原村和はネット雀士である。
デジタルこそ至高であるという思想の持ち主である彼女だが、その思想を、実績で裏付けている。
日本最大のネット麻雀サーバーである「雀鵬」において、彼女のアカウントである「のどっち」は伝説と言われるほどの成績を残していた。
そんな彼女にとって、最近の日課になりつつあること。
(今日も全連対……悪くないですね……あら)
対局終了画面。
今日も和の成績は上々。しっかりと連対をキープしている。
時刻は丁度19時。
画面横に通知用のポップアップが表示された。
(ちょうどいいタイミングですし、今日のクラリン先生の動画を見ることにしましょう)
クラリン。
麻雀講座系Youtuberの先駆けとして一躍有名になった人物で、公開はしていないが、年齢もおそらく和とそう変わりない。
にも関わらず、和も知らない戦略やデジタル知識を披露してくれる。
和にとっては先生と言うべき存在であり、尊敬の対象となっていた。
(今日は上級者向け講座ですか、たのしみですね)
クラリンは初心者から上級者まで、幅広い講座を行うことから、どの層にも人気だ。
和も最初は子供だましの簡単なものだろうとたかをくくっていたのだが、試しに見てみた上級者向けの動画を見て、その認識を改める。
自身はしがない一介の麻雀好きだ、と称しているが、ネットではもっぱら女流プロ説やら、闇の代打ち説などがまことしやかに語られている。
(これほどの知識の持ち主ならば、トッププロでもおかしくないとは思いますが……)
和からすれば、こんな知識量の人間が、同世代にいるとは考えにくい。自然とプロではないかという説を信じ始めていた。
そんなこんなで動画視聴を始めた和だったが、ここで思いもよらないことが起こる。
それは、今日のクラリンの動画タイトル。
『ネット麻雀で、鍛えられる物、鍛えられない物』
和は思わず目を丸くした。
ネット麻雀は、和にとって主戦場だ。
親が転勤族の和は、地域で決まったメンバーと麻雀をする、ということがとても難しかった。
そこでたどり着いたのが、ネット麻雀。
このネット麻雀は自分にとって原点であり、これからもきっと続けていくもの。
基本クラリンの動画は、自前の自動卓を使って、手元だけが写される動画が多い。
しかし今回の動画は、和もよく知る、「雀鵬」の画面での動画となっていた。
(クラリン先生が、「雀鵬」のアカウントを持っている……)
動画を見ながら、和は心拍数が上がるのを感じる。
自分自身が、尊敬するほどの知識を持った打ち手が、ネット麻雀、それも自身と同じサーバーのアカウントを持っている。
動画内で、まだアカウントを作って2か月と言っていたが、常人なら2ヶ月でたどりつけようもないレート帯まで、クラリンのアカウントはレーティングが上がっていた。
動画を見ながら、マウスを操作する和。
今までの対戦履歴に、もちろんクラリンなどという名前はない。
たまにクラリンを名乗るユーザーもいたが、やはり偽アカウントだった。
(クラリンさんと……戦ってみたい)
和はいつになく熱くなっているのを感じていた。
クラリンと、麻雀を打ってみたい。
その心は、もうどうしようもないほど大きくなっていく。
「はーい!じゃあ今回の動画はここまでです!今回もご視聴ありがとうございました!」
いつもとは一味違った動画配信が終わる。
「おつー」
「今日も勉強になった」
「おてては……おててどこ……」
もともと多恵は前世からネット麻雀の住民。
プロにとりたててもらったのも、最大のネット麻雀サーバーで、トップに立ったからという理由だった。
こっちの世界にきて、多恵はネット麻雀をやってはいたのだが「雀鵬」はやっていなかった。
恭子に、「雀鵬」の方がわかりやすくていい。と勧められて最近になってアカウントを作ったのだ。
ふう、と一息ついていると、動画のコメント欄が、なにやら伸びている。
なんだろうと思って、多恵は画面をスクロールしてみた。
コメント
のどっち:クラリンさん、いつも動画楽しく見させてもらってます。もしよかったら、「雀鵬」で対局しませんか?
