ニワカは相手にならんよ(ガチ)   作:こーたろ

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最終局 頂の景色

 

 

 麻雀は運のゲーム。

 

 確かにそう言われた時に反論をするのは難しいのかもしれない。

 

 最善を尽くしても勝てるとは限らないから。

 プロが相手でも、素人が勝ててしまうことがあるから。

 

 理由は、いくらでも浮かんでくる。

 

 

 

 しかしこれが仮に運だけで決まるゲームだとしたら。

 

 

――何故私達は彼女達にこんなにも引き込まれる?

 

――何故私達は彼女達の輝きに目を奪われる?

 

――何故私達は彼女達の魂の戦いに……心を揺さぶられる?

 

 

 それはきっと、彼女達が積み重ねてきた研鑽が見えるから。

 青春を謳歌したいはずの年代の彼女達が重ねてきた血の滲むような努力が見えるから。

 

 

 このゲームにかける、彼女達の“熱量”に胸を焼かれるから。

 

 

 

 年に一度だけ。

 麻雀と共に生きてきた彼女達が火花を散らす夏の祭典。

 

 

 日本の麻雀を愛する人々が口をそろえて言う。

 

 その長い歴史の中でも、今年は最高の世代であった、と。

 そして最高の大会であった、と。最高の決勝戦であった、と。

 

 

 

 

 

 

 見届けよう。

 最高の舞台の、幕引きを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『ニワカは相手にならんよ(ガチ)』インターハイ団体戦編最終話 「頂の景色」

 

 

 

 

 ―これはネット雀士からトッププロへと上りつめた雀士と、全国を誓い合った4人の少女の軌跡―

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決勝大将後半戦 南四局 点数状況

 

 1位  晩成   巽由華 151000

 2位  姫松  末原恭子 128300 

 3位 千里山 清水谷竜華  98500

 4位 白糸台   大星淡  22200

 

 

 

 

 響いていた大歓声が漸く収まり始めたところで。

 会場の空気はこのお祭りの最後を目に焼き付けようという空気にシフトする。

 最後の局を一秒たりとも見逃したくない、実況解説を一言も聞き逃したくない、と。

 

 

 それはなにも会場内に限った話ではない。

 

 この大会を見ている全ての人が、この最後の局がどんな展開を迎えるのかに心を躍らせる。

 

 

 

 

 それはきっと、この大会に出場して、同じく頂点を競い合った彼女達も同じ。

 全国各地でこの戦いを見届けようとする彼女達も同じ。

 

 

 

 

 

 

 『末原に残された条件は倍満ツモか跳満直撃条件。だが、晩成とて阿保ではない。跳満の直撃など簡単に許すはずもないし、現実的なのは倍満ツモの方か』

 

 『それも全然現実的じゃナイですヨ!』

 

 

 

 

 

 

 『あちゃー、これは流石に晩成が勝ったかな?』

 

 『巽ちゃんの三倍満……本当に見事だったわね』

 

 『……まだ!!まだ終わってない!!』

 

 『……豊音……』

 

 『末原さんは……まだ諦めてないよ……!』

 

 

 

 

 

 

 

 『うわうわうわうわもーわからんですよ?!』

 

 『……倍満ツモ条件。末原の麻雀ば考えっと、厳しか条件に感じんな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 『晩成のおっかない大将つえーじぇ!』

 

 『跳直倍ツモ条件か……どう見る?久』

 

 『そうね……姫松の大将の人は完全に速攻型っぽいし、厳しいとは思うけど……』

 

 『……けど、なんだ?』

 

 『ふふふ……なんか、私は姫松が勝つ気がするのよね』

 

 『ほう?それは何故?』

 

 『だって……分がある方が必ず勝つんだったら……麻雀なんて、つまらないじゃない?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姫松高校控室。

 

 モニター正面のソファに座る漫の目には、既に涙が浮かんでいた。

 

 「なんで……なんで……末原先輩……!」

 

 「漫ちゃん大丈夫よ~。まだ、終わってないのよ~?」

 

