辺境伯領居城前
クラッシュキャップを被った歩兵の列が、悠然と目の前を進んでいく。
彼らは新しく編成された歩兵部隊で、それまでこの世界に存在していたどの部隊とも性質を全く異にするものであった。
この部隊には、私の統治下にいる全ての成人男性が一度は入る事になっている。
彼らはそこで我々の新しい武器であるマスケットの使い方を習得し、塹壕を掘り、歩兵として使い物になる最低限の知識を積み込まれるのだ。
そうして何ヶ月かを過ごした後、彼らは元の生活へ戻っていく。
大抵の場合彼らは農民で、私が新しく編入した方伯領の出身が多い。
彼らはマスケットの使い方を覚えたら、「もうこんなことは懲り懲り」とでも言いながら畑仕事に戻るはずだ。
私としても彼らを動員したくはないから、「こんなこと」はそれっきりにしてやりたい。
ただし残念なことにその後も彼らには定期的に訓練を課すし、或いは私の都合によらず、"それっきり"にならない可能性は十分に有る。
新しく編成された『動員軍』の行進を側から見ているだけでも、彼らが実際の戦闘になれば防御目的以外には使い物にならない様子が見てとれた。
そんな部隊を編成した理由は、防御目的において彼らが必要になるであろうと私が予測するからに他ならない。
魔王国から"技術者達"を招いて、少し前まで女魔術師が隠れ住んでいた廃教会に送り込み、そこで粗銅を電気分解させている間にも、私の戦争計画は着々と進みつつある。
私もシュタイヤーも多正面作戦なんてファイっ嫌いだが、それを強いられる場合があるのなら、最低限の防御ラインを構築して職業軍人部隊が一方を片付けるまで持ち堪えられるような存在が必要だ。
ただの農民にマスケットを持たして送り込むなら方伯軍の二の舞にしかならないし、それなら定期的な訓練を課して集団として行動させる癖をつけておくだけでも事情は多少変わる。
「時期尚早ではないか?」
私の隣で行進を観閲するカリウス将軍が隊列に敬礼を送りながらそう呟く。
彼の言わんとしていることも分かるし、私はその点を勘案した上でこの部隊の編成を命じた。
それでも将軍が蟠りを感ずるのであれば、私は領主として理由を説明する義務を負う。
「…言いたいことは分かる。確かに我々が今攻略せんとする自由都市相手と、国力を総動員した全面戦争になるとは思えない。仮に攻略が失敗しても、自由都市側にはこちらに攻め入る理由も余力もないのだから、結局は間抜けな辺境伯があの壁に伝説を付け加えるだけになる。」
「ならこの時期に農民の動員を始めずとも良いじゃろう。もうすぐ作物の刈り入れが始まる。一部とはいえ、その人手を奪うとは…シュペアーが聞けばなんと言うか」
「将軍、私の思うに戦争を始めるに当たっては、基本的に"適切な時期"など存在しない。ある偉大な人物の格言を借りるなら『平和は次の戦争への準備期間』に他ならないんだ。」
「………」
「自由都市を攻略するには、今"帝国から亡命してきた技術者達"が精製している銀が必要になる。しかしその銀を使うことは国王への宣戦布告をも意味することになるだろう。」
「儂にはそれが分からんのだ、辺境伯殿」
「私が企図しているのは通貨への攻撃だ。王国の財政を一括する通貨体制を攻撃するのだ、将軍。国王がそんな事態を許すとは思えないし、いくらアレハンドロをこき使っても銀の出どころは隠し切れないだろう。多少の時間は稼げるかもしれないが、その時に農民を動員して訓練しても手遅れだ。」
「じゃから今のうちから簡単な訓練だけでも施しておくと…」
「そう言うことだ。心配せずとも動員して訓練する農民分の経済的損失は、国家の経済規模から見ても十分に許容できるだけの数にしてある。」
「こんなまどろっこしいことをするくらいなら、通貨への攻撃以外の方法を模索する方が早いような気もするがの。辺境伯殿の言う通りなら、今回の自由都市攻略が王国との全面戦争への引き金になる。」
