副将後半戦は東4局。
無情にも進んでいく局の展開に、塞は1人焦りを感じていた。
2回戦の時は感じなかった、次々と局が終わっていくことへの焦り。
(この人達……どんなことがあっても、淡々と打ってくる……!)
思えば前半戦からそうだった。この晩成の狂戦士のふざけた和了りを前にしても、他2人に動揺はなかった。
すぐに切り替えて、次の局で何事もなかったかのようにリーチを打ってくる。
当たり前かもしれないが、いつでも自分の麻雀が打てるということは、言うほど簡単なものでもないのだ。
(このままじゃ……終われない。終われないのに!)
残り2回の親番の内の1回。点数を稼ぎたい親。
しかし自分のやることは早々に決まりそうな展開で。
「ポンなのよ~!」
1着目の由子が、{八}をポンして全員に対して安牌の{北}を切る。
”あの”真瀬由子が全員に対する安牌を切ると言うことは、ほとんど聴牌だと思った方がいいだろう。
そんなことを考えていれば、自分の上家である和から千点棒が勢いよく飛び出してきて。
「リーチ」
和の目には自身の手と場の状況が鮮明に映っている。
リーチと鳴きに挟まれた塞は、深くため息をついた。
(早すぎる……またオリるのか)
親とはいえ、自身の手は2向聴。
ここから無理に和了りの道を辿って放銃するようなことは、あってはならない。
そう分かってはいるのだが、何局も続くオリの作業に、嫌気がさしていることは間違いなかった。
思ったよりも早く、決着がつく。
それこそ、塞が形式聴牌だけでもとろうかと考えている矢先に。
「ロンなのよ~!2000点!」
由子 手牌 ドラ{⑦}
{⑤⑥⑦34567三三} {八横八八} ロン{2}
「……はい」
(なんで振り込んでるのリーチ者の原村じゃなくて岡橋なんだよ……)
由子のタンヤオ仕掛けに飛び込んだのが初瀬だったことにため息をつきながら。
塞は卓の中央に流し込まれていく自分の手牌たちを眺めることしかできなかった。
南1局 親 由子 ドラ{3}
ついに後半戦の南場。
この副将戦が終われば、後は大将戦の2半荘のみ。
局が終盤に近付くにつれ、疲労で頭を動かすのも億劫になるものなのだが、和は自身の手牌を冷静に眺めることができていた。
7巡目 和 手牌
{③④赤⑤⑥357一三五五八九} ツモ{6}
『原村選手、これで一歩前進です。一向聴になりましたが、何を切りますかね?』
『いやー知らんし?……けどま、場に{七}が3枚見えてるし、ここは{八九}払うんじゃねえの?』
咏の指摘通り、{七}が3枚枯れていることに、和はもちろん気がついていた。一向聴に取るためにドラの{3}か、筒子の連続形を崩すのはいささか固すぎる打ち回しだろう。
和はさほど思考に時間を割かずに{九}を切り出す。
麻雀というゲームは確率の低いものを嫌い、確率の高い方へと手牌を組み替えていく。それの連続だ。
しかし厄介なのはこの「確率」という概念そのもので。
8巡目 和 手牌
{③④⑤⑥3567一三五五八} ツモ{七}
低い方を絶対に引かないわけではないのだ。
「3枚切れペンチャン外したら次巡持ってくるあるあるね……」
多恵が苦笑いで和の手牌を見つめる。
隣にいた漫も流石にこのツモは可哀想だと思ったようだ。和の打牌にフォローを入れる。
「でもあれは一向聴にはとれないですよね?形が不安すぎますし……」
愚形愚形の一向聴。仮に{二}が入って聴牌したとしても、目に見えて1枚しかない待ちでリーチを打つのは危険すぎる。
だからこその、「ほぐし」。当然の手順のように見えた。
しかし多恵はこの時、和の違った「狙い」に気付いてもいた。
ひどく楽しそうな口ぶりで、多恵は漫に1つの質問を投げかける。
「漫ちゃんならさ、ペンチャン外す時、{八}と{九}どっちから切る?」
「え?……安全度も考えたら、{八}から……やないですかね?」
麻雀をやったことのある人なら誰もが経験したことがあるだろう、ペンチャン外し。
ペンチャンはカンチャンと違い形が変化することがないので、払うケースも多いにある。
これは麻雀の基本の考え方で、数牌は1、9が1番安全で、真ん中の5に近くなればなるほど危険な牌になる。
なので、ペンチャンを外すときは基本的には{八}から切るのがセオリーだ。
先に危険な牌を切るほうが後の安全を買える。
丁寧な打ち手であればあるほど、この「安全度の比較」という作業を毎局毎巡、やっているものなのだ。
「そうだよね。なのに、原村さんは{九}を切った。なんでだと思う?」
「ええ……見た所、{八}の方が安全な理由とかもなさそうやし……」
まず考えられるのは、{九}よりも、{八}の方が安全だと判断した可能性。
しかしこれは特に断定できる要素がないので、その線は薄い。
では、何故なのか?
