インターハイ団体戦決勝前夜。
「白糸台の中堅、渋谷尭深についてですが」
「あ~、あのよく美味そうにお茶飲んどる」
お気に入りのバインダーとレーザーポインターを持って、末原恭子は姫松メンバー全員の前に立っていた。
いよいよ決勝ということで、準決勝で当たっていない2校の情報を全員の頭に入れるべく、姫松メンバーはミーティング中。
逆側のブロックを偵察してくれていたデータ班から情報を受け取り、赤阪監督代行と恭子で取れる対策を考え、それを全員に伝える時間。
高校麻雀において『情報』は貴重なのだ。
相手を何も知らずに卓につくことがどれだけ恐ろしいか、恭子は身をもって知っている。
『敵を知り、己を知れば百戦して危うからず』。常勝軍団姫松は、勝つための最善を取ることにこだわってこそだ。
「基本的に中堅戦のマークは江口……それは変わりませんが、この渋谷も侮っていい相手やありません。彼女のこのデータを見てください」
恭子が手元のパソコンをいじると、メンバーの前にあるモニターにとあるデータが映った。
それを見ながら、恭子がレーザーポインターで指し示す。
「これは渋谷尭深がこれまで大きな手……倍満以上を和了した局の結果を示してます」
「オーラスばっかりなのよ~」
「ってかほぼオーラスは全部和了ってませんか?恐ろしい能力やな……」
白糸台の中堅、渋谷尭深の能力は、オーラスに真価を発揮する。
そのことは既にメンバー全員が把握済みだ。
「今大会最多の役満数、その力は伊達やありません。ただ、ここで注目してもらいたいんはもっと別のところです」
恭子の言葉を受けて、全員が押し黙る。
そうなのだ。渋谷尭深がオーラスに強いことはもう知っている。彼女の対局を見ていればそれは一目瞭然なのだから。
では、それを踏まえて恭子が洋榎に伝えようとしていることはなんなのか。
「多恵。なんか気付いたか?」
「ん~……そうだな……気になるのは全部役満は32000点……つまり子の時しかないよね」
「それや」
恭子がもう一度エンターキーを押す。
次に出てきたデータは、渋谷尭深の西東京予選から含めた牌譜だった。
「渋谷尭深は予選含めてここまで、一度も『北家』になっとらん。つまり親でオーラスを迎えたことがないっちゅうことです」
「え、いいじゃないですか。親でやられるより点数低いんですし……」
「漫ちゃん、考えてみ。別に明日の決勝も北家にならんのなら別にええ。……けど、もし仮に渋谷尭深が明日北家を引くようなことがあれば」
「親で役満を和了されることがあるっちゅうことですよね……あ、そうか」
親が和了ると何が起こるか。漫もようやくそこで合点がいった。
「連荘なのよ~!」
「オーラス最高配牌のその先……何が待っているかわからないってことだね」
「そういうことや」
もし全ての局の一打目が配牌になるのなら……役満を和了した局の一打目も配牌に加わることになるのか。
はたまた全く違う法則が顔を出すのか……。そこから先はデータがない以上推測でしかない。
が、楽観視できないことは、漫も気付いたようだ。
少しだけ張り詰めた空気。
しかしそれは一瞬だけだった。
「あんたの子やなし孫やなし~ウチは案じるより団子食う~」
指揮棒は爪楊枝。
愉快な歌を披露したたれ目の少女は、実に呑気に、いつも通り椅子を逆側から座っていた。
「……部長、ホンマに大丈夫なんですか?」
「心配性やなあ~恭子は。まったく心配あらへん。ちゅーか対策なんか元から一つしかないやろ」
どっこいせ、と洋榎が椅子の上に立ち上がる。
非常に行儀の悪い行動であるが、ここにそれを咎める者はいない。
「とどのつまり、
堂々と言ってのける。
それができれば、確かにそれ以上の対策などない。
そしてそのぐらいのことをやってのける実力がある、とここにいる全員も思っているからこそ、彼女の論に反対できない。
「ふふふ、そうだよね。洋榎なら、間違いなくできるね」
「あったりまえ体操第三や。よ~く見とき。ウチが全部抑えつけたるわ」
どや顔で言い放つ洋榎に半分呆れ顔の恭子。
これ以上何を言っても無駄か、と早々にあきらめて、恭子は副将戦の対策に移った。
また椅子に逆側で座り直した洋榎が、明日の対戦相手のデータを真剣に眺めている様子を見て、多恵が笑う。
(油断や慢心なんかじゃない。自分の実力を誰よりもわかっているから分かる、客観的事実。それを基に判断が下せるからこそ、洋榎は強いんだ)
あまりにも頼もしいチームメイトの姿。
洋榎は絶対に負けない。
姫松のメンバー全員が、それを信じて疑わない。
『さあインターハイ団体戦決勝中堅後半戦が始まります!この団体決勝もついに折り返し!ここからの5半荘で、今年の日本一の高校が決まります!』
『いや~楽しみだねえ~。正直どこが優勝するかまだ全然わっかんねー。視聴者の皆も、最後までよろしくな~!』
対局室に揃った4人が席につく。
全体の照明が落ち、自動卓にのみスポットライトが当たれば、それが対局開始の合図だ。
インターハイ団体戦決勝中堅後半戦開始。
東家 千里山女子 江口セーラ
南家 晩成高校 新子憧
西家 姫松高校 愛宕洋榎
北家 白糸台高校 渋谷尭深
東1局 親 セーラ
憧 配牌 ドラ{⑧}
{②④⑦⑧⑧⑨358二八白中} ツモ{⑦}
(さて……と)
大きく深呼吸をしてから、憧がもう一度周りを見渡した。
相手は超強豪校の実力者3人。自分は去年まで団体戦は1回戦敗退続きの高校の1年生。
字面だけ見れば、憧が劣っていることは百も承知だ。
どこかで見かけた事前の予想記事でも、中堅戦は晩成不利と書かれていた気がする。
(ま、関係ないんですケドね!)
