数ヶ月後
自由都市
ハンザブルグ
給料の支払日に傭兵隊長が困るなんてことはこれまで一度もなかった。
なんたって自由都市の市長の金払いは、王国で他に例を見ないほど気前が良い。
現に傭兵隊長がこの都市の防備を請け負ってから今日まで、一度も給料の不満なんて物は出なかった。
ところが今回の給料日はそうではなかった。
大勢の傭兵がこれまでより高い金額を支払われたにも関わらず、不満を口にしたのだ。
「もう少しだけでいい、給料を上げてくれ!」
「何だってんだ!これまでより多く払ってるはずだろう!」
「物価が桁違いに上がってやがるんだ。先週はタバコが5エドル銀貨だったのに、今週は15エドル銀貨もかかりやがる!」
「なっ…」
自由都市だけでなく王国全体で物価高が続き、市井の生活は圧迫されている。
傭兵は生産性のある職業ではなく給料も基本的には据え置きのため、物価高による恩恵を受けられる立場にはない。
市長が物価高を考慮して傭兵隊の給料を上げようにも、市税によって賄われるそれの限度は決して大きくなかった。
故に傭兵達は市長の配慮を理解していたとしていても不満を述べねばならないし、或いは大抵の場合は理解していなかった。
100年間に渡って外敵の侵入を防いできた伝統ある"傭兵隊"を受け継ぐものとして、その構成員には選り抜きの傭兵達が集められている。
彼らに抜群の報酬を与えるだけの財力があったからこそこの自由都市は繁栄を得ることができたと言ってもおかしくはない。
つまるところ、自由都市が傭兵を引き止められる理由は財力によってのみなのだ。
だからもう既にこの段階においてさえ、自由都市傭兵隊から離れていく優秀な人材は多かった。
窮した傭兵隊長はどうにか説得すると言って不満を口にする部下達を引き止めると、市長室へとその足を向けた。
傭兵隊長は軍事組織を動かすにあたってはプロフェッショナルだが、経済に関してはその相対に位置する。
だから旧知の仲である市長に、この異常な物価高について説明をしてもらおうとしたのだ。
市長はもう、例の人懐っこい笑みを浮かべていなかった。
眉間に深い皺を寄せ、あるグラフと向かい合っている。
珍しくもペンを操る手を止めて、その神経を一枚の紙に注いでいるようだ。
「そろそろ君が来る頃だと思っていた。…残念ながら私にはこれ以上彼らの給料を上げることはできない。」
「いったい…いったいなんだってこんな事になっちまってるんだ!?」
「…少し前から教皇が大聖堂の建築を再開して物価の高騰を招いているのが一つ。教皇は金回りが少々良くなって、生涯目標である大聖堂のためにアレコレ買い集めてる。だから物価が上がる。」
「他には?」
「方伯と辺境伯の戦争の影響で、商人の中には物資の買い溜めを目論んでいる輩もいる。それも原因といえば原因だが…本質はもっと別のところにある。」
「そりゃいったい」
「銀自体の値打ちが下がってることだろうな。…今やこの国の市場には、かつてない量の銀が溢れかえっている。」
傭兵隊長にはますます意味が分からない。
それは彼が経済に対して無頓着が過ぎるからではなく、彼も彼で市長の横である程度の仕組みを見てきたからこそ困惑しているのだ。
「銀が溢れる?…何言ってやがる、銀の流通を制御しているのは国王とこの自由都市だ。溢れるならアンタが流出を止めれば良い。」
「我々は銀の流通をしっかりと管理していた。過去の記録を調べ上げたが、どこにもミスは見当たらない。」
「ならなんで…」
「…教皇領の金回りの良さの原因を調査させた。教皇には最近新しい友達ができたらしい…それがあの辺境伯だ。」
「辺境伯?」
「ああ。教皇の大聖堂建築費用はゲルハルト・フォン・ノルデンラントが出している。ノルデンラントはその為に莫大な額の銀を市場にばら撒いた。」
「ちょっと待て!辺境伯領だろう!?あそこには今だってまともな産業なんかねえ!そんなことすりゃあ辺境伯は破産する!」
「そこが謎なのだよ。辺境伯の支出は領地収入に見合ったものではない。…計算が合わないんだ。辺境伯は出どころ不明な銀を市場に垂れ流してる。」
「…アレハンドロ!奴だ!辺境伯御用達の商人!奴が銀の密輸に関わっているに違いない!」
