霍青娥は欲深い仙人である。自らの欲求には常に正直であり、目的の為なら外道の術を行使することも厭わない。その名は中華全土に知れ渡り、事件ある所にあの魔性ありと言わしめるほどだった。
天下の知る人であった青娥であるが、その半生は孤独である。深い繋がりを持とうとせず、山の中に隠れて暮らしてきた。邪仙である彼女がまるで仙人の模範解答のような生活を送ったのには、其れ相応の訳がある。
簡単な話、そこら俗物に興味がないのだ。
強い者が好きだった。故にその者に取り入り、自分の存在を英傑の人生に刻み込むのが何よりの快楽であったのだ。
中華に飽きを感じ、極東の島へと渡り、大器たるモノを兼ね備えた皇子に道教を伝授したのもそう。青娥は何時だって強い者の味方だった。
少し時が経ち、またひとり青娥のお目にかかった者がいた。漢詩人として都に名を馳せるかの者は、強烈な魅力を持っていた。
人ひとり程度なら軽々と持ち上げるほどの剛力、口に入る物なら何でも食べてしまうほど豪胆。それでいて思慮深く、人を見る目に優れていた。
そして、その嘆美な詩は妖の心さえも崩すと謳われ、人々は
青娥が興味を抱かないはずがなかった。蓮も咲かない泥沼のような欲望が彼女の心を埋め尽くした。心酔してしまった。
あの手この手を使い、青娥は『よしか』の気を引こうとした。不思議な術に、大陸の調度品、そして不老不死と。
しかしかの者はそれらを一笑に伏し、優れた話術の前には子供のように軽くあしらわれてしまう。
聖徳王ですら籠絡せしめた己の駆け引きが全く通用しない事に、青娥はひどく驚嘆した。またそれと同時に、かの者の才だけではなく、人柄にも惹かれ始めていた。彼女は本気でかの者に入れ込んでしまったのだ。
かの者は時折、人目を忍び荒れ果てた門にて、隻腕の鬼と詩を詠み合っていた。鬼は決して姿を見せず、詩を褒め称え、下の句を返すだけ。
鬼に対して嫉妬を抱いた青娥は、かの者に幾度も諌言を繰り返した。「相手は人喰らう鬼である」「いつか貴方を攫い、喰らう事を狙っているのかもしれない」と。
だが、聞き入れなかった。鬼ですら優れた詩人の前では恐るるに足らない存在であるらしい。
「鬼に漢詩の如何たるを講釈垂れるなど滅多な事ではない。僥倖だ」
ひたむきに詩を愛するその姿は、まるで無垢な子供のようだった。
その姿にやはり心打たれつつも、心を砕く対象が自分でなければ意味がない。嫉妬が憎悪に変わるのは時間の問題だった。
幾許かの時を経て、鬼は姿を消した。
それから間を置かず、かの者は流行り病に冒され、死の床へと近付きつつあった。心身を蝕まれ、まるで死体のように窶れてしまった。
詩を書き残す気力さえ尽きかけていたが、その創作意欲は衰えるどころか日に日に増していく。取り憑かれたかのように、詩を呟く。
青娥はかの者を献身的に介抱し、時には代わりに詩を書き留めた。だが、決して病を治す為の踏み込んだ治療を施すことはしなかった。
流行り病の正体は知っている、治療方法も心得ている。しかし、このままの状態であれば『よしか』を独占できると青娥は信じていた。
もはや仙人、邪仙ともつかない中途半端な存在に成り果てていた。その姿は痩せ細った『よしか』よりも惨めなものだった。
とうとうかの者は息も絶え絶えとなり、死を待つのみとなった。もはや、仙術でさえも意味を成さない段階であった。
痛烈な後悔を胸に抱きつつも、青娥の歪んだ心は、安らぎに似た満足感に満ちていた。なけなしの償いの為、後を追って添い遂げようとすら思っていた。
ふと、泡のようなか細い声がかの者の口から零れ落ちる。もしかしたら自分への遺言かと思い、青娥は耳を近付けた。
「かせん、しにたくない、しぬのはいやだ」
『よしか』は事切れた。
骸の傍らで、青娥は崩れ落ちた。邪仙の瞳から流れ出る涙の意味に、彼女は終ぞ辿り着くことはなかった。
その日以来、二人を見た者は居ない。
百余年を経た後、何処ぞの山奥で二人を見たという者も居たが、果たして同一の者であるかは、誰にも分からない。
その者曰く、二人は、かつてと変わらぬ若々しい姿で、健やかに暮らして居たそうだ。
遂に仕へを止めて金峯山に入り、 其の終る所を知らずなりしと云ふ。
かくて百余年を経たる後、或人大峯山に詣でて、岩窟の中に人の居るを見て、 誰人にて渡らせ給ふぞと尋ねければ、我は是れ都良香と云ふ者なりと答へしによりて、 良香の仙人となり居ること、世にも知らるゝことゝ成りけるが、 其の時の顔色少しも衰へず有りけるとかや。
『本朝神仙伝』(抜粋)
『日本三代実録』──「姿態軽掲、甚有膂力」より