…………正直二巻が一番書くのしんどかったです
小説書いてる兄貴達ならわかるんじゃなかろうか
──どうすればいい。
──どうすればいい。どうすればいい。
──どうすればいい。どうすればいい。どうすればいい。
プールでの鍛練が終わった先で一輝達と食事を摂っていたまでは良かった。その先で自分の因縁の相手である貪狼学園のエース《
そこで反射的に逃げてしまった先で、学園から配布された生徒手帳に入った連絡……『十一戦目の対戦相手は百鬼紫苑様に決定致しました』という文字を見てからずっと答えの出ない問題と向き合う羽目になった。
ルームメイトに心配されても、ろくに笑えなかった。それくらい、その報せは綾瀬の精神に大きなダメージを与えた。
──百鬼紫苑は破軍学園において最強の騎士である。
剣術では、あの《狩人》と《
そして平均魔力総量の1/15しか魔力を保有していないにも関わらず、自分と同レベルの魔力制御技術を持つ。
綾瀬とて平均魔力総量には及んでいないが、それは僅かな差。紫苑に比べれば遥かにある、と言って然るべき量だ。
綾瀬とて分かる。
自分と紫苑の力量の差は、隔絶していると言って尚生温い絶対的な格差があるということを。
百鬼紫苑は剣術と魔術、両方を極めた修羅。栞は《鬼》などと呼ばれているとは思えないと言ったが、これほどの男を《鬼》と呼ばずになんというのか。
そんな男に、自分は勝利しなくてはならない。何がなんでも勝たねばならぬ理由がある。
されとて、それは一体どうすれば良いのかという最初の自問自答に戻ってくる。
──黒鉄一輝ならばまだやりようはあった。
彼が誇る必殺《一刀修羅》には『一日に一度しか使えない』という明確な弱点がある。それに彼は酷くお人好しだ。それこそなんの関係もなかった自分を強くしてくれるほどには。
学園の屋上から飛び降りるなりして、《一刀修羅》を使いざるを得ない状況を作り出す。そうすれば彼は間違いなく使ってくるだろう。例え、その後に選抜戦という大舞台が控えていようとも。
だが、紫苑には《一刀修羅》殺しのような真似は決して通じないだろう。
彼には《一刀修羅》のような明確な必殺技が存在しない。否、振るう剣技、その全てが必殺の魔剣であるというのがひとつ。
そして彼は一輝と比べずっとドライだろうというのがひとつだ。例え、前述したように自分が屋上から飛び降りたところで彼は決して救いには来ないだろう。
当たり前だ。彼からしてみれば『自分の対戦相手が勝手に飛び降りて、行動不能になろうとしている』状況だ。わざわざ助けにくるほど彼は大馬鹿ではない。
仮に助けに来たとしても、一輝のように明確な弱体化は見込めない。精々、彼が戦える時間を僅かに削ぎ落とすことができる程度だ。そしてその僅かに削った時間が試合に影響が出る程、自分の実力は彼に伯仲してない。
──要するに……詰みの状況だ。
「どうすれば……」
自分の持ちうる手札を改めて見る。
綾辻一刀流の剣術、そして自分の伐刀者としての『傷を開く』能力。魔力量に魔力制御……それをどの順番で、どんなに手管を弄そうとも彼には届かないだろう事が用意に想像できる。
そんな時だ。
「あっ……」
綾瀬に天啓が降りてくる。
否、天啓と言える程勝算があるわけではない。ただ勝ち目がゼロの負け戦が、乾坤一擲の大博打をすれば僅かに勝ち目が見えるようになったという程度のもの。
出来るか出来ないかでいえば出来ない可能性の方が遥かに大きい。しかし上手く行けば百鬼紫苑を完全に封殺できる。そんな一手。
なのだが……。
「…………っ」
彼女の良心がそんな事をしてはならないと止める。それは人がして良い行いではない、と。
けれど……彼女はそれを力ずくで黙らせる。
「ごめんね、百鬼くん。ボクは……負けるわけには行かないんだ」
自分の大切なものを取り戻すため。
自分は勝つためならどんなことだってする。そう決めたのだ。
夜が明ける。
綾辻綾瀬と百鬼紫苑の試合が行われる第六訓練場は、お世辞にも観客が多いとは言えなかった。その観客も次に行われる試合目当てで来ている人間が多い。
