並みの重犯罪者はそうそういないらしい。
それは、この地域の治安が良いということだし、犯罪者が少ないのはとても良いことだ。
囚人番号57番は泣いてもいないし笑ってもいなかった。
ただ小さなロウソクの火と向かい合って、なにかの書物を読んでいる。
この薄暗い地下牢に閉じ込められているにしては品性さえ感じられたし、そしてそれはどうやら私の勘違いではないようだ。
「面会者?…看守長さん、私には面会するような者などいませんが?」
「誰だと思う、57番。辺境伯様だ。」
「…辺境伯様直々に刑の執行をしてくださるのですか?」
「いや、そうじゃない。…看守長、この囚人の拘束を解いてくれ。」
看守長が信じられないという顔で私の顔を見たが、私は黙って小さく頷いた。
「どうなっても知りませんよ」という意図を存分に含んだ瞳を投げかけながらも、看守長は囚人の拘束を解く。
囚人番号57番も驚いた表情をしている。
私は驚きのあまり立ち尽くす囚人に話しかけた。
「…前職は医者だそうだね。何でまたあんな事をしたんだ?」
「………」
「きっとこうだろう。君は
「………死は芸術なんです、辺境伯様。主が創造なさった芸術だ。人間は生まれた瞬間から死と共にある。」
「…そうかもしれない。ともかく、君は大勢を手にかけて、標本でも作るかのように切り刻んだ。私の領地で殺人は重罪だ。君は良くて絞首刑。」
「最後に自分自身がとっておきの"芸術品"になれる…辺境伯様、これ以上の栄誉はない。」
「だが…君はまだ"芸術"を作り足りないんじゃないか?」
「何故そう思うんです?」
「もう満足してるなら、医学書なんて必要ない。」
囚人番号57番がロウソクの火で読んでいた文章は最新の医学書だった。
どうやって入手したのかは知らないが、彼は私が来るまで貪るようにそれを読んでいたに違いない。
この殺人鬼が良く本を読んでいるという話も、看守長から聞いている。
「君を雇いたいんだ、57番。」
「雇う?…ははは、辺境伯様。私は主治医に向いているとは思えませんよ?」
「違う。"芸術家"として仕えてもらいたい」
囚人番号57番の瞳が輝いた。
きっとこんな事を考えている。
"これでまた新しい作品を作れる"とかなんとか。
「よろしいのですか?…本当に…本当に本当に本当によろしいのですか?」
「勿論、君さえ良ければね。」
「喜んでお受けします!こ、これで私のアトリエは…!」
正直気色悪いし、この殺人鬼の気味悪さには小便を漏らしそうだった。
ダニエラさんの腋の下にシャブりつきたいし、実際この地下牢から出たらシャブりつこうと思っている。
え?なんて?
私の方が気色悪い?
ハハッ!ご冗談を。
とにかく、この殺人鬼が私には必要だった。
実際にも気色悪い犯罪者である事には違いがないが、しかし
「"囚人番号57番"じゃ呼び辛いし、君はもう囚人ではない。新しい名前もやろう…そうだ、こういうのはどうかな?………『ステファン』」