――――――時は遡り、7月の頭。
関西麻雀連盟主催の、1年生合同合宿の季節がやってきた。
基本インターハイが決まっているメンバーは合同合宿には参加しないのが恒例なのだが、今年はたまたま日程的に3日目からは参加できそうだったので、恭子や多恵の推薦もあって漫は関西合同合宿に参加することになっていた。
この時期にチームを一時的に離れるのは痛いが、それ以上の経験ができるかもしれない、と洋榎に言われたことも大きかった。
確かに同学年と交流ができるまたとないチャンスであるし、漫もお言葉に甘えて参加することになったのだ。
3日目ということもあって、もうグループ分けが済んでいる。漫は特例、姫松のレギュラーなので、1番上のグループに入れてもらっていた。
しかし、ここで問題が生じた。同じく1年生に、団体戦のメンバーに入っている子がいるらしい。
直接対決になるかはわからないが、もし全国で当たる可能性があるのならこのインターハイ直前での対局は好ましくない。
ということで、グループは別々にし、夕方以降の自由時間で、牌譜検討はしてもよいというきまりになった。
漫にとって、初日の対局が終わった。
「ボロボロやんウチ……」
漫は泣いていた。満を持して姫松のレギュラーということで参加した漫だったが、結果は散々。
何故か他校の生徒に励まされる始末。
(末原先輩と多恵先輩にせっかく送り出してもらったのに、成果なしでしたー、はしゃれにならんで……)
日程は明日の最終日を残すのみ。
漫としては1つでも多くの経験を収穫してインターハイに活かしたかった。
そんな時。
「おーい、姫松の、上重さんだよね?」
そんな悲嘆にくれる漫の後ろから、呼び止める声。
姫松の同級生と牌譜検討をしようと部屋に戻る途中だったので、今は漫は一人だ。
後ろを振り向くと、旅館の寝間着である浴衣姿がよく似合う、茶髪をロングに流した女子と、同じく茶髪で、少しでこを出すように前髪を左に流したセミロングの女子。
もちろん漫に見覚えはない。
「えーと、どちら様やっけ?」
「ごめんごめん、私、晩成の新子憧。そんでこっちが……」
「岡橋初瀬よ」
晩成、と聞いて漫の表情が変わる。
今年も奈良の代表校は晩成。奈良は正直晩成の1強といって差し支えないだろう。
そしてその晩成に、今年1年生レギュラーが2人いる、というのも聞いていた。
「私達、対局はできないから、牌譜検討だけでも一緒にどうかなーと思って」
この提案に、漫は一瞬迷う。
もちろん、この2人の情報を得ることができるのはプラスだ。
しかし同時に少なからず自分の情報も相手に与えることとなる。
それを天秤にかけて、漫は1つの結論に至った。
(ウチ今日ボロボロやし、1個もええとこなかったわ)
与える情報なんてなくね?と。
漫は自分自身で、ゾーンのようなモードに切り替わったことを自覚できる。
今入ろう!といって入れるものではないので使い勝手は悪いが、そこは先輩たちも一緒に親身になって検討してくれている。
とにかく今はこちらが渡す情報よりも、相手からもらえる情報の方が大きいかもしれない。
そう思って漫はこの提案を受け入れることにした。
「ええよ。じゃあ、ミーティングルーム1でええかな?」
「やった!おっけー!」
漫は一旦自室に戻って同級生たちに晩成の子たちと牌譜検討をする旨を伝えて、ミーティングルームに向かった。
合同合宿は、日中は基本対局ばかりだが、夕方からは自由時間になる。
その時間に、自主練するもよし、他校の生徒を誘って対局するもよし、女子会に興じるもよし。
交流が主な目的なので、そのあたりはかなり緩かった。
これを機会に他校の生徒と仲良くなる生徒も少なくない。
そんな中で、ミーティングルームでは早速牌譜検討が行われていた。
「岡橋さん、これツモ切りしたんだ……強気だね」
「初瀬でいいわよ。どれどれ……あーこれは確かに良くなかったかな?」
初瀬が2家リーチを受けた場面。鳴いての満貫聴牌をとっていた初瀬は、一発目に両者に無スジの牌を切っている。
漫は多恵にこの数か月間叩き込まれた知識をフル稼働させていた。
「局収支的にはどうやろな……通ってるスジもかなり多いし、この{4}はかなり放銃率高いんちゃうかな?2人に通ってないってこと考えたら20%くらいにはなりそうや」
「へえー姫松って結構理論立てて考える感じなんだ?」
憧が2人の会話に入ってくる。
もちろん、晩成も最低限の知識はつける。しかしそれよりも実践で培われる経験の方を重視する風潮があり、あまり深くまでは勉強しない。
「というか、ウチは多恵先輩……倉橋先輩に教わってるから、ってのもあるかもしれんわ」
「え、マジ?確かにやえ先輩が言ってたわー多恵は局収支とかにうるさいって」
憧が笑ってそう答える。
倉橋多恵も小走やえも、関西で麻雀をやる者にとって知らないものはいない。
むしろ全国的に見ても知らない人はいないといっても過言ではないだろう。
それだけ去年のインターハイ個人戦が与えた印象は大きかった。
(この子……小走やえに直接教えてもらってるんか……?)
