最弱騎士の運命踏破   作:bear大総統

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二巻の内容マジで書きにくいので初投稿です


第10話

 一輝との鍛練が始まって四日目。

 そろそろ綾瀬の身体に疲労が蓄積してきただろうという事で、剣術の鍛練は一旦小休止となり、彼等は学園近くの屋内プールにやってきていた。

 学園の敷地内にもプールはふたつ備わっているのだが片方は定期清掃で、そしてもう片方は理事長である新宮寺黒乃の特別講習で貸し切りとなっていて使用はできなかったのだ。

 

 そんなこんなでやってきたプールの女子更衣室。そこでステラ・ヴァーミリオンと西園寺栞、綾辻綾瀬は水着に着替えたのだが……。

 

「ヴァーミリオンさん、露出度高いね……」

「そう? これぐらい普通でしょ?」

 

 綾瀬が頬を赤らめながらステラの身体に視線を向ける。

 彼女の身体を覆っているのは、黒の紐ビキニである。紐とついている通り、その布面積はあまりにも頼りない。ふとした拍子に胸が零れてしまうのではないかと見ている側がハラハラする程だ。

 対して綾瀬の水着は黒のセパレートタイプの水着である。露出度は綾瀬の気性も相まってステラよりも控えめ──というよりもどんな水着を着ようとステラのそれよりは低めになるのだが──だ。

 そのままフィットネスにも使えそうなそれだが、彼女の剣客としての鍛練が健康的かつスタイリッシュな魅力を引き出している。

 

「シオリは泳がないの?」

「えぇ。今回は紫苑さんから頼まれてついてきただけですし。私は綾辻さんの様子を見ながら適度に寛がせていただきます」

 

 栞の装いはラッシュパーカーにデニムショートパンツと、水着からは離れたものだった。勿論下に水着は着ているけれど、あまり水に入るつもりもないからという装いである。

 

「アイツも来ればよかったのに」

「先に用事があったんじゃ仕方ないよ。でも見てみたかった気もするなぁ、百鬼くんの水着姿」

 

 そう、今回は紫苑はおらず綾瀬の指導役は一輝のみとなっている。

 

 先に用事があった。とだけ伝えておいてくれと紫苑から頼まれた手前、彼女達にはそう説明したが彼が欠席した理由に思いを馳せ、小さくため息が漏れた。

 

 彼が欠席した理由は──心療内科の定期検診が理由のひとつだ。

 ただのアフターケアで大事はない、と彼本人から説明されはしたが、それでも彼の症状を知っている身としてはどうしても心配になる。それも数週間前に彼のトラウマを共に見て、彼が味わった痛みも共に味わった自分からすればなおさらだ。

 そのトラウマと相対し続け、挑み続けた結果、極度のストレスで黒かった彼の髪が真っ白に染まった程だったのだから。

 

 もうひとつの理由として『自分が行くと悪目立ちして綾辻の修行を妨げるから』というのもあったけれど。

 彼の総身に刻まれた傷。

 刀による斬痕が主立った物だけれど、火傷やリヒテンベルク図形と呼ばれるような感電した傷跡、銃痕、──彼の埒外の努力によって手にした強さ、その代償として彼の身体に刻まれたそれらはあまりにも痛々しい。

 

 そんな外見の者が伐刀者ではない民間人も利用する市民プールでいたら前述したように悪目立ちする。不審者扱いされてもおかしくないほどだ。

 もし行けたとしても迷惑はかけられない、と断った紫苑の顔を思い浮かべ、またため息が漏れた。

 

 それはそうと……

 

(確かにもう一度見てみたいですね……)

 

 先日のショッピングモールで彼の水着自体は購入している。

 黒と青のシンプルなデザインのトランクスタイプの物だ。それ自体は大したことはないが、彼の剣士の肉体は、傷跡を十分にカバーしてありあまる魅力がある。

 …………まぁ自分は彼の水着姿どころか、彼の全裸を見たことがあるのだけれど。

 

「……シオリ? 顔赤くない? 大丈夫?」

「えっ、はっ、はい!? なんでしょうか……!?」

「いや、イッキをこれ以上待たせるのも申し訳ないから早く行きましょう? それとも何かやることでもあった?」

「い、いえ。大丈夫ですよ、行きましょうか」

 

