宮古芳香は夢を見下ろした。
枯れていくこの想いは、果たしてただの勘違いなのか? いつかの日か、遠い夢の中で忘れたモノも同じだった。
腫れ物のように焦ったくて、病魔のように纏わりつく不快感。
底がないほどに落ちているような、そんな感覚。水面はどんどん遠ざかっていく。
心を掴めない、触れることすらできない。
己を知ることは能わず、それにこだわる意味すら忘れた。打ち棄てられていく思考。
寄生された蟲のように、支配され、朽ち逝く。病の果てに、腹の内に黒いモノを孕んだ気がした。これが自身の罪という物なのか。
罪というなら、そうなのだ。
誰かの為だけに生きていきたかっただけなのに。貴方の為だけに、生きていきたかったのに。
どうして心は壊れてくれなかったのか。
こうして時折、自分の朽ち果てた思考と身体を覗きながら、苦しみ続けるのだろう。そしていつか忘れて、思い出して、また嗤う。
自身が流す涙の訳も知らないまま、死と夢の狭間を彷徨うのだ。
あなたさえ──今、欠けて、消えてゆく。
澄み渡る秋空を仰いだ。目一杯視界に収めたくなったが、首が固くて思うように曲がらない。すとん、と地に倒れた。
悪くない。
では、舞い散る紅葉を棺としよう。
「おー」
どう表現したものか。
込み上げる変なモノに対して、訳も分からず声を上げてみる。取り敢えず声を出せばどうにかなると思った。
ゆっくりと悲しげに、或いは極めて憂鬱で緩慢。そんな表情で唸る。
時折、こうして景色に見惚れては、胸の奥からナニカが持ち上がるような、そんな感覚に苛まされていた。煩わしくて仕方ない。
家に帰れば青娥が直してくれる。彼女が少し弄れば、しばらくは煩わしい『それ』に悩まされることはない。
伸びきった腕を地面に叩きつけ、その反動力で直立する。棺としていた紅葉が風に煽られ、飛んでいった。やはり、何故だか残念だった。
「貴方が宮古芳香さん、でよろしいでしょうか」
「ん、誰だあぁ?」
呼び止める声に身体を反転させる。舞い降りたのは包帯ぐるぐる巻きの大怪我をした女。多分、初めて見る者だった気がする。
だが彼女からは、主人と同種の匂いがした。
「そのやんごとなき格好は仙人様だな! 私の主人は此処にはいないぞぅ」
「ええ、みたいですね。彼女はとても身勝手で利己的な人、そう簡単に会えるとは思っていません。貴方も、苦労されてるでしょう?」
「青娥を悪く言うのは、良くない!」
備え付けられた闘争本能が過敏に反応し、牙を剥く。これに対して、仙人は謝意を込めて一礼するに留めた。
「ふふ、かの仙人が使役する死体。どのような者かと思い、要らぬ探りを入れてしまいました。申し訳ない」
「なんだ悪戯か。ほどほどになー」
「ぞんざいに扱われている死体がこれほど綺麗なわけがない。よく手入れされているのでしょう」
「おぅ。肌のケアには気を使ってるぞぉ」
「そうですか。それは良かった」
朗らかに笑うその姿に、とてもじんわりとしたもの感じた。コレも嫌いだ。やっぱり今日は悪い事ばかりだ、と。らしくもなくうんざりする。
そんな死体の存在もあやふやな心情を察したのか、仙人は目を細めて首を垂れた。
「近くに居ないのなら仕方ないですし、それでは、日を改めますね。お忙しそうなところ失礼しました」
「おー構わんよ。じゃーなー」
手を振る事はできないので、身体全体を振り回して別れを表現した。そんな姿に微笑ましいものでも感じたのか、仙人は微笑みながら、死体の頬を撫でる。別離を惜しむかのように。
「また会いましょう。……さようなら」
そうとだけ言うと、仙人は身を翻し、色艶やかな山へと消えていく。
残された『死体』は、やはり気持ちの悪いものを感じずにはいられなかった。触れられた頬が爛れたように熱を帯びていた。
何の問題もない。痛みを感じるすべはない。気に留める事ではない。
決して──何も──。
「──今度こそ、本当に死ねるといいですね」
『よしか』は、何も聞かなかった事にした。
本当の愛を知っていたのはにゃんにゃんだけというオチです。
ちなみにこれは関係のない話ですが『よしか』が流行病に罹った時期は、当時四煌と呼ばれていた黒谷ヤマメの全盛期でもあります。そしてそのヤマメを討伐し、後に賢者となるほどの名声を手に入れたのが華扇なんですよね
なんでヤマメと戦ってたんでしょうね?