「《水牢弾》ッ!」
開幕の号令がなされ、最初に動いたのは珠雫だった。
それは彼女にとって十八番であり、異名のきっかけにもなった敵を窒息させる水の塊を射出する伐刀絶技《水牢弾》である。
それを五発ほど一斉発射。
この技に為す術なく破れ去ってきた騎士は多い。それに対する紫苑の応手は──轟ッ! という音を伴った居合い抜きだった。
《比無菊》のような精錬された一刀ではなく、あまりにも荒々しく、そして無駄の多いそれ。
ならば何故そんなものを振るったのか。簡単なことである。普段ならば無駄と切り捨てるそれが、今回は必要となったからに他ならない。
刀が振るわれた風圧によって《水牢弾》五発が残らず吹き飛ばされ、技の体を保てなくなった。その水の塊は扇状に散らばり、観客席を囲む魔力障壁に叩き付けられる。
だが、当然これだけでは終わらない。
「《障波睡蓮》──!!」
珠雫と紫苑の間に幅三メートルにもなる水の壁が競り上がる。
解放軍によるショッピングモール襲撃時において密かに準備していた(紫苑の敵の最高戦力撃破と、栞の制圧によって不発となったが)防御用伐刀絶技《障波睡蓮》。
それを展開した瞬間──その正面を風圧が薙いだ。
流石に剣で振るわれた風圧。しかもステラのような規格外の筋力を持っているわけでもないため、飛翔する払いは壁を吹き飛ばすには至らない。
今まで勝負を決めてきた技が容易く払われたことによる動揺はない。むしろこの程度、彼の強さを考えれば当たり前にやってくることだ。
この程度で倒れられては拍子抜けも良いところ。
珠雫は《障波睡蓮》と並行して発動の準備を整えていた技を撃ち放つ。
「《血風惨雨》──ッ!!」
彼女は《宵時雨》を指揮棒のように紫苑へと振るい、巨大な水の塊を作り出すと、それを針のような形へと変化させ、紫苑に向けて一斉に射撃する。
弾雨、という言葉すら生温い一斉掃射に流石の紫苑も守りに回らざるを得ない。
彼は《亡華》の形状を自身を包み込むような形状に変化させ、水の針群を防ぎきる。
(──これでいい)
珠雫は作戦の第一段階が上手く行ったことに一旦安堵する。
彼と戦う上での絶対条件……それはクロスレンジに入らないこと。
紫苑ほどの剣士のクロスレンジ──即ち刀が届く範囲は『死地』も同じ。自分のような魔法戦に極端に特化し、近距離戦闘はさわり程度しか修めていない者が軽々に立ち入れば、待っているのは死のみである。
だからこそ絶対に刀の間合いには入らない。入らせるような行動を取らせない。
彼を魔法戦の間合いに押し止め、封殺しきる事こそが己の唯一の勝機である。
故に川の氾濫を想起させるほどの水量で、彼を圧倒しようとしたのだが……珠雫は目を見開いた。
──彼が歩みを進めている。
(嘘でしょ……!)