《黒鬼》という名で恐れられる紫苑は無論の事、綾瀬も人気がある騎士とは言い難い。
彼女はこれまで格下のEランク騎士などと当たっていた為これまで突破できていたが、紫苑や一輝などのように《
──会場を盛り上げようとする実況と、解説の教師の声が遠くから聞こえるようだ。まるで自分だけが海の中にいるような感覚。
良いコンディションだ、と綾瀬は思う。だがそうでなければ彼と剣を交えることすら出来ないだろうから、ここまでは彼の前に立つための最低条件。
問題は──ここから。
彼との距離は20メートル。
そこから漂ってくる剣気に身体をぶるりと震わせる。
(わかってはいたけど……)
紫苑の顔に油断、慢心はない。けれど過度な強張り等も見受けられない。およそ剣士としてのベストコンディションを保って、彼は自分と相対した。
──正真正銘の全力で、自分を叩き潰すつもりだ。
『彼らはこの学園でも珍しいくらい、剣術に偏った騎士です。さて、この勝負の行方はどうなるのでしょうか? ──さて、それでは皆さんご唱和ください! 試合開始──!!』
瞬間、紫苑の姿が消えた。
そしてそれはすぐ眼前に迫っていた。
バゴォッッッ!!! という爆発音にも似た音が遅れて響いてくる。それは埒外の筋力で床を蹴りつけ、綾瀬を斬り伏せようとしたのだ。
だが、これは予想できたこと。
自分と紫苑の間にある剣術の技量差は絶対。遠距離からの刺突《鳳穿花》によるロングレンジアタックも想定できたが、彼はそんなまどろっこしい真似はしない。
自分の最強を以て叩き潰しにくる。綾瀬はそう確信していた。
刃と刃がぶつかり、鋼の音が鼓膜を叩きつける。
膂力の差によって身体ごと地面から引っこ抜かれそうになるのを何とかこらえた。
ここで紫苑は疑問に思う。
──綾辻一刀流は『後の先』……所謂カウンターを狙うことに特化した剣術である。故に綾瀬はこの一撃による衝撃をなんとかして逃がそうとすると想定していた。
その上で叩き潰してやると思って振るった一撃は、外に逃がされる事はなく受けきられた。膨大な魔力──あくまでも紫苑基準だが──を放出することによって、彼女は耐えたのだ。
カウンターもへったくれもない、力ずくでの受け。何故そんな真似をする。紫苑がそう思った瞬間──
「──《魂裂き》」
紫苑の意思は暗転した。
最初に異変に気付いたのは実況席にいる解説役の教師──折木だった。
彼の顔色が目に見えて悪くなった。傷も負っていない筈、発作が起きるような病にもかかっていない筈なのにどうして──そう思ったときだ。
紫苑が膝を屈した。
『な、なんとぉ!! 百鬼選手、《雷切》戦ですら膝を屈することなく会長を斬り伏せたにも関わらず、ここで初めて膝を折ったぁ!!』
「げほっ、ごほっ、ゥオェ……!」
いや、それだけでは済まない。彼が激しく咳き込んだかと思うと、腹の中身を床にぶちまけた。
『紫苑選手が嘔吐した! 明らかに普通じゃない……! 折木先生!? 彼の身に何が起こっているんですか!!? これが綾辻選手の能力なんでしょうか!?』
『わ、わからない……一体何が起こっているのか……!』
ヒュー、ヒュー、と過呼吸を繰り返し、身体は何かに怯えているように小刻みに震える。目の前に敵がいるにも関わらず、彼の視線は虚空を彷徨っている。
眦からは大粒の涙さえ溢れていた。
折木は強制的に体調を最悪の状態にまで持ち込む自分の能力、《
そもそも百鬼紫苑程の男が、ただの痛み程度であそこまで苦しむだろうか。あれはまるで……おぞましいものを見てしまって、恐怖することしか出来ない子供のような……、
「綾辻さん、貴女……!」
ところ変わって観客席。
縁のある者同士の試合だからと、観戦をしていた西園寺栞が歯噛みする。その顔には明確なまでの憤怒がある。
「シオリ! なんであんたそんなに怒って……?」
「怒りたくもなりますよ……!!」
普段の穏やかな雰囲気はどこに行ったのか。彼女は周囲の事など気にも留めずに、衝動を観客席にぶつける。