「……はえ?」
この手のコメントは、たまにくる。
実際に会って対局してみたいだの、ネット麻雀でいいから対局してくださいだの。
そのたびに丁重にお断りしていたのだが、今回はどうやら様子がおかしい。
コメント返信欄を見てみる。
「え、これ本物?」
「本物だ!これ実現したら大変なことになるぞ!」
「のどっちって運営のAIじゃないの?」
「さすがのクラリンものどっちには勝てないんじゃないか?」
どうやらこの「のどっち」有名人らしい。
そういえば聞いたことがあった。いわく、この世界のネット麻雀には、運営の用意した最強のAIがいるとか。
それがのどっちだと知った多恵。
(普通はネット麻雀で25連勝とかありえないっしょ。レーティング高い卓で……)
しかし実在する人間となれば話は別だ。
多恵にだって、ネット麻雀には一家言ある。
(やってやろうじゃないの!)
かくして、のどっちVSクラリンの幕が開いた。
「どうもみなさんこんばんは、クラリンです。今日はね、知ってる方も多いと思いますが、あの、生ける伝説、のどっちさんと対戦できるということで、対局の模様を生配信していきますよ!」
1週間後の夜。その対局の日は訪れた。
多恵としてもこのような形での配信は初めてだが、不安よりも興奮が勝る。
伝説とも呼ばれるネット雀士と戦えるのだ。
こんなに嬉しいことはない。
「楽しみ」
「のどっちVSクラリン……これ地上波でもいいのでは?」
「流石のクラリンも厳しいかもな」
コメント欄も盛り上がっている。
現在時刻は20時。
動画視聴人数は開始直後の今ですら3万人を超えている。
この調子ならどんどん増えそうだ。
「さ!早速参りましょう。私達以外の2人もね、見ての通り私よりもレート高い人達なんで、胸を借りるつもりでやっていきますよ!」
対局が始まった。
慣れないスタイルだったが、多恵に緊張は無い。
配牌の向聴数、自風牌、しっかり確認している。
「んじゃー1打目は浮いてる{9}から……」
多恵は南家。のどっちは対面の北家になった。
「クラリン9sドラ!ドラだから!」
「この子ドラ確認だけはマジで学習しないな??」
「生配信対局で初打にドラを切ろうとする女」
ドラ確認はしっかりと怠った。
(あっぶねえ!!マジで切っちゃうところだったよ?!)
「雀鵬」は親切で、ドラは薄く色が変わっているのだが、それでも気付かないあたり重症である。
「冗談ですよ、冗談。{1}からいきますかー」
気を取り直して、対局に集中だ。
「絶対に切ろうとしてたよこの子」
「クラリンがクラリンしてて安心した」
「おてて見えない……」
対局は終始のどっちがリードする展開。
東4局で親満をツモられたのが響いている。
迎えた多恵の親番。
現在ののどっちとの点差は10000点ほどの2着目。まだまだ勝機はある。
南2局 8巡目 多恵 手牌 ドラ{7}
{③④赤⑤5688五六六七八西}
この手牌で、上家から{4}が切られる。
「うーん、まだスルー有利ですかね……鳴いて
「両面両面だしね」
「ここで鳴くのは早漏が過ぎる」
「ドラならまだしも、ねえ」
メンタンピン赤が色濃く見える手。
親であることも考慮してここはどっしり構えたい所。
しかしなかなか有効牌が来ず、じれた展開に。
「良形の両面両面って聴牌まで平均5巡弱かかるって言いますしね、多少はね」
そんなことを言っていた矢先、対面ののどっちからリーチが入った。
「リーチ!」
機械的音声がリーチを告げる。
宣言牌はドラの{7}。
河も平均的に切られていて、実に読みにくい。
下家がドラの{7}を合わせた。
「それはチーです。今すぐにでもチーです。はい聴牌」
音速でチーする多恵。
ここで追い付けるなら勝算は十分ある。
そして1巡後。
多恵 手牌
{③④赤⑤88五六六七八} {横765} ツモ{③}
初めて無スジをつかまされた多恵。
「えー……スジ何本通ってるんだ……?6……7?こんなん押し有利ですよ、押し有利!ホイッ!」
