小走やえは、この団体戦決勝に並々ならない想い入れがある。
団体戦決勝に出ている人間であれば皆そうではないかと思うかもしれないが、小走やえはその中でも特別だった。
二回戦で、頼もしい後輩たちに助けられた。
準決勝で、多恵と最高の戦いをすることができた。
そして迎えることができた、何度も夢に見た団体戦決勝の舞台。
万感の思いがある。
決勝は、絶対に負けられない。
因縁の相手、チャンピオン宮永照を倒すために、やえは決勝前日の夜中まで照のデータを凝視していた。
ホテルの一室、光源は机の上に置いてあった簡易型のライトと、目の前にあるパソコンの画面のみ。
時刻は既に夜の十一時を回っている。
難しい顔で頬杖をつきながら、やえは照の牌譜を見つめていた。
「……やえ先輩」
そんなやえの後ろに、一つの影。
ふと後ろを振り返れば、この二年とにかく共に時間を過ごした後輩。
「……由華。悪いわね、先に寝てていいのよ?」
「私やえ先輩と同じ布団じゃないと寝れないんです……」
「寝言は寝ていいなさい」
なぜか身体を捻りながら意味の分からないことを言う後輩に対して割と辛辣なやえ。
まあこの程度のことはいつも通りのやりとりなので、由華も「ひどくないですか?!」と笑っている。
一つ、間があって。
「……やえ先輩は先鋒なんですし、早くお休みになられた方が……お体にさわりますよ」
「そうなんだけどね……」
やえの瞳は、未だにパソコンに映った照の牌譜を眺めている。
やるべきことはもう決まっている。それでもまだ、何か明日勝つための要素があるのではないかと探す手を止められない。
なによりも、後悔をしたくないから。
やえが、ポツリと言葉を漏らす。
「……あんた達のおかげなのよ。団体戦の決勝に来れるなんて、夢にも思わなかった。あんた達が必死で連れてきてくれたこの舞台に立てること、本当に嬉しく思ってる。だから……だから、後悔したくない。やれることは全部やりたい。明日が私からあんた達に残せる、最後の大仕事だから」
最高の形で、最高の贈り物を後輩たちに残したい。
やえの言葉に、嘘は無かった。
間違いなく自分一人の力ではここまで来ることはできなかったから。
そんな時、ドン、と大きな音を立てて、扉が開く音が響く。
「やえ先輩いいいいいいい~~~~!!!!」
「やえせんぱーーーーーーーい!!!」
「やえ先輩!!!!」
「ちょ、あんた達なんで起きてんのよ!!」
いきなり扉を開けて入ってきた後輩三人の姿に、やえがたじろく。
しかしやえが椅子から立ち上がるよりも早く、盗み聞きしていた一年生二人がやえにとびかかった。
「やえ先輩の言葉、響きました……!」
「絶対明日勝ちましょうね……!!!」
「暑苦しいわ!それに何時だと思ってんのよあんた達は……!」
やえがはがそうとするものの、憧と初瀬の二人がくっついて離れない。
わいわいと騒がしい三人。
そんな様子を、由華と紀子が微笑ましく見守っていた。
「ついに、ここまで来たんだね由華」
「そうだね……」
思い返すのは、由華と紀子が入学した当時のこと。
やえ一人が部を支えていたあの時代。
あの時一人ぼっちだったやえは、今こうして後輩と笑顔で話せている。
この光景こそ、由華と紀子が目指した景色。
ついに、ここまで来た。
「絶対に勝とう」
「……うん」
やえの三年間を、笑顔で終わらせられるように。
南一局 親 怜
点数状況
1位 白糸台 宮永照 141600
2位 姫松 倉橋多恵 100400
3位 千里山 園城寺怜 81600
4位 晩成 小走やえ 77400
『聞こえますでしょうかこの大歓声!三倍満……!!!三倍満が飛び出しました!!トップ目のチャンピオンから一閃!!これでまだ先鋒戦の行方はわかりません!』