 まさか紫苑の全裸姿を思い出して赤面していたなどと言えるわけもなく、先に歩き出していた二人に続いてプールに向かった。

 

 

「お待たせ、イッキ」

「うん、大丈夫だよ。大して待ってないし」

 

 プールに出て彼女達は先に待っていた一輝と合流する。

 瞬間、一輝に周囲の男達からの嫉妬の視線が突き刺さった。

 

『は? あの三人全員アイツの連れかよ』

『おいおいおい、少子高齢化の進む日本でそんな蛮行が許されると思ってんのか』

『沈めてやる』

 

(……僕は今日不慮の事故で溺死するかもしれないな)

 

 彼の優れた聴覚が男達の怨嗟の声を拾い、彼は自然とため息が漏れる。が、自分の今の状況を客観的に見れば、彼らがそのような感情を抱くのは当然であると納得できるが。

 しかも自分は世間一般で言うイケメンというわけでもないのだし。これで紫苑がいてくれれば多少マシになったのではないか。

 

「良かったですね、黒鉄さん。両手に花ですよ?」

「ははは……。僕が持つには不相応かな……僕は」

「『ステラさえいればいい』……ですか?」

「──ッッ!? いつ、から気付いて」

「そうですね。もしかしたらそうかな、と思ったのは紫苑さんと東堂さんの一戦の時。確信に変わったのは先程です。私と綾辻さんを見る目と、ステラさんを見る目が明らかに違いましたから。

 ……気を付けた方がいいですよ? 黒鉄さんのステラさんを見る目、完全にえっちな事を考えてる顔でしたから」

「うぐっ……!」

 

 悪戯をする子猫のような表情を浮かべる栞に、一輝は何も言い返せなくなる。

 自分では表情筋を動かさないようにと気を張っていたのだが、他人から見て気付かれるほどに緩んでいたとは思わなかった。それほどまでにステラという少女が魅力的なこともあるのだろうが。

 しかし……、

 

「あの、西園寺さん。この事は……」

「えぇ、誰にも話しませんよ。第二とはいえ一国の皇女との恋愛発覚なんて、マスメディアが面白おかしく報道するのは目に見えています。……しかし、ステラさんにも言っておいて欲しいのですが、貴方達、結構わかりやすいです。プライベートな空間ならばともかく外でそういう事をするのは控えておいた方がいいかもしれませんね」

「……善処します」

「はい。善処してください。……まぁ、今日のところはそういう事をしても良いんじゃないですか? 外野からの茶々には私が気を張っておきますし、存分にいちゃつけば良いと思います。綾辻さんはこっちで引き取りますから」

「………………ありがとうございます」

「いえいえ、礼を言われる事のほどでは。頑張ってくださいね?」

 

 とはいえ、このプールで何をするのかは私にはわかりかねますので、その辺りは教えて欲しいのですが。という栞に一輝は頭が上がらない。

 何度も関係性を進めようとし、その度に躊躇って進めなかった自分達にとって、彼女から差し伸べられた手は非常にありがたい物だった。

 ──本当に彼女は人の機微に聡い、と一輝は思う。

 恐らくは性分なのだろう。人をよく見、寄り添う才能。それはあの百鬼紫苑が彼女に心を許している事から見ても明らかなこと。

 自分にはないものだ。

 

 一輝は彼女に今日行うことの内容と、その意味を説明すると彼女と別れた。

 

「──というわけです。詳しくはやって見てください。黒鉄さんの話ではやってみたらわかる、だそうです」

「なるほど。……でも肝心の黒鉄くんは?」

「ステラさんと少し話がしたいそうで。二人っきりでプール内で話してますよ」

 

 その事を聞いて綾瀬は合点がいったのか「あぁ」と納得の声を漏らした。若干ではあるが頬が緩んでもいる。

 その辺りは彼女も乙女らしい。

 

「それじゃあボク達は邪魔しちゃいけないね」

「えぇ。それに綾辻さんは鍛練があるでしょう? そちらに集中なさってください」

 

 はーい、と彼女は返事をしてプールの中に潜っていってしまう。

 

