いつも感想をくれる方も、たまに感想をくれる方も、ありがとうございます。
感想をくれる方がいなかったらとっくに投稿やめてるので……。
残り僅かとなってまいりましたが、最後まで楽しんでいってくださいな!
前半戦南3局が終わった頃。
この大将戦が始まってから重苦しい空気が漂っている白糸台の控室で、姿勢正しく座っていた一人の少女が、おもむろに立ち上がった。
「私、淡のところに行ってくるね」
「おい照、まだオーラスがあるだろ」
出ていこうとする照の右手を、菫がすんでのところで掴む。
実際、まだオーラスが残っていて対局室に向かうのはそれからでもいいだろうというのは至極真っ当な意見だ。
しかし、照はそれでも首を横に振る。
「オーラスの結果も、なんとなくわかるから」
「……照、お前……」
菫の制止を振り切り、照は控室の扉を開けた。
バタン、という音と共に照の姿は見えなくなる。
「宮永先輩、大星にどうしても伝えたいことでもあるんですかね?」
そう捉えることもできるだろう。心配そうにそう話す誠子の意見もわからないでもない。
しかし菫は照が出ていった扉を見つめなかがら、全く別のことを考えていた。
あの、表情。感情の起伏が乏しい照ではあるが、今出ていく寸前の照の表情はどこか……寂しそうに見えた。
(照……まさかとは思うが……お前最初から……)
思えば、中堅戦が始まってからずっと照の様子はおかしかった。
普段はだいたい控室で皆の帰りを待つことが多かったのに、中堅戦では休憩中に尭深の所へ行き、副将戦では帰ってきた誠子をわざわざ出迎えた。
他から見れば、上級生として、先輩として、またチームのエースとしてあるべき姿。褒められて然るべき態度。
しかしそれは長年連れ添ってきた菫からすれば違和感として目に映る。
拳を、強く握りしめた。
菫はこのやるせない感情を、どこに向けたらいいのかわからなかった。
長い廊下を歩く。
観客席からは少し離れたこの場所からも、確かに会場に充満する熱量は感じられる。
なにせ、全国の頂点を決める戦いがクライマックスなのだ。盛り上がるな、という方が無理がある。
宮永照はそんな会場の一角を、眉一つ動かさずに歩いていた。
控室から対局室までは、そこそこの距離がある。何度か曲がり角を曲がって、階を移動して……。だから休憩中に控室に戻るか、そのまま対局室に残るかの選択肢が生まれるわけだが。
そんな曲がり角の一つを曲がったところで、照は思わぬ人物に出会う。
「ったく、言い切ったからにはもう一発くらい大きいの和了りなさいよ……」
やってきた少女は、スマートフォンを横に持った画面に夢中でこちらには気付いていない。
とはいえ、こちらから声をかけるほど親密な仲でもないので照は困った。
立ち止まって、声をかけるべきか否か。
しかしその葛藤は、サイドテールの少女がこちらに気付いたことによって解消される。
「……!……奇遇ね、チャンピオン」
「もうチャンピオンじゃない」
「あらそう。まあ、確かにそうかもしれないわね」
小走やえ。
先鋒戦で鎬を削り合った相手。
「……ってかあんたオーラス見なくていいワケ?随分と余裕かましてくれるじゃない」
「……」
「悪かったわね、ウチの由華が。あんたのとこの大将の1年ビビらせちゃったわね。……まあ、私が大将でも同じことしてるだろうから、あんまり説得力はないだろうけど」
「……大丈夫」
「?」
大丈夫?
照の言葉の意味がわからず訝しげに照を見つめるやえだったが、やがて諦めたようにため息をついた。
ここで会ったということは、目的自体は一致しているのだろうことは想像がつく。
ゆっくりと歩き出した照に合わせるように、やえも同じ場所に向かって歩き出す。
特に話すべきこともないので、無言の時間が続いた。
やえはやえで神妙な顔つきでスマートフォンを眺めているし、照も特にかける言葉は無かった。
だからずっとこのままだろうな、とやえは思ったが、意外にも沈黙を破ったのは照の方。
「小走さんは、後輩を信頼してるんだね」
「……?ええ、まあ。あの憎っくき辻垣内に忠告されたからね。……今は誰よりも信頼してるわよ」
そう、と小さく答えた照が、また歩き出す。その背中に、やえは違和感を覚えた。
今の問い方、そして、今オーラスを見ていない彼女の姿勢。
……ある仮説がやえの中で成り立って、気付けばそれを口に出していた。
「……あんたまさかとは思うけど……あの大将の1年生が負けると思ってるんじゃないでしょうね」
「……」
照は答えない。
少し歩みを止めただけで、しばらくしてその足は再び動き出す。
「……うそでしょ?本気で言ってるのあんた」
沈黙は肯定。そう捉えたやえは、信じられないものを見たという目で照の後を追う。
強引にその左肩を、掴んだ。
「勝つと信じて送り出したのよね?あなたが負けた後も必死に戦ってる子達を、全員」
こちらを無理やり振り向かせたやえの表情は、痛々しかった。
叱責するというよりは、そうであってほしいと願うような表情。