本来ならば制圧射撃に重点を置いている《血風惨雨》を一点集中し、彼にぶつけているのだ。それは川の氾濫と形容したように、到底人の身で受けきれるような衝撃ではない。
並みの伐刀者であれば防御を貫かれるか、後退するか。ステラ級の規格外であったとしても足を止めざるを得ないほどの衝撃であろうに。
ガガガガガガガガッ!! と《亡華》を釣瓶打ちにしているにも関わらず、一歩、また一歩と確実に歩を進めている。
(ッ! 落ち着きなさい、私)
確かに《血風惨雨》を受けきって、こちらに進んできている事には驚いたが、流石に走ると言った真似はできていない。それに《亡華》を盾にしている時点で、彼は攻勢には出られない。
彼のロングレンジアタックは全て斬撃を飛ばす、間合いを伸ばすといった『剣を振るうこと』が前提となっている攻撃であるからだ。
ならば彼の目的は──威圧。
お前の攻撃など然したるものではないと誇示し、こちらの動揺を誘うための一手であると彼女は読む。
(……私のやるべき事は変わらない。彼の歩みを止め、魔法戦で仕留める)
そのために必要な手を打つだけだ。
そうして足元に魔力を這わせ、作り出したのは氷の杭だ。
視界外からの強襲。それも『迷彩』と呼ばれる、魔力の使用を相手に感づかせない技術を用いたそれはいとも容易く迎撃される。
だが、一瞬だろうと彼の意識を後ろに向ける事が出来れば、その攻撃には意味があるのだ。
──紫苑の頭上に影が射した。
それの正体を確かめることすらできなかった。
それは十メートルにも迫ろうかという巨大な氷の円柱だった。それが頭上という人間の死角から襲来し──紫苑を押し潰した。
轟音がこの場にいる全員の鼓膜を叩く。
だが──、
「──っ!」
まだ足りぬと、珠雫はその更に同じ円柱を作り出し、一本目の上から叩き付ける。衝撃に耐えきれず、一本目のそれにヒビが入る。リングに亀裂が入った。
更に上から叩き付ける。一本目の氷柱は完全に砕け散り、リングの一部が完全に粉砕された。
三本の巨大な氷柱がリングに叩き付けられ、そして生まれたのは巨大な氷の墓標。
水というどちらかといえば攻撃よりも、防御や治癒を得意とする能力でありながら、これほどの破壊を生んだ事実に観客席も実況席も静まり返る。
次いで生まれたのは……地を揺るがすほどの歓声だった。
『──す、素晴らしいぃぃぃぃぃぃ!!! 私、実況でありながら黒鉄選手が次々と繰り出す技の連打に、一切口を挟むことができませんでした!』
『なんだよあれ! 水使いがやっていい攻撃じゃねぇよ! マジでえげつねぇ!』
『いやあの攻撃だけじゃない。あれだけ大規模な攻撃だ。準備には相応の時間がかかった筈。なのにアイツはそれを一切悟らせなかった……っ! それもあれだけ技を打っておきながら! 《紅蓮の皇女》とは別方向にイカれてやがる……』
『これは終わったわね。いくら会長を真正面から斬り伏せたからって、世界最弱のFランクが受けきれるような攻撃じゃないわ』
『いける……! いけんぞ! 勝ってくれぇぇ!!』
珠雫の勝利を確信した観客達が沸き立つ。
当たり前だろう。どれほど卓越した剣技を持っていようが、列車の衝突に抗える剣士など居よう筈がない。そのまま轢き殺されるのが関の山。
──そう。本当にただの剣士ならば。
無音の、漆黒の剣閃が走った。
一瞬遅れて、氷の墓標にいくつもの斬痕が刻まれ──墓標が崩れ去る。
そしてその下からは、制服が穴だらけになった百鬼紫苑が刀を抜いた姿で現れた。
その姿に──血の赤は見受けられない。
「さっすが紫苑。あの程度屁でもねぇってか」
観客席が驚愕と紫苑の恐れに包まれる中、冷静に状況を分析している者が二人。
紫苑に話しかけた後、そのまま試合を観戦していた西京寧々と新宮寺黒乃である。
けらけらと笑う寧々に対し、新宮寺は「わからんな……」と小さく声を漏らした。
「『わからん』ってどういうこったよ、くーちゃん」
「私の見立てでは百鬼の魔力制御は《瀧華一刀流繚乱勢法》を使うために鍛え上げたもの。索敵や魔力を感知する事はアイツはどちらかと言えば不得手な筈。……そうだな?」
だからこそ、自分は合宿先の化け物が出るという噂の調査の協力者として紫苑と栞を指名したのだ(寧々からの頼みという事もあったけれど、本命はそれである)。
索敵や魔力の感知においては紫苑よりも、栞の方が遥かに上。それはショッピングモール内に潜伏していた解放軍の実働部隊の人数及び場所を正確に割り出した事からも明らか。
故に紫苑に珠雫が全力で施した『迷彩』を看破し、事前に対策を立てることは不可能に近い。新宮寺もまた、最初は決まったと思ったのだ。