多恵が{③}を切る。
そしてわずかに生じる、ラグ。
ネット麻雀を打ったことがある人はわかるかもしれないが、この切ってから次の人がツモるまでのラグが、とても怖い。
「いやいや、でも押し有利だから……押し有利だからあ!?」
多恵の叫びにも似た懇願が響き渡る。
押し有利と言ったって当たることがないわけではないのだ。
「クラリン必死wwww」
「クラリンも俺らと同じ人間なんだな、って」
「のどっち配信見ながら打ってるんじゃないの」
コメント欄も盛り上がっている。
とりあえずこの{③}は通った。どうやら下家が鳴くか迷っていただけらしい。
しかしすぐ次巡。
「ツモ!」
のどっち 手牌
{12345678⑦⑦一二三} ツモ{9}
「びよーーーーーん!!」
跳満ツモである。
「強すぎ」
「やはりAIだったか……」
「しっかり高目ツモて……」
オーラス。
南3局は多恵が満貫を出和了り、勝負はオーラスへ突入した。
多恵とのどっちの点差は16000点。満貫直撃は同点。逆転には跳ツモが必要だ。
じっくりと手を育てにかかる。
11巡目 多恵 手牌 ドラ{2}
{⑦⑧⑨245789七八九南} ツモ{6}
「いやあ~!そっちか……!うーん、現代麻雀的にはドラ単騎でいいっしょ!字牌単騎もありだけど、のどっちから出るとは限らんしな……」
もう巡目も深い。3巡目に{1}を多恵が切っていて、ドラではあるが{2}の場況は悪くない。
リーチを受けて、既に聴牌を入れていたであろうのどっちの手が止まる。
「AIが悩んでる」
「のどっちが悩むとか見たことあるか?」
「鬼の捨て牌スピードののどっちが……」
選ばれたのは、通っていない{3}。
勝負しに来ている。
({3}はかなりキツイとこ。聴牌は確実。周りの捨て牌と合わせて、{2}がノーチャンスになった)
次巡も、のどっちの手が止まる。
ドラの{2}は1枚切れ。
のどっちの手牌からツモ切られたのは、{2}だった。
「出たあ~!裏1!裏1!」
トップからの直撃、これで裏ドラが1枚でも乗れば多恵の勝利だ。
「マジか!裏乗れば逆転!」
「頼むう~」
「クラリン裏ドラ乗ってるの見たことないけどね」
運命の裏ドラは、{西}。
乗らなかった。
「びよーーーん!」
同点トップ。このネット麻雀に上家取りのようなシステムはなく、1位の順位点を分けあう形となる。
ようは引き分けだ。
「いやー面白かった」
「手に汗握る展開、ありがとう」
「誰だ裏ドラ乗らないフラグ建てた奴」
最後に軽くチャットであいさつをして、対局、配信は終了。
多恵にとっても、楽しいひと時だった。
(勝ちたかったなあ……にしても最後、のどっちなら出和了りは期待できないだろうから、ツモ狙いに行ったのに。意外だったな)
同刻。
対局が終わってから少し経った後も、和は、自身の最終局面を眺めていた。
2着のクラリンとの点差は16000点。跳満ツモならまくられるが、かなり厳しい条件。ほぼほぼ、トップだろう。
最後の手番、和の手牌は
{③③③④⑤⑥⑦二三四} {55横5}
良形5面張。
確実に勝てる。そう思った。
そこでのクラリンのリーチ。
掴まされたドラ。
{3}が全て見えてのノーチャンスということも差し引いても、普段ならオリていただろう。別に無理をする場面ではない。
しかし、和は切った。珍しく長い時間を使って。
(クラリン先生に多面張で勝ちたかった……という気持ちがありましたか)
和にとって、クラリンは多面張の先生だ。
動画内で、清一色待ち答えクイズなどを瞬時に解く姿を見て、私もこうなりたいと思ったことは1度や2度ではない。
故に、最後の場面で、少しムキになってしまった。
そしてなぜか、多面張なら、勝てる。少しだけそう思ってしまった。
愛用のエトペンのぬいぐるみを抱きしめ、和は自嘲気味に笑う。
(……そんなオカルト、ありえませんよね)
和がクラリンを多恵だと気付く未来は、そう遠くなかった。