 信じていないわけじゃない。

 けれど、南2局南3局の展開は、恭子にとってあまりにも残酷な展開だった。

 そこまで好調だった配牌とツモは一気に陰り、悪意の塊のような配牌を押し付けられて。それでも恭子は目の前の牌と向き合った。

 

 その道のりがどれほど厳しいものかがわかるから。

 わかってしまうから漫はこの感情を止められない。

 

 「なんで……末原先輩は、あんなに頑張って……!」

 

 わかってる。

 こんな愚痴がなんの意味もなさないことだってわかってる。

 

 しかし漫の頭に浮かぶのは、毎日自分たち後輩を帰した後部室に残って雀卓と向き合う恭子の後ろ姿。

 

 あんなに頑張ってきた人が、ここで報われないなんておかしいって、理不尽だってどうしようもなく思ってしまう。

 

 

 「……漫ちゃん」

 

 「……多恵、先輩?」

 

 ぽんぽん、と軽く頭を撫でられて、漫は後ろを振り返る。

 そこにはいつもと何も変わらない、多恵の姿。

 

 「恭子はね、あそこにいる誰よりも努力してきたよ。私は知ってる。恭子がどれだけ頑張ってこの3年間を過ごしてきたか。私が、一番知ってるんだ」

 

 「……」

 

 「だから、私だけは何があっても信じなきゃいけない。恭子が前を向く限り、私も前を向かなきゃいけない」

 

 多恵の瞳は真っすぐに、前を向いている。

 

 漫がその多恵の姿勢に触れて、ぐっ、と零れていた涙を拭った。

 

 「せやで、漫ちゃん。恭子はな、『必ず』勝って帰ってくる。ウチらが信じひんかったら、誰が信じんねん」

 

 「……はい……!」

 

 漫が意を決して、前を向く。

 先輩達に恥じないように。最後まで前を向く。

 

 

 その後ろで多恵は、深く息を吸った。

 

 (怖いよ。私も怖い。けど……恭子はもっと怖いはずなんだ)

 

 

 じんわりと汗が滲む手の平を見れば、昨日恭子と繋いだ体温を思い出す。

 

 

 『ウチがなんとかしたる。だから思いっきり、チャンピオンに、小走に、園城寺に。ぶつけて来るんや、多恵の3年間を』

 

 

 震えていた手を握ってくれた恭子の手もまた、微かに震えていた。

 

 ぎゅう、と強く自身の手を握りしめて、多恵は強く願う。

 

 

 

 

 

 (どうかこの対局が終わった時に、恭子と笑って会えますように)

 

 

 

 それは奇しくも、昨日恭子が願ったことと同じだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 南4局 親 由華

 

 配牌を配り終えたタイミングで、条件の確認のため少しだけ時間がとられた。

 

 条件が残ったのは3位の千里山と、2位の姫松。

 千里山は役満直撃条件。姫松は、跳満直撃か倍満のツモ条件。

 

 由華が連荘をする意味は無く、ノーテンでももちろん決着。

 泣いても笑っても、この一局が最後の局。

 

 運命のオーラスが、始まった。

 

 

 『さあ、全国高等学校麻雀選手権大会団体戦、ついにその最終局を迎えることとなりました。この局が終わった時、栄冠を掴み取るのはいったいどの高校なのか……!』

 

 『トップの晩成が親だからねい。連荘はない。絶対にこの一局で勝負が決まるんだ。だから――ここから一瞬たりとも目を離すんじゃねえぜ』

 

 

 由華 配牌 ドラ{東}

 {③赤⑤⑨14778四六東東西} ツモ{西}

 

 配牌を開いてから、何度心臓の鼓動を抑え込もうと試みただろうか。

 左胸のあたりを握りしめ、何度「落ち着け」と自分に言い聞かせただろうか。

 

 晩成の、王者の悲願はもうすぐそこまで迫っている。

 優勝旗はもう目の前にある。

 

 厳しい半荘だった。

 本当に和了れるタイミングが来るかもわからなかった。

 

 けれど、由華はやえを信じて戦って、そうしてここまでたどり着くことができた。

 

 (最後まで……絶対に油断はしない……!研ぎ澄ませ……!最後の一打まで……!)