「目先だけを見るならそうかもしれないが、こちらがどう出ようと王国はいずれ我々と戦争を始めるのだ。どうせ戦争になるんなら、先手を打った方が断然良い。」
戦争なんて大嫌いだ。
そりゃ戦列歩兵なんてかっこいいし、軍服姿のダニエラさんなんかは悶えるレベルのそれなのだが。
しかし実際に砲火を交えるようなことは嫌いでしかない。
ただ、こちらがどれだけ戦争を避けようと向こうからやってくるものは止められない。
それがそう遠くない未来に起こり、防ぐ方法がないのであれば、私は先に敵を潰しておくことを選択する。
通貨体制への攻撃はあの交易都市の防御体制を溶かしてくれることだろう。
さながらマーガリンをオーブンに入れるように。
そうなれば私の手元には魔王国との戦いを重ねた経験豊富な職業軍人達が、王国軍と対峙するに十分なだけ残ることになる。
ならば自由都市攻略の方法…通貨への攻撃…を替える必要はない。
これは国王への最後通牒になるだろうが、どのみち戦いは避けられんのだ。
先手を打つには、寧ろ通貨への攻撃はこちらに有利な混乱をもたらしてくれるだろう。
あとは幾つかのモノが揃えば…
観閲行進を見終わった後、私は領主としての日常業務に戻っていく。
戦争への準備は着々と進んでいるし、特に大きな問題はない。
執務室に戻るなり、私の机の上に置いてあったシュペアーからの報告書がそのことを直実に指し示していた。
「………合成銀の生産は順調なるも必要量の確保には時間が必要…まぁ、最初からそんな物は期待していない。寧ろよくここまで順調に進めてくれたもんだ。」
この場にはいないシュペアーにひとり賛辞を送りつつ、次の項目を読む。
「エルドリアンか…"例の兵器は完成間近、改良品の製作にも取り掛かる"…素晴らしい、アレはあくまで間に合せだからな。理解してくれて嬉しいよ、エルドリアン。」
報告書の最後を飾るのは我が領が誇る最高の外交官のシュタイヤー。
実を言うと、彼には自由都市ハンザブルグを攻略する前にある下調べをしてもらっている。
この報告書の最下段にあるのはその結果報告だった。
報告書の末尾、その段落のタイトルから目を通してみる。
『自由都市における共和国勢力の警察活動について』
…………………………………
共和国領内
王国との国境付近
「今だ!アグノエル一味を逃すな!」
レティシアの号令と共に、アグノエル家の輸送馬車隊を共和国薔薇騎士団のメンバーが取り囲む。
1人の銀色の華々しい装飾を纏う重装騎士がアグノエルの馬車の行手に立ち塞がったが、馬車の荷台で立ち上がったアグノエルの手勢が臆することなくマスケットを構えて1発放った。
放たれた鋼鉄の小さな弾は重装騎士の硬い兜を迷うことなく破壊して、その着用者の脳髄も兜と同じ目にあわせる。
美麗な薔薇騎士団の女性騎士はその鉄球によって頭の上半分を見るも無惨な状態にされ、もんどり打って騎上から転げ落ちた。
「くそ!奴らマスケットを持ってやがる!」
「一体どこから調達したんだ!?」
共和国においてはマスケットは一般的な装備だったが、その供給は軍によって厳重に管理されているはずだった。
一介のマフィアに過ぎないアグノエル家の手勢がその火器を使って仲間の1人を惨殺したことが、猛訓練を重ねたとはいえ未だ年端のいかぬ少女に過ぎない彼女達を狼狽えさせる。
「う、狼狽えるな!馬車が逃げるぞ、追え!…くそ、ベレニス!」
レティシアは呆然とする仲間達を叱咤しながらも、自身は頭を打ち砕かれた仲間の下へと駆け寄った。
ベレニス…眩いばかりの金髪と、雪のように白い肌の持ち主…は青い瞳で天の一点を仰ぎながらも、自慢の白い肌から桃色の断片を露出させている。
生存は絶望的で、レティシアが駆け寄っていた時には案の定ベレニスは既にこの世の人ではなくなっていた。
「私がッ…私が馬車を止めていればッ!」
悔しさのあまり、レティシアはベレニスの亡骸を抱き抱えながらも涙する。