『ただ、まだ点差は開いてるからねい……!いやー!とりあえずこのままゲームセット、なんてことにならなくよかったよ』
多恵の強烈な三倍満が決まった。
点差はまだあるものの、まだまだわからない。
視聴者にそう思わせるだけの和了。
怜 配牌 ドラ{二}
{②③14一三四七八九東南白} ツモ{2}
良くはない。
最後の親番となったこの南一局を活かすべく、怜が丁寧に理牌する。
(チャンピオンの連続和了が終わって、親が落ちた……この親でなるべく稼ぎたいんやけどな……)
怜が意識を集中させるも、右目の反応はない。
先ほどから一巡先すらも視える時と視えない時が分かれるようになってしまった。
(一巡先も視えない私に、価値なんかあるんかなって思ってたんやけどな。今はもう、そんなネガティブなこと考えてる暇ないわ)
未来は視えなくなったが、幸い頭痛の類は消えた。
怜は最後まで自分の力を信じて戦い抜く決意をしたのだ。
多恵 配牌
{②④3467二四五白白西北} ツモ{一}
(配牌は良くない……けどここは真っすぐ行っていい場面。貪欲に和了りを目指そう)
呼吸を整えた多恵が、配牌を見つめながら鳴く箇所を決める。
和了りはもちろん欲しいが、打点も欲しい。単純に残り四局で五万点近い差を埋めなくてはならないのだ。
大きく息をついて、一打目を切り出す。
ここから先は、一牌たりともロスできない。
四巡目。
親の怜が牌をツモってきて……瞬間、怜の表情が歪む。
危険信号を伝えるように、怜の未来視が発動したのだ。
(そんな……!!まさかやろ……!……ッ!どうにかして、変えないと……ッ!)
大粒の汗が、怜の額を流れる。
自分が和了れるとか和了れないとか、問題はそこではない。
何故、何故そこの手牌が開かれる?
前局、悪夢のような連続和了を、三人がかりでなんとか止めることに成功した。
かなりの傷を負う結果になってしまったが、致命傷には至る前に止められたというところ。
それほど宮永照の連続和了は恐ろしく、手が付けられない。
本当にようやくといったところで、チャンピオンの親番を引きずり下ろした直後の局。
そう、今は直後の局。
『おいおいおいおいちょっと待て。今止めたばっかだろうが』
『なんという強さ……!まだ、まだ手を緩めないと言うのでしょうか……!』
悪夢は甦る。
「ツモ」
照 手牌
{①②③2466三四五七八九} ツモ{3}
「300、500」
『宮永照、止まらず……!!ここから先は自分一人で和了りきるつもりなのか……!!本当に……本当に恐ろしい打ち手です……!』
『まずいねい……ここから全員親番を蹴られたら、それこそチェックメイトだ』
照の右腕が、徐々に回転を始める。
南二局 親 やえ
照の連続和了は、最初の和了を和了らせないことが重要。
しかし照はその一番止めたい最初の和了を、技術で補うことができてしまっている。
平均聴牌速度が上がった照というのは、まさに鬼に金棒なのだ。
瞬く間に、三人はまたしても窮地に立たされた。
二巡目 照 手牌 ドラ{③}
{③③⑥⑦23456七八八九} ツモ{②}
照の連続和了は、点数が徐々に上がっていった方が良い。
徐々に上がっていくことが、照の支配力を押し上げるのだ。
とすると、今回のこのドラドラの手牌はいただけない。
照が次に和了りたいのは500、1000の2000点の和了りだ。
ドラが二つあっては、どうやっても2000点にはならない。
照は迷いなく手牌から{③}を切り出した。
五巡目。
「ポン」
そんな時、照の上家に座る多恵がポン発声。
多恵 手牌
{一一三四五六六七白白} {横南南南}
(やらせないよ、宮永さん)
その余裕を、このメンツが早々簡単には許してくれない。
照の目が、一層細くなる。