 そうして残された栞だが、特にやることがない。プールに潜って綾瀬と同じ事をしても良いのだが、そうするとなると一輝達の方に気が回らなくなってしまう。

 一輝が綾瀬に提示した鍛練は、自分が普段意識しない、自分の身体の深奥に意識を向け、身体の事を完全に理解するためのもの。

 彼女が今やっていること──《眠り》の能力を一輝達の周囲に展開し、擬似的な人払いの結界を構築することとの並行はできない。

 随分と騒いでいるようだから、そちらにかける労力も大きくなっている事もその要因のひとつだが。

 

 なので彼女が出来ることと言えば考え事くらいのものだ。

そしてその大半は百鬼紫苑の事。

 ただの定期検診とは言ったものの、また彼の心の傷を抉るようなことにはならないだろうか、とか。また誤って電車を見るようなことになったりはしないだろうか、とか。

 彼が了承してくれれば今度はふたりっきりでまたプールに来て、綾瀬と同じ事を彼と一緒にやってみるのも良いかもしれない、とか。

 

 そんな何でもないことを考えていると、

 

「そういえば西園寺さんは──」

 

 プールから上がってきた綾瀬に声をかけられた。

 といっても彼女に驚きはない。事前に彼女の魔力がこちらに近づいてきていることは察知していたからだ。

 

「百鬼くんと付き合ってるの?」

「ごふっ、けほっ、こほっ!」

 

 しかし彼女の言葉は全く予想できなかったが。

 

「はい!?」

「いや、西園寺さんと百鬼くん仲良いみたいだったし、西園寺さんは名前で呼んでたし、つまりそういうことかなーって」

「い、いえ……そんなことはないですよ。確かに紫苑さんは魅力的な殿方だとは思いますけど……」

「じゃあ好きなの!?」

「発想が飛躍しすぎてる……!」

 

 やはり年頃の乙女。色恋沙汰には興味津々らしい。

 

「えっとですね……好きか嫌いかで言えば好きですよ。でもそれが恋愛感情かと言われるとよくわからなくて。異性と付き合った経験もありませんし」

「なんか意外だね。西園寺さん美人だし、多才だし、モテモテで今まで何人かの男の子と付き合ったことあるんだと思ってたけど」

「あまり興味がなかったので。……それにしてもどうしてそんな事を?」

「あっ、百鬼くんを男の子として好きだって訳ではないよ。それは教えを乞う身として失礼なことだからね。ただ……彼の事をもっと知りたくなって」

 

 聞き、彼女は考え込む。

 正直綾瀬がそういうことを聞いてくることは予想できていた。紫苑からも『別に隠しているわけでもないから話しても構わない』という許可は出ている。……無論《魔人》の事は隠さなければならないけれど。

 そうして思慮を巡らせ……、

 

「……わかりました。私の主観の話であれば、お話ししますよ」

「ありがとう! じゃあ早速だけど、西園寺さんから見て百鬼くんってどんな人?」

「どんな人……ですか……」

「うん。どんなことだって良いんだけど」

「そうですね……」

 

 百鬼紫苑がどんな人間か。

 これまで過ごしてきた一ヶ月という短い期間の中で彼に抱いた印象。それは……。

 

「『ごく普通の男の子』……ですね」

「『普通の男の子』……? なんていうか、意外だね。《黒鬼》なんて呼ばれてるから、もっと物々しい感じかと思ってたけど」

「確かに戦いの時の彼は凄まじいですからね。……けど、私生活を知っている身としては彼の事を『鬼』だなんて思えませんよ」

 

 学園では綾瀬の言うように『血も涙もない悪鬼』だなんだと言われているが、栞の印象は全くの逆。

 

 ──彼は普通の少年だ。

 笑いもすれば、怒りもする。

 不器用ながらも、こちらを慮るような言動をしてくれることだって決して少なくない。一緒に買い物に出掛けるときは重い方の荷物を持ってくれるし、車道側を歩いてくれる。蛇足ではあるが、車道側を歩いてくれたのは西京の入れ知恵らしい。

 

