「百鬼、少し良いか?」
「……? 手短に済ませてくれるのなら」
選抜戦の控え室に行く途中の廊下で、紫苑は破軍学園の理事長を勤めている新宮寺黒乃に話しかけられた。
……ただすれ違ったから話しかけた、というには自分と彼女に接点もなかった筈だ。何の用だろうか?
「あぁ、お前次の週の週末は予定は空いているか?」
「……はい。特に何もなかったかと思いますが」
「そうか。実は……」
新宮寺曰く、破軍学園が毎年七星剣舞祭の直前合宿を行っている海水浴場があるのだが、その周辺で『怪物を見た』などという不審な噂が立っているようだ。
普段ならば破軍学園の教師を向かわせて噂の調査、事実であった場合は解決等を行うのだが、現在教師達は不馴れな選抜戦の運営でそこまで手が回らないのが実情だ。
故に生徒会の面々に調査を依頼したのだが、捜索範囲が海中にまで及ぶことを考えれば些か手が足りない。故に外部から助っ人を頼みたい──との事だ。
「なるほど……」
「無論、電車とはすれ違わないように生徒会の方には話を通しておく。とは言ってもある程度事情を知っているだろう、東堂がいるから心配はいらんだろうが。……引き受けてくれるか?」
「……えぇ。俺で良かったら」
新宮寺には、自分の変則的な編入を受け入れて貰った恩義がある。自分の編入を通すために、保護者である西京寧々が随分とごねたというのも話には聞いた。
それに今年度から始まった選抜戦にも紫苑は恩恵に預かっている。この程度で彼女への恩が返せるなどとは思わないが、喜んで引き受けよう。
「そうか、助かる──」
「ただ……」
「……? ただ、どうした?」
「俺で良かったんですか? 俺は索敵なんて真似、全くできませんけど」
これが怪物狩りならば──剣士として力を振るうのならば、紫苑の本領だが、これが索敵となれば話は違ってくる。
自身に向けられた殺気を感知するならばまだしも、潜伏している敵を発見する術など紫苑は持ち合わせていない。
自分は無力ではないかという紫苑に新宮寺は「あぁ」と納得を示した。
「その辺りは私も心得ている。だから西園寺にも話を通して欲しい。より正確に言うのなら、お前達ふたりへの依頼という事になるな」
「……わかりました。アイツにも話を通してはみますが……アイツが来られるかどうかはわかりませんよ? 数日前から忙しそうにしていたので」
「忙しそう? 何かあったのか?」
「なんでも家の方で少しあったようで。流石に詳しい事情までは知りませんけど」
ここ数日は泊まり込みでどこかに行っているようで、夕食も一人で摂る日が続いていた。『何か俺に手伝えることがあれば言ってくれ』とは言ったが、自分に出来ることなど剣を振るう事くらいだ。そんな自分は彼女の力にはあまりなれないだろうが……それでも栞は『その時が来ればお力を借りても良いですか?』と言ってくれた。
(慰めなんだろうがな……)
元より多才で優秀な彼女の事だ。自分の手など借りずとも終わらせてしまうだろう。
「わかった。話だけでも通しておいてくれ。無論、無理はしなくても良いともな。あぁ、でも参加してくれるにしろ、しないにしろ、今週の金曜までには生徒会の方に伝えてくれると助かる」
「わかりました。……もう良いですか?」
「あぁ、邪魔をして悪かった。試合、頑張れよ」
失礼します、と紫苑は頭を下げて去っていく。
その姿を見送りながら、背後に向けて一言。
「──あれで良かったのか? 寧々」
「おう。サンキュー、くーちゃん」
からん、と天狗下駄を鳴らして彼女の横に立ったのは和服を着崩した少女──にしか見えない女性だ。
破軍学園非常勤講師の西京寧々。KoKと呼ばれる連盟旗下の戦闘興行においてランキング三位の実力者であり、現在は百鬼紫苑の保護者である。
「それにしてもお前は何を企んでいるんだ?」
「そんなもん義息子のラブロマンスに決まってんだろ!? 真夏の海! 乳がでけぇ上にとびっきりの美女であるしおりんの水着姿! そこで起こる怪物出現ッつーハプニング! そこでふたりの距離は急速に縮まって……!」
「お前は百鬼と西園寺をなんだと思っているんだ」
義理の息子とそのルームメイトを恋愛ドラマの主役にしようとしている西京の頭に、新宮寺は手刀を振り下ろす。それをひょいっ、と軽い調子で彼女は避けた。
「いや、でもアイツ、マジでしおりんに懐いてるんだぜ? 今までからしたら信じらんねぇくらいにさ」
「…………」
寧々の声から冗談の色が抜け落ちた。
「ウチがアイツにしてやれた事なんて、
……なのにしおりんはどうだ? アイツと知り合ってもうちょいで二ヶ月。そんな短時間で遊びにも連れ出して、旨いメシも作ってやって、なにより……多少とはいえアイツの抱えてるもんも吐き出させて、受け止めた」
西園寺栞には自分にはない才能がある。
──他者に寄り添う才能。
自分のような暴力を振るうことしか能がない自分とは全く異なり……そして、人のためになれる才能だ。
「全く、この歳で嫉妬たぁ嫌になんね。しかも自分より一回りも年下のガキにさ」
「寧々……」
「まぁつまり、何が言いたいかってーと、少しでも息子の為になるかもしんねぇ事くらいしてやりてぇのさ。今まで青春の『せ』の字もなかった人生なんだ。そのきっかけくらい作ってやりたい。それにあのふたりなら戦力としても申し分ないだろ?」