そんな彼女の見立ては全く間違っていない。
伐刀者が用いることを前提に置いた《瀧華一刀流繚乱勢法》だが、その中に『迷彩』を破るような技はない。
だから寧々もそれに頷いた。
「しかしアイツは頭上という、人間にとっての絶対的な死角からの攻撃に見事対応してみせた。そのからくりは一体なんだ?」
「からくりなんて大層なもんじゃねぇさ。聞いちまえば『なんだ、そんなことか』ってなるくらいシンプルだ」
寧々は珠雫に視線を向ける。
必死に取り繕ってはいるが、そこには明らかな動揺が見て取れた。間違いなく今の新宮寺と同じ疑問を持っていて、尚且つ自分のように親切に教えてやる人間がいないから。
──そう。大それた伐刀絶技というわけでもない。破れるようなからくりがあるわけでもない。
「──勘だよ」
「勘……だと?」
「いや、勘っつーと正確じゃないね。ただアイツは次の攻撃がどこから、どんなものが来るのか『わかる』のさ」
──そう。紫苑はただ理解しているだけ。
珠雫がどんな攻撃を仕掛けてくるのか、どこから繰り出してくるのか、どのタイミングで打ってくるのか……それら全てがわかるだけ。
言ってしまえば、ただそれだけの事なのだ。
「馬鹿な! ただわかる、そんなものただの勘と変わらんだろう。そんなものに自分の命を委ねるなど……!」
「まぁウチにはわからんけどね? アイツ曰く、まず臭いがするんだと。血みたいな鉄臭い感じの。で、次の瞬間には自分が負けている景色が見える。
それ聞いてウチは思ったね。その勘は、アイツの生存本能に由来するものなんだって」
騎士の中には自分の死に限りなく近づいたことで、五感で『死』を解する者がごく少数だがいるという。彼もまたそういう人間なのだろう。
それは納得できる。しかし西京の言うことが事実なのであれば、紫苑の『死への嗅覚』は前述のそれとは桁違いだ。
もはや『未来予知』の領域に達している。
「確かに精度は桁違いだけど、万能って訳じゃないぜ? アイツの生存本能に由来する物だから他人の危機には一切働かねぇし、まず『自分に害をもたらすもの』にしか効力はない。だから攻撃みたいな行動には全部反応するが、それ以外は全くわからねぇ」
だがその弱点は今は全く問題にならない。
試合とはいえ殺し合いの場。相手に攻撃しないなんて状況は成立のしようがないのだから。
「《
アイツの生存本能は、自分を殺すもの悉くに反応する。掻い潜れるもんなら掻い潜ってみなよ、妹ちゃん」
カワード・インスティンクト。
臆病者の本能。
11年前に限りなく死に近づいて、そしてこれまでずっと負け続けてきた紫苑が身に付けた、『死』に対する絶対的な嗅覚。
なるほど、確かに恐ろしい代物だ。相手の殺気や害意に反応しているわけでもないから、感情を伴わない兵器による攻撃や天災にまで反応してくる。攻略法もない、単純明快な特性。
だが、真に百鬼紫苑を強者足らしめているのはこれではない、と新宮寺は思う。
(自身の死が見えたところで対処できなくてはそれで終い。本当に恐ろしいのは、初見の技だろうが対処してくる百鬼の対応力。……いや、これまで累積してきた戦闘経験だ)
紫苑にあって珠雫にないもの。
それはこれまで積み上げてきた研鑽だ。
そしてひとつひとつ経験を積み上げ、己の血肉とする事において紫苑の《努力》は数ある異能の中で随一の性能を誇る。
それによって生まれた彼我の差こそが目の前の結果だ。
珠雫は得意としている魔法戦で彼に傷ひとつつけられていない。この事実は観客達が感じているそれよりも遥かに大きい。
(押し潰されるなよ、黒鉄妹。そうなってはアイツの独壇場だぞ)
──まさか一滴の血も流すことが出来ないとは、と珠雫は苦虫を噛み潰す。
己の領域であるロングレンジでの魔法戦。しかも守りではなく、攻めに圧倒的比重を置いた剣術を使う相手の防御を貫けないなんて。
いくら自分の使う魔術が攻撃に寄った炎や雷でないとはいえ、ランクの差を考えればありえない事の筈なのに。
しかし必要以上に悲観的になる必要はない。
たかだか作戦のひとつが通じなかっただけ。
それに『クロスレンジに入らない』という目的は達成している。
ならばこのまま持久戦を仕掛け、彼の首を討ち取る。
どれだけ強かろうが、彼の伐刀者としての素養は世界最低なのだから。
我慢比べで彼が自分に勝てる道理はない。このままじわじわとなぶり殺しにしてやる。
「──《白夜結界》」
視界が白に染まった。
魔力によって作り出された濃霧だ。一メートル先も見えないほどの霧は実況者泣かせではあるが……そんなもの、二人には全く以て関係ない。
(……霧そのものに攻撃性はない。ただの目眩ましか?)