「アレハンドロの積荷ならもう調べさせた。奴は最近金を仕入れてる。だが銀を扱った記録も証拠も出てこない。銀の暴落を見越したのなら情報源が気にかかるところだが、扱っているのが金なら奴は合法な商人だ。我々に奴を拘束する権利はない。」
「なら銀の出どころはどこだってんだ!?」
「………銀を輸入できるのはこの
自由都市・ハンザブルグ。
自由な商売に、自由な文化、自由な生活。
誰にでも自由を保障することで成り立ってきた交易都市は、自らが大切にしてきたモノに首を絞められている。
アレハンドロを締め上げるわけにはいかない…奴はこの交易都市が掲げる理念を盾にしている。
市長も傭兵隊長もこの盾に傷をつけることはできなかった。
「とにかく、だ!どうにかしねえとこの街を防備する傭兵は1人、また1人と去っていく!大して役に立たねえ奴ならまだしも、昨日は腕の良い射手が10人も抜けた!物価高騰が続けば来週には100人、いや300人は抜けてるぞ!?」
「落ち着くんだ。この物価高と貨幣価値の急落具合なら、国王も黙って見てはいられまい。剣を振り翳してでも価格統制と市場への介入を行うはずだ。」
「そりゃあ国王だって破産なんてしたかねえだろうしな。」
「国王を頼るようになるとは癪だが…はぁ、年貢は毎年納めている。その分の働きは期待しよう。」
…………………………………
公国領内
王国諸侯財務会議会場
いつもならこの会議は定例会的に開かれているだけだった。
王国全体で流れている銀の流通量は国王と自由都市によって定められており、会議の発言者は国王側と自由都市側に絞られる。
これまで公国と教皇領は王国内の経済状態に無関心だったし、方伯領と辺境伯領の代表は発言しないのが暗黙のルールと化していた。
つまるところ、この会議は基本的に国王の定める経済計画の伝達の場に過ぎないし、大抵の場合経済的なチカラを持つ自由都市が幾つかもの申して修正を求めるに過ぎない。
方伯領が辺境伯と教皇によって二重統治される事になった今、この会議には現在王国財務大臣、自由都市経済顧問、公国/教皇領財務代表、そして辺境伯領代表としてウンベルト・シュペアーが出席していた。
「この度は臨時の財務会議に出席いただきご苦労様です。皆様ご存知でしょうが、最近において銀の価値は急落の一途を辿っており、我が王はこれによる国内の不健全な経済状況を憂慮していらっしゃいます。」
「失礼、発言を御許可願いますか?」
「自由都市経済顧問殿、発言を許可します。」
「ありがとうございます。…国王陛下は、銀の暴落の原因は何であるとお考えでしょう?」
この質問が攻撃の意図を含んでいる事に気づかないほど、シュペアーは鈍感ではない。
自由都市の経済顧問は教皇領が大聖堂建設を名目に物資を買い漁り、特に装飾を名目とする金の買い込みが銀の暴落を招いていることを知っている。
ならば当然、辺境伯領が教皇領の消費する銀を担保しているのも把握しているし、その銀の出どころがまるで分からないという事実も掌握していることだろう。
だから自由都市経済顧問は教皇領と辺境伯領を攻撃するし、王国財務大臣も自由都市と認識を共有していると考えるべきだ。
何が財務会議だ。
こんなものは臨時会議の名を借りた尋問の場に過ぎない。
「国王陛下は最近の教会の大聖堂建設に関わりがあるとお考えです。教皇領代表殿、あなた方は大聖堂に必要な金を金額に糸目をつけずに買い込まれている。そうして支払われる銀が市場の不安定化を招いているのです。」
「それは甚だ失礼な物言いですね、財務大臣殿。我が教会は主の偉大なる御慈悲を讃える為、そして何より誠実な信徒の為に後世に語られる聖堂を作らんとしておるだけです。」
いつもなら。
そう、いつもなら公国/教皇領代表は話を別の方向へ逸らしたことだろう。
大抵の場合、政治に無関心な公国の統治者は適当な代表を気分によって選び出してこういった会議に送り込む。
だから不幸にもその人選に当たってしまった人間は、公国と教会に責任がいかぬようより立場の弱い辺境伯領や方伯領に責任を押し付けようとする。
ところが今日公国と教会を代表しているのはいつもとは違って教会の人間であった。