 

 点差?関係ない。

 今ここでも凄まじいほど感じるのだ。

 

 “絶対に逃がしてやるものか”という強い意志を。

 

 このままタダで帰れるかもなどと甘い考えをしていれば、一生分の後悔を味わうことになる。

 

 (二度とあんな思いはしたくないって、誓ったんだ……!)

 

 屈辱的な敗北を喫してから1年。

 あの日を忘れたことなんてない。

 

 

――小走やえ(最高の先輩)に、優勝旗を。

 

 

 

 今由華には、晩成の全員の想いが、魂が宿っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恭子 配牌 ドラ{東}

 {⑧⑨899一二五六七九九九} ツモ{6}

 

 不思議と、頭は冴えていた。

 絶望的な状況に追いやられて、手牌にドラも赤も無いことを確認した今でもなお。

 

 恭子の頭は、条件を達成する道筋を選ぼうとしている。

 

 そうしているうちに、恭子はふと、思った。

 

 

 (漫ちゃんみたいな配牌やな)

 

 

 上重漫。

 恭子にとって、姫松にとって欠かせない存在になった1年生。

 

 次鋒戦での活躍は、本当に自分のことのように嬉しかったのを覚えている。

 

 

 (漫ちゃんやったら、萬子の下を払うんかな)

 

 

 漠然と、そう思う。

 調子が良い時は上の牌が重なりやすいのが彼女の特徴。

 そんな彼女の強みを活かすなら、きっとここは{一二}を落としていくのだろう。

 

 9の三色同刻、対々和三暗刻なんかついたりして。

 とても綺麗な倍満条件を、今の彼女ならクリアしそうだ。

 

 

 

 

――でもウチは、漫ちゃんのようなことはできひんから。

 

 

 

 

 選んだのは{⑧}。

 恭子が静かに、ゆっくりと河に牌を置いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『末原選手が選んだのは{⑧}……!チャンタ三色系は諦めて、これは本線は……!』

 

 『ああ。まったく……本当に、麻雀ってのは面白いねい……狙いは、間違いなく。先鋒のクラリンの最終局と同じ、萬子の清一色だ……!』

 

 『なんという展開……!あの想いに応えたい。末原選手の目は、真っすぐ前を向いています!常勝軍団姫松の夢は、まだ、まだ終わっちゃいないんだ……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2巡目。

 

 「ポン!!」

 

 

 2巡目 由華 手牌

 {③赤⑤4778四六西西} {東横東東}

 

 

 自然と、声が出た。

 この牌がドラであることに今は意味なんてないが。

 

 この字牌ドラを、鳴かないなんて選択肢はきっと、あの後輩達が許してくれないから。

 

 

 

 『由華先輩これ鳴かないのやっぱりおかしいですよ?!絶対鳴いた方が得ですって!』

 

 『ドラは鳴きましょうよ由華先輩。そしたら後は打点もついて多少何も考えなくても突っ込んで良くなるじゃないですか』

 

 

 

 生意気な後輩達。

 けれど、今はその想いが心強い。

 あの後輩達と過ごした数か月があるから、由華はこの選択を取ることができる。

 

 

 

 

 

 

 『晩成高校巽選手またもポン……!これも前に出るんですか?!』

 

 『ああ。結局他の2人は役満以外和了らない。姫松のコに条件を作られる前に、和了ってしまえば優勝なんだ』

 

 『し、しかし、跳満直撃条件もあります。前に出るのは、相当怖いはずですよね……?!』

 

 『いやー知らんし!……けどさ、もう知ってんだろ?あのコは()()の大将だぜ?最後はオリて、終わり。相手にツモ条件達成されたら、仕方ない。そんなスタンス、取るわきゃねー。……行くんだよ。最後の戦いだ。なんだっけ、ああ。そうそうあれだ』

 

 咏が楽し気に、その言葉を口にする。

 

――倒れるなら、前のめりに。そうだろ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5巡目 恭子 手牌

 {46899一二五六七九九九} ツモ{八}

 