新米団員のレティシアは通常ならば隊を指揮できる立場ではない。
だが最近隣国の自由都市から流れ込む危険な薬物の調査に対する人一倍の熱意から、団長ソフィアによって今回の作戦のいち指揮官に任命された。
だが結果はこれ。
彼女は馬車を止めることもできず、大切な仲間をひとり失っただけだった。
「レティシア!何をしてるの!?馬車を追うわよ!」
「団長…」
アグノエル家の輸送隊は自由都市からの積荷を複数のルートで運んでいる。
つまりブツを積んだ輸送隊を捜査するためには騎士団のメンバーを分散させて同時に張り込む必要があったのだ。
団長はそのうちの一隊をレティシアに任せたわけだが、マスケットの馬鹿でかい銃声を聞いて早くも駆けつけてきたらしい。
「嘆くのは後になさい!ここで馬車を取り逃せば、ベレニスも報われないわ!」
「で、でも!」
「ほら、さっさと馬に乗る!…ハイヤッ!」
ソフィアは狼狽えるレティシアを掴み上げて自らの馬の後ろに乗せ、馬に掛け声を浴びせて全速力で走らせる。
そうしながらも、彼女自身にしがみつくレティシアを励ました。
「タイミングは完璧だった。連中がマスケットを持っているなんて、誰もが想定外だったはずよ。あなたはよくやったわ。」
「でも団長、私は…ベレニスを…」
「ベレニスは無駄死になんかしていない。…ソワール大統領はあの薬物を違法化しようとしているけれど、野党のルイエ派に妨害されているわ。薬物を違法化できない以上、私たちにあの輸送隊を検挙する権限はない。」
「…………」
「でも、奴らはベレニスを撃った。アグノエルの邸宅に辿り着くまでに捕らえれば、別の方から調査の突破口が開けるはずよ………ッ!?」
馬が突如として鳴き声を上げながら前脚をあげたので、ソフィアは愛馬の手綱を弾きながらも何事かと前方を見る。
そこには幾つかの死体が点々と転がっていて、ソフィアとレティシアはその死体が薔薇騎士団の装備を纏っていたことにショックを受けた。
その遥か前方からはマスケットの轟音と悲鳴が聞こえてきて、馬車を追っている団員達が地面に転がる死体と同じ憂き目にあっていることが容易に想像できる。
アグノエルのような犯罪者がマスケットを入手することが難しい以上、薔薇騎士団の装備はそれの相手を前提として定められてはいなかった。
これ以上の損害が出ないうちに、ソフィアは指揮官としてあの馬車を諦めることを選択しなければならない。
苦虫を噛み潰したような顔をしながら、ソフィアはその判断を下し、そして同時にアグノエルがマスケットを持ったという事実からある人物に疑惑の念を向けることになる。
…共和国軍最高司令官、ヴァレーズ大将に。
馬車は無事にアグノエル邸に辿り着いたものの、その御者とマスケットの射手は褒められはしなかった。
それどころか惨いやり方で殺されて、ドン・アグノエルが自邸の庭で飼っているワニの餌にされたのだ。
ドン・アグノエルはそうやってようやく怒りを収めた後に、自身の執務室に戻って手紙の続きを書き始める。
アグノエルの相談役は"出来立てのご馳走"にありつくワニの群れを遠目に眺めながらも、ボスに疑問をぶつけてみた。
「…ボス、彼らは共和国薔薇騎士団の追跡を撒いたのです。あの仕打ちは…」
「撒いた…?私はそうは思いませんよ?」
「………ボス…」
「ああ、いえ、どうか落ち着いてください。彼らは共和国薔薇騎士団の騎馬隊に出会した時、マスケットをしまって堂々としておけば良かったのです。ところがあんな小娘共を見た瞬間に怖気付いてマスケットでその内の何人かを撃ってしまった。…薔薇騎士団はこれで大手を振って彼らを逮捕できる。ですから、これはまあ…一種の予防策のようなものです。」
「すいません、ボス」
「分かっていただければ結構。…それでは続きを書きましょう。さて、どこまで書きましたっけ…ああ、そうだ。"親愛なる辺境伯殿、あなたの忠実な取引相手にして…"」