たまたまだと思うだろうか。気まぐれ、なんとなく、で{九}を切ったと。
確かに、そこまで深く考えずに打っている選手を後ろから見ているだけなら、そう結論付けることもできたかもしれない。
しかし多恵はそう思わない。
なにせあそこに座っているのは『のどっち』なのだから。
自らを「先生」と呼称したあの少女が、なにも考えずに1巡を無駄にすることなどあり得ない。
「……すぐにわかるよ」
多恵が目を細める。
モニターの中に映る和の目は、目まぐるしく変わる場の状況を的確に追っていた。
(3枚切れペンチャン払ったら、次巡持ってくるあるあるですか……ふふふ……)
{七}を持ってきて裏目った和に、失望や焦りの感情は一切なかった。
表情にこそ出ないが、自分でも驚くほど楽しく麻雀を打てている。
確かに、優勝しなければ清澄で戦うことはもうできないかもしれない。
絶対に負けられないというプレッシャーもあるかもしれない。
しかし和は今それ以上に、この大会を心から楽しむことができていた。
それは今日の中堅戦で、同じく清澄の部長である久が目指した精神状態。
一瞬だけ目を閉じ、思いを馳せる。
(……それも、「麻雀の面白さ」ですよね)
無駄な感傷は一瞬。和は冷静に手牌の中から捨てる牌を決める。
普通なら、裏目ってしまった{七}と{八}を河に捨てて、河に一面子が完成するところなのだが。
和が選んだのは、{一}だった。
和 手牌
{③④赤⑤⑥3567三五五七八}
『原村選手!裏目ったはずの{七}を残しました!これはどういう意図ですかね?』
『そりゃあ、最初から裏目ったらこうするって決めてたんじゃねえの?……この{七}は4枚目。とすりゃあその上の牌である{八九}は相手が持っているとは考えにくい牌。切り順からしたって全員{九}を固めて持っているようには見えねえし?このコは前巡から、{七}引いて裏目った時のフリテンターツは採用って決めてたんだろうねえ』
咏の解説は当たっていた。
明確な意図を持って行われたペンチャン外し。
たかが1巡の切り順。されど1巡の切り順。
この差が、最高レベルの大会では大きな差となってあらわれる。
和が積み重ねてきた研鑽の日々は、今日ここで花開く。
「ツモ」
和 手牌
{③④赤⑤234567五五七八} ツモ{九}
「1300、2600」
『決まりました!見事フリテンターツを引き戻した原村選手!』
『いやあ、良い選択だったねえ。すべての可能性を考慮してるってのがよくわかる1局だったねい!知らんケド!』
開かれた手牌と、和の河を見て、他3者が苦い顔を浮かべた。
フリテンリーチを敢行してきたという事実が、「原村和」という雀士の引き出しの多さを物語っている。
牌効率に支配された天使はもうそこにはいない。
和が南2局の手牌を理牌しながら、必ず見てくれているはずの自らの師に想いを馳せた。
(クラリン先生。私は、必ずあなたに追い付いてみせます)
原村和は麻雀を打つ。
他の誰でもない、自分のために。