「……そうだな」
新宮寺も西京も、自身の青春を犠牲にして強さを追い求めた人間だ(新宮寺はちゃっかり恋人を作っていたが、それでも当時は強さを優先していたことに変わりはない)。
だからといって紫苑のようにはなれなかったし、なるつもりもなかった。彼の強さへの執念は最早、呪いと言っても良い程である。
これくらい強引に改善の機会を作ってやった方が良いのかもしれない。それに先ほど寧々も言ったことだが、彼と栞なら戦力としては十全過ぎるほどだ。
「ほら話は終わり終わり。さっさと行くぞ、くーちゃん。紫苑が試合したら、また訓練場ごとぶった斬るんだから」
「……毎度毎度少しは加減して欲しいものだ」
そりゃ無理な話さね、と笑いながら先に行く寧々を、新宮寺は頭をかきながら追いかけた。
「ふぅぅぅ……」
柄にもなく緊張している、と黒鉄珠雫は自身の状態を判断する。
勝利へのプランは立てた。自身と対戦相手との相性は良好。だが……彼はそんなものなど容易く踏み潰してくるだろう。
目を開け、真正面に立つ男を見据える。
手入れなどろくにされていないだろう、お世辞にも綺麗とは言えない白髪。髪の隙間からこちらを真っ直ぐに見据えてくる赤と黒のオッドアイ。
そして人類最高峰の魔力制御力を持っている珠雫が、ようやく感じられるほどのか弱い魔力。
そして相対しただけで押し潰されてしまいそうな殺気。
──《黒鬼》百鬼紫苑。
破軍学園序列一位にして生徒会長《雷切》東堂刀華を下し。以降の試合を綾辻綾瀬とのもの以外、すべてを不戦勝で勝ち上がり。
兄であり、負け戦の百戦錬磨である《無冠の剣王》黒鉄一輝をして『今の僕では彼に勝てない』とまで言わしめた、世界最弱の素質を持った伐刀者にして破軍学園最強の剣士。
わかってはいた。
彼が自分よりも格上なのは。
相対しているだけで体力を消費していく。彼に見据えられているだけで、周辺の気温が下がっていくような錯覚すら覚える。
ぶるり、と珠雫の身体が震えた。
だが、彼女はそれに負けないくらい口角を吊り上げた。
何故か。
それはずっとこういう戦いを待ち望んでいたからだ。
自身の全身全霊。己が培ってきた全てを賭してなお届くか否かという、絶対強者との戦いを。
己の『想い』が試される、そんな戦いを。
(お兄様──)
この場所にいない、最愛の兄を呼ぶ。
今は自分の前を歩いている愛しの人。そしていつか並び立つと決めた、憧れの人。
(私は勝ちますよ、ステラさん。だから……貴女も負けないでくださいね)
「双方、霊装を展開してください」
「飛沫け、《宵時雨》」
「──《亡華》」
紫苑の手には、鞘に収まった漆黒の日本刀が。珠雫の手には小太刀が握られる。
……所変わって場所は第七訓練場。
紅蓮の長髪を靡かせ、彼女はそこに立っていた。
観客の歓声が聞こえる。だが、それは遠くから聞こえているように曖昧である。
それは、目の前の敵に全ての意識が集中しているからで。
「……ふふ、流石ヴァーミリオンさん。歓声も人一倍です。流石に緊張してしまいますね」
「そんなもの微塵も感じていないのによく言うわね。シオリ」
綺麗に整えられた夜色の髪。柔和に微笑み、余裕のある立ち振舞いはこれから刃を交えるとは思えない。
だが、そんな立ち振舞いがステラにとっては何よりも不気味だった。
──得体が知れない。
それがステラの栞への印象だった。
解放軍によるショッピングモール襲撃。そしてこれまでの選抜戦において、栞は一度として霊装を見せていない。
ただ相対した相手を眠らせて戦闘不能へと追い込んでいる。故につけられた異名は《
霊装不明。戦闘スタイルは魔法戦だと思われるが、詳細は不明。実力は未知数。
自分は一輝のように事前に対戦相手の事を調べたりはしないが、それでも耳に入ってくる情報はある。だというのに栞はここまで勝ち上がってきている事が不可思議な程、出回っている情報が少なかった。
「まさか。かの《紅蓮の皇女》を相手にするのですよ?」
「そう。だったらこれまで隠してきた霊装も見せてくれるのかしら?」
「勿論ですよ。……《ウィックド・ウィッチ》」
短く栞がまじないを唱えれば、手に握られるのは、紫色の刀身を持つ小振りなアーミーナイフだ。
ステラの霊装である《
「《ウィックド・ウィッチ》……悪い魔女」
「えぇ。《眠り》の能力ですから。らしい名前でしょう?」
小鳥が囀ずるようにくすくす、と笑う。
余裕ぶっているように見える。……いや、実際余裕なのか。
ステラは日本に来てから、自分がどれほど井の中の蛙だったのかを思い知った。
来日してすぐ自分よりも圧倒的に素質で劣るFランク騎士に無様に敗北し、その一週間後にはテロリストに遅れをとった。
選抜戦が始まってすぐに《黒鬼》と《雷切》の戦いを見て、敵わないと痛感してしまった。
だが──自分だって成長している。
ならば……自分を侮る女に、一発おみまいしてやろうではないか。
「その余裕ぶった顔、すぐに青くしてやるわ」
「お手柔らかにお願いしますね?」
ステラが霊装を手に握り、切っ先を栞に向ける。
それでも彼女は微笑み、アーミーナイフを構えた。
第六訓練場『《黒鬼》百鬼紫苑VS《
第七訓練場『《眠りの魔女》西園寺栞VS《紅蓮の皇女》ステラ・ヴァーミリオン』
「試合開始──ッッッッッッ!!!!!!!!」