国王との戦争はカウントダウンを始めた。
もう後戻りはできないし、後悔したって遅い。
ならばやる事は決まっているし、その大方はこれまでと同じだ。
常に先手を打って、敵を砕く。
自由都市攻略の為に必要な物は全て揃っている。
エルドリアンは間に合わせとはいえ注文の品を用意してくれたし、未だに止まらぬ銀の暴落が自由都市の防備を溶かしていた。
我々の主力軍は自由都市に向かっていたし、訓練を受けたばかりの動員軍には動員令が発布され、彼らは公国の領土内で塹壕を掘っている。
つまるところ、我々の準備は殆ど完了していた。
後は私が実行のボタンを押すだけ…だったのだがそれもつい先ほど済ませてしまった次第。
そのボタンとは教皇様からのご命令で、曰く『堕落してしまった自由都市を信仰の下へ戻す』使命が我々に課せられたのだ。
大義名分を得たことで、我らが辺境伯領主力軍のマスケット銃隊は今やエルドリアンによって製造された新しい兵器を引き連れて自由都市へと向かっていた。
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自由都市
ハンザブルグ
マキャベリが傭兵軍を"信用してはならない"と述べたのは、根本的な理由からである。
即ち金で動く兵隊は、自国の国民軍と比べて戦意を保持する理由に欠くのだ。
国土を犯されても何も失うものもない彼らは、自軍が劣勢と知るや容易に持ち場を放棄するし、ややもすると元の雇い主を裏切ったりもする。
だから金があるなら傭兵軍を雇うよりも国民軍の拡充に努めたほうが賢明なのだ。
自由都市防衛の担い手であった傭兵達もこの例に漏れなかった。
銀の暴落により自由都市を去った者以外の傭兵達も、軍備を整えた辺境伯領軍の軍勢が向かっていることを知るや我先を競って逃げ出した。
今や100年間の無敗を誇る城壁に留まるのは、僅か200名。
いずれも傭兵隊長と浅からぬ縁があるか、昔々から今の市長に雇われているかのどちらかだった。
所詮は金目当ての傭兵にさえ慕われていたのは市長の人徳の成すところだったが、しかし徐々に迫りつつある辺境伯領軍のドラムの轟を前にすると、なんとも言えぬ無力感が傭兵隊長を襲う。
傭兵隊長は市長の判断を信じていた。
たしかに傭兵の大半は逃げ出したが、希望を捨ててはならない。
この街には無敗の鉄壁と高精度なライフル銃がある。
たしかに再装填に大量の時間が必要になる代物ではあるが、しかし自由都市を攻撃することで国王をも敵に回しかねない辺境伯領はこの都市の攻略に多くの犠牲を伴うわけにはいかないはずだ。
故に、この聳え立つ城壁の上から銃隊の指揮官を狙い打っていけば。
必要以上の犠牲を嫌うであろう辺境伯領軍が手を引くことも考えられる。
傭兵隊が装備する前装式ライフル銃の有効射程は200mほどあるのに対して、マスケット銃のそれは50mほどしかない。
その上傭兵隊は城壁の上にいるので、多少は射程の延伸を期待できるし、銃列を率いる指揮官を視界に捉えることもできるだろう。
理屈でいけば、市長の言い分には傭兵隊長の人生を賭けるだけの利益がある。
やがては辺境伯領軍のドラムの音が近づいてきて、城壁の上で襲撃に備える傭兵達にその姿を見せた。
ピッケルハウベを被って黒い軍服に身を包んだ男達がマスケット銃を担い、壮麗な隊列を組んで向かってくる。
その隊列の両脇には歩兵と同じ軍装にサーベルを携えた軽騎兵達が展開し、歩兵と軽騎兵の更に一歩後ろを胸甲を纏った重騎兵が続いていた。
辺境伯はこの自由都市を攻め落とすために、あまりにも巨大な軍団を派遣してきたらしい。
しかし本来なら包囲が上策の攻城戦に、地形の問題により正面からしかぶつかることができないのだ。
指揮官が狙撃され、その都度攻勢を止めなければならないとすれば、今度はその大兵力が兵站を破綻させてしまう。
傭兵隊長はこの大兵力と向かい合いながらも、彼我の概ねの距離を目測していた。
敵の隊列は2kmほど離れた稜線の向こうから姿を現してこちらに向かっている。
腕のいいライフル銃手なら通常の有効射程を超える300mの狙撃だって可能なのだ。
