長い人生を生きていれば、人間誰しも壁にぶち当たる。
やりたくもない仕事や、飲みたくもない酒。
決定的に馬の合わない人間との付き合い、行き先不透明な事業、いい加減な指示と責任放棄。
姿形や大きさは変われど、壁というものは誰にでも立ちはだかるし、避けられない時の方が多い。
マキャベリ曰く、「どうせ避けられない戦争であるならば機先を制するべきである」。
だが人間とは不便なもので、どう頑張っても"機先を制する"気分になれない時はあるだろう。
気分でなくとも、障害があるかもしれない。
ハンニバル、カール・マルテル、ナポレオン。
このような素晴らしい指導者達は、きっとそんな障害を傍に退けてしまうような…天才だったのだろう。
しかし、私は凡人である。
凡そ凡人というにしても色々と欠点の多い凡人である。
気は回せないし、不器用だし、背は低いは、自律は足りんわ、自分に甘いは…
「そんな事ないぞ、ハニー。我はハニーの良いところもたくさん知っている♡」
うんありがとうダニエラさん、でも勝手に人の頭の中に入って来ないで?
とにかく、私のような凡人には避けたい事態に直面した時に凹まない鋼のメンタルなんてないし、その障害を取り除くための知恵なんて持ち合わせてはいない。
どうしても機先を制する気になれなかった場合、多くの場合人々がそうするように、私も所謂"受け"の姿勢になって全てが過ぎ去るのをじっと待つのである。
目の前で人が焼け死ぬのは見るに耐えないものがある。
腐ったような臭いが撒き散らされ、人が力のあらん限りで暴れ回り、そして全てを灰に変えてしまう。
焼けただれた肌を見るのも、焼けた屍肉の臭いも、きっと好きな人は極々一部だ。
本当ならこんな光景は見たくなかった。
だが焼き殺された男は、私がここに連れてきた人物だったのだ。
教皇様の一歩後ろで火刑を観閲するのは栄誉ある事らしい。
だから私は僧侶が異端として火刑に処されている間、その光景を眺めていなければならなかった。
「辺境伯殿、此度は感謝を。おかげで異端の僧侶を罰する事ができました。浄化の炎が彼の魂を救い、主の御許にお導きくださる事でしょう…何はともあれ一件落着です。」
教皇様はとても素敵な笑顔でそう仰ってくださったが、私としてはまだ口と鼻に当てたハンカチをしまう気にはなれなかった。
まだ死の臭いがあたりを支配しているし、やはり火刑の壮絶な光景が脳裏に焼き付いてしまっている。
「…ほほう、やはり辺境伯殿も火刑を見るのはこれが初めてのようですね。」
「ええ、はい、お恥ずかしながら」
「恥など、とんでもない!…本来ならば、こういった火刑が行われる事自体が恥ずべき事なのです。あなたは哀れみ深く慈悲深い。良き信徒はすべての隣人を愛せますが、異端はそういった人々の良心につけ込む。」
教皇様が刑場を見下ろすバルコニーから歩き始めたので、私としては内心ホッとする。
焼死体なんて見ていて楽しいものでもなんでもないし、強烈な臭気はまだしばらく霧散しそうになかった。
私も教皇様に続いて踵を返すと、正面にいたダニエラさんが早速おっぱいを頭に押し当ててくれやがる。
ダニエラさん?TPOわきまえて?
なんでこんな宗教施設のど真ん中でそんな色欲ダダ漏れチックな事するのかな?
異端認定されるでしょうが。
やめなさい。
視界の端が教皇様のお顔をとらえると、案の定怪訝な顔をしているのが分かる。
ダニエラさんも訝しまれているのに気付いたようで、私の頭をおっぱいの中に囲いつつも、この凶行に走った理由を教皇様にぶち上げた。
「あっ…これは…我とした事が…申し訳ない、教皇様。我のハn…いや、フィアンセは心が善良過ぎてこのような残酷な光景には耐えられぬ。心の傷にならぬよう…」
しんみりとした口調で後を濁し、静かに目を瞑るダニエラさん。
大 失 敗 だ よ
教皇様は怪訝な顔をしたまま微動だにしない。
せっかく信用を得るために僧侶を遥々届けに来て見たくもない処刑にまで立ち会ったってのにこれじゃあ台無し
「うん…辺境伯殿、良い婚約者を貰いましたな。理想的な夫婦になるでしょう。」
「………あ、ありがとうございます」
良かったねダニエラさん。
教皇様が超絶優しい人で。
これ普通の人だったらプッツンだよ?
プッツンプリン案件だよ、これ?
