辺境伯領-方伯領国境地帯
方伯軍国境警備部隊はある時期を持って機能不全に陥った。
ある者は弓矢で、ある者は短剣で、またある者は槍によって。
闇夜に紛れた敵は何らの躊躇もする事なく彼らの殆どを音もなく殺害していき、そして静まり返った国境を大軍が超えていく。
その大軍を見ながらも、顎髭の大男は隣の副官に問いかけた。
「順調か?」
「はい、つつがなく。方伯軍の士気低迷は本当のようです…あれでは案山子の方が役に立つ。」
「くれぐれも案山子如きに出し抜かれるなよ?念のため関所から逃げ出した運の良い奴がいないか確かめろ。この侵攻作戦の肝は
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方伯居城
「方伯様っ!方伯様っ!辺境伯領との国境の一部と連絡が取れません!」
方伯領軍副官は方伯の自室の扉を何度も叩いたが、中からは呻き声に近い何かが聞こえるのみでマトモな返事は帰ってこない。
今では別に珍しいことでも何でもなく、方伯はあの白い粉に取り憑かれてから、自分の部屋に閉じこもる事が多くなった。
最近ではその頻度も頂点にあり、もはや誰も方伯の姿を見ていない。
政策や命令…その殆どは相変わらず支離滅裂だった…は分厚い扉越しに出され、侍従長を困らせていた。
「諦めろ、方伯様は取り乱されておる!」
「諦められますか、司令!我らの畑が攻撃を受けているのですよ!今すぐ迎撃許可をいただきたい!」
「権限は方伯様がお持ちだ。」
「なら………もう構いません、私の独断で迎撃します!」
「正気か貴様ッ!処刑モノだぞ!」
「司令こそ正気ですか!事は一刻を争うのに、無闇やたらと規則に縋り付いて!責任を取るのが怖いのなら、全て私に擦りつけても構いません!私は迎撃します!」
副官は司令に背を向けて歩き出す。
正直なところ、あの方伯と司令の下で働く事自体嫌気がさしていた。
彼らには何度も国境線沿いの警備強化を具申していたにもかかわらず無下にされ、挙句の果ての今日である。
だが、彼はこの方伯領を愛してやまない男だった。
方伯と司令の目を盗みながら、細々と軍の改革も行ってきた。
何の抵抗もなしに辺境伯領の田舎者共に、この土地をくれてやるつもりはない。
おそらく、方伯領軍は方伯居城から東側にある平原で侵攻軍を迎え撃つことになるだろう。
今ならそこで迎撃体制を整えられる。
地の利は活かせないが仕方あるまい。
できる事なら国境沿いの森林に遊撃部隊を潜ませておきたかったな、そう思いながら、副官は足を早めた。
…………………………………
辺境伯居城
執務室
馬鹿でかい胸を持った背の高い褐色の麗人が、ボディラインに沿った黒コートを羽織り、乗馬ズボンを履いて、品の良いなめし革の長靴に足先を収め、挙げ句の果てに腰にサーベルを挿してピッケルハウベを目深に被っていると、エロさを通り越して悶えるほどの格好良さになる。
私とカリウス将軍、それに徒歩兵部隊総司令官のハウフトマンなる人物の3名は、ダニエラさんと同じ軍装をして煙草を嗜んでいたところだったのだが。
ダニエラさんが軍服を着て颯爽と現れた時には、彼女は仮にも一地域の君主、壮年の将官、ベテラン司令官の3人を余裕で差し置いて『軍服の似合う人物第一位』に躍り出たのだった。
「こらこら、ハニー♡煙草の吸い過ぎは良くないと、普段からあれほど言っているだろう?」
「「「…………」」」
絶句。
絶句である。
私も将軍もハウフトマンも皆呆けたように口を開き、手には煙の昇る紙巻きたばこを持ったまま、まばたきすら惜しんで褐色の麗人に見入っている。
はっきり言って、今この場にいる中で1番軍人っぽいし、どこかの戦争で敵をなぎ払った伝説の騎兵隊長とか言われても全く納得できることだろう。
にも関わらずそのあまりにも大きな胸はタイトなハズの軍服を外へと押し出していて、そのギャップがたまらなく股間にクる。
この場に将軍とハウフトマンがいなかったら今すぐにでも駆け寄ってあの胸にダイブする自信しかない。
「おーい、ハニー?将軍?…どうしたんだい、皆。我の軍装がそんなに珍しいのか?」
「「「………」」」
「そう魅入られると恥ずかしいモノがあるなぁ。まあ無理もない。我も我でプロポーションには自信が」
パッツンッ!!!
凄まじい効果音と共に、ダニエラさんの軍服のボタンが弾け飛ぶ。
どこのボタンかは言わずもがな。
最早押し留めるモノがいなくなった軍服の胸元からは褐色肌の柔肌が覗き、その谷間からはえもいえぬ蒸気が登っている。
この許嫁、スケベ過ぎるッ!!!
「………はぁ、"また"このボタンか。…ん?どうした、ハニー?…ふふふっ、ひょっとして上着を脱いで欲しいのかい?」
「どう見てもダニエラ殿が…色っぽい!」
「下も脱がせろ…いや…全部だッ!全部脱がせろッ!!」
良い歳してテンションMAXの将軍とハウフトマン。
私も私で、先ほどダニエラさんの谷間から出てきたえもいえぬ蒸気を吸い込んでしまったが為に、同じくHIテンションである。
「ダニエラさん…ちょっと見ない間に急に…いい
「よせやぁい」
(かわいい!)(かわいい!)(かわいい!)