 食べ物の好みはどちらかと言えば薄味が好み。なんでも五感が鋭いせいで、世間一般的な味付けだと彼にとっては少し濃く感じるとのこと。同時にそういう時は意図的に味覚を鈍化させているらしい。

 

「味覚を意図的に鈍化させるって……」

「感覚を位置的に遮断することで、そのリソースを他の場所に割こうと《努力》したんでしょうね。……さらっとやってのけるのが流石だと思いますけど」

「黒鉄くんもだけど、破軍学園のFランクってFランクじゃないよね」

 

 綾瀬の言葉に栞もまた頷く。

 この学園のFランクは揃いも揃って埒外だ。一輝は剣術を始めとする体術全般の才能、紫苑は己の身に宿した《努力》の異能。そして彼らは共に狂気の研鑽を重ねる事によって人間を超越している。たったひとつの剣術を極めんとするか、武芸百般を目指したかという方向性の違いはあるが。

 

「あとは……辛いものとか苦いものが苦手ですね。ピーマンとか唐辛子とか」

「それだけ聞くと凄い可愛いね、百鬼くん」

「えぇ。……本当に、彼は普通の人だったんですよ」

 

 栞は思う。

 百鬼紫苑は到底、運命を超えられるほどのエゴは持ち合わせていなかったと。運命という絶対的なもの。その縛鎖を引きちぎれる程、彼は強くはなかったと。

 

 ──しかし瀧華薫が電車に跳ねられ、意識不明の重態になったこと。そして彼女の父親が自殺したこと。

 それらの出来事が十歳にも満たない少年の心に深い絶望を刻み込み、同時に抱いた運命への怒りが、彼の自己を急速に肥大化させ、彼を運命の外へと駆り立てた。

 

 そうして彼は自身の心身を省みない努力を己に強要し続け、結果、弱冠十二歳という若さで《魔人》になった。

 

 己の内から聞こえてくる絶叫に耳を塞いで。幾度となく敗北して膝を折りたくなっても決して屈さず。涙を溢しそうになっても、薫は自分などよりも遥かに苦しいのだからと言い聞かせ。

 

 彼は戦い続けたのだ。

 

「綾辻さん」

「……何?」

「もしかしたら貴方は、紫苑さんのあり方に憧れに近い感情を抱いているのかもしれません。けれど……私は、貴方に彼と同じような生き方はしてほしくない。

 ──彼の生き方は、人ができる生き方じゃない」

 

 人として備えていなければならない大切なものすら不要だと断じ、切除して、削除する。そうして己を一振の刃として研ぎ澄ませる。

 

 なるほど、確かに強者にはなれるだろう。

 

 だが、それは人が耐えきれるようなものではない。

 そうしていた紫苑もまた、とうの昔に壊れてしまっていた。ただ壊れていてもなお、自分は壊れていないと言い聞かせ、進み続けていただけで。

 

 ──そうして彼が進み続けた果てにあるものを栞は知っている。

 屍山血河の頂にて吼える、禍々しい炎のような瘴気を纏った、ひとりの悪鬼。彼が《魔》に堕ち、修羅に成り果ててしまった姿を。

 

「西園寺さんは……百鬼くんが戦うことに反対なの?」

「正直に言ってしまえば」

 

 栞は苦笑する。

 

「私は彼にこれ以上傷ついてほしくない。しかし私がそう言ったところで、彼はそれに頷きはしないでしょう。彼が自分自身を許せていないから」

 

 だから彼はこれからも剣を振るのだろう。どれほど傷つくことになったとしても。

 彼は最強であろうとし続けるのだろう。自分の憧れが世界最強の剣士であると信じているから。

 

 そもそも、自分が彼の抱いた想いを否定する権利などどこにもありはしないのだ。そのやり方がどれほど回りから見ていて悲痛なものだったとしても、彼のやり方を咎める権利もない。

 

 だがそれは彼を心配しない理由にはなりはしない。

 

 故に彼女は自分の前でなら弱いところを見せても良いのだと言う。誰の前でも強者で在り続けることはとても苦しいことだから。たとえ貴方が最強でなくても、私は絶対に貴方を責めたりはしないから、と。

 

 なんて言葉は決して口には出さないけれど。それでも、

 