教皇様の懐の深さに安心・感謝しつつも、私は自身をダニエラさんから離してもらい、教皇様と共に歩き続ける。
「さて、話は変わりますが…辺境伯殿。誠に残念なお話を耳にしました。」
「方伯殿の事でしょうか?」
「はい。異端の魔術に取り込まれてしまった、と聞いています。」
「ええ。私も国王から聞きました。…教皇様、もしお許しいただけるのなら…」
そこまで口にした時、教皇様が人差し指を挙げて私の言葉を止める。
「辺境伯殿。方伯はもう手遅れです。浄化の手段はあなたに一任しましょう。」
正直、少し面食らった。
確かに方伯との戦争支持を得るために僧侶を探し回ったわけだが、"タイミング"が早すぎる。
少なくとも私の見積もりでは、方伯の処遇を決める話し合いにはまだ早いのだ。
何より、教皇様の方から方伯殺しのGOサインが出るなんて思ってもいない事で、私の方から許可を具申する形式に持っていく手筈だった。
「…本当に…よろしいのでしょうか、教皇様。」
「残念ですが致し方のない事です。…黒魔術のせいで方伯は自分の肌を掻きむしり、訳のわからぬ戯言を喚いて、見るも無残な様子だそうです。楽にしておやりなさい。」
「はっ!教皇様の御命令とあれば!」
私は教皇様に一礼してその場を離れようとする。
方伯領攻撃の"大統領命令"が下ったのだ。
私は急いで領地に帰り、山ほど大量の物事を行わなければならないだろう。
侵攻作戦の最終調整、参加人員の確保、兵站の準備、方伯領との外交チャンネルの閉鎖etc。
だが、急いで場を離れようとする私を、教皇様が呼び止めた。
「どうかお待ち下さい、辺境伯殿」
「!?…こ、これは失礼致しました、教皇様。」
「いえ、無理もありません。あなたも戦争のための準備があるでしょうから…ですが、もう少し話を聞いてはくださいませんか?」
「私でよければ、よろこんで」
「ありがとう。…王権に対する教会の立場が中立だというのは、あなたもご存知でしょう?」
「はい、存じております」
「ですが、最近あの国王が不可侵の領分を犯そうとしています。」
教皇様がため息混じりにそう言った。
私は王国内における教会の立ち位置というものを知っている。
"神聖にして絶対不可侵"
少なくとも、私の知る限りこの世界では大方絶対不可侵性は守られていた。
かつての戦争の時代には、国王は教皇の赦しを得てから魔王国への反抗作戦を開始したという。
だがしかし、時代の趨勢は変わりつつある。
長引いた平和は、人々の心にも平和をもたらしたというより平和ボケをもたらした。
かつて藁にも縋る思いで手にしていたものも、あっさりと手放して忘れ去る。
これこそが人間というものだ。
教皇様はこの現状にあって…何かしらの私欲が絡んでいないとも思えないが…信徒の離反を憂いている。
彼に必要なのはまさしく"暴力"であった。
右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい。
おかげで教皇様の両頬は腫れ上がっているように見える。
だから教皇様は同盟者を求めていた。
教会の絶対不可侵性を保っているのに必要とされる物を持ち合わせる同盟者を。
一方私はといえば、やはり教皇様のような同盟者が必要だった。
国王が私に方伯との戦争許可を出した真の目的は、恐らく領地の統合だろうと私は見ている。
共和国と帝国というビッグプレイヤーが集うテーブルに参加したくて仕方がないのだろう。
だからこそ前戦争時代の英雄の処刑をもやってのけたし、方伯を切り捨ててより
このままではせっかく方伯に打ち勝ったとしてもその"取り分"に介入される可能性は高い。
国王と対立してまで取り分を守り通すか、それとも………
昔誰かの格言で、こんなものがあったと思う。
『戦争を始める前に、まず終わらせ方から決めねばならない』
私は教皇様に向き直り、姿勢を正した。
教会の影響力は確かに衰えてあるかもしれないが、国王の目論みが私の予想通りながら、またも国内が戦争の炎に包まれる。
今度の方伯戦など前哨戦に過ぎない。
民達は怯えて再び藁に縋り始める事だろう。
その時藁を貯め込んでいた者こそが勝者となる。
「教皇様。前にも述べましたが、私は忠実な信徒の一人として、教皇様のお力になりたいと思っております。国王が教皇様に不遜な態度を取ったとして、私とその領民達は教皇様の味方です。」
教皇様の目が大きく見開いた。
その表情から察するに、恐らく過去に同じ文言を誰かに…きっと方伯に並べて、にべもなく断られたのだろう。
彼の反応は、この仮説と辻褄があう。
「おお…!我が息子よ!…なんとお礼を言って良いか………これから、あなたと私は"剣の友"です。お互い、必要なことは気兼ねなく言えるようにしましょう。」
「ええ、教皇様。………このような場面で申し訳ないのですが、早速お願い事が御座います。」
「何かな?遠慮せずに言いなさい。」
私が教皇様に耳打ちすると、彼は再び驚いた顔をして目を見開いた。
「なにを…それしきの事!?任せておきなさい!!万事滞りなく致しましょう!!」
僧侶1人の身柄で、私は二つの物を得た。
一つは方伯との戦争へのGOサイン。
これで心置きなく侵攻を開始できる。
そしてもう一つ、私が得たもの。
それはかけがえの無い友情であり、同盟関係だった。