日も傾き始め、先ほどまではピークに達していた暑さも、今は多少おさまった。
が、ここインターハイ会場の熱気は、冷めることはない。
インターハイ団体戦は中堅戦を終え、ついに副将戦。
テレビの画面には副将戦に出場する選手の紹介映像が流れ、現地でもモニターに同じ映像が流れている。
インターハイの中でも最も注目される団体戦。
その決勝戦は凄まじい視聴率を誇る。
そして今年は特に、最高の世代とも呼ばれる『宮永世代』が3年生ということもあって、時間を問わず視聴率は高い数値を維持していた。
副将戦開始時 点数状況
1位 姫松 123100
2位 千里山 101700
3位 晩成 93600
4位 白糸台 81600
『さあ、勝負は副将戦に移ります!中堅戦ではやはり、プロからも注目を集める姫松のエース愛宕洋榎選手と、千里山の江口セーラ選手が点棒を増やし、このような点数状況になりました!』
『いやーおもしろかったねえ~!毎回区間ごとにこんなにおもろい試合してくれるのは解説もしがいがあるよねえ~』
『愛宕選手は休憩時間でもお伝えした通り、この大会で無放銃記録が期待されていたのですが、最後におそらく差し込みという形ではあるものの……放銃となってしまいましたね』
『いやーあのコがそんな記録に頓着してるわけねーだろ!頭の片隅にもそんなこと入ってなかったんじゃねえの?』
『え、そういうものですか?プロのリーグとかだと少しタイトルみたいなのも意識すると聞きましたが……』
『まあそーゆー人もいるだろーけどさ。まあ……間違いなくあのオーラス、あのコの目にはチームの勝利しか見えてなかった。自分の記録なんて、知りもしなかったんじゃねえのかなあ。……ま、知らんけど!』
実況解説の2人が話しているこの時間、観客や視聴者は、それぞれが中堅戦に想いを馳せ、そしてこれから行われる副将戦がどのような展開になるかを予想し合う。
朝早くから対局を見に来ている観客達はかなりの時間麻雀を見ていることになるのだが、それでも彼彼女らは疲れたような様子は一切見せない。
1年に1度きりの祭典。そこにかかる熱量は選手たちも観客も同様だった。
千里山女子控室。
セーラの奮闘により、1位と2万点差ほどにつけた2位に順位を上げた千里山女子。
とうの本人は全く納得いっていない様子だったが、チームメイトからしたら値千金の大活躍だった。
これでセーラはこの団体戦は全戦プラス。それもこの決勝以外は全てが2万点以上のプラスを積み上げて帰ってきている。
頼もしすぎるチームの大黒柱。
そしてその中堅戦からのバトンを受け取る選手が、副将戦が始まるギリギリの時間までノートパソコンにかじりついている。
そこに表示されているのは、対戦相手の特徴、注意点、弱点。何度も何度も見たものではあるものの、それでも全てが頭に入っているとは言い切れない。
麻雀という競技は、常に偶然がつきまとう。が、その中にも必ず必然はある。
彼女は自分が引き出せる必然のために、努力することは怠らなかった。
『まもなく、副将戦開始です。出場選手は、対局室に集まってください』
「……ここまでか」
小さく呟いて、彼女はノートパソコンを閉じた。
軽く深呼吸をした後、お気に入りの眼鏡の位置を正す。
「……ほな、行ってきます」
「船Q頑張ってな~!」
「おー、気張りや!」
今の今まで声をかけられなかったことが、チームメイトからの信頼の証拠。
浩子が基本的にチームメイトの助けになるデータを集めていることを知っており、そのために自分の対戦相手の分析にかける時間が減っていることもわかっている。
だからせめて、この直前は思う存分自分の時間に当てて欲しいという思いを浩子は感じたのだ。
付け焼刃と侮ることなかれ。
この直前に入れた情報が、役立つ時可能性は、0でない。
0でないのなら、そこに時間を割く価値がある。
「浩子」
「?」
今まさに控室を出ようとした浩子に声をかけたのはセーラ。
彼女はづかづかと浩子の隣まで歩いてくると、勢いよく浩子に肩を組んだ。
衝撃で、線の細い浩子が簡単によろめく。
「なんですか……」
「見せつけてこいや。こっから2時間ちょいか?この2時間ちょいだけは、ジブンが主役や」
「……」
ニコッと笑うセーラ。
勢いよく背中を叩かれて、浩子は控室をつんのめるように後にする。
控室からの声援を感じながら、浩子は扉を閉めた。
(主役……ですか)
正直、あまり実感はわかない。
今までの人生、1度だって主役だったことがあっただろうか。
周りにはたくさん、主役になりうる人達がいた。
何の因果か、親戚にアホみたいに強い人がいたのだから、それも仕方のないこと。
いつも比べられるのが辛いと思うほどに、突出した存在。
更に質が悪いのは、それが『才能』の一言で片づけられないことを知ってしまっているところ。
あれがただの『才能』だと言いきれればどれだけ楽だったかわからない。