 萬子の上がつながった。

 ドラも赤も無いこの手は、どうしても手役に頼る必要が出てくる。

 

 (普段の由子やったら、一通を狙いつつ赤受け残して丁寧に局を進めるんやろな)

 

 思い浮かぶのは、3年間を共にした笑顔の少女。

 感情を出すことが多くない彼女が、副将戦では和了りへの、勝利への強い意志を見せた。

 

 由子があんな顔をするんだって初めて知った。

 麻雀を愛しているからこそ、苦しみも人一倍知っている少女。

 

 どんな時も笑って、最後まで自分の麻雀を貫いた由子を、恭子は心の底から尊敬した。

 

 そんな丁寧な彼女なら、きっとここは柔軟な{9}の対子落としなんかを選びそうだ。

 

 

 

 

――でもウチは、由子みたいなことは、できひんから。

 

 

 

 

 リーチも打てて柔軟で安定感のある麻雀。

 由子の強さは、誰よりも知っている。

 

 でも今は、自分で打つしかないから。

 自分を信じるしかないから。

 

 {4}を、河に置いた。

 

 

 

 

 

 

 『萬子の清一色に向かいます……!少し時間がかかっていますが間に合うか……!晩成も和了りにきている!姫松に残された時間は長くはありません!』

 

 『おいおいおいどうなんだよマジで……!とはいえまだ晩成も2向聴。姫松から鳴ける分だけ晩成がまだ有利か……?どっちが勝つかわっかんねー!!マジでわっかんねえー!!……なあ、わっかんねーのってさ、さいっっっこうに楽しいと思わねーか?!』

 

 咏の呼びかけに呼応するように。

 最後の戦いの盛り上がりは本当のクライマックスを迎えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 7巡目 由華 手牌

 {赤⑤⑥4778四六西西} {東横東東} ツモ{⑤}

 

 

 手が、ピタリと止まった。

 いないはずの親友の声が聞こえた気がして。

 

 あり得ないはずの感覚に、こんな状況なのに少しだけ可笑しく感じてしまう。

 

 

 『点数いらないんだし出やすさ優先。赤切っておけばチーもしやすくなる、でしょ?』

 

 

 そうだな。

 紀子ならきっと、そうするさ。

 

 由華が手に取ったのは{赤⑤}。

 

 2年間一緒に戦ってきた親友の麻雀は、嫌というほど知っている。

 一時期成績が伸びず悩んでいたことも。一歩引いた構えをしている彼女もまた、胸の内には熱い想いを秘めていることも。

 

 紀子の想いも、由華は背負っているから。

 

 

 

 

 

 『{赤⑤}切り……!これは{④⑦}の出やすさを意識しましたか……!』

 

 『……まあ結局この場面じゃ他2校もおいそれと出しちゃくれねーし、あんま関係ないっちゃないんだけどな……それでも打点がいらない以上、そっちの方が得になることが多い。あんましたことないだろうに、晩成のコも、全てを出し尽くして和了りに向かってんだ……!』

 

 『一向聴……!残り山が少なくなっていくにつれて、晩成の勝利が徐々に近づいているのでしょうか……!勝負はまだ、まだわかりません!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 9巡目 恭子 手牌

 {899一二二五六七八九九九} ツモ{五}

 

 目指すべき道ははっきりと見えた。

 萬子の清一色。

 倍満への手筋は、もはやそれしか残されていない。

 

 残ったターツを全て切っていくとして、恭子は、下家に座る由華の河をゆっくりと、見つめた。

 

 (洋榎なら、残ってるターツがきっとわかるんやろな)

 

 いつも呑気に構えて、つかみどころがない我らの主将のことを思いだす。

 どうして相手の手牌がそんなに見えているのか聞いてみても、理解できないことが半分以上。

 

 何度も何度も問いただして、どうしてその結論にたどり着けるのか徹夜で考えた日もあった。

 

 彼女がたどり着いた、読みの極地。

 あんな麻雀ができたら、自分もどれだけ良かったか。

 

 弱い自分に、悩んだりすることも無かったかもしれない。

 

 

――でもウチは、洋榎みたいなことは、できひんから。

 

