「で、この形は何を切ればいいとおもいますか?」
「ええ~と……{4}??」
「ちがあああああう!!飛び対子の基本は中から切る!{6}が正解!」
上重漫の特訓が行われているのは、放課後。部活も終わり、各自自主練習か、帰宅を選べるこの時間に、多恵は漫を部の対局室に呼んで特訓を行っていた。
もう特訓開始から2週間が経過している。
漫は順調に成長していた。元々あった才能に、基本的な知識をしっかりと叩き込むことで、素の雀力も伸びてきていた。あまりちゃんとした指導を受けてこなかったようで、意外と見逃しがちな基礎知識が足りていない部分が多かったのだ。
そして何よりも自分の状態を上げる練習。漫が最高の状態に入れば、多恵ですら相手にするのは厄介だ。その状態にどうすれば早く持っていけて、そして維持できるのか。その練習を主軸にして特訓は行われていた。
今日もある程度の基礎知識問題と状態を上げる特訓を終えて、頭と身体がオーバーフローして口から魂が出てしまっている漫のために紅茶を淹れる。
多恵に淹れてもらった紅茶を飲みながら、漫はふと、疑問に思ったことを聞いてみることにした。
「倉橋先輩の対局、ウ…私何回も見たことあるんですけど、倉橋先輩て、全然デジタルやないですよね?やのに、デジタルの本ばっかり読んでいるのは何か理由があるんですか?」
多恵がいつも愛読してる麻雀本はほとんどがデジタルのものだった。しかし、彼女の麻雀はデジタルに徹していない部分も多い。
多恵はうーん、と少し考えてから
「数字はね、知っておくに越したことはないんよ。この世界ではそこまで役に立つものじゃないけどね……」
(デジタルなんて通用するレベルじゃない相手がたくさんいるからなあ。確率を超えた和了りなんか、こっちに来てから嫌っていうほど見てきたし、俺もたまーにできるし)
世界?と疑問符を浮かべながら漫が紅茶の入ったカップを横の机に置く。
ちなみにあまりにも関西弁に囲まれて多恵もたまにエセ関西弁が出るようになってしまっていた。閑話休題。
「私はね、昔はメンタルがすごい弱かったの。なんでこんなに振り込むんだろうって」
「ええ……対局中ロボットみたいやないですか倉橋先輩……」
今でこそ対局中にほとんど表情を動かすことはない多恵。しかし前世では心が折れそうになることはたくさんあった。
「じゃあどうやって気持ちをキープしてるかっていうとね。例えばほら、これ見てみて」
そう言って多恵は漫の目の前の卓で牌を並べる
{西18⑨①②}
{白七⑤横六}
「この河のリーチにじゃあ、この危険牌の{2}を切らなきゃいけない。これ何%くらい当たると思う?」
「ええ……どやろ、当たる牌なんていっぱいありますし、7%くらいちゃいますか?」
「正解はね、10%なんだ。つまりこの{2}って10回に1回はロンって言われるんだよね。この数字、漫ちゃんはどう思う?」
スジが9本通っているときの無スジ28の放銃率はだいたい10%。捨て牌の状況によってはもう少し値にズレが出るとはいえ、だいたいこの程度だ。
「へえ……意外と当たってまうんやなあ……って」
「そう、私もそう思った。あ、これ意外と当たるんだなって。そしたらね、意外と気持ちの切り替えってやりやすくなるもんよ」
「そんなもんですかね?」
「人によるけどね。少なくとも私はそう思うようにしてる」
なるほどなあ……と改めて河を見る漫。
「そういう精神的な話、もう1つしておこうか」
そう言うが早いか、多恵は今度は手牌を並べていく。
そして対局者の河も作り始めた。
「この手牌でリーチを打ちます。さて、山に残り何枚だと思う?」
手牌
{①②③33345678五五}
多恵が好きそうな手牌だな、となんとなく漫はそんなことを思った。
この手の待ちは{369五}の4種10牌の変則四面張。河には{9}が1枚だけ転がってるだけで、他に情報は特になかった。
「ええ……難しいですね……この巡目なら4枚は残っててほしいなあと思いますかね」
「なんで?!」