そしてその親戚と、いつからか一緒に暮らすようになった1人の人間。
浩子にとってその人物との出会いは衝撃的とも言えるものだった。
親の影響もあり、プロと呼ばれる人達と散々打ってきた浩子が、明確にこの人は別種だと思わせる人物。
プロと打っても全く上達した気分にならなかった浩子が、初めて自分が上手くなっていることを自覚させてくれた相手。
そしていつしか浩子は思うようになった。
『目の前のこの存在こそ、私が目指せる“強者”なんじゃないか?』と。
いつも笑顔で麻雀を打っていたあの彼女は、先鋒戦でとんでもないものを見せてくれた。あれが、主役と呼ばれる人間の麻雀だとするならば、浩子は納得できる。
(ま、私は主役っちゅうより)
もう一度、お気に入りの眼鏡の位置を歩きながら正した。
少しだけうつむいているその表情は、周りからは良く見えない。
その表情は、とても主役と呼ばれるようなそれではなく。
(
妖しく歪んでいた。
東家 姫松 真瀬由子
南家 白糸台 亦野誠子
西家 晩成 岡橋初瀬
北家 千里山 船久保浩子
『お待たせしました!インターハイ団体戦決勝副将戦、開始です!』
けたたましく鳴るブザーと共に、対局室の照明が落ちた。
団体戦決勝の副将戦が、始まる。
東1局 親 由子
配牌 ドラ{西}
{①②②④267赤五七八九東南白}
(う~ん、洋榎ちゃん風に言うなら、とってもビミョーなのよ~)
トンパツ親番は由子。
自分の役割を十二分に理解している由子だからこそ、この配牌は判断に困る。
由子としては、このままの点差で大将戦に行く、でも構わない。
守備をし続けて点差をキープできるほど甘い相手だとは思っていない。
かといって、無謀な攻撃をすれば、それもまた相手に反撃のチャンスを許してしまうことになる。
常人ならば、思わず守備的に打ちすぎて点棒を減らしてしまうものだが……。
その絶妙なバランス感覚を有しているのが、常勝軍団の副将を務める、真瀬由子という打ち手である。
(ツモと相談なのよ~!)
由子が選んだのは{南}。
麻雀のセオリー。自分の下家が一番鳴かれたくないため、その風牌を処理する。
とても地味だが、大切な作業。
「ポン」
しかしこれに反応したのが、白糸台の誠子。
副将戦の場は、即座に緊張感で満たされる。
『対局開始です……といったすぐさまから動きましたね!副露率実に60%を超える白糸台の亦野選手が仕掛け!役牌の南をポン発進です!』
『副露率60%超えってマジかよ!普通高くても40%くらいのもんだろ?やべー副露率してんなあ~』
白糸台の副将、亦野誠子の特徴は、鳴き仕掛けにある。
晩成の憧、姫松の恭子。鳴きを得意とする打ち手は数あれど、そのどれとも違うスタイルを貫くのが、亦野誠子だ。
(3副露すれば、5巡以内に必ず和了れる……わけわからん能力のように見えて、あなどれん能力やな……)
(いきなり鳴かれちゃったのよ~!)
同卓者ももちろん、誠子の能力については理解している。
上家に座ってしまった由子としては、ここから先も鳴かれないことを意識しなくてはいけなくなった。
(せっかくの親番やけど~……ちょっと厳しそうやね~)
もう一度自分の手牌を見る由子。
ここで誠子に3副露を許して和了られるのと、自分が和了れる可能性を少しでも高くすることのどちらを優先すべきなのかを考える。
どちらにせよ、積極策は取れなさそうだな、と由子は考えていた。
9巡目 浩子 手牌
{③④赤⑤⑦23488四五六七} ツモ{6}
(メンタンピン赤のくっつき一向聴。場況というよりも、後々危険になりそうなこの牌は切っておきたいとこやな)
浩子の対面に座る誠子は由子が切る牌が厳しいということもあり、まだ1副露だ。
あまり危ない牌を残しては危険か。そう判断した浩子は今ツモってきた{6}を切りだす。
「ロン」
浩子の表情が、僅かに歪む。
和了を意味する言葉が発せられたのは――対面だ。
誠子 手牌
{⑦⑧⑨45678西西} {横南南南} ロン{6}
「3900」
『副将戦最初の和了は白糸台亦野誠子!!軽やかに3900点を和了りきりました!』
『へえ~……なんかこの子はやたら手牌を短くしないと和了れないのかと思ってたケド……』
『確かに、亦野選手はこれまで3副露からの和了が多かったですね。1副露での和了は今大会初めてでしょうか!』
『なるほどねえ……これで相手3人は釘を刺されたってわけだ。“1副露でも油断するなよ”ってな』
浩子が点棒を渡し、手牌を倒して一つ息をつく。
(データにない事、そらやってくるわな。まあええ。そのくらいなら、想定内や)
素知らぬ顔でサイコロを回す誠子。
白糸台かて、無策ではない。
それはこれまでの戦いで十二分に分かっていたつもりだったが、まだ甘かったようだ。
(情報はつねに更新を要求されるってわけや……面白い)
副将戦はまだ始まったばかりだ。