公国教皇領
国王直轄地との国境地帯
「連中は辺境伯の民兵共!つまりは寄せ集めの雑兵に過ぎん!このまま防衛線に穴を開けろ!」
栄えある王国近衛騎兵第5連隊の隊長が、そう叫びながらサーベルを前方へ突き出した。
彼らは教皇=辺境伯連合軍の2つめの塹壕を突破してきたところで、既に配下の3割がマスケットと弩、そしてそれらよりもよほど恐ろしい砲弾の犠牲になっている。
辺境伯軍が完成させたらしい青銅砲と同じようなものを、王国軍は既に持っていた。
しかし、王国のそれは臼砲であり、持続発射速度には優れるものの、辺境伯軍の野砲のような機動性は持ち合わせていない。
故に近衛騎兵第5連隊は国境沿いの防衛陣地の突破に砲火力の助けを得ることができなかった。
確かに王国軍も辺境伯軍も、打ち出される砲弾の種類に炸薬弾を加えられていない。
王国でも目下研究中だし、それは辺境伯領でも同様と考えられる。
しかし問題は砲弾自体の威力ではなく、その発砲と着弾による"音と衝撃"であった。
辺境伯軍の防衛線の奥深くから放たれるたった2門の青銅砲の砲弾は、直撃しない限り何らの傷ももたらすことはなかったが、しかし近衛騎兵の乗る馬を怯えさせるには十分な威力を発揮した。
敵に向けて全力疾走していた馬が砲弾の着弾音に怯えると、突如としてその足を止め、慣性エネルギーを殺そうとする。
それは乗馬している騎兵にとっては制御できない災悪であり、彼らは大抵の場合バランスを崩して落馬した。
暴れる馬の脚からどうにか逃れたとしても、そこで待っているのは教皇=辺境伯軍のマスケットや弩である。
一線級の貴重な戦力が民兵にやられることほど大きな損失はないだろう。
第5連隊は損耗激しい第3連隊と交代して防衛線突破に臨んでいた。
先にこの防衛陣地を攻撃した第3連隊長は、教皇領が辺境伯軍から応援として民兵隊を受け取ったという情報を知らされると、この陣地を鼻先で笑い、「第5連隊には掃討をお願いすることになるでしょう」とまで言ってのけていた。
ところがその第3連隊長は2番目の防衛線に達したところで落馬し、教皇の歩兵に弩で殺されている。
敵は塹壕を掘っていて、その中に辺境伯軍の民兵や教皇軍の弩兵が身を隠しながら馬上の騎兵を狙い撃っていた。
塹壕自体は魔王との戦争時代から存在する、新しくもない方法だったのだが、砲弾やマスケットと組み合わせることによってここまでの威力を発揮するとは…国王軍の誰も思っていなかった。
3番目の防衛線は二重の塹壕により成り立っていて、それまでの2つよりも明らかに強固だと思われる。
辺境伯軍の青銅野砲は位置を変え、着弾をより近接に修正した。
じきに砲弾が飛来して、密集隊形で塹壕に突っ込んでくる人馬の集団に飛び込んだ。
馬が何頭か転倒し、そうでなくとも振り払われる騎兵が大勢いる。
マスケット兵はまだ銃を撃っていないが、砲弾による災悪を逃れた人馬を撃たんと待ち構えていた。
「まだ撃つな、引き寄せろ!」
辺境伯の動員兵は訓練を終えたばかりの人員を多く含んでいた。
彼らは元は農民で、方伯領のハンドキャノン隊と同じように戦いのプロではない。
状況が劣勢と見るや逃げ出してもおかしくはないし、統制に従わないことは想定されるべきである。
にも関わらず、号令を出す辺境伯軍の下士官はその心配をしていなかった。
1つは動員軍がその訓練期間の大半を、統制に従事させることに重きをおいて費やしていたことがその理由である。
マスケットのような簡便な兵器は、習熟に大量の時間を要するものではなかったし、それに辺境伯軍は動員軍にマスケットへの習熟を期待してはいなかった。
そもそも滑空銃身から放たれる丸玉に、精密な命中制度など到底期待できない。
マスケットの基本的な運用の肝は、集中運用による弾幕の発揮である。
そのためには個々のマスケットの取り扱いを訓練させるよりかは、隊列を組ませ、行進させ、号令に慣れさせる方が重要であると辺境伯は判断した。
故に動員軍は短期間とはいえ統制を絶対の規律とみなすように訓練されたし、多少の脱走者はいたものの、それは目を瞑るに耐えられるものだった。
下士官を安心させる2つ目の理由は、この戦いが"偉大なる主のための戦い"であると宣伝されている事だった。
辺境伯は動員軍の出撃前に、教皇の演説を聞かせていた。
元はただの農民とはいえ、日頃から従順な信徒となっていた動員軍兵士にとり、教皇の言葉は彼らに目的意識を植え付けるのに十二分に役割を果たしたのだ。
繰り返される魔族の侵入と痩せた土地での生活は、この素朴で頑強な農民達にとっての信仰をより確固たるものにしていた。
ゆえに"信仰のための戦い"ともなれば、この農民主体の動員軍が想定以上の機能をすることも期待できる。
国王の近衛騎兵を前にしても脱走者が少ないことは、この証左と言っても過言ではなかった。
「クソっ!農民の癖に騎馬突撃を見て逃げ出さんとはっ…敵ながら感心する!」
「隊長、前に出過ぎです!どうか我々の後に続いてください!」