漫のイメージからすると、小走やえは孤高の存在。クールなタイプで、後輩の指導はしなさそうなタイプだと思っていた。
多恵からたまに小走やえの話を聞くが、それもだいたいが「やえが冷たい」とか「やえに怒られた」とか「やえに呼び出された」とか。
もしかしてこの先輩弱みを握られているのでは?と思った始末だ。
とりあえず先ほどの話は若干オリ有利ということで話は終わり、今度は憧の対局で漫が不思議に思った局面を指さす。
「新子さん、これなんやけど」
「憧でいいよ!私も漫って呼ばせてもらっていい?」
漫は圧倒的「陽」のオーラを感じていた。こいつ、コミュ強だと。
なんか負けた気分になる漫だが、コミュ力と雀力は比例しない。
そう言い聞かせて牌譜を改めて指さした。
東3局2本場 3巡目 憧 手牌 ドラ{⑧}
{①②④1368二八東東南北}
供託2本があるこのシーン。
憧は南家、{東}は場風牌に当たる。
「憧……はこの{東}を1枚目から鳴いとるけど、ウチやったら鳴かんと思う。形も悪いし、様子見しそうやな……」
漫の意見はもっともだ。鳴くということは手牌を短くすること。すなわち防御力の低下を招く。
ここは面前で打って、相手にリーチを打たれた時は{東}を対子落とししていくことも考えられる場面だ。
しかし、憧から出てきたのは意外な発想。
「え、これ2枚目鳴くの?」
1枚目を鳴くことを何も不思議に思っていない顔に、逆に漫がたじろく。
初瀬は「いつものか……」と言っているが、漫には理解できない。
面食らってしまった漫だが、一応食らいつく。
「ほ、ほら、この後対面から11巡目にリーチがかかる。対して憧はこの聴牌でリーチの一発目に無スジ押しとるけど、これ怖くないんか?」
憧 手牌
{11678七八} {横③②④} {東横東東} ツモ{三}
このシーン。
憧は聴牌を入れてはいるが、1000点の聴牌。
比較的安全そうな{1}で回るとか、安牌の{七}を切ってオリ気味に打つ、など、打ち手によって様々な選択があるだろう。
しかしこれを憧はツモ切りで押し、とした。
「え、でもでも、供託2本落ちてて、リーチかかったから3000点落っこちてて、私の手が1000点だから、これ4600点の手だよ?だいたい押しでよさそうじゃない?」
「そうは言うけどやなあ……」
言っていることは理解できる。
しかしそれを実行できるかどうかは別だ。
誰だってリーチの一発目に無スジを切るのは怖い。
頭でこれが押し有利だとわかっていても、当たる確率が0なわけではない。
当然ロンと言われることだってあるだろう。その時に一発という役がついてしまったら。
この赤4枚のルールではだいたい満貫以上は覚悟しなくてはならない。
「憧はこういう奴なんだよね。高校入ってから考えかた固くなったっていうか……」
「初瀬、こういう奴って失礼じゃない?」
2人のやりとりを聞きながら、漫は漠然とした危機感を感じていた。
今日の対局結果だけ見ても、この2人は自分とは違い、成績トップクラス。
そして今話しただけでも、確固たる意志のある麻雀を感じる。
(今仮に公式戦でこの2人と当たったとして、ウチは勝てるんやろか)
同世代にはそう簡単に負けない。
漫は今までそう思っていたが、どうやらそう甘くはないようだ。
牌譜検討は夜が更けて引率の教員に注意されるまで続いた。
合宿が終わり、帰りのバス。
窓際に座った漫の表情は暗い。
漫はその翌日も寝不足もあって良い成績を残すことができず、悲嘆に暮れていたのだ。
そんな時、外から声。
「漫~!」
「……憧、初瀬」
窓を開けると、下には昨日牌譜検討を共にした、晩成の生徒が2人。
今日も違うグループでの対局だったが、結局この2人は成績トップクラス。
初日から参加はしていないので参考記録になっていたが、それでも1年生の間で存在感は確かに示した。
「漫、私達マジで頑張るからさ、会おうよ、全国で!」
その言葉に目を丸くする漫。
姫松の同級生たちも、その言葉を聞いてざわついている。
姫松は、常勝軍団と言われるだけあって、毎年インターハイ団体戦は準決勝までは常連だ。
それに加え、今年の3年生は黄金世代とも呼ばれ、団体戦の優勝が期待されているほど。
対して、晩成は全国こそ常連だが、ここ数年、団体戦では2回戦にすらまともに出れていない。
3年生に小走やえという圧倒的エースが1人いるものの、総合力不足とされ、メディアからも団体戦での活躍は見込めない、そう書かれていた。
そのことを、この2人も知らないわけではないだろう。
それでも言い切った。全国で会おう、と。
関西地区の個人戦枠は激烈を極め、とても1年生が入れる余地はない。
それはわかっている、だとすれば、会うのは団体戦で、だ。
知れず、漫の口角が上がる。
この子たちの目は本気だ。
自分のように、先輩たちが強いから優勝を狙える、ではない。
本気で自分たちで歴史を変えようとしているのだ。
そのことが分かった瞬間に、自然と漫の体は震えていた。
「……せやな。ウチも、絶対負けへんからな!」
バスのエンジンがかかる。
出発時刻だ。
窓を閉め、手を振って2人に別れを告げる。
次会う時は、きっと全国の舞台で。
そんな予感を、漫は感じていた。
先ほどまでの暗い表情は、今の漫にはない。
せっかく恭子と多恵が推薦してくれたのに何も得られなかった、そう思っていた。
しかし、実はそんなことはなかったのだ。
確実にこれから3年間相手することになる、同世代のライバル。
その実力と意気込みを目の当たりにして、漫は少しだけ緩んでいた気持ちに喝を入れた。
(レギュラーに入れただけで、なにを浮かれとったんやウチは。公式戦で相手にするのは、全員格上。先輩たちの想いも背負って戦うんや。いくら時間あったって足りひん!)
これが漫にとって、これから長い間ライバルとなる、2人との出会いだった。
構想段階で、この話をやりたかったので、漫ちゃんを2年生に修正することができませんでした。
ご容赦ください。