俺と吹奏楽部とトロンボーン   作:たにし

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五話

俺はマーチング の練習をしているはずだった。

しかし、気がつくとそこは百鬼夜行の中にいた。パーカッションの刻むリズムと金管木管の奏でるリズムが気持ち悪い程にズレている。部員たちが揃って同じ方向に前進しているというのに気持ちと音はバラバラに散っていた。そのうえ、まだ暗譜を済ませていない人もいるようで、自信がなさそうに吹いたり、迷子になったあと復帰できずに吹き真似し徹している者もいた。そのおかげで曲の終盤では人数の割にかなりか細い音になっていた。

 

トロンボーンパートでは三年の先輩達と田浦先輩は壊滅しておりメロディー以外は吹き真似に徹していた。岩田と野口先輩がやや不安定な伸びの音を出しており、まともに吹けているのは俺と梅田くらいだ。そう思いながらチラリと横の梅田を見た時だった。ガツンと鈍い音がした。梅田だ。彼女が前進する三年の先輩の後頭部にスライドを思いっきりぶち当てたのだ。その時、死刑宣告でも受けたかのように顔を青くした梅田と目があった。

 

俺は何も見なかったように前を向いた。哀れ梅田。あれはどう見てもお前のせいではない。前の先輩の歩幅が狭くなっていたせいである。ただ梅田は予想外のアクシデントに弱い性格らしく、彼女のトロンボーンの音はみるみるうちに萎れていき事実上トロンボーンは俺一人の音で終わりを迎えた。

 

 

あれから三回目の通し練習だったということもあり、顧問の指示で10分間ばかりの休憩となった。そして、俺はグラウンドの端にある木陰のベンチでぐったりと寛いでいる岩田の元へ立ち寄った。

 

「あ”〜。疲れた〜」

 

岩田が女子らしかぬ声でへばっている。彼女には品性というものがないのか、俺が男子認定されていないのか、それはともかくーー

 

「お疲れさん」

 

労いの言葉をかけながら、買ってきたペットボトルのスポーツドリンクを岩田の頬に軽く押し当てた。ペットボトルは買ってきたばかりなのて、気持ちの良いくらいに冷えており、岩田はその心地を堪能していた。

 

「うぅ〜冷んやりする〜」

 

「受け取れよ。お前のために買って来たんだから」

 

「わーい。神崎君優しー」

 

岩田は気怠そうに受け取ると、特に警戒することもなくキャップを開けて口をつけた。それを横目で確認すると、俺は岩田の隣に座りつぶやいた。

 

「あとで200円な」

 

「ごふっ⁉︎」

 

すると、まさか金を取るとは思っていなかったのか岩田は頬に含んだドリンクを少しだけ吹き出して咽せた。別に買って来たとは言ったけど奢るとは言っていない。岩田は憎々しそうな表情を向けて言った。

 

「ちょっと、お金取るの⁉︎」

 

「冗談だ。それよりもさっきの演奏、些かミスが目立ち過ぎていたな。パート練では吹けてたのに調子悪いのか?」

 

気になっていたので訊いてみた。岩田は先輩に比べたらまだまともに練習する部類の人間だ。だからこそ今日の不調は珍しいように思えた。ただ岩田は溜息混じりに言った。

 

「普通に疲れたのよ。私のいた中学、マーチングなんてしていなかったから。歩きながら吹くのはどうにも慣れてなくて…」

 

「あぁ、そういうことか」

 

俺の知る限りでは、この辺りの中学でマーチング に力を入れているところの方が珍しかった。俺の母校である北中では顧問がマーチングの強豪校と知られる立華高校の顧問と面識があることもあり、マーチングはそこそこの機会でやっていたが、岩田がいた西中ではマーチングをしていたなんて聞いたことがなかった。まぁ単に俺が知らなかっただけかもしれないが、それでも彼女の体力不足は否めないようだ。

 

「いっそのこと体力作りも兼ねて筋トレでも始めてみるか?」

 

「怪しい宗教勧誘はお断りなんですけど」

 

「今なら特典でプロテイン2袋付けるけど、どうだ?」

 

「なんでそれで頷くと思っちゃたのかなぁ」

 

「すごく痩せれるぞ〜」

 

「もともと痩せてますー。というか神崎君には私が太って見えるの?」

 

岩田は不機嫌そうに眉を顰めた。これは失言だ。別に岩田をデブだとは思ってはいないが、悪いように受け取られたらしい。

 

「すまん。失言だった。そもそも岩田は可愛いから筋トレとかの必要もなかったな」

 

「それ本気で言ってるの?」

 

岩田は怪訝な顔で見つめてきたが、俺は構うことなく続けて言った。

 

「そうだけど。普通に考えて可愛いだろ。背が高くてスタイル良いし、部活も勉強も、いっつも怠そうにしながらも頑張ってるじゃん」

 

まぁ、課題の件なり、体操服の件なり、性格が悪いというか俺に対してはやや当たりが強い時が多いような気がするけど、それもお茶目の範疇に納めておくことにした。

 

「そっか…」

 

すると岩田は機嫌を治してくれたのか、照れていることを隠すよう小さく喜んでいた。まぁ、こっちとしても好感度を稼ぐことを狙っていたわけではないけれど、せっかくジュースを奢ったのに余計な一言で嫌われてしまったら堪っものではなかった。

 

だから丸く収まったと安堵したいところであったが、それとは別に気になっていることがあった。俺は周囲を見渡してから、岩田に尋ねた。

 

「そういえば梅田はどこだ?アイツにもジュース買って来たんだが…」

 

「あー、あの子ならーー」

 