やることは決まっている。
すぐにでも全員の親番を流しに流しまくって、できればトップで初瀬へとバトンタッチ。これが理想だ。
(渋谷尭深が北家で、もう前半戦みたいに守りの化身のアシストは期待できないとか、さっそく江口セーラの親番、とか。そーゆーのは一旦置いておいて……今私にできるコト!)
席順も変わって、今度は洋榎からの手牌が透けているかのようなアシストは期待できない。
オーラスの渋谷尭深対策も怠れない。
しかしそれら全てをごちゃごちゃと考えることは得策でない、と新子憧は知っている。
良くも悪くも、自分にできることは一つだけ。
4巡目。
「ポン!」
{⑦}を河に放ったセーラの眼光が鋭くなる。
憧のポン出しは{⑨}だ。
憧 手牌
{②④⑧⑧3568二二} {横⑦⑦⑦}
『さあさっそく仕掛けていきましたよ晩成高校のルーキーコンビの一人、新子憧選手!後半戦もアクセル全開ですね!』
『遮二無二鳴いてるように見えるかもしんねーけど、実はそうじゃねえんだよなあ。ちょっと無茶な仕掛けに見えても、打点と和了りやすさがかみ合ってることが多い。今回も{⑦⑦⑧⑧⑨}の形から鳴いたわけだけど、{⑦}はドラ表示に1枚で鳴けるのはこれがラストの牌。他の形はタンヤオ系でドラが2つ。和了りやすさを考えたらこの仕掛けはめちゃくちゃありじゃね?知らんけど!』
『それにしても、こうめいいっぱい行くのは怖くないんですかね……?親はあの打点女王なわけですし』
『そりゃこええだろうよ!けど{8}は親の江口セーラの安牌。まだ生牌だった字牌残すよりも、良い選択なんじゃねえの?』
麻雀中級者ぐらいになると、『安牌を持つ』という思考が常にできるようになる。
しかし、だからといって3枚切れの字牌をいつまでも残していては、重なることもない、メンツになることもない牌を1枚抱えているだけの、無駄な1枚になってしまう。
であるから、全員の安牌があるかどうかを確認しながら仕掛けをしていくことができる打ち手というのは強い。
鳴きを駆使する打ち手にとっては必須のスキルだった。
7巡目。
「ポン!」
もう一度声が響く。
今度は洋榎が切った{二}に食いついた憧。
憧 手牌
{④⑤⑧⑧568} {二二横二} {横⑦⑦⑦}
(よしっ一向聴……!)
打点も伴っている。
まずは一度目の江口セーラの親番を止めるべく、憧は積極的に動いていた。
(江口セーラの下家ってのも大きい。ツモ番を減らせる……!)
8巡目
憧 手牌
{④⑤⑧⑧568} {二二横二} {横⑦⑦⑦} ツモ{北}
(生牌……)
憧の手元にやってきたのは、生牌の{北}。
まだ江口セーラから聴牌気配は感じず、切るならむしろ今しかない。
憧はそっとその牌を河に置いた。
「ポン」
(え……?)
その発声は、意外な所からだった。
いや、北家に座っている、ということであれば意外でもないのだが。
尭深 手牌
{一二三赤五六八八南西西} {北横北北}
自風牌を鳴いて前に出たのは、渋谷尭深だった。
(渋谷尭深が和了りにきてる……?基本自分の親番以外は、親に連荘してもらった方が得なこともあるから静観する姿勢だったはずだけど……)
そう思い、尭深の河を見れば、一打目に並んでいるのは……{④}。
(渋谷尭深が三元牌でも字牌でもなく数牌を一打目に選んだ……ってコト?狙いを変えた……?気味悪い……!)