漫の解答に驚愕の表情を見せる多恵。
どうしてそんなひどいことを言うの?!と言いたげな多恵の愕然とした顔に、何故驚かれたのかわからないといった様子の漫は自分の答えが浅はかで怒らせてしまったのかと動揺する。
「い、いや、相手の手牌読みが難しくて……見た目では9枚残ってますけど……」
「そう!9枚!」
途端に嬉しそうにニコニコと答えた多恵と漫の間に、微妙な間が生まれる。
「……いやいやいやいや?!そんな相手の手牌に使われてることだって」
「そんなのない!残りは全部山!だから残り9枚!」
漫はこの先輩頭がおかしくなってしまったのかと一瞬思った。
どんなに良い待ちであっても、全て相手の手牌に使われて山にはない……そんなことだって麻雀においてはよくあることだ。
それを都合よく残りは全部山だなんてそんなこと……とそこまで考えを巡らせて、この話の冒頭で、多恵が「
「これはね、昔の知り合いですごーくすごーく強い人が教えてくれた考え方なんだけど、勝負手のリーチの時はそれくらいの気持ちでいていいんだって」
「なるほど……」
どうしても自分の手が良ければ良いほど、リーチに行くのに尻込みをしてしまう時はある。場況が悪い、ドラ表示牌だから……色々な理由をつけてリーチに踏み切れない。そういった感覚は漫にも覚えがあった。
「ま、その人は鳴いて
「ホンマに強いんですかその人?!」
夏を控えた姫松高校麻雀部は忙しい。
部内ではインターハイのメンバー入りをかけて日々部員たちの努力が続いている。最後のメンバー争いでなんとしてもメンバーに入りたい者。特待で入ったからには活躍したい者。思惑は人それぞれだが、強豪校に来て試合に出たいという願望は誰もが持つだろう。
そして、その部内の成績表をみて頭を悩ませる人物が1人。
末原恭子である。
「恭子どーしたの、そんな8種8牌で仕方なく手なりに打とうと思ったら国士の有効牌ばっか引いてきたみたいな顔して」
「多恵のそのたとえホンマに微妙よな……」
多恵の麻雀あるあるシリーズに対して恭子がジト目で返すのはもう恒例行事になっている。
いつも通りのちょっと丈の長いパンツ姿で、恭子はクルクルと手元でペンを回していた。
「そもそも多恵のせいでもあんねんで。……漫ちゃんが順調に成績を伸ばしとる。ここに関しては多恵の見立ては正しかったってウチも思っとる。せやけどもし仮にこのままレギュラーに食い込むとしたら、……春のメンバーから誰かが外れる」
「……」
当たり前のことだった。部活動の世界は、残酷で、団体戦のオーダーに入れるのは5人。もちろん控えとして行動をともにするメンバーはいるが、よほどのことがない限りは5人で団体戦を戦い抜く。
赤阪監督代行も、漫を入れることには概ね賛成している。組織として、1年生がレギュラーに入ることは、来年からも見据えればとても良い傾向だ。
今年の春の大会のメンバーは
先鋒 倉橋多恵
次鋒 真瀬由子
中堅 愛宕洋榎
副将 愛宕絹恵
大将 末原恭子
となっていた。成績を見ても洋榎と多恵のダブルエースはもちろん外せないし、由子も実はマイナスになったことがほとんどない。恭子も他校の大将を相手に柔軟な対応ができ、条件戦に強い。
と、なると候補は実は1人しかいない。
「絹ちゃんも決して成績が悪いわけやない。それに、絹にとっては、憧れの姉と一緒に出れる、最後のインターハイや」
「そう……だね」
多恵もよく愛宕家にはお世話になっており、絹恵とも長い仲だ。一緒にサッカーもしたし、麻雀もよく打った。そして人一倍、お姉ちゃんに認められたいという想いが強いことも知っている。
よく、絹は「多恵姉や末原先輩のように、お姉ちゃんから認められるようになりたいんです」と言っていた。
「今のところ、部内での成績は上位4人がうちら3年。5位から8位の間のメンバーで来週対局をしてもらおうと思っとる」
「そうだね。もうそこまで来たら各々の実力に任せるしかない。私も私情抜きで観戦することにするよ」
夏のメンバー発表はもう来週に迫っていた。