俺と吹奏楽部とトロンボーン   作:たにし

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四話

朝練が終わり朝会が始まる前のクラスでの時間、俺は岩田と岸部の三人でたわいもない雑談をしていた。ただ、ふとした瞬間に岸部が岩田の机に置かれた茶色の布袋に目を止めて言った。

 

「あれ、なんで体操服持ってきているの?」

 

俺と岩田は硬直して岸部を見つめた。確かに今日は体育の授業はない。

しかしーー

 

「今日、マーチングの練習あるけど持ってきてないの?」

 

「マーチングってなんだっけ?」

 

岩田が訊くと岸部は能天気そうに首を傾げた。

だから俺は説明した。

 

「サンフェスでやる行進したり踊ったりしながらする演奏のことなんだが、昨日、部長の話を聞いてなかったのか。今日の放課後、グラウンドでマーチングの練習するから体操服を持ってくるように言っていただろう」

 

「あ、忘れてた!」

 

岸部はそこでようやく先輩の言葉を思い出したようだった。だがもう遅い。

どうにかして取りに帰ろうとも、あと5分くらいで朝会が始まる。

 

「神様、体操服をお恵みください‼︎」

 

「いや、無理だし、性別を考えろよ⁉︎」

 

岸部は直角90度、綺麗な最敬礼をしたけど、それは受け入れられないお願いだった。だいたい男子に体操服を借りようとするとは、少し羞恥心というものが欠如しているのではないだろうかと思ったが、岸部はそんな躊躇いはお見通しだと言わんばかりにニヤニヤとした笑みを浮かべて言った。

 

「あれ、もしかして、自分の体操服を求められてると思ったの? 誰か体操服を貸してくれそうな人を紹介してって意味合いだったんだけど」

「あー、うるさいなー。吹部以外の女子でそんな奴いねぇよ。それよりもどうするんだ。他のクラスの奴に借りるか?それとも売店でもう一着買うか」

 

「え、なにそれ。体操服忘れたからって買うって選択肢あるの?」

 

後者の選択肢を提案すると、岩田は少し引いた様子だった。彼女にとってはありえない選択肢であったらしい。なんだか非常識扱いされた気がして癪だったが、あくまでこれは提案だ。

 

「可能な手段を言ってみただけだって」

 

ただ俺は思う。そこまで引くようなことではないだろうし、お前の家柄を知ってるからこそ言わせてもらう。

 

「というか月に10万くらいお小遣い貰ってるくせに、体操服一着買うのにケチ臭いこと言うんじゃねぇよ」

 

岩田慧菜は祖父、父親、母親と一族揃って医者の一族の娘である。しかも京都府にある中央病院のかなりのお偉いさんであるとも噂されている。それを聞いて岸部は両目を瞠って興奮気味に訊いた。

 

「え、本当なの!岩田さん超お金持ちじゃん」

 

「違うから!神崎の出鱈目だから。岸部さんも変な勘違いしないで ‼︎」

 

しかし岩田は全否定。ふむ、10万ではないとすると。

 

「すまん、15万だったか!」

 

「そんなに多くないからっ!」

 

「でも五万よりは上なんだろう?」

 

「まぁ確かにそうだけどーーーって、ああ、もう神崎死ね‼︎」

 

岩田はハッと自身が誘導尋問されていることに気がつくと、頭をポンと叩きながら罵倒してきた。はい、言質は頂きました。10万以下5万以上だとすると、おおよそ7万くらいってところでしょうか。さすがお医者様の家系はお小遣いからして庶民と違う。

 

「といっても高校生のくせにブランド物の財布を持ってる時点で隠す意味ないだろう」

 

知ってるよ。そのクリーム色の財布、八万円はするんだよ。そんな高価な物品は普通の女子高校生は買ってもらえません。

 

「はぁ〜⁉︎それだったら神崎君も変わらないでしょ。こないだ自販機でジュース買うときに見たもん!神崎くんの財布のなかお札でぎっしりだったじゃん!」

 

「うるさいなー、貧乏人はただでさえ通帳の中身が侘しいんだから、せめて財布の中だけでも満たしておかないと心が病んで死んじまうんだよ!」

 

「はい、ダウトー!貧乏人なら、昨日の楽器店でのアレはなんだったのよ」

 

「あれってなんだよ」

 

岩田は俺に指を指して、得意げな口調で言ってきた。俺はというと心当たりがありすぎて、ちょっと声が震えてたと思う。

 