その表情が、嫌に照の胸に突き刺さってしまうから。
照は視線を、床へと逸らすことしかできなかった。
「私は、これが後輩達の成長につながればいいと思ってる。私は去年学ぶことができたけれど、あの子達は、知らなかっただろうから」
「……ッ!あんたね……!」
今度こそやえは、正面から照を睨み据えた。
「あんたはわかってたんでしょ?今日の先鋒戦、あんたから感じた努力は、嘘じゃなかった。じゃなきゃ私が後れを取るはずないもの。ってことはあんたはもっと前から気付いてたんでしょ?」
「……」
照は答えない。
答えることができない。
「あんたの後輩達がどんな性格なのかとか、どんな打ち手なのかとか、詳しいことは知らないわよ。なにせ私は団体戦でここまで来ることが初めてだしね。けど……試合を見てたらわかる。全員、優勝を諦めてなんかいなかった!あんたが先鋒戦で負けて、おそらく初めての敗戦を目の当たりにしてもなお、あんたの後輩達は戦ってた!」
悲痛な叫びが、照の胸を撃つ。
わかっていた。そんなことは誰よりも。
「そりゃあんただけが悪いなんて言わないわよ……指導者が、やるべきことなんだから。でも、もっと後輩達に伝えることができたんじゃないの?去年の個人戦決勝は飾り?インターハイチャンピオンになっていい気分、それだけだったわけ?!」
「それは、違う」
「そうでしょうね!忘れもしないわよオーラス終わった後放心状態だったあんたの表情を!じゃあ、何か、何か伝えられたんじゃないの?今も尚必死で戦い方を模索してるこの大将の1年にも!」
言い返せるはずもない。
今やえに突っ込まれた部分は、照が感じる後悔そのものだ。
掴まれていた左肩から、やえの手が離れる。
「あんたの目には、きっと映ってもいなかったのね……」
誰のことを言っているのか、照にはわからない。
力なく下ろされた右手。立ち尽くしたままの照を置いて、やえは再び歩き出した。
「最後まで、信じてあげなさいよ。まだあのコだって、諦めちゃいないでしょ。まあ、それでも優勝はウチの由華がもらうけど」
照を置いて、やえは前を歩き出す。
苛立ちを隠せない乱雑な動作でスマートフォンをポケットから引っこ抜いて、インターハイ中継にアクセスし直した。
「バカみたい……あんたまるで……」
やえが感じたやるせなさ。
思わず口に出してしまった、余計なお世話。
何故口をついてでてしまったのか、やえは自分でわかっていた。
「……去年までの私みたいじゃない」
小さく呟かれた言葉。
今の照は、過去の己を見ているようで……耐え切れなかった。
時間は少し巻き戻る。
前半戦南2局の開始時、淡がダブルリーチをしなかった時点。
集中力を研ぎ澄ませた一人の打ち手の脳内に、信頼できる親友の声が聞こえてくる。
『お~竜華、この手牌は和了れるかもしれへんで。道筋、見よか?』
ふよふよと周りを飛び回っているようにすら見える怜。相変わらず可愛いなあ、と場違いなことをふと考えて。
しかし竜華は息を吐くと、首を横に振った。
『怜、大丈夫。ここは、私に任せて』
『……竜華、ええの?』
『そら怖いよ。勝てる保証なんてない。きっと怜が教えてくれる道筋は正しいんやと思うよ?せやけど……』
竜華の脳内。
思い出すのは、今日の昼休憩中の一幕。
昼食を頬張りながら言った怜の一言。
『先が見えへん麻雀も……わるないな』
曇りのない笑顔でそう言った怜の表情は、竜華に衝撃を与えた。
この1年、勝つためにたくさんの努力をしてきた。
怜は一巡先が見えることを活かした努力を。竜華も自分の長所を更に伸ばす努力を。
けれどこの大一番。結果的に最下位だったものの大きな疲労もなく帰ってきた怜。
竜華にしてみればいつも無理をしすぎる怜が、無事に帰ってきてくれたことだけで十二分に嬉しいのだが。
それだけでなく、あの先鋒戦を楽しかった、と言い切る彼女が、どうしても眩しく見えた。
だから。
『ウチも、胸張って帰りたい。この麻雀が、楽しかったってそう言いたい。もちろん、勝って、やけどね』
『……ふふふ。竜華は欲張りさんやな』
『せっかくの大舞台やで?欲張らな、ね?』
『ほなら、ウチの出番は無さそやな、たま~にちょっかい出したるわ~』
『ちょっかいやなくて応援てゆーてよ怜~』
特別なことなんて無くて良い。
怜が近くにいてくれる。
それだけでこんなにも心は温かくて。
スゥ、と竜華の意識は深く沈む。
この1年、誰にも負けないと思って努力をしてきた。
その集大成を、今日見せる。
(研ぎ澄ませ。あの日の怜の涙は、無駄にはせん……!)
正しい努力が、結果に結びつくとは限らない。
けれど、成功する確率は努力で上げることができる。
これも、この1年で磨いた力。
自信をもって、前に出よう。
怜と笑顔で、また会うために。
「ツモ」
竜華 手牌
{⑤⑤⑥⑥4477五五七七八} ツモ{八}
「3000、6000」
清水谷竜華の、千里山女子の戦いは始まったばかりだ。