「そ、そうじゃ、スモウを取ろう!」
「そうだ、そうだ、ソレがいい!」
「大変盛り上がってるとこ悪いんだけど、ちょっといいかな、ゲルハルト。」
あわや執務室がハッテン場と化すところで、ジト目をしたアンドレアスが入室する。
いやぁ本当に危ないところだったよアンドレアス。
君が来るのがあと数分で遅ければ、きっと私は職務をすっぽかしてダニエラさんの色んなトコをくんかくんかし始めていただろうからそのゴミ屑を見るような目は止めろ。
「配下の軍隊がキチンと君の指示通りに動いてる時に一体何やってるんだよ。」
「いやぁ、すまんアンドレアス。で、要件は?」
「グスタフの連隊から早馬が来た。我が軍は現在方伯領内に侵入、損害なし、配置予定地域には遅延なく展開可能とのこと。」
「よし、予定通りだ。方伯領軍がこちらの動きに気付くのは時間の問題になるだろうから、グスタフには油断しないよう返答してくれ。それからオスター河の浅瀬を今夜中に調べさせろ。」
南北に長い方伯領と辺境伯領の国境線の中でも、今回の侵入地点を選んだのには理由がある。
グスタフが侵入した箇所から東に進むと大規模な森林があり、部隊の機動力は制限されるものの隠密な展開・配備が容易だからだ。
この森から東側には川がある。
『オスター河』と呼ばれるこの川は、大昔から方伯領内の農耕地に豊富な水と養分を供給してきた。
その川を渡河すれば農耕に適した平原があり、我々は方伯領軍が侵攻に気づけばここに防衛線を張るだろうと睨んでいたのだ。
アンドレアスが新しいメッセージを持って出ていくと、"ダニエラたんハァハァ状態"から立ち直った我々は執務机の前に戻る。
机上には方伯領の地図があり、その上にはすでに我々の軍勢を表す駒が置かれていた。
私はその駒を辺境伯領国境地帯から東に進んだ森林地帯に置き直す。
置き直すとダニエラさんが手持ちぶたさなのか私の頭のすぐ隣で腕を大きく上げてクッソエロい腋の下を展開しやがった。
何してんの、いやマジで。
「どうだハニー、落ち着くだろう?」
「………」
「落ち着かないか?…そうか、少し悲し」
「わあああい!おかげでめっさ落ち着くよ、ダーリン☆」
「そ、そうか!ハニーに喜んでもらえて我も嬉しい!」
愛情表現が独特過ぎない?
この前もそうだったけど、なんで腋の下のクッソエロフェロモンで人が落ち着くとか思ってんの?
あなたは私を発情させたいのか?
もうちょっとTPO考えて欲しいとアレほど…もういいや。
ダニエラさんの腋の下の香りを嗅ぎながら、カリウス将軍の方を見る。
「方伯領軍はこの平原に展開してくれるかな?」
「侵攻軍を迎え撃つならここしかないわい。連中は精鋭の第6近衛騎兵隊は勿論、戦力の殆どをこの平原に配置するはずじゃ。ここを突破されれば方伯の居城まで一直線、ただで明け渡す訳がなかろう。」
「ハニー、もし敵がここ以外に部隊を配置するとすれば、それは森林地帯だと我は思う。でも展開中の部隊から交戦・損耗の報告がない段階で、ハニーの作戦の第一段階は成功したと見るべきだと思うぞ?」
「………うん、分かった。それでは第二段階に移ろう。グスタフには待機させ、第8軽騎兵連隊を前面に出せ。ハウフトマン、マスケット連隊は森林地帯内に展開・待機だ。」
「仰せの通りに。」
敵が気付いていないのであれば、一気に方伯の城まで攻め入ったほうが良いように見えるかもしれない。
だが、私としては敵に戦力を残したまま降伏など、決してして欲しくはないのだ。
既存の統治機構がしっかりとしていて、国民が君主に忠誠を誓っている君主国を征服するには、主に2通りの方法がある。
一つは穏便に済ます方法。
代表的な例が政略結婚だろう。
この場合は、被侵略国家の統治機構は変わらず、君主が新しくなったとしても、それは自分達がこれまで忠誠を尽くしてきた君主及び統治機構の延長線上ともいえるものなので、これからも忠誠を尽くすことが期待できる。
ハプスブルク家は戦争の神ではなく恋愛の神によって一大帝国を築くことができたわけだが…しかし、残念ながら我々はヴィーナスを頼れない。
だからこそ、もう一つの手段を用いなければならない。
それは暴力的な手段である。
敵の君主を殺し、既存の統治機構をズタズタにして、その上に新しい君主と統治機構を据えるのだ。
この為に必要な事は、敵の軍勢を野戦において徹底的に叩いて潰しておく事なのだ。
野戦で敵軍に再起不能なほどの損害を強いれば、敵は首都の防備能力さえも失い、国民も戦意喪失、君主の城は丸裸も同然になる。
もしも敵を生半可に叩いて余力の残存を残してしまったら、それは後々において反乱の種火となるのだ。
よって私は…私と私の辺境伯領軍は、方伯軍の主力が平原に出張るまで待つのである。
我らが新兵器・マスケットが敵のハンドキャノンよりも優秀で、こちらの戦局の優位を確約すると、私は確信していた。
だからどんなにむず痒くても、待たねばならない。
夜明けまで待てば方伯領軍は異変に気づき、直ちに迎撃を試み、そして我らが軍勢に完膚なきまでに叩き潰されるはずなのだ。
そう考えると、夜明けが待ち遠しい。
私はダニエラさんの腋の下に顔を埋め、深呼吸をする。
品の良い女性の柔らかな匂いがして、私は少しばかり安堵を得た。