「昨日、駅通りにある楽器店で40万くらいするトロンボーンのガラスケースに頬を貼り付けてほくそ笑んでいたそうじゃない。しかも、なんだっけ。確か竹●直人みたいな声で『グヘヘへへ、あと10万稼いだら身請けしてあげるから。それまで売られないでね、トロンボーンちゃーん』とか言ってさ」

 

「あー黙れー!それ俺じゃないですぅー。楽器店には行ったけどそんなこと言ってませんー。というか何で昨日のこと知ってるんだよ。さては俺のストーカーだな!」

 

自らの名誉にかけて絶対に認めはしないが殆ど事実である。ちょっとあの時はトロンボーンの魅惑に惑わされて変なことを言ってしまったが、確かあの場に知り合いなんて誰一人いなかったはず。それなのに岩田が知っているのは解せなかった。

 

「そんな訳ないでしょ。あそこの店員、私の知り合いだから聞かされたのよ。最近、北宇治の制服を着た黒髪に切れ長の鋭い瞳をした残念なイケメンが連日のように来店してトロンボーンを眺めてるって。まぁ、マイ楽器を買うのは自由だと思うけど、トロンボーン買うのに40万ってちょっと貧乏人を自称するのは無理があるんじゃないの?」

 

俺は言い返せなかった。だが、別に俺の里親であるババァはそこそこ有名なピアノ教室の先生であって、岩田の親みたいな高所得者であるわけではないし、俺の財源である稼業については秘密にしておきたかった。そんなとき岸部が言った。

 

「あのさー、二人ともお金ある自慢はどうでも良いから、どっちか体操服もう一着買って私に貸してくれない?」

 

「「お前も大概だな!」」

 

俺と岩田は声を揃えて言った。まさかの第三の迷案が浮上してきた。もういっそのこと普通に他の友達かクラスのやつに借りろと言いたかったが、まだ五月の初め、他のクラスに体操着を借りれるほどの知り合いがいるとは考えにくかったし、今回のように同じ部活動の奴には借りれないパターンになると、手段は売店で買うしかなかった。

 

「まぁ、仕方ないな。ほら、オッチャンがお金あげるから買ってこい」

 

俺は財布から1万円札を取り出すと岸部に差し出した。

 

「おぉ!流石は神様、太っ腹!」

 

「ちょとそれは不味いと思うよ」

 

それを見て、岸部は目を輝かせて、岩田は顔を顰めた。そして岸部は嬉々と1万円札を手にしようと、引っ張ったとき、それはスルスルと解けて六文字の紙を垂らした一本の紐となった。

紙には『だ・ま・さ・れ・た・(笑)』の六文字。

 

「引っかかったな馬鹿め‼︎」

 

俺は硬直した岸部を指差して盛大に笑ってやった。岸部はというと身体をだんだんと震わせて上気したかと思うと言った。

 

「よし岩田さん、神崎押さえてて。一発、一発叩くから!」

 

岩田は素早く俺の背後に回り込むと両脇に腕を回して拘束してきた。そして一方の岸部は腕まくりをすると、肩をぐるぐると回し始めた。そして狙いを定めているのか俺の顔をじっと見つめている。あれ、こいつビンタじゃくて。グーやるつもりなのか。しかも狙いは顔 ⁉︎それは不味い‼︎

 

「やめろ、グーで顔はやめろ。やるやならせめて腹だ。腹を殴れ」

 

ちなみにだが俺は就寝前に30分ほど筋トレをすることを日課としている。これは小学三年生の時から続けてきた事であり、六年間に渡り培われた筋肉はそれなりのものになっていた。つまり、たかが小娘のパンチの一発など効かぬということ。

 

「岸部さん、だめよ。コイツ腹筋バキバキに割れてるから、ダメージ与えるなら顔よ」

 

しかしである。岩田は知っていた。なんせコイツと肺活量の話をしていたときに、自らの腹筋を見せた事があったのだ。

 

「おい岩田、覚えてろ!あとでそのツインテール引きちぎるからな‼︎」

 

「死人がどうやって引きちぎるつもりかしら!」

 

しかし柄にもなく岩田は強気のようだった。コイツ、まさかお小遣いを聞き出したことを根に持っているというのか。おのれ、普段は草食動物みたいに大人しいくせに、人のピンチにつけ込んで調子に乗りやがって。あとで殺す。だが、その前に何とかすべきなのは目の前の岸部だ。彼女はウォーミングアップを済ませたらしく。

 

「なら、グーで顔ね。いくよー!」

 

笑顔のまま勢いよく殴りかかってきた。

とはいえ女の子のパンチだ。このくらい容易く見切れるのだが。

 

(危なっ!こいつ顔というより目狙ってきてるじゃねぇか!)