 

 

 全部なんて、わからない。

 せいぜい索子の上は、由華に鳴かれうる牌だということくらいしか。

 

 どうせどちらも切るのなら、内側から。

 {8}を、恭子は河にそっと置いた。

 

 

 

 

 『{9}から切っていたら鳴かれていましたが、ここは{8}から……!』

 

 『どーだろな。結局切るから、同じって思いがちだが……1枚の後先が勝負を分けること、今日ずっと見てきた人たちはわかるよねい?最善を積み重ねる姫松のコの執念が、キー牌を連れてくるかもしれないぜ……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 11巡目 由華 手牌

 {⑤⑥四四六西西} {横978} {東横東東} ツモ{④}

 

 

 聴牌が、入った。

 

 瞬間、背中に感触。

 

 その感触を、由華は知っている。知りすぎている。

 温かくて、頼りがいがあって、口調は突き放すようであっても、いつもこちらを思いやってくれる優しい人の手。

 

 

 

 (やえ……せんぱ、い……?)

 

 

 そんなはずはない。

 そんなことは分かっている。

 

 でも今確かに、背中を押された気がした。

 

 相手の聴牌打牌を撃ち抜く絶対王者の打ち筋が、見えた気がした。

 

 (そっか、こっち、なんですね)

 

 由華の身体に、不思議な感覚が駆け巡る。

 晩成の仲間達と過ごしてきた日々が。やえと過ごした日々が。

 

 今の由華を突き動かす。

 晩成優勝への道を確かに歩いている。

 

 去年果たせなかった約束を、今年こそ果たそうと教えてくれる!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『聴牌だ!!!聴牌が入ったのは晩成高校巽由華選手!!!和了れば優勝!晩成の夢はもうすぐそこまで来ています!!』

 

 『愚形聴牌……!けどまだわっかんねーよなあ!姫松の末原ちゃんも条件クリアの一向聴だぜ!おいおいマジでどうなってんだよこの試合はよ……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 12巡目 恭子 手牌

 {一二二二四五五六七八九九九} ツモ{三}

 

 

 手が、止まった。

 

 

 

 

 

 

 

 『聴牌!!!聴牌です末原選手この大一番最後の勝負で条件クリアの聴牌!!!リーチしてツモれば条件クリア!晩成から出ても条件クリア!!なんて打ち手なんだ末原恭子!!!』

 

 『まてまてまて!待ち選択がわからねえ!!こ、れは……何を切ったらいいんだ?{一五八}が候補だろ……?これ、{五}あぶねえぞ……』

 

 『ああっ……!本当です……!晩成の待ちは{五}!{五}を打った瞬間に、姫松の夢は断たれます!!しかし、しかしそれはあまりにも残酷……!』

 

 『ヤバイぞ……!見れば見るほど{五}切りが正解に見えてくる……知らんけど……!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いったいこれは、どれが、正解なんだ?

 

 頭が沸騰しそうだった。

 絶対に間違えられない。間違えられるはずがない。

 

 たどり着いた清一色聴牌。

 

 手が震えて、牌を上手く持てない。

 

 頭がどうにかなりそうになる。

 

 段々と、思考が真っ白になる。

 

 思考を止めちゃダメなのに。

 選ばなきゃいけないのに。

 

 再び暴れ出した心臓の鼓動と、完全に容量をオーバーして炎症を訴える頭が上手く働いてくれない。

 

 気付けば肩で息をしていた。

 

 左手につけたお守りがわりのブレスレットを右手で握りしめて、なんとか頭を動かそうと試みる。

 

 (どれや……どれが……どれが正解なんや……!)

 

 大きく見開いた目は、何度も何度も何度も何度も何度も。

 

 このオーラスの河を行き来する。

 ショートしそうな思考を必死に堪えて、最適解を探し出す。

 

 

 

 

 (……あっ……)

 

 

 その、瞬間だった。

 

 限界だったのもある。

 心労と疲労、脳は度重なる負荷に耐え続けていて。

 

 突如頭に鈍痛が走った。

 

 恭子が思わず強く目を瞑って、こめかみに手を当てて、痛みに耐えて―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブレスレットを握っていたはずの手が、誰かの手によって握られていた。

 その体温を、恭子はよく知っている。

 

 

 

 

 

 

 (……た……え?)