それを知らぬに違いのない敵の指揮官は、悠然と隊列を城壁に向けて来る。
だがしかし、突然に指揮官が号令をかけ、それまで悠然と歩いていた歩兵と騎兵の隊列がその場で止まる。
歩兵がその場に片膝をつき、そして騎兵は左右に散開を始めた。
まるで…そう、まるで後方から何かが来るのを知っているかのように。
答えはすぐに
直径75ミリほどの鉄球が、しゃがみ込んだ歩兵隊の遥か頭上を飛んでいく。
火薬によって飛ばされたそれは発射薬の燃焼とその熱の伝導によって膨張していて、膨らんだ鉄の塊はやがて100年の歴史を持つ城壁に突き刺さった。
運動エネルギーの供給を受けていた鉄球は歴史ある防壁にぶち当たるとその一部を易々と崩落させる。
防壁の意義とはその
弓兵が間接武器の主要地位を占めていた時代、重力の助けを得た弓矢の威力は地面から打ち上げられる弓矢の威力を凌駕していたのだ。
だからこそこの防壁は100年もの間無敗でいられた。
この壁に挑んできた者達は、"いかにして壁の上の敵を減らしていくか"を主眼に捉えていたからだ。
ところが火薬と治金の複合体が、たった今その伝説を文字通りに"破壊"した。
辺境伯にはもう、壁の上の兵隊がどうであろうが問題はない。
かの軍勢が装備しているのは青銅製の軽量野砲で、発射速度と精度に問題はあるものの、主として弓兵や攻城櫓を想定した防壁など簡単に打ち破る事ができる。
こうなると、傭兵隊長にはもう打つ手などない。
唯一無二の強みを無くした彼が対峙するのは辺境伯の大軍で、固い絆で結ばれていたはずの仲間達は早くも逃げ出し始めていた。
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「終わったな。アレが100年無敗の防壁とは。歴史の割にはあまりに呆気ない。」
指揮下の軍勢を崩落した防壁から突入させた後、自由都市方面の攻略軍司令官に任命されたグスタフはそう言ってため息を吐いた。
彼の直接の配下たる親衛重騎兵など、本当の意味で出る幕すらなかった。
とはいえグスタフも安心していられる身分ではない。
辺境伯は今回の自由都市攻略が王国との戦争に繋がると見ている。
グスタフは迅速に自由都市を制圧し、その後若干の駐留軍を残してから南に向かわねばならない。
その頃には、練度の高くない動員軍連中が相当数消耗しているはずだった。
事態は決して楽観視できないが、しかしグスタフの副官はむしろ喜んでいるように見える。
「将軍、これからが本番ですよ。王国の近衛騎兵と本気で殴り合える。」
「そんなことは望みではない。辺境伯殿はこの戦いのように、"殴り合う"のではなく"殴る"ような戦いがお好きなのだ。ただ、残念ながら今度はそうもいくまいが。」
「王国は方伯領や自由都市とは違いますからね。本当の意味での戦争になるでしょう。私や将軍も、敵の矢弾に斃れるかもしれない。」
「王国近衛騎兵と戦う意義はそこにあろう。肝心なのは矢弾によって斃れる事ではない。誰の手によって斃れたか、だ。低級魔族の流れ矢や、民兵の突き出す槍などにやられては死ぬにも死にきれまい?」
「まさか!我々は辺境伯領の最精鋭ですよ?そんな間抜けな事にはなりませんでしょう。」
「だといいがな。マスケットの普及は、最早我々辺境伯軍の独占物ではない。方伯との戦争を見ていた国王は既にマスケットの増産に踏み切っているはずだ。…マスケットのような銃火器は騎兵の威力を減少させていくだろう。やがて我々のような重装騎兵は役目を終える。」
「我々が?馬鹿な!考え過ぎですよ、将軍!」
副官が楽観的でいることは、グスタフのような指揮官にとっては好都合だった。
彼が部下に求めるのは盲従であり、命令に対してその熱心を向けるような思考であった。
とはいえグスタフは、もう自身の年齢も加味して"馬から降りる"頃合いだと思っている。
先ほど楽観的な副官に語った言葉は決して虚言の類ではない。
グスタフは必ずやそうなると見ていた。
だから、彼としては国王との戦争で有能な戦略家であることを辺境伯にアピールしておきたい。
さもないと、マスケットが進化をした時に、彼は失職する事になるだろう。