それはあまり付き合いのない一輝やステラ、珠雫や有栖院には想像できない姿だった。
「あの、西園寺さん。貴女はまるで彼に起こっている事が分かっている風ですね。説明していただけませんか?」
「……綾辻さんの能力は『霊装でつけた傷を開く』という概念干渉系能力です。これを人体に使えばどんな掠り傷だろうと『重傷化』させ、また空間に使えば任意のタイミングで発生させられるカマイタチを発生させることが出来ます。
そして概念干渉系能力は『概念』そのものを操作することができる能力ですから、出来ることの幅は極めて広い。その能力を持った者の解釈次第で、可能なことが増えていくと言ってもいいでしょう」
卓越した《反射使い》が『自身が傷を負わされた』という因果を相手に『跳ね返す』ことによって、自分の負傷をまるごと肩代わりさせるように。
尋常ならざる《努力》を繰り返すことによって全く異なる能力を身に宿せるように。
後者は《魔人》となる前は『努力を重ねれば如何なる事だろうと、人類最高峰の技術や肉体を会得できる』能力だったものが、『努力を重ねる限り無限に強くなる』能力に変質したからこそ起きた現象であるが。
「つまりどういうことなのよ?」
「綾辻さんは百鬼くんの『心の傷』を開いた……そう言いたいんだね?」
「えぇ」
──霊装とは魂の具現。それ即ち、心が擬似的に実体化したものだと言ってもいい。
それを先ほどの衝突でほんの僅か……そう紫苑さえ意識できない、ほんの僅かでも傷つけることが出来ていたとしたら。
あらゆる傷を重傷化させる彼女の一撃が、彼の心の傷を強引に開いたとしたら。
「でもお兄様、そうそう心の傷なんて開けるものなんでしょうか?」
「いえ、たぶん彼にだけはそれが可能だったのよ」
それに答えたのは有栖院だった。
「私は詳しく知らないんだけど、確か彼って前に一輝達がプールに行った時『アフターケアがあるから』と断ったのではなかったかしら?」
「……あぁ、そうだね」
「それなら可能でしょうね。アフターケアっていうとそんなに大した問題には見えないでしょうけど、逆に言えばアフターケアは必要な状態なんだもの。完治した訳じゃないわ。……彼の心には『かさぶた』があった。それを彼女は能力を使って強引に引っ剥がした。その結果があれって話ね」
おそらくではあるが、彼は11年前のトラウマと再び相対しているのだろう。そうでなければあんな状態になどなる筈がない。
栞が堪えきれないという様に舌打ちをする。
そして──彼らの想像は当たっていた。
(『心の傷』を開く……出来るものなんだね)
能力からすれば出来ないことはないが、出来る可能性は著しく低いといったものだった。いや、彼と一輝くらいにしか出来なかっただろう。
彼らは剣術であればこの学園の中──否、日本の中でも五指に入るくらいの実力者であるが、魔力においては劣等も劣等。紫苑に至っては連盟の中で最も素質がないと言われている騎士。
だから抵抗されなかった。出来なかった。
霊装を媒介し、心の傷を開こうとした綾瀬の魔力を。
──自分の勝ちだ。
彼は自分の心に傷を開かれたことで、精神に大きなダメージを負った。そんな状態ではロクに剣技は振るえまい。
……それにしても《黒鬼》と呼ばれる剣士があそこまで苦しむなんて。
『普通の男の子……でしょうか』
以前に聞いた百鬼紫苑の話がリフレインする。
彼はどれほど強かろうと、その辺りにいる男の子でしかないのだと。そんな彼が強さを得るためにどれほど自分の心身を磨り減らしてきたのかを。
(西園寺さんは……怒っているだろうな)
心の中で紫苑と栞に謝罪する。
本当ならばこんな手段になんて手を染めたくはなかった。だが、仕方がないのだ。そうしなければ勝てないんだから。
──勝利こそ全てだ。
どんなに高潔に戦おうと、負ければ全部失われるんだから。
二年前、彼女はそれを痛いほど思い知った。知ったときには全てが遅くて、自分の手からは溢れてしまっていた。
その溢れたものを──
(ボクは取り戻すんだ──!)