 

 

 

 

 

 

 真っ白な世界で、恭子の両手を、多恵が正面から包み込んでいた。

 

 (な……んで……って……!ちゃう、今は……!)

 

 静かに微笑む多恵に我を失っていた恭子。

 

 しかし今がどんな状況であるかを思い出した恭子は、思わず前のめりになって多恵に詰め寄った。

 

 

 「多恵!!教えてくれ!!清一色なんや!この形で、何切ったらええんかウチにはわからん……!形だけならまだしも、他の奴の手牌が読めん……!何が残ってるんか、わからないんや。頼む多恵。多恵と一緒に、ウチは勝ちたいんや!!!」

 

 

 いつの間にか、恭子の瞳には涙が溢れていた。

 状況は絶望的。

 最後の最後のチャンスでたどり着いた清一色聴牌。

 

 しかし自分が面前で清一色をやることになるなど、思いもしなかった。

 

 十分に勉強を重ねてきた自信はある。

 けれど、状況が特殊過ぎて、他者の手が読みにくい。

 

 どの牌が山に残っているか、読みにくい。

 勝ちたいという想いは誰よりも強い。絶対に負けられない。間違えられない。

 1枚でも後悔したくない。

 

 だからこそ清一色は、多恵に聞きたい。

 

 

 そんな恭子の懇願に、

 

 多恵は柔らかく笑って、

 

 

 

 

 

 

 静かに首を横に振った。

 

 

 

 

 「え……?」

 

 

 

 恭子の身体が一瞬フリーズして……その動作の意味を理解するのに、数秒を要した。

 

 

 

 「う、嘘やんな。多恵なら、わかるやろ?だって……多恵より清一色得意な奴なんか、おらんし。ウチは知っとるんや。ホンマに、すごい奴なんや。な?ウチみたいな凡人やなくて、ホンマに才能もあって努力も欠かさない多恵の選んだ牌なら、ウチは後悔せん。本望や」

 

 いつの間にか握ってくれた手を振りほどいて……多恵の両肩を掴んでいた。

 小さく、力無く、ゆする。

 けれど、多恵は少しだけバツが悪そうに、いつものような表情で苦笑いしたまま。

 

 

 「ウチは、凡人なんよ。結局この最後の最後で、自分の力じゃ辿りつけへんねん。だから、な?多恵……頼む……頼むよ」

 

 

 涙が止まらなかった。

 多恵の顔が、歪んで良く見えない。

 

 恭子の精神は、とっくに限界を迎えていた。

 

 

 

 

 そっと、流れる涙を拭われた。

 そのことに、少しだけ驚いて前を向けば……。

 

 

 いつの間にか、恭子の身体は多恵にゆっくりと抱き締められていた。

 

 

 「た……え……?」

 

 

 

 親友は、言葉を発さない。

 

 けれど、とんとんと軽く叩かれる背中の感触が、心地良い気がして。

 

 

 恭子の涙が止まったのを見計らって、多恵の身体が離れる。

 ぶらりとたれ下がった両手を多恵がもう一度握ってくれた。

 

 その、動作を、覚えていた。

 

 

 昨日の夜、恭子が多恵にしたのと全く同じだから。

 

 

 多恵の瞳が、恭子を真っすぐに捉えた。

 

 

 

 

 

 

 

 『恭子なら、大丈夫。選べるよ。だって、恭子……誰よりも努力したじゃない。……信じて。姫松の、私達の、恭子の、3年間を。――自分自身を』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目を、開けた。

 

 幸い、少し意識を手放してからそこまで時間は経ってないらしい。

 

 こめかみに当てていた手を、ゆっくりと放す。

 

 大きく息を吸って、吐いた。

 

 (ホンマに、情けないな。ウチは……最後まで皆んなに頼ろうとしてばっかりや)

 

 自分が弱くて、情けなくて、信じられなかった。

 だからこの最後の場面で、誰かを頼ろうとしてしまった。

 

 

 けれど、もう大丈夫。

 手の震えも止まった。

 眩暈も、頭痛もしない。

 

 これでもう一度、牌と向き合うことができる。

 

 凡人の私ができることは、牌と愚直に向き合うことだけだから。

 

 

 ({一}を切れば{二四五七八}待ちの5種12牌……やけど、{七}が2枚切れ。実際は10牌や。次点の{五}切り。これが{一二三六九}待ちの5種11牌。1枚も切れてなくて、枚数で選ぶならこっち……!)