《血風惨雨》のような火力の一点集中ではないと判断し、紫苑は《亡華》の形状を元の日本刀と鞘の物へと戻す。
──瞬間、彼の本能が自身の死を嗅ぎ取った。
四方八方から氷の杭や水の弾丸が身体に突き刺さり、地面に倒れ伏す己の姿を。
紫苑は鞘の形状を変え、浮遊する小さな盾を作り出す。それによって迫り来る攻撃を次々と防ぎきった。
だが、紫苑がただ守るだけで終わるわけがない。
くるり、と円を描くように周囲を切断する。斬撃を放つことで、ついでに霧まで払ってしまおうという算段だったが……返ってくる感触に肉を斬ったようなものはない。
返ってきたのはばしゃり、という水音だ。
(水を使った分身か。ならば本体は──)
思考することさえ許さない、と彼女は一気に畳み掛ける。
濃霧を突き破り、紫苑の前に姿を現したのは十数名の珠雫だった。しかしそれが全て、先ほど切断した水分身と同様の物である事は容易にわかること。
路傍の石を蹴り飛ばすように刃を走らせ珠雫の分身を切断すれば──瞬間、彼女の分身が爆発した。
至近距離で、小柄とはいえ人間サイズの爆弾が十数個も爆発すれば紫苑とて怯みはする。爆音が鼓膜を叩き付け、僅かに後退する。
そこに迫るは同様の水分身。
しかし今度は爆弾ではなかった。紫苑にぶつかる直前でそれは同質量の水の姿へと戻り、瞬間、凍結する。
彼の身体が氷に包まれ、身動きが取れなくなる。そして眼前には、先ほど紫苑を叩き潰そうとした氷の柱──ではなく、巨大な氷の杭。
人体を破壊するにはあまりに過剰な、それが紫苑の身体を押し潰そうと迫っていた。
「ルルァ──ッッ!!」
この試合で初めて紫苑が吼えた。
氷の拘束を力ずくで引き千切り、すぐさま刀を振るう。
名すら持たぬ、けれど必殺の魔剣によって破城槌は真っ二つに裂け、紫苑の脇を通り抜けてリングの外──丁度、観客席の最前席付近へと突き刺さる。
『実況者泣かせの展開で、音くらいでしか状況を判断できなかった状況から一変! 真っ二つに切断された巨大な杭が観客席へと突き刺さるゥ!! しかし観客席は先生方が魔力障壁で保護しているのでご安心ください! っとここで百鬼選手が突っ掛けた! 勝負を決めにいくか!?』
先程の杭が突き刺さった風圧で《白夜結界》も吹き飛ばされた。もはや障害は何もないと、紫苑は珠雫へと疾駆する。
しかしおめおめと迫らせるほど珠雫も馬鹿ではない。
彼を《白夜結界》内に押し止めた水の弾丸や、氷の礫──あらゆる手段を以て彼の疾走を止めようとする。
──足首を何かに捕まれる。珠雫が床に這わせた魔力で形作った氷の腕である。
だがそれを紫苑は「だからどうした」と力ずくで粉砕する。
──それだけで事足りた。紫苑が僅か。ほんの一瞬でも足を止めればそれで良かった。
珠雫が試合開始直後から張り巡らせていた──《黒鬼殺し》の絶技を発動させるには!
「《青色葬送》」
訓練場を覆い尽くしてしまうのではないかという質量の水が突如として出現。それは紫苑の身体を包み込み、そしてそれが一気に収縮。
──百鬼紫苑の身体を押し潰した。