多恵に混一の聴牌が入りそうなことを見越して、照が萬子を先に切り出す。
多恵に多面張聴牌を入れられてしまっては厳しいからだ。
十一巡目 照 手牌
{②③⑥⑦1234567八八} ツモ{③}
照がこのドラを、少し嫌そうに手牌の上に置いた。
多恵に聴牌を入れさせないよう回っていたら、時間がかかり過ぎてしまった。
二巡目に切ったドラを残しておけば聴牌だった形だが、それでは打点が上がりすぎる。
2000点を目指す照にはいらない牌。
幸いダブ南を鳴いている多恵に筒子は安い。
平和ドラ一の2000点を目指すべく、照はこのドラをそのまま切り出した。
照にはこの癖があった。
目標打点にするために、手牌の受け入れをあらかじめ決めてしまう癖が。
そこに付け入る隙があると見出したのは……昨日の夜中だった。
その隙を、小走やえは見逃さない。
やえは勝てる方法をギリギリまで探し続けた。
だからこそ、待ち選択は迷わない。
自分のため。
そして最後まで自分を信じてついてきてくれた、後輩達のために。
解説席に座る咏がクスリ、と小さく笑う。
『「大器晩成」……って言葉、知ってる?』
『……確か故事成語でしたか』
『そうそう、今では一個人に使うことが多くて、後に大成する人のことを大器晩成型……なんて呼ぶらしいけどさ、元々は「大きな器は、完全な器ではない」って意味だったらしいんよね』
『……はあ』
『大器……つまり大きな器は、完成するのに時間がかかる……小走ちゃんはさ、晩成高校っつー環境の中で、一人ですべてを為そうとした。……ケドそれじゃ、「大器」を満たすには至らない』
曰ク、大方に隅ナシ。大器ハ晩成ス。
『もちろん辛い事もあっただろうさ。ケド、最終的に最高の仲間を得て、一人だけじゃない、仲間の想いも背負うことで。小走ちゃんは本当の意味で、“王者”っつー「大器」に、「晩成」できたんだとしたら……彼女にとって晩成高校は、最高の環境だったんじゃねえかなあ』
「ロン」
晩成の王者の鉄槌が、うなりを上げて振り下ろされる。
最初の一年間は、厳しい一年だった。
自分が活躍できても、部内での肩身は狭く、思うように発言すらできない日々。
二年目に、たくさんの仲間が辞めた。
やえはいつの間にか一人ぼっちだった。
しかし、新しい一年生が、自分を慕ってついてきてくれた。
愚直に歩み続けるやえの後ろ姿に、ついてきてくれる後輩ができた。
そして三年目の今年、気付けば後ろには、多くの信頼できる仲間がいる。
小走やえという『大器』は、晩成高校という環境で苦しみ、もがき、それでも懸命に努力することをやめず。
この最後のインターハイ団体戦で、『晩成』したのだ。
刮目せよ。
王者小走やえの瞳が、燃えている。
やえ 手牌
{①①②②③⑥⑥⑦⑦⑧⑧⑨⑨} ロン{③}
「36000……!」
照の捨て牌が、やえの鉄槌によって砕け散った。
『決まったあああああ!!!なんということでしょう!!晩成の王者小走やえ!!!チャンピオンから三倍満の直撃だああ!!!』
『待ち取りを迷わなかったねい……チャンピオンが二巡目に切り出した{③}に、目敏く狙いを定めたか……』
照が初めて、目を丸くする。
この局、やえが多恵にダブ南を鳴かせたように見えた。
だからこそ、本手は多恵であると信じ、やえへの警戒がおろそかになった。
去年は、暴れまわるやえを、多恵がうまく手綱を引いている印象だったから。
しかし今はどうか?
しっかりとやえも連携を取り、こちらを殺そうと的確に罠を張ってくる。
今の局は、照の目線からどちらが本手かわからなかった。故の放銃。
王者と騎士は、寸分の狂いもなく自らの喉元に剣先を突きつけてくる。
照が手のひらに浮かんだ汗を、眺める。
照は知った。
……そうか、この感情が。
焦り か。