 

その刹那、これは不味いと思った。普通に事件案件である。だから俺は無理に抵抗してでも避けようとしたのだが、岩田が思ったよりも力強く拘束していた。というか、がっちしと押さえていることもあり、かなり密着しているし胸とか当たってるし、女の子の恥じらいというものはないのだろうか。

 

ただ、しっかりと拘束されているため彼女を怪我させないように回避するのはかなり難しかった。しかも、この出来事は教室の並べられた机の間という狭い場所で行われている。それ故に起こり得たアクシデント。

 

「がっーー⁉︎‼︎」

 

俺の股間に猛烈な衝撃が駆け抜けた。まさか避けた先に自分の机の角があったとは。不覚である。これなら岸部のパンチを頬にずらして素直に当たっていた方が良かったのかもしれない。ただ、それよりも今は痛い。

 

「これは…」

 

「哀れ、されど悪は正された」

 

岩田は困惑した様子で佇み、岸部はどこか満足げであった。畜生め、女子には分からない痛みだろう。されど、一心に身体を屈み込んで悶絶する俺を見て、大袈裟な演技ではないと感じてくれたのか、岩田と岸部はそれ以上殴りかかることはせず、先生が来たので着席したのだった。

 

 

 

 

そして放課後のとある空き教室にて。

 

「というわけで、股間を鍛えるにはどうしたら良いですかね、先輩?」

 

俺は野口先輩に今朝の件を話したついでに訊いてみた。ちなみに今は着替え中である。この教室は他の吹奏楽部の男子部員達の更衣室と化しており、皆がマーチング練習をするために体操服へと着替えていた。しかし野口先輩は呆れた様子で言った。

 

「俺は今までお前を吹奏楽バカだと思っていたけど、実は普通のバカだったのかもしれない」

 

「バカってお言葉ですが、僕は入学初日にあった実力テスト、学年一位ですからね」

 

「へぇーそれは世も末だなってーーほっぺにドリルするなー」

 

大変、失礼なことを仰る先輩に俺は人差し指を突き立て頬ドリルを食らわせた。いくら尊敬する先輩にだって言っていいことと悪いことがある。ちなみにこの頬ドリルは痛くはない。ただ少しウザい程度の報復手段だ。まぁ、それも大概にして着替えている最中、野口先輩は言った。

 

「だいたい、お前はなんでそんなに鍛えているんだよ。野球部並みの細マッチョじゃねぇか」

 

「そりゃあ、健全な精神は健全な肉体に宿ると言いますから。綺麗な心であり続けるために毎日鍛えているのですよ」

 

嘘である。テキトーな事を言った。流石にムカつく奴をぶん殴るためとか、自分を格好よく見せたいから鍛えているとは人前では口を裂けても言えなかった。だから適当に吐いた嘘である。

 

「まぁ、確かにそうだな。そう言う諺もあった気がする」

 

そして野口先輩は少し思考を巡らせたようだが、真剣な顔をして言った。

 

「ちょっと待て。俺が知るかぎり迷信だと思うぞ」

 

彼の記憶の中の俺はロクな奴ではなかったらしい。まぁ、最近は思い当たるだけでも、結構な嫌がらせを三年の先輩にしている。ただアレは俺が悪いわけではないし、一方的な攻撃ではない。報復行為だ。やられたらやり返す戦争をしているだけのこと。そして、そんな光景を思い出したのだろう。ただ、そこは知らぬ存ぜぬ態度を振る舞いながら言った。

 

「あれ、そうなんですか?まぁでもあって損するものではないですし、なにより楽器と肉体美、金属と筋肉、絵になるじゃないですか」

 

今、思い浮かんたのだが、モヤシみたいな体格が多い吹奏楽部の男子の常識を覆す細マッチョ系の吹奏楽男子というのは中々に新しいジャンルではないだろうか。鍛え上げられた体躯に眩いばかりの黄金の金管楽器を構える青年。想像するとどこか魅惑的でアブノーマルな香りがするが、それも悪くない。しかし野口先輩は即答した。

 

「ねーよ」

 

先輩的にはないらしい。だが、楽器とは別に何か惹かれるものがあったのか、野口先輩は引き締まった二の腕をじっと見つめて言った。

 

「まぁ、でも、どのくらい鍛えたらそうなるんだ?」

 