国王とは別の面で大きな権威を持つ教会が真っ向から王国の追及を否定したとなれば、財務大臣としても面白くない。
シュペアーは財務大臣の右脚が机の下で忙しなく動いているのを見たし、自由都市の代表も渋い顔をしている。
「我々教会としましては自由都市こそ疑われて然るべきと思います。国内で算出しない銀の輸入を担っているのは他でもない
教皇様はこの会談に教会でも屈指の胆力を持つ配下を送り込んだわけだが、その一句一文は辺境伯によって刷り込まれていた。
辺境伯領と教会は王国と自由都市を攻撃すると決めた時から緊密に連携を保っているのだ。
シュペアーはこの会議が行われる前に行われた作戦会議で、辺境伯が述べていたことを思い出す。
『国王と自由都市は決して一枚岩ではなく、それどころか水と油の関係だ。国王は自由都市に権力を分け与えたと思っているし、自由都市は国王に権利を奪われたと思ってる。互いに疑念を持たせれば、両者は簡単に対立する。』
辺境伯が旧方伯領の廃教会でやっていることを知らない限り、国王と自由都市は出どころ不明な銀が出回る理由をお互いの背信に求めるのが定石だと思われた。
どちらかが自分の私腹を肥やす為に相手を裏切って、辺境伯に銀を流しているのだと考える。
特に自由都市は辺境伯の銀が教会に流れ、教会がその銀で金を買っていることを知っているだろうから余計に国王を疑うはずだ。
そしてこの推測は、果たして正しいようだった。
「何を戯言を!…しかし…確かに教会側の発言も一理ある…財務大臣殿、過去1年間の年次収支を開示していただけませんか!?」
「なっ!自由都市如きが王国を疑うか!特権を与えた国王陛下の恩を忘れよって!」
「まぁまぁ、お二人とも。…物価高の原因が何であれ、我々教会や辺境伯殿よ領民達も困っているのは事実です。そこで、我々教会としては新しい提案をしたい。」
遂に被っていた仮面を脱ぎ捨てた2人の代表が大声を張り上げた時、教会の代表が静かに立ち上がる。
そして国王と自由都市の両者を引き裂く決定的な提案を口にした。
「………銀の信用低下は止められますまい。で、あれば教会としては通貨を変えることを提案します。」
「通貨を変える…だと?」
「銀が信用ならない以上、我々は金によって通貨の信用を回復することを提案致します。」
「馬鹿なッ!!」
国王の財務大臣は目の前の机をひっくり返さんという勢いで身を乗り出す。
それは国王の最大の権利のうちの一つであり、決して犯される事は許されぬものだからだ。
しかし教会の代表は悠々とこう問いかける。
「ほう、ではあなたに銀の信用を回復する手立てがおありですか?」
「…ッ……それは………」
「我々は信徒の苦しみを黙って傍観するわけにはいかぬと考えます。新しい通貨の発行が民の助けになるのであれば、我々はこの提案を我々だけでも実行に移すつもりです。…既に、辺境伯様にはご賛同をいただいております。」
「…………ッ…」
確かにただ表面だけを見れば、この通貨切り替えで得をするのは金を買い込んだ教会と辺境伯領という事になる。
ところが、根本的な銀の過剰流入の原因を探るとなると、国王と自由都市は先も述べた通り互いの背信を疑わなければならない。
これまで完璧に機能していた銀の輸入管理体制の存在が、逆に互いの首を絞めているとも知らずに。
「………自由都市としても、これ以上銀の信用低下が続くようであれば新通貨に切り替える用意があります。」
「おのれ自由都市!やはり貴様ら裏切りおったか!?」
「裏切ったのはそちら側では!?教会はあなた方からも多くの金を買ってる!全ては自作自演なのでしょう!」
結局この臨時会議は、王国内の経済的調和を図る目的では間違いなく大失敗だった。
しかし国王と自由都市の間に亀裂をもたらすという辺境伯の政治的目的は存分に達成されたのである。
辺境伯、ゲルハルト・フォン・ノルデンラントはこれでもう国王軍が自由都市の救援に来る可能性を確実に排除できたのだった。
教会がこの時提案した新通貨はのちに王国のエドル銀貨に取って代わる事になる。
つけられた名は『聖金貨』。
流通が始まる事には、単に『セント』と呼ばれ始めていた。