綾瀬は心の中で吼え、そして──その剣が弾かれ、腹部が裂かれた。
「……っ、げほっ……!」
激痛が綾瀬の脳を沸騰させる。
だが彼女はそれを些事だと切り捨て、距離を取った。
剣士の間合いで無様に痛みに悶絶することは、首を落としてくれと言っているようなものだからだ。
しかし……
『百鬼選手、満身創痍で立てないかと思いきや、ここで反撃を入れたぁ!!』
紫苑は完全に押し潰されていた筈だ。自分のトラウマに耐えきれず、涙さえ流していた。完全な死に体、あそこから剣が振るえる筈がないというのに……どうして……!
「どうして、あそこから剣が──」
振るえるのか。
それに対する返事はなく──、
「──《花束》」
彼女の身体は逆袈裟に切り裂かれた。
──あまりに呆気ない決着だ。
綾瀬は東堂のように剣戟を交わすことなく、たった二合で散った。《瞬菊》と《鳳穿花》の合わせ技──《花束》による飛翔する斬撃──それも《鳴神》を叩き折るほどの速度で振るわれる一閃に、綾瀬程度の騎士が反応できるわけもなし。
こうして綾辻綾瀬の全身全霊を賭け、その上卑劣な手段にまで手を染めて挑んだ百鬼紫苑との一戦は、紫苑の圧勝という形で終わったのだった。
「はっ──!」
綾辻綾瀬は破軍学園内に存在する医務室で目を覚ます。
IPS再生槽による治癒を受けた者は、大体がこの医務室のベッドに寝かされる。自分がそこに寝転がっているということは──、
「……目が覚めましたか」
「……っ!」
負けたのか。そう現実を受け止めると同時に、自分のベッドの傍でパイプ椅子に腰かけていた人物──西園寺栞から声をかけられる。
──その目は、今まで自分が見てきた栞のそれよりもずっと冷たくて。自分がしでかした事の大きさを痛感させるには充分だった。
「──ごめんなさい」
「謝る相手が違うでしょう?」
端的で、けれど明確な拒絶の意思。
それに二の句が継げなくなれば、栞は大きく溜め息を吐く。
「──まさか貴女がそんなことをするような方だとは思っていませんでした。私もまだまだ人を見る目がないようです。……失態でしたね」
自分だってこんな事をしたくはなかった。仕方がなかったのだ。
──口で言うのは簡単だ。けれど目の前の栞を見て、そんなことが言えるわけがない。言ってしまったら──自分はどうなるかわからない。
あの《黒鬼》百鬼紫苑と同格であると認められた少女が、自分に対して明確な怒りを持って力を振るえば……どうなるかは想像に難くない。
「はぁ……綾辻さん」
「……はい」
「百鬼さんから伝言を預かっています」
「百鬼くんから……?」
「『お前は真面目すぎるから最初に言っておくが、俺は別に怒ってはいないければ、お前に謝って欲しいわけでもない』」
困惑の声が漏れた。
栞はそれに反応することなく、淡々と続ける。
「『ただ真面目すぎるのも難点だな。敵の弱点を突いた。ただそれだけの事で心が乱れる。心が乱れるから剣筋が乱れる。……それを誇り高いというか、勝ちに貪欲になりきれないというかはお前次第だが。
──ただお前が俺に対して申し訳ないと思うのなら……お前の手で《剣士殺し》からお前の大切な場所を取り戻してみせろ』」
「──ッ」
因縁の相手の異名が彼女──いや、彼の口から溢れる。
「『過去を取り戻せ。今を取り戻せ。未来を取り戻せ。誇りを取り戻せ。お前の大切なものすべて、お前自身の手で取り戻せ。お前の信じ、そして愛した剣で、奴を打ち破れ。それが弟子にくれてやる、最後の宿題だ』──以上です」
伝える事は伝えたと言わんばかりに、彼女は医務室から出ていく。
これで彼女がどう思ったのかも、これからどうするのかも知らない。仮に紫苑の言ったことを無視し、一輝辺りに助力を乞う他としても彼は特に不快感は示さないだろう。
「……本当に、優しすぎる人」
本当はもっと怒っても良い筈なのに。
彼はそれを『戦いだから』という一言だけで許してしまう。彼は生粋の戦士だから。
──自分には理解できない考えだ。自分は戦士とは程遠い人間だから。
……なんて自分が彼の前で言ったなら彼『お前は優しい奴だ』なんて言うのだろう。どっちが優しいんだか。
「今日のご飯はちょっと豪勢にしましょうか」
そんなもので楽になるとは思っていないけれど。それでも彼が嬉しいと思うことくらいはしてあげたかった。