「そうですね。俺の場合は小学校の時から鍛えてますけど何ですか。興味ありますか?」

 

お望みながらオススメの筋トレ動画とかプロテインとかを紹介した方が良いだろうか。しかし、野口先輩は取り繕ったような笑みを浮かべながら言った。

 

「まぁ、なくもないけど。ほら、やっぱお前ブレスの長さとか音量ってヤバいじゃん。たまに戦闘機が通りすぎたような音出すし。やっぱ筋肉と関係あるのかなって思ってさ」

 

あの向上心を捨て去った野口先輩が技術向上のための話をしている。と内心で驚いたものの、そこは敢えて顔には出さず普通を装い教えることにした。

 

「まぁ、完全に無駄とは言い切れませんけど、殆どは技術と練習の積み重ねで解決する問題ですよ。もし吹奏楽に筋力が必要不可欠というのならプロの演奏家はみんなボディービルダーみたいな体躯をしてますし」

 

まぁ、肺活量に関して腹筋を鍛えることはあまり意味がない。それよりも肺活量を増やしたいというのならマラソンや持久走などの走り込みをするか、腹式呼吸やロングトーンなどを毎日限界まで練習するかして、横隔膜を鍛えるのが良い。とはいえ腹筋であれ背筋であれ、しっかりとした筋肉があれば長時間ダレることなく正しい姿勢を維持できるので演奏における利点が皆無というわけではないのだが、あくまで補助効果みたいなものである。

 

「そっか。やっぱり技術とかの問題かー。体鍛えて上手くなれれば一石二鳥だと思ったんだけどなー」

 

技術の向上と、もう一つ何に石を投じようとしたのかは不明だが野口先輩は残念そうに言った。ただ普通に思う。

 

「野口先輩、筋トレの成果って、だいたい三ヶ月後くらいに現れるんですよ。つまり今から鍛えておけば、海とかプールとか行ったときに凄いことになると思いませんか?」

 

野口先輩は顔だけでいえばかなりの美青年に部類される。それが引き締まった肉体となれば、もうかなり凄いこと男前になると予想できた。ナンパをすれば100発100中だってありえるだろうし、意中の相手だってメロメロになると思う。そして今は五月の初め。やや、少し遅いものの夏に間に合わない時期ではない。

 

「神崎、お前は天才か」

 

野口先輩も俺の思惑に気が付いたらしく、両肩に手を置いて賞賛した。だから俺もニヤリと笑って言った。

 

「共に目指しましょう先輩。真夏の青春に向けて!」

 

こうなったら、もう筋トレをするしかない。

吹奏楽部の夏はコンクールだって?そんなものは知らん。北宇治のコンクールメンバーは年功序列で決まるらしいので、そもそも今年のコンクールは俺には関係ない話だ。まぁ、それに俺はあの大舞台で生恥をかきたくないし、連中の一員だと思われたくないから参加したくなかった。だから、コンクールとは別に夏の思い出に夢を馳せ、感銘を受けた野口先輩と共に俺は熱く抱擁し合ったのだ。

 

ただ、その時だった。扉が開く音がした。そして振り返ると何故だか小笠原先輩が教室の扉に立っていた。どうやら男子全員が着替え終わってるだろうと判断して入ってきたのかもしれないが、タイミングが最悪だった。

 

「はは…は……続きはごゆっくりどうぞ」

 

イケメン男子同士二人による熱い抱擁。彼女は顔を真っ赤に染めると、何処かへと走り去って行った。教室にいた他の男子からは哀れみの視線を送られる。そして暫くは硬直していた野口先輩であったが、すぐに血相を変えて追いかけた。

 

「待ってくれ小笠原!俺たちは別にそういう関係じゃないんだ!だから頼むから他言はしないでくれー!」

 

ポツンと一人残された俺に田邊先輩が声をかけてきた。

 

「お前は追わなくて良いのか?」

 

「良いんじゃないですか。小笠原先輩ですし。多分放置しておいた方が面白い気がします」

 

北宇治吹奏楽部の良心の一人である小笠原先輩。幼稚園児の粘土細工みたいにテキトーな三年生達とは違い真面目で心優しい性格をした先輩だ。ただ、そんなお淑やかな性格の一方で優柔不断で落ち着きのないところがあったりと揶揄ったら面白そうなところがあるので、今じゃなくてもいつかは親しくなりたいと思っていた。

 

 




四話だけど書き直しすぎて六話を書いている気分。というか四話の時点で原作一年前の五月って原作やる気あるのだろうか。
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