「指揮官が臆していては部下に示しがつかん!全隊私について来い!」
隊長がそう言った時、砲弾の飛来音が耳をつんざいた。
時期に野砲弾が着弾して騎馬が暴れ、先頭の隊列が崩れ始める。
隊長はその様子を見て取りながらも命令を叫んだ。
「隊列を崩すな!このまま敵の陣地に突入する!」
「隊長!右翼に甚大な被害が」
隊長の側まで馬を駆けさせて状況報告を行おうとした副官の頭が消し飛んで、ついでとばかりに隊長自身も肩に鈍い衝撃を受ける。
すぐ後には隊長に引き続いてくる彼の部下たちもマスケットの弾丸や弩のボルトによって落馬していった。
統制された一斉射撃により隊長の部下たちも次々と斃れていくが、それでも隊長が馬を止めることはない。
敵の設定したキルゾーンで立ち止まっていることこそ自殺行為に他ならず、ましてや騎兵突撃を継続するためにはその要となる突破力を維持しなければならないからだ。
騎兵の接近に伴い、防衛線のマスケット銃隊も射撃を一斉射から自由射撃に切り替え始める。
接近する距離に比例して精度は高くなっていき、倒される部下も増えていくが隊長の馬が止まることはない。
彼は身をかがめ、空気を切り裂くような音を間近に感じながらも一本目の塹壕へと距離を縮めていく。
そしてついに、隊長の愛馬が塹壕の上を通過した。
渾身の気合いと共に隊長はサーベルを振り下ろし、その長い刃が一本目の塹壕のに潜む辺境伯軍動員兵の側頭部を捉える。
頬から後頭部に至るまで長くて深い刀傷を強いられた辺境伯の兵士は、塹壕の深くに押し込められた。
愛馬の突進により隊長が過ぎ去った後にも彼の部下が続いていき、敵の動員兵をサーベルで切り裂きながらも進んでいく。
「次の塹壕線を突破する!」
隊長が被弾の痛みを感じさせないような怒号を張り上げた。
彼の部下は任務に忠実で、2本目の塹壕から放たれてくる矢弾に怯むことなく各々の愛馬を駆り立てる。
敵は2本目の塹壕に1本目のそれよりも多くのマスケット銃を配備していたらしく、より密度の高い銃撃に次々と近衛騎兵が討ち取られていく。
しかし彼らが馬を止めることはない。
塹壕の先に勝利があることを信じて、一層に馬を駆り立てた。
「かかれ!」
隊長が再び怒号を張り上げ、騎兵の隊列が塹壕を超えた。
再び振り下ろされるサーベルと、その切先の犠牲となる動員兵の悲鳴。
サーベルが兵を切り裂き、馬脚が兵を押し込んで、隊長とその一隊は遂に3番目の防衛線を突破した。
二重の塹壕のその先に、敵の野砲が配備されていた。
ピッケルハウベを被った辺境伯の砲兵は、重厚な守備陣地を突破してきた精強なる騎兵の出現に大いに狼狽しているようだ。
隊長と部下たちは塹壕を突破した勢いを止めることなく砲兵に襲いかかる。
マスケット銃数挺で自衛を試みた敵の砲兵は、しかし勢いに乗る近衛騎兵になすすべもない。
彼らの何人かは討ち取られ、或いは逃げ出し、遂に隊長と部下達は厄介極まりない敵砲兵を無力化して勝利の雄叫びをあげる。
「うおおおおっ!やったぞ!辺境伯の防衛線をやってやった!」
「勝ったんだ!遂に!やってやった!」
「国王陛下万歳!近衛連隊に栄光あれ!」
だがしかし、隊長は部下の歓声の中でハッキリと耳にした。
馬の足音………それも、重装備に身を包んだ男たちの乗る重騎兵特有の、腹の底から響くような蹄鉄の為す振動を伴う轟音を。
ようやく馬を止め、敵の砲兵陣地で歓喜する部下たちは、誰も彼もがどこかしらに弾丸か矢を受け、更にはこれ以上ない程に疲弊していた。
そんな彼らに対し、敵は差し向けたのだ。
辺境伯直属の最精鋭部隊、親衛重騎兵隊を。
…………………………………
詰まるところ、王国に対する我々の戦術はこうだった。
何重もの防衛陣地を構築し、動員兵に敵の騎兵を迎え撃たせる。
マスケットと何重もの塹壕は、国王の近衛騎兵を殲滅するには不十分かもしれないが、あまりにも多くの出血を強いることはできるだろう。
そう。
動員兵のみで敵の近衛騎兵を殲滅できるとは私だって考えていなかった。
だから親衛重騎兵隊と正規歩兵の一部を自由都市の攻略に参加させず、防衛線の後方に配置した。
敵の精鋭たる近衛騎兵が波状攻撃を行えば、いくら堅牢な陣地でも突破は見込める。
一部でも穴を開けることができれば、彼らはその後防衛線の後方に展開して浸透…教皇様の領土内部に入り、あらんかぎりの破壊を働いて防衛陣地の意味を葬り去れるだろう。
だからこそ、私は親衛隊の一部を派遣した。
彼らは動員兵と共に防衛線の維持に参加するわけではない。
それは動員兵の任務だし、もしそれを完璧にしようとすれば自由都市に差し向ける重騎兵がいなくなる。
しかし防衛線の火消しをするなら、その一部だけでも十二分だった。
あの重騎兵隊の主たる任務は"火消し"だった。
私は近衛騎兵の一部が防衛線を突破することを予測し、大いに出血した彼らを押し潰せるよう重騎兵を機動戦力として用いたのだ。
結果はご覧の通り。
私の主力部隊が自由都市から転戦する前に教皇領に侵入するという国王の目論見は、見事に失敗してしまった。