 

 

 いつだって思い出せる。

 多恵と積み重ねた牌姿の勉強。

 

 多恵のようになりたくて、けれど凡人の自分は多恵よりももっと努力が必要だった。

 

 多恵ならもっと簡単にこれを導くだろう。

 枚数の多い方、正解の道筋。

 

 これで和了れなかったら後悔はない。

 

 自分も、多恵のように。

 多面張を掴み取るべく。

 

 

 

 恭子が{五}を手に取って―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――でもウチは、多恵みたいなことは、できひんから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「リーチや!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 恭子の河に横向きで置かれた牌は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 {一}だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 『放銃回避……!!なぜ、何故{一}が選べるんだ末原恭子!!待ちは{二四五七八}……ある、ある、あります!ツモれば優勝……!晩成との、めくり合いに入ります!!!』

 

 『……{五}切りが一番枚数が多かったことくらい、きっと末原ちゃんはわかってる。けど、{七}が2枚切れてて、それが聴牌を組みたいはずの白糸台と、索子の一色に向かった風に見える千里山から切られている。それも、最序盤。末原ちゃんは枚数ももちろん大きいけれど……培った読みで、こちらの待ち方が山に残っていると見極めたんだ』

 

 『なんという……!なんという読み……!この土壇場での冷静さ……!!姫松が栄冠に、手を伸ばします!!どっちだ!!姫松か!晩成か!!残りツモ番は、まだ残っています!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会場の爆発的な盛り上がり。

 誰もが全員のツモ牌1枚1枚に一喜一憂し、悲鳴と歓声を上げる。

 

 歓声がこだまして、ここ実況席までもを揺らす。

 

 そんな中。

 

 

 三尋木咏は、ぽすん、と背もたれに体重を預けて。

 

 最高の笑みを見せながら、開いた扇子を口元に当てた。

 

 

 

 

 「ああ――そうさな、じゃあ末原ちゃんに、この言葉を贈ろうか」

 

 

 

 心底楽しそうに、愉快気に。

 

 最高の舞台を見せてもらったお礼とでも言わんばかりに。

 

 

 

 「末原ちゃんみたいな打ち手はね、全国の麻雀打ちに希望を持たせる逸材なんだよ。確かに末原ちゃんは凡人だったかもしれない。けどねい」

 

 

 

 

 咏が目を閉じた。

 

 

 

 モニターの中では、1人の打ち手が、ゆっくりと手牌を開けて、和了りを宣言したところ。

 

 

 

 

 

 割れるような大歓声と、感極まって涙しながら実況する針生アナウンサーを横目に。

 

 

 咏が静かにこう唱えた。

 

 

 

 

 

 

 

 ――“凡”を極めて“非凡”に至る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “凡”であることを認めることは難しい。

 けれど、それを乗り越えて、最善を積み重ねて積み重ねて積み重ねて。

 

 彼女は“非凡”に至った。

 

 

 

 

 

 

 咏は静かに心の中で、凡を極めた少女に賛辞を贈る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――おめでとさん、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 恭子 手牌

 {二二二三四五五六七八九九九} ツモ{赤五}

 

 

 

 

 

 

 「4000、8000……!」

 

 

 劇的な役満は和了れなくたっていい。

 奇跡じゃなくたっていい。

 

 

 それでもこれが、彼女の麻雀の集大成。

 

 

 どんな時も、最善を積み重ね続けた凡人はーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最後の瞬間に、笑いながら泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰もいなくなった対局室。

 

