―――1年前の冬。
パシ、パシ、と卓に麻雀牌を打ち付ける音が響く。
もう外は暗闇に包まれている時間帯。
冬真っ盛りのこの時期、晩成高校のある奈良県には雨が降っていた。
さほど激しいわけではないが、教室の窓には次々と雨粒が降り注いでいる。
もうとっくに最終下校時刻は過ぎた。
教師と警備員の人に無茶を言って下校時刻を引きのばしてもらっている麻雀部だが、それでもそろそろ限界の時間だろう。
「リーチ」
静かに捨てられた牌が横を向く。
そしてその言葉を宣言したと同時に、点箱から千点棒を取り出そうとするが。
「ロン」
その千点棒はいらないとばかりに倒された手牌は、同時にその半荘の終局を意味していた。
一瞬の静寂が、その場に広がる。
外の雨音がやけに大きく聞こえるほどに。
その静寂を破るように、サイドテールの少女が席を立つ。
「もう帰るわよ、由華。明日も早いんだし、洗牌は明日の朝私がやっておくから」
最後に手牌を開いたやえの口から、対面に座る由華に声がかかる。
結局今日一日打って、由華は一度もトップを取れていない。
途中から3人麻雀に切り替わった後も、由華の成績は振るわなかった。
やえからの声を聞いても、由華の顔はなかなか上がらない。
隣に座る同級生の紀子が、心配そうに由華の顔を覗き込んだ。
由華が、手元にあった牌を一つ握りしめる。
「……やえ先輩、もう一局、もう一局だけ付き合っていただけませんか」
「あんた……さっきもそう言ったじゃない。今から半荘打ったら9時になるわよ」
「東風でもいいんです……今、今何か掴めそうなんです」
絞り出すかのような声。
やえも、由華が相当精神的に追い込まれていることは知っていた。
初めてのインターハイ。由華はボロボロになるまで狙い撃たれ、晩成は1回戦で姿を消した。
その責任を1番感じているのが由華。
1年生ながら出場したわけだし、気にすることはないとやえは思っているのだが、由華自身はそうはいかなかった。
やえの役に立ちたくて入った晩成。
それがむしろ足を引っ張る結果になってしまったのだ。
研鑽を積む時間はいくらあっても足りない。
やえが一つ大きくため息をつく。
「まったく……先生からどやされるのは私なんだからね」
「ありがとうございます……!」
一度学生鞄を持ち上げて帰ろうとしたやえだったが、仕方ないと言った表情でもう一度鞄を降ろす。
卓の中央にあるボタンを押すと、機械的な「オーラス続行です」というアナウンス。
由華がサイコロを回しながら、下家に座る紀子に申し訳なさそうに振り返った。
「紀子もし時間あれだったら帰っていいからね」
なんとも曖昧な言葉。
ここまで付き合わせて申し訳ないという気持ちが由華の言葉に表れていた。
しかしそんな言葉を受けてなお、紀子は微笑んだまま。
「いいよ、大丈夫。ここまで来たんだしなにか掴んで帰ろうよ」
「……助かる」
心の底からそう思っている由華から出た、感謝の言葉。
山が自動卓から上がってくる。
由華が深呼吸して、自身の手牌と向き合い、打牌する。
来年は、絶対に今年のような結果にはならない。
由華のその強い意志が、衝動が、体を突き動かしていた。
また、パシ、パシ、と打牌の音が響く。
ふと、由華はやえからもらったたくさんのアドバイスを思い出していた。
隣にいるやえの顔を見ていると、この短い数か月の間で、どれだけ自分の成長を期待して時間を割いてくれていたかを実感する。
まさに今この時間もそうだ。
『自分を曲げない。どれだけ鳴かれても、腰据えて。あなたの麻雀をしなさい』
『練習であっても、負け続けるのはよくないわ。勝ちグセは常につけておくこと』
『勝ちたい。誰かのためでもいい。自分のためでもいい。勝ちたいという意志はどんな状況でも忘れないで』
勝ちたい。
負けたくない。
やえの……晩成の力になりたい。
教室の外は、相変わらず雨。
先ほどまでと違い、少し激しくなってきた。
進んでいく由華の手牌。
集中していく意識。
雨音は、もう由華の耳には届かない。
「ツモ」
由華 手牌
{①⑥⑥⑥⑧⑧⑧東東東南南南} ツモ{①}
どこか遠くで、雷が鳴った。
東1局 親 恭子 ドラ{二}
注目の決勝トーナメント1回戦が始まった。
親の配牌を受け取った恭子は、理牌を終えるとここに座る面々を見渡す。
事前の資料にも穴が開くほど目を通したが、それでも対策は十分とは言えない。
麻雀と言う確率が絡む競技だからこそ、完璧な対策というのは難しいものだ。
まずは下家に座る白水哩へと視線をやる。