岩田がそう言いかけたときトロンボーンの音が聞こえてきた。この真っ直ぐと芯の通った音色は三年生でも野口先輩達でも出せない。間違いなく梅田だ。

 

今は休憩時間であるというのに、こんなときでも練習をしているとは殊勝な奴だと感心した。吹いているのはサンフェスで演奏する曲だ。先輩の頭にスライドをぶつけてしまってから崩れてしまった部分を何度も何度も、失敗した記憶を塗り消すように繰り返して吹いている。

 

「気張ってるな」

 

俺は呟いた。すると岩田は神妙な面持ちをして言った。

 

「無理もないよ。先輩の頭にスライドを当ててからずっとペースが乱れていたというか、臆病になっていたからね。その感触を拭いたいんだと思う」

 

「まぁ、無駄に真面目風だからな。笑って誤魔化せば良いことを必要以上に気にしてしまうんだろう。ただ、俺が梅田の位置だったら積極的に当てにいくけどな」

 

「ああ、確かに。神崎君ならやりそうだね」

 

岩田は笑いながら言った。うん、普段の俺と先輩の険悪具合から考えたら妥当な反応だろう。だが、それはそれで大問題である。

 

「やるわけないだろう。楽器が泣くだろ」

 

どうやら偏見があるらしい。彼女のイメージでは俺は楽器の損傷よりも私怨を優先する奴だとは思われているようだ。それは心外だ。今は堕落しているが楽器を大切にする吹奏楽部員である。だから線引きというか真面目な反応をすると岩田は宥めるように言った。

 

「はいはい、分かってますよ。ただ梅田さんがなかなか立ち直れないのは神崎にだって責任はあると思うよ」

 

「どういう事だ?」

 

「梅田さん焦っているんだと思う。神崎君ってものすごい勢いで上達するから、練習していないと追い越されてしまいそうで怖いんだろうね。今日の練習だって結果的には最後まで上手く吹けてたのは神崎君だけだし」

 

「推測じゃなくて梅田がそんなかんじのことを言っていたのか?」

 

「言ってはないけど、ここのところ、ずっと神崎君を意識しているようだったよ。気付いていなかった?梅田さん合奏の時はずっと神崎君のこと見てるし、個人練の時もいつも神崎くんの姿が見える場所を選んで練習してるんだけど」

 

「何のために?」

 

「多分、神崎君の練習を見て、自分に発破をかけてるんだと思う」

 

そうなのか。一応、音が聞こえるので梅田が近くで練習していることは知っていたけど、俺は今日も元気に吹いてるなぁとくらいしか感じていなかった。だから、そんな気持ちで練習をしていたなんて思いもしなかった。というか信じられなかった。

 

「一応確認しておくけど別の可能性とかはないのか」

 

「たとえば?」

 

「俺に惚れてるとか?」

 

ついに俺にモテ期の到来か⁉︎

 

「いま、真面目な話してるんだけど」

 

「ごめんなさい」

 

岩田がまるでゴミでも見ているかような蔑んだ目を向けてきたので、ぺこりと謝罪した。

 

それにしても梅田にライバル意識か。これは梅田に限らずとも吹奏楽をやっていればよくある話だった。年下や歴の短い奴に追い越されそうになって危機感を覚えることなんてざらにある。

 

だが、こればっかりは仕方がない事だ。複数の人間が同じ事をやっていれば、どうしても優劣は生まれてくる。その差をどう捉えるかは個人の主観によると思うのだが、岩田はどう思っているのか、気になったので訊いてみた。

 

「岩田にはそういう気持ちはないのか?」

 

「うーん、どうだろう。まぁ、最初に音を聞いたときから持ってるものが違うって分かってたし、すぐに自分を追い越すことは予想できてたから、そこまでショックはなかったかな。それでも、梅田さんは話を聞く限り中学のときからトロンボーンに命懸けていたっぽいからね、絶対に負けたくはないと思ってるだろうね」

 

負けたくないか。そいつは俺を買いかぶりすぎだな。

 

「過剰評価だよ。今の俺に張り合う価値なんてないぞ」

 

そう言うと、岩田が目を細めて「え?何言ってんだコイツ」と言わんばかりの視線を向けてきた。分かってるよ。現にごぼう抜きで経験者たちを追い抜かしている野郎がそんなこと言おうものなら、そんな顔したくなる。別に俺だって自惚れてそんなこと言ったわけではない。それでも岩田は続けて言った。

 

「一応聞くけど慇懃無礼って知ってるよね?」

 

「知ってるよ。だけど、本音を話してしまえば俺にとってトロンボーンは遊びだよ。勉強の合間の気晴らしに過ぎない。そんな奴と競うなんてどうかしている」

 

そう、俺にとってこんなものお遊びに過ぎないのだ。中学で果たしてしまった全国大会出場、その興奮と熱病に頭をやられてしまった俺は生半可な吹奏楽では満たされないようになってしまっていた。そして、高校生になったとき、受験勉強をしながら中学のときと同様に全国出場を目指して吹奏楽に命を懸けた日々を送ることができるかと聞かれたら、俺にはその自信がなかった。だから俺は吹奏楽を諦めた。尚、選んだはずの勉学の道から脱線してここにいるのだが。

 

「まぁ、その気持ちも分からなくは無いんだけどね。私だって活動がゆるいから入部したわけだし」

 

「そういう意味ではなんだかんだ言って本質的には俺も三年の先輩と変わらないのかもしれないな。部活動なんてほどほどでいいと思っている」

 

情熱はここにはない。梅田は依然と練習していたが、疲れ果てた3年生の主張により、その日のマーチング練習は再開する事なく終わりを迎えた。

 

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