ここまで尭深の河に三元牌は出てきていない。
三元牌が手の内になかったから中張牌を切ってきた、とも考えられるが、これまでであればそれでも字牌を切っていたはず。
明らかに今までにない行動。
しかしそんなことを思考している時間は、残念ながら憧には与えられなかった。
ガタン、という点棒を開く音を聞いて、憧の背筋に冷や汗が流れる。
「リーチ!」
勢いよくセーラから放たれた牌が、横を向いた。
ビリビリと電撃が走っているかのように幻視されるそれ。
自分の心を奮い立たせながら改めて、憧がセーラの河を見直す。
セーラ 河
{581(⑦)四三}
{発白中横③}
(マジで意味わかんないけどヤバすぎるでしょ……!)
現物以外切りたくなくなる。
まさにそんな河を目の当たりにして、憧の手が震える。
しかし、これを見逃すほど、憧はヤワではなかった。
「……チー!」
素早く手の中から{④⑤}ターツを晒して、現物の{8}切り。
これで憧も{47}待ちの聴牌だ。
「やるんか晩成の?」
「あったりまえでしょ……!」
挑発気味に笑いかけてくるセーラに負けじと、憧も気合を入れ直す。
全部行くつもりはないが、この両面待ちは有利であると憧は感じていた。
索子は全体的に安く、かつ、捨て牌からしてセーラの手は対子手の可能性が高い。
対子手ということは、待ちが単騎かシャボになりやすい。
(行くところまで行ってやる……!)
打点も3900ある。十分だ。
「チー」
そんなやりとりを気にも留めず、尭深が鳴きを入れる。
洋榎がセーラの現物である{四}を切って、それを両面チー。
1枚切れの{南}を切って、臨戦態勢。
({南}も江口セーラに対して七対子なら本線の牌なのに……!渋谷尭深、勝負にきた……!)
東1局から場が沸騰する。
それを見て、セーラが再び獰猛に笑った。
「おもしれえ!」
持ってきた牌を河に叩きつける。
その牌は憧に先ほど持っていかれた{③}の代わりに横を向いた。
10巡目 憧 手牌
{⑧⑧56} {横③④⑤} {二二横二} {横⑦⑦⑦} ツモ{九}
(うっ……!)
嫌な牌だ。
対子手が予想されるセーラには生牌のこの牌は切りにくいし、今まさに押してきた尭深は萬子模様。
当然この牌は切りにくい。
(東パツでこれはやりすぎ?……けど、他の牌だって通る保証なんてない……か)
流れる汗も気に留めず、憧は思考の海に潜る。
これを打つメリットと、打ち込んだ際のデメリットを比較して、計算する。
実に微妙なライン。
もう一度呼吸を整えて、憧は前を向いた。
大きく振り上げて、河へ1枚の牌を切りだす。
その牌は……{九}。
憧の導き出した答えは、押し、だった。
東1局から激しいぶつかり合いの様相を呈してきた中堅後半戦に、早くも会場が熱を帯び始める。
『新子選手押しました!これは相当怖い牌だったと思いますが……!』
『いや、いいんじゃねえの~!事実待ちは晩成のコの待ちが一番優秀で山に残ってそうだし、もし仮に千里山の打点女王を七対子と仮定するなら、白糸台のトコに固まってそうな萬子は選びにくいはずだしな。知らんけど!』
『繊細な押し引きで聴牌キープ!新子選手、晩成高校の攻撃的な麻雀をこの決勝でも十分に感じさせてくれます!』
『さあ、こうなったらこの勝負は晩成のコが有利なんじゃねえの?』
『あ、いや、それがですね、実は一番優秀な待ちは晩成じゃないんですよ……』
『マジかよ!単騎とシャンポン待ちの2人の方が待ちの枚数多いのかよ?』
『あ、いえ、そうではなくてですね……』
実況の針生アナが言葉に詰まる。
実はこの状況で一番有利な待ちは憧ではなかったのだ。
「へえ~……随分楽しそうやないか」
思い出されるのは、前半戦最終局。
最高潮に達そうとしていた会場の熱を刈り取ったあの和了。
守りの化身が、ぐりぐり、と持ってきた牌を1秒ほど盲牌。
そしてどこか満足気に、その牌を小気味よく手前に
「ウチも、混ぜてくれや」
洋榎 手牌
{⑨⑨1234赤5678三四五} ツモ{9}
少しだけの静寂の後。
会場は大歓声に包まれる。
「4000、2000や」
前半戦とは違うぞ、と。
まずは守りの化身の挨拶で後半戦は幕を開けた。