(白水は強い。団体戦でも由子に稼ぎ勝っとるし、間違いなく地力は全国トップクラスや。目立った得意スタイルが無いっちゅうんも、対策が組めんから厄介やな……)
新道寺女子の制服に身を通した彼女の横顔は真剣そのもの。
団体戦ではないのでやらないのかと思っていたが、彼女はやはり配牌を見た後一度手牌を手前に倒していた。
ジンクスなのだろうか。
彼女のスタイルは、王道そのもの。
基本面前派だが、打点や待ち、速度が絡めば積極的に鳴いてくる。
恭子が牌譜を眺めていた時に感じたのは、多恵に打ち方がよく似ているということだった。
そつがなく、どんな状況にも対応できる打ち手。
警戒は怠れない。
恭子の視線は、逆側に座る由華に移る。
(巽もまあヤバイ。普通に打ってる時もアホみたいに打点高いわ、鳴ける牌スルーしたら大体持ってきてるわで困るんやけど……一番あかんのは最高の状態っぽくなったら手が付けられんことや。そうなる前に勝負をつけたい相手やな……)
恭子は由華が手を付けられなくなるほど強くなる状態を知っている。
団体の2回戦で見せたあの和了り。
彼女に火をつけたらいけない。そうなる前に決着をつけるのが、恭子にとってのベストと言えた。
そして最後に睨みつけるような視線を感じて、対面を見やる。
(そして言わずもがな、コイツが一番ヤバイ。ありえへん速度でこっちの宣言牌狙ってくるもんやから、おちおち聴牌もとれん。小走の速度を常に読まなければ、今日ウチに勝ちは無い。……ようわからんけど狙われてるみたいやしな!)
そこまで考え終わった後、睨みつけられている視線を振り切って、恭子が第一打を切り出していく。
南家である哩がツモり、牌を切る。
一巡目のその牌から、局は動いた。
「ポンや」
哩が第一打に切った{東}。
これを恭子が鳴く。ダブ東だ。
鳴かれた哩と、それ以外の2人にも緊張した空気が走る。
(末原……常に最速を生きとる。団体決勝ば見とったばってん……間違いなく速度に関しては高校ナンバーワンやろな)
恭子は自己評価が低い故に気付かないが、対戦相手からしたら恭子も厄介極まりない。
常にロンと言われる可能性がある状況で打つというのはそれだけ大きなプレッシャーになるのだ。
8巡目 哩 手牌
{②②④赤⑤⑦⑧345六七八南} ツモ{⑥}
哩が聴牌にたどり着いた。
第一打で{東}を切っていった哩の手は配牌から形が良い。
ダブ東を切る価値があったということだ。
予定通り平和系の手に育てた哩は、躊躇なく千点棒を取り出す。
卓を支配する王者がいたとしても、そこに変わりはない。
「リーチ」
宣言牌としておかれた{南}に、声はかからない。
やえが気に食わなそうに哩の方を見やりながらツモ山へと手を伸ばす。
やえ 手牌
{⑦⑦⑧⑨⑨一二二二三五六七} ツモ{⑨}
掴んだ牌は{⑨}。
やえが目を細めて哩の捨て牌を確認。
宣言牌の前の手出しは、{⑧}。
嫌に違和感のある打牌だ。
(間に合わせられたわね……)
哩は一つ工夫を入れていた。
{④⑤⑦⑧}といういわゆる2度受けのターツは、両面ではあるが強くはない。
なので普通であればポンして聴牌を取れる{⑧}は残しておきたい牌だったが、哩はこれを{南}より先に処理した。
やえの特性を理解しているからこその、先打ち。
かわされたことを理解し、おそらく待ちは{⑥⑨}であろうと考えたやえは、手から{⑦}を切り出していく。
これでも聴牌はキープできる。
ツモれば満貫の聴牌だ。
しかしこの局、もう哩にもやえにもツモ番が回ってくることはなかった。
「ツモ」
和了を宣言するその発声と同時、手牌が開かれる。
由華 手牌
{③③③34999西西西北北} ツモ{赤5}
「2000、4000」
開かれた由華のその手牌に、明らかに空気が変わる。
恭子と哩の表情は驚愕。
(一手替わり四暗刻……!まさかやろ……!!)
(来よるか……)
巽由華の特性。
この早い巡目でのその形。
一方由華の上家に座るやえは……好戦的に笑っていた。
「いいじゃない由華……そうでなくちゃ……面白くないわ」
由華がゆっくりと前を向いた。
その瞳は、
敬愛するやえ先輩へ。
あなたのために強くなったこの全力をもって、
今日私はあなたを超える。
団体戦決勝の実況解説は
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すこやかペア
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知らんけどペア