 一つ息を吐いて、少女――巽由華は自動卓を背に階段を降りた。

 

 大歓声が遠くに響いていて、けれど、それが今はうるさいとも思わない。

 

 とぼとぼと階段を降りている途中で、対局室の扉に寄り掛かる人影が目に入った。

 いつも変わらない、トレードマークのサイドテール。

 

 

 「……待っててくれても、よかったんですよ」

 

 「……そうね」

 

 

 ゆっくりと、一歩ずつ、歩いて近づいた。

 

 

 「いやー……強かったです、末原さん。本当に。……勝てると、思ってたんですけどね」

 

 「……そうね」

 

 

 もう一歩、踏み出す。

 

 

 「絶対にやえ先輩と…皆と、ゆう、しょうしたかっ、たんですけど、ね」

 

 「……うん」

 

 

 

 踏み出す。

 

 

 

 「ほん、とうは、いまごろどうあげ、かなあ」

 

 「……」

 

 

 

 足が、止まってしまった。

 

 視界が、歪んで、ぼやける。

 

 こらえきれなくなって、

 大粒の涙が、由華の頬を伝って零れていく。

 

 

 両手で拭っても、まだ零れる。

 止まってなどくれなかった。

 

 由華の胸から溢れ出す想いが、涙に形を変えてとめどなく溢れていく。

 

 

 

 

 

 「ごめっ、ごめんな、さい。やくそく、まもっ、れなくて、わたし、やえ、せんぱいと、ゆうしょう、するって、ぜったいかつって、いったのにっ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 負けてはいけなかった。

 後輩の想いも受け取った。

 去年誓った。絶対にこの人を優勝させるために強くなるって。

 

 負けては……いけなかった。

 

 

 

 

 

 由華の足が止まった代わりに、やえが少し、近づいた。

 

 それに気づいた由華が涙でぐしゃぐしゃになった顔を少し上げれば……。

 

 

 

 「由華……こっちに来なさい」

 

 

 

 やえが、両手を小さく広げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 約束は、果たせなかった。

 

 抱きしめてもらう約束を、こんな形で果たしてなんてもらいたくなかった。

 

 

 

 

 

 

 やえの胸の中で。

 由華の嗚咽は、それからしばらく対局室に響いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姫松高校控室――――には、誰もいない。

 

 

 

 

 開けっ放しにされた扉は、勢いよく開かれたのか反動で微かに揺れていて。

 

 誰かが座っていた椅子は勢いよく後方に倒れたまま。

 それに正面のモニターは、電源がつきっぱなしで。

 

 ソファにもまだ温もりがあって。

 

 今は誰もいないけれど、そこには確かに数秒前まで彼女達がいた形跡がある。

 

 

 では、今彼女達はどこへ行ったのか。

 

 

 

 

 

 

 それは、きっと、誰だってわかること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 インターハイ団体戦決勝 最終結果

 

 1位  姫松高校(南大阪)144300

 2位  晩成高校 (奈良)143000

 3位 千里山女子(北大阪) 94500

 4位 白糸台高校(西東京) 18200

 

 

 

 優勝 姫松高校(南大阪)

 

 

 

 

 

 

 

 

 




これにて、団体戦完結です。
ありがとうございました。


前回ファンアートをもらった方に、団体戦完結お祝いでもう1枚もらいました。



【挿絵表示】

とっても可愛いイラスト、本当にありがとうございます!


エピローグを年始に1つ上げて、一度この作品は完結、という形にさせてください。
やっていない個人戦準決勝以降や、その後の話は、時間ができたら書きたいとは思っていますが、今までのようなペースでは書かないと思います。良くて月に1回、程度だと思います。

なにはともあれ、ここまで来れたことに一安心です。

もし、少しでもこの作品を楽しんでいただけたなら、高評価と、楽しかったよ、と一言でも良いので感想を頂けると嬉しいです。
それだけで、きっと作者はこの作品をここまで書いてきて良かったって、思えると思うので。


改めまして、本当にここまでお付き合いくださりありがとうございました。
今この瞬間この文章を読んでくださっている皆様に感謝を!

それでは、また。
 

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