「それでも私は彼が自分の事を許せる日が来てほしいと、そう願っていますよ」

 

 そう言う彼女の表情はとても優しかった。彼女と付き合いが長くない綾瀬とて、それを見ればさすがに気付く。

 

 西園寺栞は百鬼紫苑に対して並々ならぬ感情を抱いていると。それが恋愛感情と──言い方は悪いが、それをただの恋愛感情と決めつけるのは違うように思う。

 それは母が息子を思いやるような。実直な弟の努力を陰ながら見守る姉ような。そして愛する男の心身を案じるひとりの女のような。その他にも様々な感情が入り乱れ、絡み合っている。

 自分は人の感情を理解できるとは思わないが、黒鉄一輝ならば自分がこうして感じているものをしっかりと言葉にできたのだろうか。

 

「それで綾辻さん。お喋りもいいですけど、まずは自分がやるべきことをしっかりとやるべきではないですか?」

「あ、うん。そうだね……ごめんね、変なこと聞いて」

「いえ、お気になさらず」

 

 頑張って下さい、と栞に見送られ綾瀬は再びプールに潜る。

 

 ──《黒鬼》百鬼紫苑。

 事故によるものか人の悪意によるものかという違いはあれど、自信と似た境遇にある男。けれど自分とは絶対的に違う男。

 彼は運命に抗ったのだ。《瀧華一刀流繚乱勢法》を最強にするために。事実その剣技は学園最強の雷使いであり、同時に学園最強の剣士《雷切》東堂刀華に勝った。世界最弱の男としてこの世に生を受けながらも。

 そんな境遇を知ったからだろうか。自分は彼が気になったのだ。理屈も道理も説明はできないが、彼がどんな人間なのかもっと知りたくなった。

 

 ──その予感は最悪の形でわかることになったが。

 

◆ ◆ ◆

 

 プールでの休息兼綾瀬の鍛錬が終わって暫く。栞は近くまで迎えに来ていた紫苑と合流し、帰路についていた。

 

「楽しかったか?」

「えぇ。綾辻さんにとっても、良い気分転換になったんじゃないでしょうか。ですけど……」

「どうした?」

「いえ。ただ貴方も居てくれれば良かったのに、と思っただけですよ」

「……機会があったらな」

 

 彼女のこの真っ直ぐに気持ちを伝えてくるところには一ヶ月経っても慣れることはない。コイツには恥じらいだとかいう感情はないのだろうか。

 まぁそれはそれとして、と栞は話を変える。

 

「本当に問題はなかったんですよね?」

「あぁ。ただのアフターケアだって言っただろ」

「…………本当ですか?」

「こんな事で嘘を吐いてどうするんだ。すぐにお前に見破られるのに」

「それは確かに」

 

 紫苑は嘘が吐けない。吐いたところで栞には絶対に気付かれる。それを分かった上で突っ込むか否かはまた別の問題だが。

 ──彼が嘘を吐けるように努力すればまた別の話ではあるが、彼がそんな事に自分の時間を使うとも思えない。そして目の前の彼の表情から嘘の気配はなかった。

 その時、紫苑の生徒手帳が震えた。紫苑はそれを取り出し、来た内容に目を通し……そして若干ではあるが、顔をしかめた。

 

「紫苑さん?」

「見ればわかる」

 

 と、紫苑の生徒手帳を見せてもらった栞もまた顔を歪ませた。

 メールの差出人は『選抜戦実行委員会』

 内容は次回の選抜戦の相手が綾辻綾瀬に決定した、というもの。……あの場に居なくて良かった、と紫苑は思う。まず間違いなく、気まずい状況になっていただろうから。

 それにしてもこれも巡り合わせか。自分に運と呼べるものが味方したことはほとんどないが、しれにしたって酷な話である。

 

 ──綾瀬があれほど必死になる理由も知っているから、尚更だ。

 しかし……、

 

「紫苑さん……」

「俺は手は抜かない。……お前もわかってるだろう」

「えぇ……」

 

 それは自分とて同じ事。自分の前に敵として立つのなら容赦はしない。己の信じる最強(瀧華一刀流繚乱勢法)を以て斬り伏せるのみだ。

 

 ──夜が更けていく。

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